理化学研究所(理研)脳神経科学研究センター時空間認知神経生理学研究チームの藤澤茂義チームディレクターと谷本彩リサーチアソシエイトの研究チームは、視覚刺激に応じて行動選択を行う視覚弁別課題[1]において、感覚とその価値判断に関わる脳領域である後部線条体[2]の脳波が、学習後に視覚情報を処理する視覚領域の脳波と4ヘルツのゆっくりとしたリズムで強く同期することを発見しました。
本研究成果は、低周波帯域の脳波リズムによる情報統合メカニズムや感覚情報処理および意思決定の神経基盤の解明に貢献すると期待されます。
今回、研究チームは、ラットの感覚入力とその価値情報保持に関わる後部線条体と、視覚領域として視覚情報を中継・処理する外側膝状体(がいそくしつじょうたい)[3]および大脳視覚野[4]の神経ネットワークに着目しました。ラットが視覚弁別課題の学習を行っている最中の神経細胞活動を、長期的かつ同時に記録することにより、学習に伴って後部線条体の神経活動パターンが変化し、視覚領域との間で4ヘルツを中心とする低周波帯域の脳波リズム[5]による同期活動が増強することを明らかにしました。さらに、後部線条体の神経細胞が学習後にこの4ヘルツリズムに強く位相同期[6]するようになることも確認しました。これらの結果は、後部線条体が視覚情報処理に関与し、4ヘルツリズムを介した視覚領域との機能的結合が学習を経て強化されることを示唆しています。
本研究は、科学雑誌『iScience』オンライン版(11月6日付)に掲載されました。
視覚弁別学習に伴う4ヘルツリズムを介した後部線条体と視覚領域の同期性増強
背景
私たちは、目や耳などの感覚器を通して外界の情報を取り込み、行動を選択しています。できるだけ短時間で適切な行動を選択できれば、効率的に食料を獲得したり、敵から逃れたりすることができ、生存上有利に働きます。多くの情報の中から重要なものを抽出して意思決定を行うためには、既知の感覚情報と行動計画を結び付ける脳内の情報処理が欠かせません。
近年の研究から、後部線条体という脳領域が、感覚入力を受けて過去の経験に基づく価値判断を行う上で重要な役割を果たすことが分かってきました。しかし、後部線条体が視覚弁別学習の過程でどのように機能し、視覚領域とどのように連携するのか、その詳細は明らかではありませんでした。また、学習に伴う脳領域間の協調的な活動変化を理解するには、複数の脳領域の神経活動を数カ月という長期間にわたり同時に記録する必要がありますが、その実現は技術的に困難でした。
今回、研究チームは、ラットに視覚弁別課題を学習させながら、後部線条体と視覚領域の神経細胞活動を同時に記録することで、後部線条体の視覚弁別学習における役割と、学習に伴う脳領域間の情報伝達メカニズムの解明に挑みました。
研究手法と成果
研究チームは、ラットに左右どちらのアーム(通路)を選ぶかを視覚刺激で判断する視覚弁別課題(図1A)を学習させ、その学習過程を行動解析と3領域(後部線条体、外側膝状体、大脳視覚野)の同時記録によって詳細に調べました。数カ月にわたる多領域同時記録を実現するため、長期留置に適したシリコンプローブ[7]を使用し、脳領域間の距離がマウスに比べて大きいラットを用いて複数電極を物理的に留置しやすくするとともに、できるだけ短期間で学習が完了するよう比較的単純な視覚弁別課題を採用する、という工夫を行いました。
視覚弁別課題の学習が進むにつれ、成功率は上昇、反応時間[8]は短縮しました。また、学習初期にはラットは中央アームの真ん中を走り、アームの終端近くで左右に寄っていましたが、後期になるとより早い段階でアームの左右に寄って走るようになりました(図1B)。
図1 T字型迷路を用いたラットの視覚弁別課題
A:視覚弁別課題の1試行の概略図。白または黒の視覚刺激が中央アーム(Bの灰色部分)の両脇のモニタにランダムに呈示され、ラットは左もしくは右のアームを選択して走行する。正解だった場合は100%の確率で人工甘味料のサッカリン水が与えられ、不正解の場合は何も与えられない。B:学習によるラットの行動変化の概念図。矢印はスタート地点からラットの進路が左右にバイアスされる(寄る)地点までの距離を示す。
この行動の変化に対応するように、学習前後で後部線条体の神経細胞活動にも変化が見られました。特に、ラットが視覚刺激を基に進路を判断し始める中央アームの入り口付近で、線条体の主要な出力細胞である中型有棘(ゆうきょく)ニューロン[9]と推定される細胞の活動(発火率)が学習後期に顕著に増加しました(図2A)。そこで、視覚刺激情報が後部線条体にどのように到達するのか調べるために、後部線条体への投射がある外側膝状体および大脳視覚野の二つの視覚領域に着目しました。これらの領域と後部線条体の活動を比較したところ、学習後期に4ヘルツを中心とする低周波帯域リズムによる脳波の同期性が強まることが分かりました(図2B、C)。この4ヘルツリズムでの同期はラットが判断を行う中央アームで顕著に見られ、ラットがその他の場所に滞在中には増強しませんでした。さらに、学習後期において、後部線条体の多くの神経細胞が視覚領域の4ヘルツリズムに位相同期して発火するようになりました。これは、後部線条体が学習に伴って視覚領域と4ヘルツの脳波リズムを介して連携するようになることを示しています。
図2 学習前後の神経活動変化
A:中型有棘ニューロンの平均発火率の変化。正規化距離は、視覚刺激が呈示される中央アームにおいてラットがスタート地点からどの程度進んだかの位置を示す。学習後期では、初期に比較して、スタート地点に近い位置での発火率の上昇が見られた。B:学習前後での後部線条体と視覚領域(外側膝状体と大脳視覚野)との間のウェーブレットコヒーレンスの比較(一例)。ウェーブレットコヒーレンスは二つの領域間の振動の相関の度合い(青から赤へと行くほど相関が強い)を示す指標である。C:学習初期と後期を比較すると、後部線条体と外側膝状体のペアにおいて、学習後期に4ヘルツを中心とする周波帯域でのウェーブレットコヒーレンスの上昇が見られた。
これらの結果から、後部線条体は、視覚弁別学習の過程で、視覚情報と選択判断を結び付ける中継点として機能し、4ヘルツリズムを介した同期活動が効率的な意思決定を支える基盤となることが示唆されました。
今後の期待
本研究は、学習に伴い脳の異なる領域がどのように協調して意思決定を行うようになるのかを、脳波のリズムの観点から明らかにしました。特に、これまで前頭葉と大脳辺縁系との間で主に議論されてきた4ヘルツの脳波リズムが、視覚情報処理において視覚領域と後部線条体との連携にも重要な役割を果たすことを示唆しました。この成果は、脳が経験を通じてどのように感覚情報伝達の効率を高め、より素早く適切な判断を下せるようになるのかを理解する上で大きな手掛かりとなります。
さらに、4ヘルツの脳波リズムはパーキンソン病や依存症、強迫性障害など、認知機能の障害を伴う疾患でも異常が報告されており、今回の知見はそれらの疾患の病態理解や新たな治療標的の探索にもつながる可能性があります。
今後は、この知見を基に神経活動をリアルタイムに操作する技術を活用し、特定の学習段階で神経回路の働きを意図的に促進または抑制して学習の進み方を制御したり、異常な脳波リズムを検出して正常な活動パターンへと誘導したりすることで、神経疾患のリハビリテーションや脳機能補助技術への応用が期待されます。
補足説明
- 1.視覚弁別課題
異なる視覚刺激を識別して正しい行動選択(左右選択など)を行う課題。学習に伴い識別精度や判断速度が向上する。 - 2.後部線条体
大脳基底核と呼ばれる、運動や学習、動機付けに関与する脳領域の後方に位置する。視覚や聴覚など複数の感覚領域から入力を受け、感覚情報と行動選択・判断を結び付ける役割を担う。 - 3.外側膝状体(がいそくしつじょうたい)
視床と呼ばれる脳領域の一部で、視覚情報を網膜から大脳視覚野([4]参照)へ中継する。視覚信号の初期処理を担う。 - 4.大脳視覚野
脳の後方にある後頭葉に位置し、視覚情報を処理し、形や色、動きなどの特徴を認識する。 - 5.4ヘルツを中心とする低周波帯域の脳波リズム
1秒間に約4回の周期で変動する脳波リズム。低周波帯域の脳波リズムは離れた脳領域間の活動を同期させ、情報伝達を調整すると考えられている。 - 6.位相同期
神経細胞の活動タイミングが特定の脳波リズムの位相(一つの波のどのタイミングか)と一致する現象。脳領域間の情報伝達の効率化に関与すると考えられている。 - 7.シリコンプローブ
シリコン基板上に多数の微小電極が配置された多チャンネル電極。脳内に長期留置することで、複数の脳領域・層から安定して数十個の個々の神経細胞の活動を精密な時間スケールで同時に観察することができる。 - 8.反応時間
刺激を認識してから行動するまでの時間。ここでは、ラットがスタートしてから左右アームの選択を完了するまでの時間のことを示す。 - 9.中型有棘(ゆうきょく)ニューロン
線条体全体の約9割を占める抑制性伝達物質であるGABA作動性の神経細胞。樹状突起に多数のスパイン(有棘構造)を持ち、入力を受け取る部位が豊富であるため、学習に応じて発火パターンを変える能力を有する。
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(B)「海馬・嗅内皮質における過去・現在・将来の情報統合の神経回路メカニズムの解明(研究代表者:藤澤茂義)」、同研究活動スタート支援「刺激認識スキルの神経回路メカニズムの解明(研究代表者:谷本彩)」、同特別研究員奨励費「皮質・視床・線条体における素早い刺激認識能獲得機構の解明(研究代表者:谷本彩)」、上原記念生命科学財団研究助成金「海馬・嗅内皮質における将来予測のメカニズム解明(研究代表者:藤澤茂義)」による助成を受けて行われ、谷本彩は理研の大学院生リサーチ・アソシエイト(JRA)の支援のもとで研究を行いました。
原論文情報
- Sai Tanimoto, Shigeyoshi Fujisawa, "Learning-dependent 4 Hz synchronization in the posterior striatum, lateral geniculate nucleus, and visual cortex", iScience, 10.1016/j.isci.2025.113958
発表者
理化学研究所
脳神経科学研究センター 時空間認知神経生理学研究チーム
チームディレクター 藤澤 茂義(フジサワ・シゲヨシ)
リサーチアソシエイト 谷本 彩(タニモト・サイ)
藤澤 茂義
谷本 彩
報道担当
理化学研究所 広報部 報道担当
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