2025年10月29日
理化学研究所
鹿児島大学
昭和薬科大学
東京大学
日本動物高度医療センター
ITEA株式会社東京環境アレルギー研究所
麻布大学
イヌの薬物代謝の個体差における原因の一端を解明
-CYP2B6解析でヒトやイヌの安全な薬物治療の発展に貢献-
理化学研究所(理研)生命医科学研究センター 基盤技術開発研究チームの桃沢 幸秀 チームディレクター(生命医科学研究センター 副センター長)、ファーマコゲノミクス研究チームの福永 航也 上級研究員、鹿児島大学 共同獣医学部の宇野 泰広 教授、昭和薬科大学 薬物動態学研究室の山崎 浩史 教授、東京大学 大学院農学生命科学研究科の富安 博隆 准教授、日本動物高度医療センターの辻本 元 科長、ITEA株式会社 東京環境アレルギー研究所の阪口 雅弘 所長、麻布大学 獣医学部 小動物内科学研究室の久末 正晴 教授らの共同研究グループは、119犬種6,344頭のゲノムデータを網羅的に解析し、イヌの主要薬物代謝酵素であるチトクロームP450(CYP)[1]2B6(CYP2B6[2])の遺伝子における11種類の遺伝的バリアント[3]を同定し、その遺伝子機能への影響を評価しました。
本研究成果は、イヌCYP2B6における薬物代謝の個体差や犬種差が遺伝的要因によって規定されることを初めて明確に示した大規模研究であり、創薬研究および獣医療の両分野において、種を超えた薬物代謝の多様性理解に新たな道を開くものです。
共同研究グループは、これらのバリアントのうち275番目のグルタミン酸が欠失するスプライスバリアント[4]や、74、83、145、151番目のアミノ酸が置換するミスセンスバリアント[5]は、麻酔薬プロポフォール[6]の代謝能に影響を及ぼすことを実験的に確認しました。また145番目のアミノ酸置換を伴うバリアントでは、分子ドッキング・シミュレーション[7]により、還元酵素部位に構造的変化を生じ、代謝活性を低下させることが示唆されました。
本研究は、科学雑誌『Drug Metabolism and Disposition』オンライン版(10月30日付)に掲載されました。
本研究の概要
背景
チトクロームP450(CYP)は、体内で医薬品や内因性化合物を酸化分解する主要な酵素群であり、ヒトではCYP2B6やCYP2C19などの遺伝子上の遺伝的バリアントが薬物応答や副作用の個人差を生み出すことが知られています。一方で、イヌはヒト医薬品の前臨床試験モデル動物として広く用いられているだけでなく、コンパニオンアニマル(伴侶動物)として多様な犬種が存在しています。しかし、他の遺伝子同様、犬種間において薬物代謝酵素遺伝子上に多様なゲノム配列の個体差が存在し、それらが酵素活性に大きな影響を及ぼすと推定されますが、これまで十分に解明されていませんでした。
特にCYP2B6はイヌ肝臓に豊富に発現し、ヒトCYP2B6と高い相同性を持ち、麻酔薬プロポフォールなどの酸化反応を担う主要酵素です。イヌCYP2B6の構造や機能を詳細に解析することは、ヒトCYP2B6との比較を通じて、哺乳類におけるCYP2B6の構造や機能の相関関係および進化における保全性を理解する上でも重要です。つまり、イヌのCYP2B6遺伝子を解析することは、ヒトを含む種を超えた薬物代謝酵素の機能理解に資する基礎科学的意義を持ちます。
そこで本研究では、世界最大規模となる119犬種6,344頭のゲノム解析を実施し、CYP2B6遺伝子に存在するバリアントを網羅的に探索するとともに、その機能的影響を生化学的および構造的手法により解析しました。
研究手法と成果
共同研究グループは、東京大学大学院農学生命科学研究科附属動物医療センターに来院した119犬種6,344頭のCYP2B6遺伝子配列をターゲットシークエンシング[8]により解析した結果、11種類のバリアントを同定しました。その内訳は、七つのミスセンスバリアント(酵素を構成するアミノ酸の一部が他のアミノ酸に置き換わる変化:R74C、A83T、V103I、R145Q、Q151H、Q233L、F389Y)、スプライスバリアント(スプライシング過程の異常による構造変化を伴うもの)により1アミノ酸(グルタミン酸)が欠失するE275delバリアント、および三つの同義置換バリアント[9]でした(図1上)。薬物代謝酵素に検出されるバリアントは、同義置換よりもアミノ酸置換を伴うバリアントが多いことがヒトで知られていましたが、イヌでも同様の傾向があることが分かりました。
今回の解析では、イヌCYP2B6遺伝子における8種類のアミノ酸置換・欠失を伴うバリアント頻度[10]を犬種ごとに比較しました(図1下)。その結果、ゴールデン・レトリーバーやラブラドール・レトリーバーではR74Cバリアントが比較的多く見られたのに対し、チワワや雑種犬ではごくまれでした。一方、グレート・デーンやブリタニー・スパニエルではV103Iバリアントが特徴的に確認されました。これらの結果から、CYP2B6のバリアントは犬種によって分布が異なり、薬の代謝に関わる遺伝的背景が犬種ごとに異なる可能性が示されました。
図1 機能異常が予想されるバリアントとバリアント頻度が最も高い犬種とその頻度
- (上)主要な犬種におけるCYP2B6遺伝子の8種類のアミノ酸置換・欠失バリアントの分布を示す。
- (下)ラブラドール・レトリーバーではR74C、グレート・デーンではV103Iが特徴的に検出された。
各CYP2B6バリアントを大腸菌で発現させ、麻酔薬プロポフォールの代謝反応を解析しました。その結果、野生型(WT)酵素に比べてR74C、A83T、R145Q、Q151Hのバリアント酵素では、代謝活性(Vmax/Km[11])の総和が野生型に比べて低下していることが分かりました(図2)。
この総和は、プロポフォールの二つの分解経路である「4-水酸化反応」と「ω(オメガ)-水酸化反応」それぞれのVmax/Km値を合計したものです。4-水酸化反応は酵素濃度が増すにつれて反応速度が急激に上昇するS字状の反応カーブ(協同性反応)を示す一方、ω-水酸化反応は典型的なミカエリス-メンテン型[12]の反応を示しました。
図2 CYP2B6バリアントのプロポフォール代謝活性(WT比)
プロポフォールの2種類の分解経路(4-水酸化およびω-水酸化)の活性を指標に、CYP2B6バリアントの代謝効率を比較した。2種類の分解経路におけるVmax/Km値の逆数(代謝効率)を合算した総和をWT比で示している。R74C、A83T、R145Q、Q151Hでは代謝活性の低下が見られた。
E275delバリアントでは、遺伝子のコード領域(エクソン6)のスプライス受容部位が3塩基分ずれて読み取られることで、1アミノ酸欠失を引き起こすことがin vitro(試験管内)スプライシング解析で確認されました。また、分子ドッキング・シミュレーションの結果、R145Qバリアント酵素ではプロポフォールの第2基質結合位置の推定結合エネルギーが低下しており、還元酵素との相互作用が不安定化する構造的変化が生じ、代謝活性を低下させることが示唆されました(図3)。
図3 イヌCYP2B6とR145Q変異型の立体構造モデルによるプロポフォール結合部位の比較
(A)野生型CYP2B6では、Arg145付近にプロポフォール(Propofol)の二つの基質結合位置が確認された。(B)一方、R145Q変異型では2ndリガンド(結合分子)の結合エネルギー(U)が低下しており、還元酵素との相互作用が不安定化することが示唆された。図中の赤はR145Q変異部位、青はヘム(Heme)、黄色はプロポフォールを示す。
今後の期待
本研究により、イヌCYP2B6遺伝子のバリアントが薬物代謝活性に及ぼす影響を初めて明らかにしました。これは、犬種間で薬の効き方や副作用リスクが異なる分子基盤を解明した重要な成果です。共同研究グループは今月、CYP2C21についても遺伝的バリアントの明確な犬種差やそれぞれの機能への影響を報告しており注)、今回のCYP2B6解析はそれに続く「イヌP450バリアントの体系的解析」の一環です。これにより、複数のP450酵素が関与する薬物代謝ネットワークの全体像を明らかにすることが可能になります。これまで経験的に行われてきた獣医療での薬剤投与を、遺伝情報に基づいて個別化できる道を開くものであり、犬種に応じた安全で効果的な治療設計に応用できると期待されます。
さらに本成果は、イヌCYP2B6の構造・機能情報を通じて、ヒトCYP2B6の酵素機能理解を深める上でも有用です。ヒトとイヌのCYP2B6を比較することで、薬物代謝に共通する普遍的な仕組みと、種特異的な代謝特性の両方を明らかにできると考えられます。これにより、薬物代謝酵素研究の基盤的知見を拡充し、ヒト・イヌ双方の薬物治療の安全性向上に貢献します。
今後は、CYP1A2やCYP2D15など、他のP450遺伝子も統合的に解析し、イヌの薬理遺伝学データベースを構築することで、将来的にはヒトと伴侶動物の双方における精密医療の実現に貢献すると期待されます。さらに、こうした研究の蓄積は、ヒトと動物の健康を共に考え、医療・生命科学を相互に発展させるという「広義のワンヘルス(One Health)」の理念にも通じます。
- 注)Yasuhiro Uno, Koya Fukunaga, Genki Ushirozako et al., Genetic variants of cytochrome P450 2C21 identified by screening 6344 dogs influenced oxidations of the probe drug omeprazole. 10.1016/j.bcp.2025.117394
補足説明
- 1.チトクロームP450(CYP)
医薬品や内因性物質を酸化的に代謝する酵素群で、肝臓を中心に生体内に広く存在する。代謝活性は遺伝的多様性により大きく変動し、薬効や副作用の個人差を生じる要因となる。 - 2.CYP2B6
ヒトやイヌの主要な薬物代謝酵素の一つであるCYP2B6を発現する遺伝子。CYP2B6はプロポフォール([6]参照)や消炎鎮痛剤のジクロフェナクなどの酸化反応に関与し、薬物の体内動態を決定する。 - 3.遺伝的バリアント
遺伝子の塩基配列に生じた変化を指す。アミノ酸配列やタンパク質構造の違いをもたらし、生物個体間の代謝能や薬物応答の差異を生み出す要因となる。 - 4.スプライスバリアント
遺伝子からタンパク質がつくられる過程(スプライシング)で、一部の塩基配列が正しくつなぎ合わされず、一部の配列が欠けたまま翻訳されたバリアントタンパク質が生成される変異を指す。酵素活性に影響を及ぼす場合がある。 - 5.ミスセンスバリアント
遺伝子上の1塩基置換により、翻訳されたタンパク質の一部のアミノ酸が別のアミノ酸に置き換わる変異を指す。酵素活性に影響を及ぼす場合がある。 - 6.プロポフォール
麻酔導入時に広く用いられる静脈内投与型の麻酔薬である。ヒトではCYP2B6によって代謝され、代謝活性の個体差が薬効や麻酔からの覚醒時間に影響する可能性が示唆されている。 - 7.分子ドッキング・シミュレーション
薬物分子が標的酵素や受容体と結合する位置や強さを、コンピュータ上で予測する手法。薬物と酵素の立体的な相互作用を理解するために用いられる。 - 8.ターゲットシークエンシング
全ゲノム領域のうち標的ゲノム領域のみを解析する方法。多くの場合は標的遺伝子を選定して領域を設定するが、ある疾患領域に関連する全ての遺伝子を解析するなど、疾患と関連するイントロン領域や調節領域などの非翻訳領域も組み入れ、標的を拡大して解析する場合もある。 - 9.同義置換バリアント
DNA配列が変化してもアミノ酸配列が変わらない遺伝的変化(通常は酵素機能に影響しない)。 - 10.バリアント頻度
遺伝子の特定の位置にバリアントが見られる割合のこと。遺伝学では通常「アレル頻度」と呼ばれ、あるバリアントが集団内でどの程度存在するかを示す指標。 - 11.Vmax/Km
Vmaxは酵素反応の最大速度を示す指標で、酵素の触媒能力を反映する。Kmは基質(プロポフォール)に対する酵素の「親和性」を表す指標で、値が小さいほど基質と強く結合する。これらの比(Vmax/Km)は、酵素の「代謝効率」を示す重要なパラメータである。 - 12.ミカエリス-メンテン型
一定量の酵素の下で基質(反応する化合物)の濃度を高めると、反応速度が次第に上昇し、やがて一定の値に近づくという典型的な酵素反応のパターン。反応速度と基質濃度の関係を示す曲線は「飽和曲線」と呼ばれ、VmaxやKmの評価に用いられる。
共同研究グループ
理化学研究所 生命医科学研究センター
基盤技術開発研究チーム
チームディレクター 桃沢 幸秀(モモザワ・ユキヒデ)
(生命医科学研究センター 副センター長)
研究員 水上 圭二郎(ミズカミ・ケイジロウ)
テクニカルスタッフⅡ 碧井 智美(アオイ・トモミ)
ファーマコゲノミクス研究チーム
チームディレクター 莚田 泰誠(ムシロダ・タイセイ)
上級研究員 福永 航也(フクナガ・コウヤ)
鹿児島大学 共同獣医学部
教授 宇野 泰広(ウノ・ヤスヒロ)
大学院生 後迫 玄城(ウシロザコ・ゲンキ)
昭和薬科大学 薬物動態学研究室
教授 山崎 浩史(ヤマザキ・ヒロシ)
講師 村山 典恵(ムラヤマ・ノリエ)
東京大学 大学院農学生命科学研究科
准教授 富安 博隆(トミヤス・ヒロタカ)
特任助教 本阿彌 宗紀(ホンナミ・ムネキ)
日本動物高度医療センター
科長 辻本 元(ツジモト・ハジメ)
ITEA株式会社 東京環境アレルギー研究所
所長 阪口 雅弘(サカグチ・マサヒロ)
麻布大学 獣医学部 小動物内科学研究室
教授 久末 正晴(ヒサスエ・マサハル)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(C)「ヒト薬物相互作用の定量的予測を指向した単一酵素不括化ヒト肝移植マウスモデルの開発(研究代表者:山崎浩史)」「獣医学での薬物代謝の研究基盤構築を目指した薬物代謝酵素の遺伝子多型の網羅的解析(研究代表者:宇野泰広)」、同特別研究員奨励費「ツパイにおけるチトクロムP450の同定・解析(研究代表者:後迫玄城)」による助成を受けて行われました。
原論文情報
- Yasuhiro Uno*,†, Koya Fukunaga*, Genki Ushirozako, Norie Murayama, Keijiro Mizukami, Tomomi Aoi, Hirotaka Tomiyasu, Muneki Honnami, Hajime Tsujimoto, Masahiro Sakaguchi, Masaharu Hisasue, Taisei Mushiroda, Yukihide Momozawa†, Hiroshi Yamazaki†(*共同筆頭著者、†責任著者), "Genetic variants in dog cytochrome P450 2B6 and their relevance to inter-individual variability of oxidations of probe drug propofol", Drug Metabolism and Disposition, 10.1016/j.dmd.2025.100189
発表者
理化学研究所
生命医科学研究センター
基盤技術開発研究チーム
チームディレクター 桃沢 幸秀(モモザワ・ユキヒデ)
(生命医科学研究センターセンター 副センター長)
ファーマコゲノミクス研究チーム
上級研究員 福永 航也(フクナガ・コウヤ)
鹿児島大学 共同獣医学部
教授 宇野 泰広(ウノ・ヤスヒロ)
昭和薬科大学 薬物動態学研究室
教授 山崎 浩史(ヤマザキ・ヒロシ)
東京大学 大学院農学生命科学研究科
准教授 富安 博隆(トミヤス・ヒロタカ)
日本動物高度医療センター
科長 辻本 元(ツジモト・ハジメ)
ITEA株式会社 東京環境アレルギー研究所
所長 阪口 雅弘(サカグチ・マサヒロ)
麻布大学 獣医学部 小動物内科学研究室
教授 久末 正晴(ヒサスエ・マサハル)
桃沢 幸秀
福永 航也
宇野 泰広
山崎 浩史
発表者のコメント
イヌはヒトの薬剤開発における重要なモデル動物ですが、薬物代謝能の個体差や犬種差の要因は十分に解明されていませんでした。今回、私たちはCYP2B6遺伝子の多様なバリアントを特定し、薬物代謝の違いを分子・タンパク質レベルで明らかにしました。この成果は、犬種ごとの安全な薬剤設計に役立つだけでなく、ヒトの薬理遺伝学との比較を通じ、前臨床試験の精度向上にも貢献します。今後、こうした知見を積み重ね、ヒトと伴侶動物双方における精密医療の実現を目指したいと考えています。(福永 航也)
イヌをはじめとする動物たちの適正な薬物治療を目指して日々研究に取り組んでいますが、この研究成果は、その目標への重要な試金石となり、動物医薬品の開発や、薬物治療における個別化医療の実現に貢献するものと期待されます。(宇野 泰広)
組換えP450とP450還元酵素を調製し、その酸化酵素の機能解析を行う薬学領域の技術が、獣医学領域においてもこのように共同研究として展開でき、動物病院の獣医さんや飼い主さんたちにも微力ながらも薬学の立場から貢献できることを大変うれしく思います。(山崎 浩史)
報道担当
理化学研究所 広報部 報道担当
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日本動物高度医療センター 経営企画課
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ITEA株式会社 東京環境アレルギー研究所
Email: sakaguchi@itea.jp
麻布大学 教務部 入試広報・渉外課
Tel: 042-754-7111(代表)
Email: koho@azabu-u.ac.jp
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備考
論文掲載日付を10月30日付に修正しました。(修正日:2025年10月31日)
