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2024年4月18日

理化学研究所

「原子核時計」の実現に前進

-トリウム229の超低エネルギー原子核励起状態の寿命を決定-

理化学研究所(理研)開拓研究本部 香取量子計測研究室の山口 敦史 専任研究員(光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム 専任研究員)、香取 秀俊 主任研究員(光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム チームリーダー、東京大学大学院工学系研究科 教授)、理研 仁科加速器科学研究センター 核化学研究開発室の重河 優大 特別研究員、羽場 宏光 室長、東北大学 先端量子ビーム科学研究センターの菊永 英寿 准教授、金属材料研究所 アルファ放射体実験室の白崎 謙次 室長、高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所 和光原子核科学センターの和田 道治 前センター長らの共同研究グループは、イオントラップに捕獲されたトリウム229[1]アイソマー状態[2]の寿命を決定しました。

トリウム229の原子核は、エネルギーがわずか8.3電子ボルト(eV)[3]の超低エネルギー原子核励起状態(アイソマー状態)を持っており、レーザーで励起できることが大きな特徴です。この励起状態へレーザーで励起すると「原子核時計[4]」と呼ばれる極めて正確な周波数標準が実現できると期待されています。しかし、その実現に不可欠なパラメーターである、イオントラップに捕獲されたトリウム229のアイソマー状態の寿命は分かっていませんでした。今回、共同研究グループは、トリウム229イオンを真空中に捕獲する装置を開発しました。その装置で捕獲したトリウム229イオンの集団から、原子核がアイソマー状態にあるイオンを選択的に検出する独自の技術も開発し、アイソマー状態の寿命を決定しました。この結果は、原子核時計実現に向けた大きな前進であり、原子核時計による基礎物理定数の恒常性の検証といった物理学の根幹に関わる研究への道を開く成果です。

本研究は、科学雑誌『Nature』(4月17日付:日本時間4月18日)に掲載されました。

背景

通常、原子核の励起エネルギーは数千eV程度ですが、トリウム229(原子番号90、質量数229)の原子核には、エネルギーがわずか8.3eVのアイソマー状態が存在します。8.3eVというエネルギーは、光の波長に換算すると真空紫外領域の149ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)に相当し、レーザーで励起することができます。すなわち、トリウム229の原子核は、レーザーで状態を操作することができ、さまざまな応用の可能性があります。その一つとして近年注目されているのが、この原子核遷移の共鳴周波数を基準とする周波数標準である「原子核時計」です。原子核を基底状態からアイソマー状態に励起するために必要なレーザーの周波数(原子核遷移の共鳴周波数)は環境ノイズの影響を極めて受けにくいため、原子核時計は既存の原子時計[4]を上回る正確さを実現できると期待されています。

原子核時計に期待される周波数の正確さを評価するためには、アイソマー状態の寿命を知ることが不可欠です。寿命が長いほど、原子核遷移の共鳴周波数を精度よく決めることが可能になり、時計の正確さを高めることができるからです。しかし、イオントラップに捕獲されたトリウム229原子核のアイソマー状態へのレーザー励起は、励起に必要な波長149nmのレーザー作製の困難さなどから今まで実現されていませんでした。本研究では、ウラン233のアルファ崩壊でアイソマー状態のトリウム229イオンが生成される性質を利用してこの問題を解決し、アイソマー状態の寿命を測定しました。

研究手法と成果

共同研究グループはまず、トリウム229をイオントラップに捕獲する装置を開発しました(図1)。トリウム229のイオンを作るために、ウラン233を使いました。ウラン233はアルファ崩壊してトリウム229になります。そのため、ウラン233を金属基板の表面に付着させておくと、トリウム229イオンが反跳(はんちょう)イオンとして生成され金属基板の表面から飛び出してきます。飛び出してきたトリウム229イオンを、RF(ラジオ波)カーペット[5]と命名されたイオン収集装置でイオンビームとして取り出し、イオントラップまで輸送しました。

本研究で開発したトリウム229のイオントラップ装置概念図の画像

図1 本研究で開発したトリウム229のイオントラップ装置概念図

ウラン233線源で生成されたトリウム229イオンを、イオン収集装置「RFカーペット」でイオンビームとして取り出し、イオントラップまで輸送した。

ウラン233がアルファ崩壊すると、2%の割合でアイソマー状態のトリウム229になります。すなわち、トラップされたトリウム229イオンの集団には、2%のアイソマー状態のトリウム229イオンが含まれています。本研究では、これら2%のアイソマー状態のトリウム229イオンを選択的に検出する手法を開発し、アイソマー状態の寿命を測定しました。その手法は以下の通りです。トリウム229イオンの検出は、レーザーを照射してイオンを発光させ、それをカメラで撮影することで行いました。図2はトリウムイオンの電子状態のエネルギー準位図です。波長690nmと984nmのレーザーをイオンに照射すると、図2に示す2F5/22F7/2の二つの状態の間を何度も遷移します。この過程で、イオンはそれぞれの波長の光を放出するため、その発光をカメラで検出しました。

トリウムイオンの電子状態のエネルギー準位図の画像

図2 トリウムイオンの電子状態のエネルギー準位図

波長690nmと984nmのレーザーをイオンに照射すると、2F5/22F7/2の二つの状態の間を何度も遷移する。この過程で、イオンはそれぞれの波長の光を放出するため、その発光をカメラで検出した。さらに本研究では、波長1,088nmのレーザーを追加でイオンに照射することで、アイソマー状態のスペクトルデータを精度よく取得した。

原子核が基底状態かアイソマー状態かで、波長984nmの遷移の共鳴周波数は、わずかに異なります。そこで、原子核が基底状態にあるイオンだけがよく光る周波数、アイソマー状態と基底状態の両方のイオンがよく光る周波数の二つを見つけ出し、両方の周波数で取得したデータの差を取ることで、アイソマー状態の信号を検出しました(図3)。さらに、図2に示す波長1,088nmの遷移に共鳴するレーザーを追加で照射することで、アイソマー状態の信号を、より精度よく取得する方法を考案しました。そして、基底状態とアイソマー状態の信号強度の減衰速度の違いから(図3)、アイソマー状態の寿命(半減期)を1,400(+600/-300)秒と決定しました。上述したように、アイソマー状態の寿命は、原子核時計に期待される周波数の正確さを評価するための重要なパラメーターです。本研究の結果は、原子核時計実現に向けた大きな前進となります。

アイソマー状態のトリウム229イオンの信号検出と寿命測定の図

図3 アイソマー状態のトリウム229イオンの信号検出と寿命測定

  • (左)アイソマー状態と基底状態の両方のイオンが発光するスペクトル(赤)と基底状態のみが発光するスペクトル(青)の差を取ることで、アイソマー状態のトリウム229イオンからの信号(緑)を検出した。
  • (右)基底状態(青)とアイソマー状態(赤紫)の信号強度の減衰。基底状態とアイソマー状態の信号強度の減衰速度の違いから、アイソマー状態の寿命を決定した。

今後の期待

今後は、原子核時計の実現を目指し、二つの大きな段階を達成する必要があります。すなわち、①原子核遷移を励起するためのエネルギー8.3eV(波長149nm)のレーザーを作製する、②そのレーザーで原子核を励起する、という2点です。これらの段階を数年以内に達成し、原子核時計を実現する計画です。原子核時計は、周波数標準としての応用に加え、物理学の根幹に関わる基礎物理定数の恒常性の検証にも有用であると考えられています。基礎物理定数の値は、宇宙の膨張とともに変化している可能性が指摘されています。原子核時計は、この変化に対する感度が、既存の原子時計よりも数桁大きいと予想されており、宇宙膨張の謎に迫る研究への応用も期待されます。

補足説明

  • 1.トリウム229
    トリウムは原子番号90の元素。質量数229の同位体であるトリウム229原子核は、基底状態からわずか8.3電子ボルト(eV)のエネルギー領域にアイソマー状態と呼ばれる準安定状態を持つ。このアイソマー状態は基底状態の原子核にレーザーを照射して作り出すことができる。このレーザー励起を利用すると周波数が非常に正確な「原子核時計」を実現できると期待され、近年注目を集めている。
  • 2.アイソマー状態
    原子核の励起状態で、その寿命がおよそナノ秒(10億分の1秒)より長い準安定状態のこと。イオントラップされたトリウム229のアイソマー状態の寿命は本研究で初めて実験的に測定された。
  • 3.電子ボルト(eV)
    エネルギーの大きさを示す単位で、電子1個が真空中で1ボルトの電位差で加速されたときに得るエネルギー。トリウム229アイソマー状態のエネルギー8.3eVは、光の波長に換算すると真空紫外領域の149nmに相当する。
  • 4.原子核時計、原子時計
    原子時計とは、原子のエネルギー準位間の遷移周波数を基準とする周波数標準である。今まで開発された原子時計は、すべて原子の「電子」遷移の共鳴周波数を基準としてきた。例えば、現在の1秒は、セシウム原子のマイクロ波領域の電子遷移の共鳴周波数で定義されている。これに対して、原子核時計は、「原子核」遷移の共鳴周波数を基準とする。原子核遷移の周波数は、環境ノイズの影響を受けにくいため、既存の原子時計を上回る正確さを実現できると期待されている。
  • 5.RF(ラジオ波)カーペット
    RFカーペットとは、プリント基板上に同心円状に配置された電極にRF電圧を印加し、電極基板表面にイオンに対するバリアポテンシャルを形成する装置である。印加するRF電圧の振幅に強度変調をかけ、その変調の位相を電極ごとに調整すると、中心の穴に向かってイオンを集める進行波ポテンシャルを作ることができる。この進行波ポテンシャルを利用し、イオンを中心の穴からイオンビームとして取り出す。

共同研究グループ

理化学研究所
開拓研究本部 香取量子計測研究室
専任研究員 山口 敦史(ヤマグチ・アツシ)
(光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム 専任研究員)
主任研究員 香取 秀俊(カトリ・ヒデトシ)
(光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム チームリーダー、東京大学大学院工学系研究科 教授)
仁科加速器科学研究センター 核化学研究開発室
特別研究員 重河 優大(シゲカワ・ユウダイ)
室長 羽場 宏光(ハバ・ヒロミツ)

東北大学
先端量子ビーム科学研究センター
准教授 菊永 英寿(キクナガ・ヒデトシ)
金属材料研究所 アルファ放射体実験室
室長 白崎 謙次(シラサキ・ケンジ)

高エネルギー加速器研究機構
素粒子原子核研究所 和光原子核科学センター
前センター長・名誉教授 和田 道治(ワダ・ミチハル)

研究支援

本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業さきがけ「量子の状態制御と機能化(研究総括:伊藤公平)」の研究課題「「原子核時計」実現に向けた原子核量子計測技術の開発(研究代表者:山口敦史、JPMJPR1868)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(A)「能動的核異性体生成法で迫る、トリウム229原子核異性体の高精度レーザー分光(研究代表者:増田孝彦、19H00685)」「レーザーによるコヒーレントな原子核操作の実現ー原子核時計の創成と応用に向けて(研究代表者:吉村浩司、21H04473)」「原子核時計実現にむけたトリウム229イオンのレーザー冷却(研究代表者:山口敦史、23H00094)」、同基盤研究(S)「短寿命原子核の網羅的質量測定による重元素の起源研究の展開(研究代表者:和田道治、22H04946)」、山田科学振興財団研究援助「原子核時計実現に向けたトリウムイオンのレーザー冷却(研究代表者:山口敦史)」による助成を受けて行われました。本研究で使用したウラン233は、日本原子力研究開発機構と東北大学金属材料研究所共同研究(17K0204、17F0011、18F0014)による、U-233共同利用プロジェクトから提供されたものです。

原論文情報

  • Atsushi Yamaguchi, Yudai Shigekawa, Hiromitsu Haba, Hidetoshi Kikunaga, Kenji Shirasaki, Michiharu Wada, Hidetoshi Katori, "Laser spectroscopy of triply charged 229Th isomer for a nuclear clock", Nature, 10.1038/s41586-024-07296-1

発表者

理化学研究所
開拓研究本部 香取量子計測研究室
専任研究員 山口 敦史(ヤマグチ・アツシ)
(光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム 専任研究員)
主任研究員 香取 秀俊(カトリ・ヒデトシ)
(光量子工学研究センター 時空間エンジニアリング研究チーム チームリーダー、東京大学大学院工学系研究科 教授)
仁科加速器科学研究センター 核化学研究開発室
特別研究員 重河 優大(シゲカワ・ユウダイ)
室長 羽場 宏光(ハバ・ヒロミツ)

東北大学
先端量子ビーム科学研究センター
准教授 菊永 英寿(キクナガ・ヒデトシ)
金属材料研究所 アルファ放射体実験室
室長 白崎 謙次(シラサキ・ケンジ)

高エネルギー加速器研究機構
素粒子原子核研究所 和光原子核科学センター
前センター長・名誉教授 和田 道治(ワダ・ミチハル)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
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東京大学大学院工学系研究科 広報室
Tel: 03-5841-0235
Email: kouhou [at] pr.t.u-tokyo.ac.jp

東北大学大学院理学研究科 広報・アウトリーチ支援室
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東北大学 金属材料研究所 情報企画室広報班
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Email: imr-press [at] grp.tohoku.ac.jp

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