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2024年10月21日

理化学研究所

極低温の原子気体で作る持続的な磁気の流れを発見

-次世代磁気メモリ開発用の量子シミュレーター実現へ-

理化学研究所(理研)数理創造プログラムの関野 裕太 特別研究員(開拓研究本部 濱崎非平衡量子統計力学理研白眉研究チーム 特別研究員)らの国際共同研究グループは、極低温の原子気体を用い、減衰しにくい磁気の流れを生み出す機構を発見しました。

本研究成果は、高効率な次世代磁気メモリ開発[1]に必要な量子シミュレーター[2]の実現に貢献すると期待されます。

今回、国際共同研究グループは、光格子[3]上の極低温原子気体を用いて、固体磁気デバイスの量子ポイントコンタクト[4]を模倣した回路において、原子気体の量子統計性[5]が重要となる条件下での熱エネルギーと磁気の流れを記述する理論を構築しました。さらにこれを用いて、安定して長時間持続する磁気の流れを生み出す機構を発見しました。熱エネルギーと磁気の流れが絡み合う現象では、磁気の流れは短時間で消失してしまうことが知られており、高効率な情報伝達や不揮発性ストレージ(外部記憶装置)を目指す次世代磁気メモリ開発において、磁気の流れを持続させることが大きな課題でした。本研究成果を応用することにより、その課題の克服が期待されます。

本研究は、科学雑誌『Physical Review Letters』オンライン版(10月16日付)に掲載されました。

接合部(水色)を通して往来する光格子上の極低温原子気体の図

接合部(水色)を通して往来する光格子上の極低温原子気体(赤と青の矢印)

背景

近年、絶対零度近くまで冷やされた原子気体(冷却原子気体)を、対向するレーザー光の干渉で形成された光格子を使って、特定の位置に閉じ込める技術が発達しました。この技術によって、原子同士の相互作用で生み出される量子力学的な振る舞いを精密に制御・測定することが可能になりました。そこでこれを活用し、実際の物質では観測が難しい複雑な量子現象を理解するための量子シミュレーター技術が、理論と実験の両面から精力的に研究されています。

最近、冷却原子系において熱エネルギーや磁気の流れを模倣する方法が実現しました。それに伴い、ナノスケールで制御された熱磁気発電(温度差を磁気に変え発電する)素子や磁気メモリといった次世代熱磁気デバイスの開発への活用が期待されています。

特に、磁気で媒介する情報伝達デバイスでは、磁気の流れが発熱を伴って減衰することが知られていますが、この減衰をいかに抑制できるかが課題でした。

研究手法と成果

国際共同研究グループは、光格子を用いた冷却原子気体の磁気的量子ポイント構造を提案し(図1)、この量子ポイントコンタクトをトンネル伝導する熱と磁気の輸送理論を構築しました。理論の構築に当たっては非平衡場の量子論[6]の手法を用いました。特に、冷却原子気体の量子統計性が顕著となる条件下では、量子ポイントコンタクトにおいて、減衰しにくく長時間持続する磁気の流れが生成されることを突き止めました。

磁気的量子ポイントコンタクトでつながれた光格子中の原子気体は、電子のスピン[7]に似た「擬スピン」と呼ばれる磁気的内部状態を持っています。光格子で閉じ込められた原子の位置はほとんど変わらないにもかかわらず、原子間の相互作用を通じて擬スピンや熱は空間を伝わることができ、冷却原子気体を用いると磁性絶縁体[8]中の熱磁気輸送を模倣することができます。つまり、量子シミュレーションを実現できるのです。さらに、レーザー冷却(レーザー光を使って原子の運動を減衰させる方法)を駆使してナノケルビン(ナノは10億分の1、ケルビンは絶対温度の単位)にも達する極低温環境を実現することで、これまでの物質材料研究では到達困難な領域の熱磁気輸送を調べることができます。

量子シミュレーターの模式図の画像

図1 量子シミュレーターの模式図

  • (a)磁気的量子ポイントコンタクトの模式図。左右の原子気体のスピン(赤と青の矢印)が強磁性絶縁体を模しており、水色の磁気的量子ポイントコンタクトによってつながっている。この量子ポイントコンタクトを通じて、左右の原子気体系は磁気と熱の交換を行うことが可能である。
  • (b)レーザーによる光格子とバリアを用いた磁気的量子ポイントコンタクトの実現方法。左右の強磁性絶縁体を模している原子系は、レーザーによる定常波である光格子に捕捉されており、バリアにより区切られている。左右の光格子内の原子はバリアの谷間に相当する水色の接合部を通じてのみ互いを行き来できる。

国際共同研究グループは、擬スピン(以下、スピン)が巨視的に同じ方向にそろった状態を考え、強磁性絶縁体の極低温量子輸送に着目しました。こうした環境下では、マグノンと呼ばれる磁気の量子的なさざ波によって熱やスピンが運ばれます。マグノンに対して非平衡場の量子論を応用することで、二つの低温強磁性絶縁体をつなぐ磁気的量子ポイントコンタクトを流れる熱やスピンの輸送がどのように起きるのかを調べました。

国際共同研究グループは、強磁性絶縁体を模倣した左右の原子気体間の磁化差と温度差が時間とともに減衰していく様子を解析することで、減衰しにくい磁気の流れを発見しました。大半の状況下では、磁化差と温度差は影響を及ぼし合いながら緩和するため、減衰にかかる時間は同程度となります。ところが、有効磁場(通常のスピンに対する磁場のように擬スピンに対して働く場)が小さい状況下では、図2(a)の示すように、温度差の緩和に比べて磁化差の緩和が極端に遅くなることが分かりました。実際、磁気と熱の輸送にかかる緩和時間を解析してみると、図2(b)が示すように、特に有効磁場が小さくマグノンの量子性が強くなる領域において、磁気の緩和時間が著しく長くなっていることが判明しました。

上記の結果は、マグノンのボース-アインシュタイン統計[9]性に起因しており、量子効果が顕著となる極低温・低磁場環境ならではのユニークな性質です。これまでの物質研究では長らく見逃されてきましたが、国際共同研究グループはこの新奇なスピン輸送現象が起きる条件を理論的に明らかにしました。

今回の成果は、物質設計に先駆けて冷却原子気体を用いた量子シミュレーターにより極低温・低磁場下の磁性絶縁体の新奇な熱磁気輸送の観測・制御が可能であることを示しており、将来の次世代熱磁気デバイス開発に向けた指針となることが期待されます。

マグノンの量子統計性に由来した持続的な磁気の流れの図

図2 マグノンの量子統計性に由来した持続的な磁気の流れ

  • (a)左右の磁性絶縁体の磁化と温度に差がある場合の熱磁気輸送。温度差と比較して、磁化差はゆっくりと減少し、結果として持続的な磁気の流れが維持される。
  • (b)磁気および熱の緩和時間の有効磁場依存性。マグノンの量子性が顕著である有効磁場が小さい領域では、磁気の緩和時間が増大する。

今後の期待

本研究では、光格子に閉じ込められた冷却原子気体によって固体系の熱磁気デバイス構造を模倣し、長時間持続する磁気の流れを生成する機構を発見しました。冷却原子気体系は制御性が極めて高く、固体系では取り除くことが困難な格子欠陥や不純物散乱の効果を排除した、理想的な量子多体系(量子力学に従って互いに相互作用する、多数の粒子から構成される系)を実現することができます。

今回提案された系を用いることで、固体系における熱・磁気輸送現象への理解が深まり、将来的には次世代磁気デバイスの開発のための量子シミュレーターが実現できると期待されます。

補足説明

  • 1.高効率な次世代磁気メモリ開発
    従来の半導体メモリを超えると期待される新しいデータストレージ技術で、磁気情報を用いることで電力を消費せずにデータを保持できる不揮発性メモリの一種。
  • 2.量子シミュレーター
    物質中での複雑な量子現象を、人工物質を用いて実験的に再現する装置。従来のコンピュータでは解くことが難しい問題に対して、原子などの量子力学に従う粒子を使って制御性の高い人工物質を作り、その模擬実験を通じて理解を試みる。新しい材料の開発や物性の解明に利用される。
  • 3.光格子
    レーザー光によって作られた規則的なエネルギー場で、原子やイオンを閉じ込めて操作するために使用される。特に、物質の量子状態を精密に制御することができ、原子を用いて、量子シミュレーター([2]参照)や量子コンピュータを実装する上で重要な役割を果たす。
  • 4.量子ポイントコンタクト
    非常に小さいスケールで作られた、電子や冷却原子などの量子が一列に並んで移動するほどに細い通り道で、量子効果特有の挙動が現れ、量子コンピューティングや精密計測のための基礎技術として利用される。
  • 5.量子統計性
    量子力学の原理に従う粒子の集団の統計的性質。量子力学では、同種の粒子(電子や原子など)を個別に区別することのできない性質(同種粒子の識別不可能性)があり、これによって量子力学的粒子の集団は、古典力学に従う多数の粒子の集団とは異なる統計的性質を持ち、ボース-アインシュタイン統計かフェルミ-ディラック統計のいずれかに従う。
  • 6.非平衡場の量子論
    電気や磁気、熱の流れに代表される物質の動的性質を量子力学に基づいて理解するための理論体系。固体物質や極低温原子気体などさまざまな対象に応用される。
  • 7.電子のスピン
    電子の持つ自転のような自由度の一つで、微小な磁石として働く。
  • 8.磁性絶縁体
    磁石の性質を持つ絶縁体。フェライト磁石などが代表的である。次世代磁気メモリ開発([1]参照)の観点から注目されている。
  • 9.ボース-アインシュタイン統計
    同じ種類の2粒子の波動関数が粒子の位置を交換しても変わらないという性質を持った粒子の集団が従う統計。複数の粒子が同じ量子力学的状態に存在することが可能であり、これによって多数の粒子が一つの状態に集まる性質を持つ。

国際共同研究グループ

理化学研究所 数理創造プログラム
特別研究員 関野 裕太(セキノ・ユウタ)
(開拓研究本部 濱崎非平衡量子統計力学理研白眉研究チーム 特別研究員)

早稲田大学
高等研究所
講師 大湊 友也(オオミナト・ユウヤ)
理工学術院
准教授 内野 瞬(ウチノ・シュン)

東京大学 大学院理学系研究科
助教 田島 裕之(タジマ・ヒロユキ)

中国科学院大学 カブリ理論科学研究所
准教授 松尾 衛(マツオ・マモル)

研究支援

本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業特別研究員奨励費「非平衡量子クラスター展開理論の構築と冷却原子気体での強相関非平衡現象への応用(研究代表者:関野裕太、19J01006)」、同基盤研究(A)「マルチスケール角運動量変換の学理構築と電子スピンによる力学的回転の生成(研究代表者:能崎幸雄、21H04565)」「結晶構造制御による非断熱的磁気回転効果の微視的機構解明と巨大スピントルクの発現(研究代表者:能崎幸雄、24H00322)」、同基盤研究(B)「スピン流駆動型アインシュタイン・ドハース効果の理論構築と実証実験研究(研究代表者:松尾衛、20H01863)」「核スピン角運動量を用いたスピントロニクスの革新的研究(研究代表者:中堂博之、21H01800)」「FFLO超流動の直接観測と第一原理計算による探索(研究代表者:堀越宗一、22H01158)」「2次元物質におけるバレー・スピン・力学融合物理の開拓(研究代表者:松尾衛、23H01839)」、同基盤研究(C)「アトムトロニクスの新展開(研究代表者:内野瞬、21K03436)」、同若手研究「中性子星-ブラックホール合体の量子シミュレーション実現に向けた冷却原子理論研究(研究代表者:田島裕之、22K13981)」、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業ERATO「沙川情報エネルギー変換プロジェクト(研究代表者:沙川貴大、JPMJER2302)」、同戦略的創造研究推進事業さきがけ「強結合な量子開放系の定式化と冷却原子シミュレータへの応用(研究代表者:内野瞬、JPMJPR2351)」、理研新領域開拓課題 Evolution of Matter in the Universe (r-EMU)、松尾学術振興財団による助成を受けて、理研TRIPイニシアティブ(RIKEN Quantum)により実施しました。

原論文情報

  • Yuta Sekino, Yuya Ominato, Hiroyuki Tajima, Shun Uchino, and Mamoru Matsuo, "Thermomagnetic Anomalies by Magnonic Criticality in Ultracold Atomic Transport", Physical Review Letters, 10.1103/PhysRevLett.133.163402

発表者

理化学研究所
数理創造プログラム
特別研究員 関野裕太(セキノ・ユウタ)
(開拓研究本部 濱崎非平衡量子統計力学理研白眉研究チーム 特別研究員)

関野 裕太 特別研究員の写真 関野 裕太

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
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