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2025年11月12日

理化学研究所

π配位が芳香族化合物の新しい反応を可能にする

-ベンゼン誘導体の求核的ホウ素化反応-

理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター 機能有機合成化学研究チームのイリエシュ・ラウレアン チームディレクター、武藤 雄一郎 上級研究員らの研究チームは、クロム(Cr)[1]へのπ(パイ)配位[2]を利用し、天然資源である芳香族炭化水素[3]を直接官能基化する手法を開発しました。

本研究成果は、医農薬品や機能性分子の迅速かつ効率的な合成手法の開発に貢献すると期待されます。

炭化水素資源の直接官能基化は、複雑な分子を効率よく合成する手法として重要です。例えば、イリジウム(Ir)[4]コバルト(Co)[5]などの金属触媒[6]を用いるホウ素(B)化反応[7]は、盛んに研究されています。しかし、金属触媒を用いるホウ素化反応では、電子が豊富な芳香族炭化水素は反応性が低く、反応を進めるためには複雑な触媒系が必要でした。有機ホウ素化合物は、医農薬品や機能性分子の合成における重要な中間体であり、それらを効率的に合成する手法の開発は非常に重要です。

今回、研究チームは、金属へのπ配位による、電子が豊富な基質を含むシンプルな芳香族炭化水素の効率的なホウ素化反応の開発に成功しました。これは、「不活性な芳香族炭化水素を一時的に活性化して官能基化させる」という戦略が実現可能であることを示しています。理論計算および実験により、本反応では、π配位で活性化されたベンゼン環へのホウ素化合物の求核攻撃[8]が進行すると示唆されました。

本研究は、科学雑誌『Chemical Science』オンライン版(11月4日付)に掲載されました。

一時的なπ配位による電子が豊富な芳香族炭化水素の官能基化の図

一時的なπ配位による電子が豊富な芳香族炭化水素の官能基化

背景

分子性金属化合物において、金属中心とその配位子から成る単位である金属フラグメント、特にクロムトリカルボニル([Cr(CO)3])へのπ配位は、配位したベンゼン環の電子密度を減少させることが知られており、不活性な芳香族炭化水素の活性化手法として、有機合成においてしばしば利用されてきました。近年、ベンゼン環をクロムにπ配位させることにより、パラジウム触媒を用いたC-Hアリール化[9]やイリジウム触媒によるホウ素化反応などが、大きく促進されることが報告されました注1、2)。このような、炭化水素資源の直接官能基化反応は、複雑な分子を効率よく合成する手法として重要です。しかし、これらの反応では、出発物質としてベンゼン誘導体の配位したクロム錯体を事前に合成・単離しておく必要がありました。このとき通常は過剰量のベンゼン誘導体の使用が必要で、資源を無駄なく利用するという原子効率の観点でも問題になっていました。そのため、クロム錯体を事前に単離することなく、不活性な芳香族炭化水素を、反応系中で一時的にπ配位させて活性化し、直接官能基化する反応の実現が望まれていました。

  • 注1)P. Ricci, K. Krämer, X. C. Cambeiro and I. Larrosa, Arene-Metal π-Complexation as a Traceless Reactivity Enhancer for C-H Arylation, J. Am. Chem. Soc., 2013, 135, 13258-13261. DOI: 10.1021/ja405936s
  • 注2)A. Mandal, C. Maurer, C. Plett, K. R. K. Chandramohan, R. Fleischer, G. Schnakenburg, S. Grimme and A. Bunescu, Selective C-H Borylation of Polyaromatic Compounds Enabled by Metal-Arene π-Complexation, J. Am. Chem. Soc., 2025, 147, 15281-15293. DOI: 10.1021/jacs.5c00774

研究手法と成果

研究チームは、芳香族化合物の入れ替え(アレーン交換)ができるナフタレンクロム錯体([Cr(CO)36-np)])をクロムトリカルボニル源として使えば、過剰量のベンゼン基質を使うことなく、1当量(反応式上で理論的に必要な量)のベンゼン基質をクロムにπ配位させ活性化し、官能基化できると考えました。添加剤としてフッ化カリウム(KF)を加えて、ベンゼン誘導体とホウ素化剤としてビス(ピナコラト)ジボロン(B2(pin)2)を反応させたところ、酸化的脱クロム化(クロムを除く工程)の後に、目的のホウ素化生成物が得られました。

本反応では、電子が豊富なアルキルベンゼン、フェノール誘導体、アニリン誘導体のホウ素化反応が円滑に進行しました(図1)。通常、よく用いられる「Ir/dtbpy」触媒系ではホウ素化するのが難しいとされるジメトキシベンゼンやジアミノベンゼンも、今回の条件下では良好に反応しました。ベンゼン環に三つの置換基を持つベンゼン誘導体でも同様にホウ素化反応が可能であることを確認しました。オルト位(置換基に隣接する位)に二つ置換基を持つアニリンが、通常は必要とされる"アミノ基の保護"をせずに反応しました。このように、従来は電子が豊富なベンゼン類を制限試薬[10]として用いてホウ素化反応を効率的に行うことは困難でしたが、本手法ではベンゼン基質が1当量でも十分に変換できました。「一時的なπ配位により芳香族炭化水素を活性化して直接官能基化させる」という戦略が実現可能であることを示しています。ベンゼンなどの芳香族炭化水素は必ずπ電子を持っているため、これまで難しかった反応をより簡便かつ安定に進められる可能性が広がります。これらの可能性を確かめるために、最適化した条件下で1,2,3-トリフルオロベンゼンを反応させたところ、C−Hホウ素化生成物と芳香族求核置換生成物の混合物が得られました。

一時的な(transient)π配位による芳香族炭化水素のホウ素化反応の図

図1 一時的なπ配位による芳香族炭化水素のホウ素化反応

  • (上)ナフタレンクロム錯体[Cr(CO)3(η6-np)]をクロムトリカルボニル源として用いて、単純で電子が豊富な芳香族炭化水素にB(pin)基(ピナコラトボリル基)を導入するホウ素化反応。アルキルベンゼン、フェノール誘導体、アニリン誘導体のホウ素化反応の例。よく用いられている「Ir/dtbpy」触媒系では反応しにくいとされている電子が豊富な芳香族炭化水素でも、本手法では1当量で十分に反応することが分かった。
  • (下)分離精製操作後の収率とカッコ内に反応粗生成物のGC(ガスクロマトグラフ)もしくはNMR(核磁気共鳴)分析により決定した収率を示す。

この結果は求核的なホウ素種の関与を示唆しており、塩基がB2(pin)2を活性化し、求核性ボレート種[11]を発生する既報の結果と一致しています注3)。これと理論計算を踏まえて、次のように反応機構を推定しました(図2)。まず、フッ化物イオンがB2(pin)2を活性化し、発生したボレート種がクロムに配位したベンゼンを求核攻撃します。このとき、ホウ素-ホウ素結合の切断と炭素-ホウ素結合の形成が同時に進行し、F(Bpin)が放出されます。炭素からホウ素への1,2-水素移動により芳香環が再生され、最終的にホウ素化生成物を与えます。

芳香族炭化水素のホウ素化反応の推定反応機構の図

図2 芳香族炭化水素のホウ素化反応の推定反応機構

フッ化物イオンがB2(pin)2を活性化し、発生したボレート種がクロムに配位したベンゼンを求核攻撃する(上の左)。この際、ホウ素-ホウ素結合の切断と炭素-ホウ素結合の形成が同時に進行し(上の中)、FB(pin)が放出される(上の右)。炭素からホウ素への1,2-水素移動により芳香環が再生され(下の左)、最終的にホウ素化生成物ができる(下の右)、と推定される。

  • 注3)J. J. Carbó and E. Fernández, Alkoxide Activation of tetra-Alkoxy Diboron Reagents in C-B Bond Formation: a Decade of Unpredictable Reactivity, Chem. Commun., 2021, 57, 11935-11947. DOI: 10.1039/D1CC05123G

今後の期待

研究チームは、これまで反応性に乏しかった物質を「π配位」という仕組みで活性化し、地球に豊富にある炭化水素資源を有機合成に生かす新しい戦略を打ち出しました。この活性化手法を触媒量のクロムやルテニウム(Ru)[12]などを用いて繰り返し可能な反応へ展開しようとしています。石油化学基礎製品(ベンゼン、トルエン、キシレン、ブタジエン、イソプレンなど)はいずれもπ電子を持っているため、不活性な炭化水素資源を循環利用するための独創的な活性化指針が提供されることが期待されます。

今回の研究は、国際連合が定めた17項目の「持続可能な開発目標(SDGs)[13]」のうち「12.つくる責任つかう責任」に大きく貢献する成果です。

補足説明

  • 1.クロム(Cr)
    周期表の第6族に属する原子番号24の遷移金属元素。クロムメッキ、ステンレス鋼、電熱器用の二クロム線、ルビーの赤色成分。
  • 2.π(パイ)配位
    ベンゼンなどのπ電子を持つ分子が、金属にそのπ電子を渡して緩やかに結び付く現象。金属が電子を受け取ったり、あるいは戻したりすることで、金属に結び付いた分子が反応しやすくなる。ここでは普段は反応しにくい芳香族炭化水素([3]参照)がクロムに結び付くことにより、活性化されている。
  • 3.芳香族炭化水素
    炭素原子と水素原子から成る化合物のうち、ベンゼン環を含み芳香族性を示すもの。アレーンとも呼ばれる。
  • 4.イリジウム(Ir)
    周期表の第9族に属する原子番号77の遷移金属元素。芳香族炭化水素のホウ素化反応([7]参照)の触媒([6]参照)として最もよく用いられる金属の一つ。
  • 5.コバルト(Co)
    周期表の第9族に属する原子番号27の遷移金属元素。ビタミンB12の中心原子。青色油絵具としても用いられる。
  • 6.触媒
    化学反応の反応速度を速める物質。触媒自身は反応前後で変化しない。
  • 7.ホウ素(B)化反応
    置換反応や付加反応によりホウ素原子を導入する反応。本研究では、炭素に結合した水素原子をホウ素原子で置換している。
  • 8.求核攻撃
    電子が豊富な分子やイオン(求核剤、形式的に負の電荷を帯びている)が、電子の不足している原子や部位(求電子剤、形式的に正の電荷を帯びている)に電子対を差し出し、新しい結合をつくろうとする段階を指す。電子を持つ分子が、電子を欲しがる相手に働きかけて結合しようとする動き。
  • 9.C-Hアリール化
    炭素に結合した水素原子をアリール基(芳香環から水素原子を一つ取り除いた基、部分)で置換する反応。
  • 10.制限試薬
    化学反応の生成物の量を制限する反応物。反応が理想的に進行すると最初に消失し、その時点で反応は終了する。本研究では、芳香族炭化水素を制限試薬として1当量用いている。
  • 11.ボレート種
    3価のホウ素原子に電子対が供与され、ホウ素中心が形式的に負電荷となった化学種のこと。ここではフッ化カリウム(KF)から生じるフッ化物イオンがホウ素中心に電子対を供与している。
  • 12.ルテニウム(Ru)
    周期表の第8族に属する原子番号44の遷移金属元素。不斉水素化触媒やグラブス触媒の中心原子。
  • 13.持続可能な開発目標(SDGs)
    2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17の目標、169のターゲットから構成され、発展途上国のみならず、先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり、日本としても積極的に取り組んでいる(外務省ホームページから一部改変して転載)。

研究チーム

理化学研究所 環境資源科学研究センター 機能有機合成化学研究チーム
チームディレクター イリエシュ・ラウレアン(ILIES Laurean)
上級研究員 武藤 雄一郎(ムトウ・ユウイチロウ)
上級研究員 浅子 壮美(アサコ・ソウビ)
研修生(研究当時)カラフ・レラム(KHALAF Relam)

研究支援

本研究は、理化学研究所奨励課題(研究代表者:武藤雄一郎)により実施し、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業学術変革領域研究(A)「Activation of Aromatic Compounds through Metal pi-Coordination Powered by Machine Learning(研究代表者:イリエシュ・ラウレアン)」、同基盤研究(C)「π配位が可能にする配位性官能基を持たない単純アレーンのC-H官能基化(研究代表者:武藤雄一郎)」の助成を受けて行われました。

原論文情報

  • Yuichiro Mutoh, Relam Khalaf, Sobi Asako, Laurean Ilies, "Transient π-Coordination Enables Nucleophilic Borylation of Simple Arenes", Chemical Science, 10.1039/D5SC08107F

発表者

理化学研究所
環境資源科学研究センター 機能有機合成化学研究チーム
チームディレクター イリエシュ・ラウレアン(ILIES Laurean)
上級研究員 武藤 雄一郎(ムトウ・ユウイチロウ)

イリエシュ・ラウレアン チームディレクターの写真 イリエシュ・ラウレアン
武藤 雄一郎 上級研究員の写真 武藤 雄一郎

発表者のコメント

このπ配位による活性化は原理上あらゆる芳香族化合物に適用可能であり、複雑な配位子を持つ金属触媒を必要としない芳香族炭化水素の普遍的な官能基化法を開拓できたものと考えています。不定期に実験結果が再現できなくなり、原因を一つずつ解決するのにとても苦労し、論文として発表できるまでに時間がかかってしまいました。共同研究者をはじめ、ご助言、ご支援いただいたすべての方々に感謝申し上げます。今後は、不飽和炭化水素分子への適用を進めていきたいと考えています。(武藤 雄一郎)

報道担当

理化学研究所 広報部 報道担当
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