理化学研究所(理研)開拓研究所 鈴木糖鎖代謝生化学研究室の本田 晃伸 基礎科学特別研究員、鈴木 匡 主任研究員らの共同研究グループは、脊椎動物で魚類のみが持つ 酵素で、酸性の条件下で糖タンパク質からN結合型糖鎖[1]を脱離するPNGase[2]の発現に関わる遺伝子(責任遺伝子)を発見しました。
本研究成果は、魚類に特有の卵巣特異的な糖鎖[1]代謝機構を明らかにし、糖鎖生物学的視点から魚類の生理学や発生機構の理解に貢献すると期待されます。
共同研究グループは、ゼブラフィッシュ[3](Danio rerio)が持つ酵素である酸性PNGaseの責任遺伝子を同定し、「ngly2」と命名しました。ngly2遺伝子は脊椎動物では魚類のみに存在し、脊椎動物以外ではタコやウニ、サンゴといった多くの水生動物が持つことが明らかとなりました。ngly2を欠損したゼブラフィッシュでは、受精卵に含まれる遊離N型糖鎖(FNG)[1]が消失し、受精卵のサイズが小さくなることが判明しました。
本研究は、科学雑誌『The Journal of Biological Chemistry』オンライン版(11月5日付)に掲載されました。
ngly2欠損(KO)ゼブラフィッシュに見られた表現型
背景
細胞の中には不要なタンパク質を選別、除去する機構が存在しています。出来損ないのタンパク質や古くなったタンパク質の分解に関与する酵素としてPNGase(ペプチド:N-グリカナーゼ)が知られています。PNGaseは糖タンパク質からN結合型糖鎖を切り取る脱糖鎖活性を持ちます。これまでに、細菌由来のPNGaseFや植物由来のPNGaseAが精製・市販されており、N結合型糖鎖の構造解析に用いる実験的ツールとして広く利用されてきました。
しかし、糖鎖解析のためのツール開発という観点から、PNGaseの研究が非常に早い時期から行われてきた一方で、動物においてPNGaseが実際に存在し、どのような糖鎖の代謝に関与し、生理的にどのような役割を果たしているのかについては、ほとんど研究が進んでいませんでした。
そのような中、1991年にメダカの卵や胚において初めて動物由来のPNGaseによる脱糖鎖活性が検出されました注1)。その後、メダカには最適pH(水素イオン指数)の異なる2種類のPNGase(酸性条件で働く酸性PNGaseと中性条件で働く中性PNGase)が存在することが明らかになりました注2)。
中性PNGaseに関しては、責任遺伝子(出芽酵母:PNG1、哺乳動物:NGLY1)が鈴木主任研究員によって同定されました注3)。これまでNGLY1遺伝子の欠損により生じる潜性遺伝疾患[4]「NGLY1欠損症」が報告されており、その分子機構の解明や治療法の開発に向け、世界中で活発な研究が進められています。
一方、酸性PNGaseは、魚類以外の脊椎動物で脱糖鎖活性が確認されなかったこともあり、活性の最初の報告から30年以上経つにもかかわらず、酸性PNGaseの責任遺伝子は同定されていませんでした。
- 注1)Seko, et al., Peptide:N-glycosidase activity found in the early embryos of Oryzias latipes (Medaka fish).(1991) J Biol Chem 266, 22110-22114
- 注2)Seko, et al., Identification of two distinct peptide:N-glycanases in Oryzias latipes during embryogenesis.(1999) Glycobiology 9, 887-895
- 注3)Suzuki et al., PNG1, a Yeast Gene Encoding a Highly Conserved Peptide:N-Glycanase (2000) J Cell Biol 149, 1039-1052
研究手法と成果
本研究では、まず遺伝情報に基づいて酸性PNGaseの遺伝子の同定に挑みました。そこで、動物由来以外のPNGaseにおける脱糖鎖活性を持つPNGaseFおよびPNGaseAと同様のドメイン(領域)構造を有するタンパク質が、ゼブラフィッシュのゲノム上に存在するかどうかを確認するため、ホモロジー(相同性)検索を行いました。その結果、PNGaseFと同じドメインを持つタンパク質がゼブラフィッシュのゲノム上に存在することが確認され、このタンパク質が酸性PNGaseであると予想されました。
しかし、PNGaseFは中性から弱アルカリ性のpHにおいて脱糖鎖活性が最大値を示すことから、この新たに見つかったタンパク質が本当に酸性で強い活性を持つ酸性PNGaseと同一かどうかは不明でした。そこでこのタンパク質を哺乳類の培養細胞で発現させて活性測定を行い、酸性条件下で実際に脱糖鎖活性を示すことが確認されました(図1(A))。従って、このタンパク質を発現させた新規遺伝子が酸性PNGaseをコードすることが判明しました。本タンパク質の遺伝子名を、動物由来PNGaseとして2番目に同定された酵素であることから、ngly2と命名しました。また、このngly2遺伝子の系統学的分布を調べてみると、脊椎動物では魚類のみが持ち、脊椎動物以外ではタコやウニ、サンゴといった多くの水生動物が持つことが明らかとなりました。
クライオ電子顕微鏡(Cryo-EM)[5]による構造解析により、Ngly2タンパク質(酵素)には活性に関与するPNGaseドメインに加え、プロテアーゼ関連(PA:Protease-associated)ドメインとチオレドキシン様(Tx-like:Thioredoxin-like)ドメインを持つことが分かりました(図1(B))。このPAドメインとTx-likeドメインが二量体(ダイマー)の形成面として機能していました。また、活性部位をPNGaseFと比較したところ、Ngly2タンパク質はPNGaseFと最適pHは異なるものの、糖鎖の脱離に重要な同じアミノ酸残基(アスパラギン酸とグルタミン酸)を持つことが明らかとなりました。
このNgly2タンパク質の生理機能を解明するために、CRISPR/Cas9[6]システムを用いて、ngly2欠損(KO)ゼブラフィッシュを作製し、解析を行いました(図1(C))。ngly2欠損ゼブラフィッシュでは顕著な表現型は確認されませんでしたが、野生型と比較して、受精卵のサイズが小さいことが分かりました。また、受精卵に多量に存在することが知られている遊離N型糖鎖(FNG)を解析したところ、ngly2欠損ゼブラフィッシュではFNGがほとんど確認されなくなりました。従って、Ngly2タンパク質は卵巣または受精卵で糖鎖を脱離することで、タンパク質のプロセシング(変化・修正の過程)を促進していると考えられます。
図1 Ngly2タンパク質の活性測定、構造解析、およびngly2欠損ゼブラフィッシュの解析
- (A)LOC3375520(ゼブラフィッシュの遺伝子番号、まだ名前が決まっていない仮名)は酸性(pH7未満)で糖ペプチド(アミノ酸が2個以上結合したもの)から糖鎖を脱離することが明らかとなり、この遺伝子LOC3375520をngly2と命名した。黒矢印のピークが脱離された糖鎖を示す。Agaはアスパチルグルコサミニデダーゼのことで、糖ペプチドに対しては糖鎖を脱離することができない(アスパラギンに糖鎖が結合したものに対してのみ、活性を持
- (B)Cryo-EMによるNgly2タンパク質の立体構造解析の結果、Ngly2タンパク質にはPNGaseドメインに加え、チオレドキシン様(Tx-like)とプロテアーゼ関連(PA)ドメインが存在した。また、この二つのドメインを介して、同一のサブユニットから成る二量体を形成していた。
- (C)ngly2欠損ゼブラフィッシュでは受精卵のサイズが小さくなり、遊離糖鎖が消失した。
今後の期待
糖鎖の生合成および分解経路については、出芽酵母や哺乳類を中心に精緻な研究が進められてきた一方で、魚類を含む他の動物種における糖鎖代謝機構は依然として十分に解明されていません。本研究により、脊椎動物の中で魚類に特有と考え得る糖鎖代謝経路の存在を明らかにすることができました。
一方で、遊離N型糖鎖の消失と受精卵サイズの縮小との因果関係については現時点では不明であり、今後さらなる解析が必要です。これらの現象は、魚類に特有の糖鎖が担う生理機能を反映している可能性があり、糖鎖生物学的視点から魚類の生理学や発生機構を再評価する新たな契機になると考えています。
さらに、本研究を通じて、魚類における未解明の糖鎖分解経路や、魚類特有の糖鎖構造の存在が強く示唆されました。今後は、これらについても研究していき、魚類糖鎖研究の基礎的な知見を広げていきたいと考えています。
補足説明
- 1.N結合型糖鎖、糖鎖、遊離N型糖鎖(FNG)
糖鎖は、単糖が鎖状に結合してできる分子で、タンパク質や脂質などに結合して多様な生理機能を担う重要な生体分子である。N結合型糖鎖は、アスパラギン残基の側鎖窒素に結合するタイプの糖鎖で、真核生物に広く見られる代表的な糖鎖修飾の一つである。遊離N型糖鎖は、タンパク質や脂質などに結合していない遊離糖鎖のうち構造上N結合型糖鎖に類似しているものの総称で、糖タンパク質、およびドリコールという脂質に結合した糖鎖(N結合型糖鎖の糖鎖供与基質)からの脱離により生じることが知られている。FNGはfree N-glycanの略。 - 2.PNGase
糖タンパク質や糖ペプチドのN結合型糖鎖([1]参照)を切断する酵素(ペプチド:N-グリカナーゼ)。 - 3.ゼブラフィッシュ
インド原産の体長3~5cmの小型魚類。飼育が容易で多産であり、分子生物学的実験方法も確立している。 - 4.潜性遺伝疾患
ある遺伝子に変異があっても、通常は健康なもう一方の遺伝子により、機能が補われ、症状が現れない疾患のこと。従って、両親それぞれから同じ遺伝子の変異を受け継いだ場合に、初めて疾患として発症する。 - 5.クライオ電子顕微鏡(Cryo-EM)
タンパク質などの生体分子を水溶液中の生理的な環境に近い状態で、電子顕微鏡で観察するために開発された手法。試料を含む水溶液を急速凍結して、液体窒素温度(-196℃)付近まで冷却することで電子線の照射による損傷を低減し、生体分子やその複合体の構造解析を行うことができる。電子線の波長は可視光よりもはるかに短いため、理論上0.1ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)程度の分解能が得られる。近年、急速に発展した手法で、この構造解析技術を開発した科学者は2017年のノーベル化学賞を受賞した。Cryo-EMはcryo-electron microscopeの略。 - 6.CRISPR/Cas9
ガイドRNAとCas9タンパク質を利用して標的DNAを切断するゲノム編集技術である。ゼブラフィッシュでは受精卵に導入することで、遺伝子の欠失や置換を高効率に誘導できる。
共同研究グループ
理化学研究所
開拓研究所 鈴木糖鎖代謝生化学研究室
基礎科学特別研究員 本田 晃伸(ホンダ・アキノブ)
専任研究員 鎌田 勝彦(カマダ・カツヒコ)
専任研究員 植木 雅志(ウエキ・マサシ)
研究員 藤平 陽彦(フジヒラ・ハルヒコ)
研究員(研究当時、現 客員研究員)平山 弘人(ヒラヤマ・ヒロト)
(現 岐阜大学 糖鎖生命コア研究所 分子科学研究センター 研究員)
テクニカルスタッフⅠ 清野 淳一(セイノ・ジュンイチ)
主任研究員 鈴木 匡(スズキ・タダシ)
脳神経科学研究センター 動物資源開発支援ユニット
テクニカルスタッフⅠ 白木 利幸(シラキ・トシユキ)
生理学研究所 生体分子構造研究部門
特任助教 レイモンド・バートンスミス(Raymond Burton-Smith)
特任教授 村田 和義(ムラタ・カズヨシ)
群馬大学 分子科学部門
助教 石井 希実(イシイ・ノゾミ)
教授 松尾 一郎(マツオ・イチロウ)
研究支援
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)AMED-CRESTプロテオスタシスの理解と革新的医療の創出「細胞質における糖鎖生物学-細胞恒常性維持の包括的理解を目指して(研究代表者:鈴木匡、JP23gm14100003)」、理化学研究所開拓研究課題「糖の脂質の構成原理を読み解く先端研究」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業若手研究「魚類の胚発生におけるN型糖鎖脱離の生理的意義およびその生理機能の解明(研究代表者:本田晃伸、22K14950)」、理化学研究所基礎特別研究員制度、生理学研究所共同研究(24NIPS202)、および地神芳文記念研究助成による助成を受けて行われました。
原論文情報
- Akinobu Honda, Katsuhiko Kamada, Junichi Seino, Hiroto Hirayama, Haruhiko Fujihira, Masashi Ueki, Toshiyuki Shiraki, Raymond N. Burton-Smith, Kazuyoshi Murata, Nozomi Ishii, Ichiro Matsuo, and Tadashi Suzuki, "Structural characterization of zebrafish Ngly2, an ovary-enriched acid PNGase required for egg free glycan production", The Journal of Biochemical Chemistry, 10.1016/j.jbc.2025.110906
発表者
理化学研究所
開拓研究所 鈴木糖鎖代謝生化学研究室
主任研究員 鈴木 匡(スズキ・タダシ)
基礎科学特別研究員 本田 晃伸(ホンダ・アキノブ)
鈴木糖鎖代謝生化学研究室のメンバー。鈴木匡(前列左から3番目)、本田晃伸(前列左から2番目)。
発表者のコメント
魚類の糖鎖研究は、他の生物種を対象とした研究に比べてまだ十分に注目されていないのが現状です。今回、幸運にも新しい糖鎖代謝経路を見いだすことができましたが、その生理的な役割についてはまだ解明されていません。今後はこの機能解明も含めて研究を進め、魚類の糖鎖研究の重要性を広く発信していきたいと考えています。(本田 晃伸)
私のライフワークであるNGLY1研究は、先輩である瀬古玲さん(現AMED)のメダカPNGase活性の発見がきっかけで始まった研究で、思いがけずヒト疾患研究につながりました。今30年余の期間を経て、魚類特異的な酵素(Ngly2)の遺伝子同定に至ったことは、感慨もひとしおです。今後は本酵素の機能の重要性を緻密に解析していきたいと思います。(鈴木 匡)
報道担当
理化学研究所 広報部 報道担当
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