理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター量子機能システム研究グループの野入亮人基礎科学特別研究員、武田健太研究員、樽茶清悟グループディレクターらの国際共同研究グループは、シリコン量子ドット[1]デバイス中の電子スピン[2]を用いた、二つの離れた量子ビット[3]間の量子接続[4]を実現しました。
本研究成果は、シリコン量子ドットを用いた量子コンピュータ[5]の実現における課題の一つである大規模化に新技術を提供するもので、今後の研究開発を加速させるものと期待できます。
シリコン量子コンピュータでは、少数の量子ビットで高い性能が実証されるなど、今後の発展が注目されています。しかし、最近接の量子ドット中の量子ビット間でしか量子接続に必要な直接的な結合が働かないことが知られており、離れた量子ビット間での量子接続技術の開発が大規模化に向けた重要な課題の一つとなっていました。
今回、国際共同研究グループは、単一電子スピンのシャトル技術[6]を用いて量子ドット間で量子ビットを輸送し、従来直接的な結合が働かない離れた量子ビット間を量子的に接続することに初めて成功しました。
本研究は、オンライン科学雑誌『Nature Communications』オンライン版(9月30日付)に掲載されました。
単一電子スピンシャトルによる離れたシリコン量子ビット間の量子接続手法
背景
近年、半導体デバイスの微細化による情報処理能力の向上が限界に達しつつあり、新しい動作原理に基づく次世代型コンピュータの実現が切望されています。特に有望視されているのが、量子力学の原理に基づき、複数の情報を同時に符号化することで超並列計算を実行する量子コンピュータであり、その実用化に向けた研究開発が世界的に活発化しています。
シリコン量子ドット中の電子スピンを用いたシリコン量子コンピュータは、既存産業の集積回路技術と相性が良いことから、大規模量子コンピュータの実装に適していると考えられています。量子計算を実行するには量子ビット間の結合(交換結合[7])の制御が必要ですが、この結合は量子ビットが最近接の量子ドットにあるときのみ有効に働くため、大規模化するためには多数の量子ビットを密に並べる必要があります。量子ドットの大きさは100ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)ほどですが、この範囲に量子ビットを精密に制御するための電極配線を作製することや、制御信号のクロストーク[8]を避けることは困難であるため、量子ビットを疎に配置して大規模化を実装するための長距離接続技術の開発が大規模化に向けた大きな課題となっていました。
上記長距離接続には離れた量子ビット間での2量子ビット操作が必要です。これまでさまざまな物理系、状態を媒介とした長距離の結合手法や量子ビットを物理的に転送するシャトル技術の開発が進められてきましたが、いずれの方式でも、実用的な量子接続に必要な高い精度での2量子ビット操作の実現には至っていませんでした。
研究手法と成果
国際共同研究グループは、シリコン3重量子ドット中の離れた2量子ビットにおいて、単一電子スピンシャトルを用いた2量子ビット操作を実現しました。
量子ドット構造は、シリコンスピン量子コンピュータで一般的に用いられている、歪シリコン/シリコンゲルマニウム量子井戸[9]基板上に微細加工を施すことで作製しました(図1)。3層からなるアルミニウム微細ゲート電極に正電圧を加えることによって、量子井戸中に電子を電界誘起し、高い自由度で量子ドットを形成・制御できます。試料は、キューテックのグループが作製した高品質の量子井戸基板上に、理研のグループが微細加工を施すことで作製しました。
図1 単一電子スピンシャトルによる離れたシリコン量子プロセッサ間の量子接続手法
三つのゲート電極(P1、P2、P3)の直下に三つの量子ドットを形成する。これらのゲート電極に加える電圧をパルスで制御することで、単一電子スピンシャトルを実行できる。緑のゲート電極を用いて、最近接量子ドット間の交換結合を調整できる。赤矢印(青矢印)で示す量子ビットが量子ビット1、Q1(2、Q2)で、Q2が右と中央の量子ドット間を動き、Q1は常に左の量子ドットに閉じ込められている。Q2が中央の量子ドットにあるときのみ、量子ビット間に有限の交換結合が働く。
実験は両端の量子ドットに電子を一つずつ閉じ込め、それらの間の交換結合を評価することから始めました。交換結合は、量子ビット間の距離に対して指数関数的に減衰するため、次近接の量子ドットにある量子ビット間では無視できるほど小さくなることが想定されていました。実際に、片方の量子ビットの位相がもう一方の量子ビットの向きに応じて時間発展することを利用して交換結合を評価すると、900ヘルツ(Hz)という値を得ました。この値は、量子ビットの操作速度と比較しても1,000分の1以下であり、次近接の量子ドットでは、交換結合が無視できる大きさになっていることを確かめました。またこの結果は、次近接の量子ドット以上に量子ビットを離せば、完全に独立な二つの量子ビットとして動作できることが分かりました。
次に、単一電子スピンシャトルの性能評価を行いました。左と中央の量子ドットの間で電子スピンのシャトルを繰り返し(図2(a))、スピンの向きおよび位相がどれだけ保たれているか評価しました。まず、上向きまたは下向きスピンを用意し、シャトルを繰り返した後、最終的なスピン上向き確率を測定しました(図2(b)、(c))。シャトルの回数に対するスピン上向き確率の指数関数減衰から、シャトル1回当たりのスピン反転確率0.03%を得ました。さらに位相についても同様に評価したところ、シャトル1回当たりの位相コヒーレンス[10]のロス0.4%を得ました(図2(d)、(e))。これらの性能は、これまで隣接量子ドット間での電子スピンのシャトルで報告されている値よりも良く、多数の量子ドットを小さい誤りでシャトルし長距離接続を実現できる可能性を示しています。
図2 単一電子スピンシャトルの性能評価
- (a)単一電子スピンシャトルにおける量子ドット中の準位の変化。中央の量子ドットの準位を下げ(上げ)、右の量子ドットの準位を上げる(下げる)ことで、Q2を左(右)から右(左)へシャトル可能である。
- (b)1回のシャトルにおけるスピンの向きの反転確率評価。まず下向きスピンに初期化し、単一量子ビット操作により下向き、または上向きスピンを用意してシャトルを繰り返した後、スピン上向き確率を測定した。この測定にQ1が影響しないよう、Q1は下向きに初期化し、何もしない。
- (c)(b)の実験結果。シャトル回数に対する指数減衰からシャトル1回当たりのスピン反転確率0.03%を得た。
- (d)1回のシャトルにおけるスピンの位相コヒーレンスのロス評価。まず下向きスピンに初期化し、単一量子ビット操作により下向きおよび上向きの重ね合わせ状態を作り、シャトルを繰り返した後、位相コヒーレンスを測定した。最後の単一量子ビット回転操作は、位相の情報を直接読み出せるスピンの向きに変換している。シャトルを半分の回数実行した後にスピンを反転させ、再度同じ回数シャトルすることで、パルスの長さに対して遅い雑音成分の影響を排除できる。
- (e)(d)の実験結果。シャトル回数に対する指数減衰からシャトル1回あたりの位相コヒーレンスのロス0.4%を得た。
続いて、量子ビット2が中央の量子ドットにある場合と右端の量子ドットにある場合について、量子ビット1と量子ビット2に働く交換結合の違いを評価しました。試料の動作条件を調整することで、隣接量子ビット間に最大10メガヘルツ(MHz、1MHzは100万ヘルツ)程度の結合が得られることが分かりました。この結果から、シャトルを介して交換結合をオン・オフできると確かめられたので、最後にシャトルを用いて2量子ビット操作を行いました。
この試料では、量子ドット直上に微小磁石を作製しており、磁場下において各量子ドットでゼーマンエネルギー[11]に大きな差がついています。この状況では、交換結合は反平行の2スピン状態のエネルギーを交換結合の半分だけ安定化するため、一定の時間だけパルス的に交換結合をオンにすれば量子ビットはその状態に応じて異なる位相を獲得し、単一量子ビット操作と組み合わせれば制御位相操作[12]を実行できます(図3(a))。
実際に制御位相操作を実行し、その操作忠実度をランダム化ベンチマーク法[13]で評価したところ、操作忠実度93%を得ました(図3(d))。操作忠実度は、シャトルでの誤りではなく、操作中の位相緩和で制限されていると考えられるため、試料設計を含む操作条件の最適化によって実用的な99%以上まで操作忠実度を向上できると考えられます。
図3 単一電子スピンシャトルを用いた2量子ビット操作
- (a)シャトルを用いた制御位相(CZ)操作の検証用量子回路。Q1を制御量子ビットとして、上向きまたは下向きのスピンを用意し、制御位相操作を行った後のQ2の位相を測定した。CZ/2は、制御位相操作の半分の時間だけ交換結合をオンにすることを表す。2回のCZ/2の間には両スピンを反転しており、これによりパルスの長さに対して遅い雑音成分の影響を排除できる。Q2の最後の回転操作(φ/2)は、位相の情報を直接読み出せるスピンの向きに変換している。
- (b)(a)の実験結果。Q1が上向きと下向きの場合で位相がπ異なっており、正しく制御位相操作を実行できていることが確かめられた。
- (c)ランダム化ベンチマーク法による制御位相操作の操作忠実度評価に用いた量子回路。クリフォードゲートの中からランダムに選んだn-1回の操作を行った後、最後に両方のスピンが上向き、および下向きになるような操作を行い(リカバリー操作)、そのシーケンス忠実度Fを測定する。Fはクリフォードゲートの回数に対して指数関数的に減衰し、その減衰具合から1回の操作忠実度を評価できる。制御位相操作を余分に入れる場合(赤)と入れない場合(青)を比較することによって、制御位相操作の忠実度を評価できる。
- (d)(c)の実験結果。この測定結果から制御位相操作忠実度93%を得た。
今後の期待
本研究では、シリコン量子コンピュータにおいて、離れた量子ビット間の量子接続技術を開発しました。
今回の実験では、原理検証のため、シャトル部分に一つの量子ドットを設置しました。その結果、十分高いシャトル性能が得られたことから、今後は二つの量子ビット間に多数の量子ドットを置いた、より実用的な長距離接続が可能になると期待できます(図4)。量子ドット10個程度の距離1マイクロメートル(µm、1µmは100万分の1メートル)において高い忠実度で量子ビットを結合できれば、配線問題などを現実的に解決できる可能性があります。本研究成果によって、最近の研究で少数の量子ビットでは高い性能が実証されている注1、2)シリコン量子コンピュータにおいて、今後の最重要課題である大規模化に向けた研究開発が加速すると期待できます。
図4 多重量子ドット列を用いた実用的な量子ビット間の長距離量子接続
既存の技術で横1列に多数の量子ドットを並べることが可能。長い量子ドット列の間を少ないエラーでシャトルできれば、実用的な長距離接続技術が実現できる。
- 注1)2022年1月20日プレスリリース「シリコン量子ビットで高精度なユニバーサル操作を実現」
- 注2)2022年8月25日プレスリリース「シリコン量子ビットで量子誤り訂正を実現」
補足説明
- 1.量子ドット
電子を空間的に3次元全ての方向に閉じ込めることで運動を制限し、0次元構造としたもの。その性質から人工原子とも呼ばれ、電子を一つずつ出し入れできる。 - 2.電子スピン
電子が右回りまたは左回りに自転する回転の内部自由度。この回転の向きに応じて、通常上向きまたは下向きの矢印で表される。 - 3.量子ビット
電子スピンの向きなどに符号化された量子情報の最小単位のこと。通常のデジタル回路では「0もしくは1」の2状態に情報が保持されるのに対し、量子ビットでは「0でありかつ1でもある」状態を任意の割合で組み合わせて表現することができ、これを量子力学的な重ね合わせ状態と呼ぶ。このことを表現するために、通常量子ビットの状態は任意の向きの矢印によって表される。また、量子ビットの重ね合わせ状態が、どの程度強め合っているかを表現するために導入される概念を量子ビットの位相と呼ぶ。 - 4.量子接続
二つの量子ビットを量子的に結合して、一つのシステムとして量子計算に用いること。量子的な接続には、接続する二つの量子ビットの間で2量子ビット操作を実行できる必要がある。 - 5.量子コンピュータ
量子力学における重ね合わせを利用して、超並列計算を実現するコンピュータ。従来のコンピュータでは天文学的な時間のかかる因数分解の問題などを、数時間で解くことができる量子アルゴリズムが開発されており、超高速計算が可能になると考えられている。 - 6.単一電子スピンシャトル技術
量子ドット列において、単一電子スピンを一つの量子ドットから、隣の量子ドットへ移すこと。最近では、スピンの向きと位相両方を保ったまま最近接量子ドット間で単一電子スピンを輸送できることが示されている。 - 7.交換結合
二つの電子の軌道が互いに重なり合うときに生じるスピンに関係した相互作用(交換相互作用)を起源とする量子的な結合。本研究で用いた量子ドットデバイスでは、二つの電子スピンの向きが相異なるときのみスピン状態を安定化する。 - 8.クロストーク
量子ビットの制御には複数の制御信号を用いることが多いが、試料上もしくは密に配置された配線間で制御信号同士が互いに影響し合い、元の制御信号から変調されてしまう効果。 - 9.量子井戸
ある方向の電子の運動を束縛した構造。電子は束縛されていない2次元方向にのみ運動が可能。通常数ナノメートル程度の薄膜を異なる材料で挟むことで構成する。 - 10.位相コヒーレンス
量子ビットの位相情報がどの程度保たれているかを表現するために導入される概念のこと。量子ビットの位相情報は、外界などの雑音や不正確な操作の影響を受けることで、通常時間の経過とともに失われる。 - 11.ゼーマンエネルギー
磁場を加えると、スピンのエネルギーはその向きに応じてシフトする。このエネルギーシフトをゼーマンエネルギーと呼ぶ。 - 12.制御位相操作
代表的な2量子ビット操作の一つで、どちらの量子ビットも1状態のときに状態の位相を反転し、それ以外の場合は何もしない操作。 - 13.ランダム化ベンチマーク法
量子ビットの操作忠実度を測定する代表的な方法。量子ビットに対して、ある種のランダムに選ばれた操作を何回も行い、その際の理想的な状態の検出確率の減衰から、量子ビットの操作忠実度を測定できる。
国際共同研究グループ
理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループ
基礎科学 特別研究員 野入亮人(ノイリ・アキト)
研究員 武田健太(タケダ・ケンタ)
グループディレクター 樽茶清悟(タルチャ・セイゴ)
上級研究員 中島 峻(ナカジマ・タカシ)
量子コンピュータ研究センター 半導体量子情報デバイス研究チーム
キューテック(オランダ、QuTech -a collaboration between TU Delft and TNO)
研究員 アミヤ・サマック(Amir Sammak)
チームリーダー ジョルダノ・スカプッチ(Giordano Scappucci)
研究支援
本研究は、科学技術振興機構(JST)ムーンショット型研究開発事業目標6「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現(プログラムディレクター:北川勝浩)」の研究開発プロジェクト「拡張性のあるシリコン量子コンピュータ技術の開発(プロジェクトマネージャー:樽茶清悟)JPMJMS226B」、同戦略的創造研究推進事業CREST「量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出(研究総括:荒川泰彦)」の研究課題「スピン量子計算の基盤技術開発(研究代表者:樽茶清悟)JPMJCR1675」、文部科学省光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)技術領域「量子情報処理(主に量子シミュレータ・量子コンピュータ)(研究総括:伊藤公平)」の研究課題「シリコン量子ビットによる量子計算機向け大規模集積回路の実現(研究代表者:森貴洋)JPMXS0118069228」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業若手研究「シリコン量子ドット中の電子スピンを用いた量子計算基盤技術の高性能化に関する研究(研究代表者:野入亮人)19K14640」による助成を受けて行われました。
原論文情報
- Akito Noiri, Kenta Takeda, Takashi Nakajima, Takashi Kobayashi, Amir Sammak, Giordano Scappucci, and Seigo Tarucha, "A shuttling-based two-qubit logic gate for linking distant silicon quantum processors", Nature Communications, 10.1038/s41467-022-33453-z
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループ
基礎科学特別研究員 野入亮人(ノイリ・アキト)
研究員 武田健太(タケダ・ケンタ)
グループディレクター 樽茶清悟(タルチャ・セイゴ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
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