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2025年12月8日

理化学研究所
科学技術振興機構(JST)

水分子の構造が塩化物イオンの動きを制御

-低純度の水を利用した水電解反応へ-

理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター 生体機能触媒研究チームの中村 龍平 チームディレクター、林 泰正 基礎科学特別研究員、大岡 英史 研究員らの共同研究グループは、水溶液中のイオン[1]が形成する水和構造[2]が、不純物として含まれる塩化物イオンの拡散を抑制し、水の電気分解[3]効率を高めることを発見しました。

本成果は、水の電気分解に使用可能な水資源の多様化に貢献すると期待されます。

水の電気分解は、再生可能エネルギーを用いて水素や化学燃料を製造する技術として注目されています。しかし、電解液中に塩化物イオンが少しでも残っていると、有毒かつ腐食性のある塩素ガスが発生します。このため、現在は極めて純度の高い水を用いて電気分解が行われています。世界的に淡水が不足する中、水電解を普及させるためには、微量の塩化物イオンが含まれる純度の低い水を活用するための電解技術が必要です。

今回、共同研究グループは、塩化物イオンの拡散が水溶液中に共存する他のイオンによって大きく影響されることを発見しました。具体的には、Li+ > Na+ > H+ > K+ > Cs+の順に水和構造が硬くなり、塩化物イオンの拡散を抑制できることを明らかにしました。その結果、塩素ガス発生量を最大33%低減できることを実証しました。これまで触媒活性と共存イオンの効果を検討した報告はありますが、イオンと水が形成する「水和構造」そのものが物質の輸送を制御するという視点は、本研究が最初の報告になります。

本研究は、科学雑誌『Nature Chemistry』オンライン版(12月8日付:日本時間12月8日)に掲載されます。

共存イオンがつくる水和構造と塩化物イオンの拡散速度の図

共存イオンがつくる水和構造と塩化物イオンの拡散速度

背景

水の電気分解は、再生可能エネルギーを利用して水素や化学燃料を製造する持続可能な技術として注目されています。特に、化石燃料に依存しない「グリーン水素」の製造手段として、世界的に導入が進められています。しかし、この製造工程には、2030年には1日当たり120万トン以上という大量の水が必要になると推定されています。この大量の水は、逆浸透膜(RO膜)を用いた淡水化技術[4]でつくられたRO水により十分に供給可能とされています。ただ、RO水には微量の塩化物イオンが残留しており、これが電気分解されると有毒かつ腐食性のある塩素ガスが発生してしまいます。この副反応を防ぐためには、さらに水の純度を高める脱イオン工程が必要となり、そのための設備や運用コストが増加します。今後、淡水の希少性がさらに増すことを考えると、高純度の水だけでなく、RO水を直接利用できる水素製造技術の開発が重要になると考えられます。

このような問題の解決を目指して、現在までに、さまざまな触媒材料が開発されてきました。しかし、既存のほぼ全ての触媒材料において、塩化物イオンは水よりも先に反応することから、塩素ガスが必ず発生しています。塩化物イオンの拡散を抑制する技術として多孔質材料で電極触媒を覆う手法なども報告されています。しかし、この手法は、電流密度が1cm2当たり1mA未満の低電流条件でも電極上で発生する気体により材料が破壊されるという、機械的強度の不足、という問題点を抱えています。

このような背景の下、共同研究グループは電極触媒材料の改良ではなく、水素製造の基質でもあり、また、溶媒でもある水の特性を引き出すことで、塩素ガスの抑制を試みました。特に、水分子と多様な結合をつくるアルカリ金属イオン(Li+、Na+、H+、K+、Cs+)を共存イオンとして添加し、それらの水和構造と水電解中の塩素ガス発生効率の関係性を調べました。

研究手法と成果

本研究では、RO水相当の塩化物イオンを含む水溶液で電解試験を行い、塩素ガスの発生量を評価しました。具体的には、硫酸溶液中に異なる陽イオン(M = Li+、Na+、H+、K+、Cs+)の塩化物(MCl)を50ミリモーラー(mM、1mMは1,000分の1mol/L)添加し、電解液としました。電極触媒としては、水の電気分解で広く用いられている酸化イリジウムを用いました。ガスの発生量は、回転リングディスク電極装置[5]を用いて測定しました。

電気分解の電圧を上昇させると、酸化イリジウムで水が電気分解されて酸素が発生します(酸素発生反応:OER)。また、不純物である塩化物イオンも反応し、塩素発生反応(CER)が進行します。これらの発生速度を測定したところ、酸素の発生速度(図1点線)は電圧とともに増加し続けた一方、塩素の発生速度(図1実線)は約1.7Vで飽和しました。ある電圧で塩素の発生速度が飽和する様子は、全ての実験条件で観測されました。他方で、共存イオンの種類を変えると、塩素ガスの最大発生速度が大きく異なりました。具体的には、Li+ > Na+ > H+ > K+ > Cs+の順に塩素ガスの発生を抑制する効果があり、Cs+と比較し、Li+を用いれば塩素ガスを33%抑制できることが分かりました。これは、塩化物イオンの拡散が水溶液中に共存する他のイオンによって大きく影響されることを示しています。

陽イオンの種類による電解選択性の変化の図

図1 陽イオンの種類による電解選択性の変化

回転リングディスク電極により塩素(実線)と酸素(破線)の発生速度を電流値として評価した結果(上)と、そこから算出した塩素への選択性(jCER/(jOER+jCER)、下)。塩素発生速度(jCER)はリング電流から算出し、酸素発生速度(jOER)はディスク電流から塩素発生の寄与を差し引くことで算出した。溶媒(水)が反応物である酸素発生反応は電圧と共に加速する。一方で、塩素発生反応は水中に少量しか含まれていない塩化物イオンが反応物であるため、おおよそ1.7V付近でそれ以上加速しなくなる。これは、塩化物イオンの拡散が塩素発生速度を律していることを示しており、陽イオンの種類によって最大速度が異なっていた。

イオンと水が形成する「水和構造」そのものが物質の輸送を制御する今回の結果は、従来の考え方では説明できない新発見です。塩化物イオンが塩素ガスに変換されるためには、電極触媒である酸化イリジウムに到達する必要があります。今回用いた回転電極の場合、その最大到達速度は「レビッチ(Levich)式」[6]で規定され、主に電極の回転数で決定されます。一方でこのLevich式には共存イオンの影響が含まれていないため、従来モデルによると共存イオンを変えても塩素ガスの最大発生速度は変化しないはずです(図2A)。

本研究では、観測された共存イオンの効果を説明するため、従来の拡散層[7]はそのまま残しつつ、そのさらに内側に、共存イオンに依存する新たな拡散層があると仮定した新モデルを提唱しました(図2B)。新モデルでも、塩素ガスの最大発生速度と電極回転数の関係は従来のLevich式とおおむね良い一致を示しました。もしCs+よりもLi+の拡散層が厚ければ、塩化物イオンなど、他のイオンが透過しにくくなり、塩素ガス発生速度の違いを説明することが可能です。

従来モデルと本研究で提案した新モデルの図

図2 従来モデルと本研究で提案した新モデル

従来のLevich式によると、塩化物イオンの移動を妨げる拡散層の厚さは共存イオンには依存しない(A)。これに対し、本研究では従来の拡散層の内部に、共存イオンに依存する新たな拡散層があること(B)を提唱した。Cs+ (C)よりもLi+ (B)の拡散層が厚いため、塩化物イオンの拡散が抑制されたと考えられる。塩化物イオンのバルク濃度:電極から十分離れた場所での塩化物イオンの濃度。本研究では50mM。

現在、新たな拡散層を直接観測するには至っていませんが、塩化物イオンの通しにくさと共存イオンの水和構造が密接に関係していることが分かっています。今回試した共存イオンは全て1価の電荷を持つ陽イオンであり、水溶液中ではその正電荷を打ち消すように水分子に取り囲まれています。この水分子がつくる水和構造の硬さを定量化するため、共存イオンごとの構造エントロピー(ΔstrucS[8]を計算しました。その結果、Li+は硬い水和構造の特徴である負の構造エントロピーを示す一方、大きな陽イオンであるCs+は柔らかい水和構造の特徴である正の構造エントロピーを持つことが分かりました(図3)。さらに、この構造エントロピーは、新モデルから想定される共存イオンの拡散抵抗と良い相関を示しました。これらから、水和構造が硬いほど拡散抵抗が高く、拡散層が厚くなることが想定され、塩化物イオンの拡散速度が共存する陽イオンの水和構造に影響されることが明らかになりました。

共存イオンの水和による構造エントロピーと新モデルにおける拡散抵抗の関係の図

図3 共存イオンの水和による構造エントロピーと新モデルにおける拡散抵抗の関係

水分子がつくる水和構造の硬さを定量化するため、共存イオンごとの構造エントロピー(ΔstrucS、イオンを含む水1molが室温で吸収できる熱量)を計算した。これに対し、塩化物イオンの通しにくさを拡散抵抗(1cm移動するのに要する時間)としてプロットすると、良い相関が得られた。硬い水和構造ほど拡散抵抗が大きくなり、塩化物イオンを通しにくい。

今後の期待

本研究の成果は、グリーン水素製造の中核技術である水電解において、塩化物イオンなどの不純物の反応性を共存イオンで制御可能であることを示すものです。さらに、低純度の水を活用可能な電解技術を確立することで世界的な淡水不足に拍車をかけることなく、グリーン水素の実装の可能性が期待されます。

また、電極近傍の共存イオンによって水和構造が変化し、イオンの拡散が影響され得ることは理論的に予測されてきました注)が、注目すべき層が極めて薄いことやガス発生による実験上の困難などにより、実際の触媒反応中でしかも高電流条件における実験的実証は大きく制限されてきました。本研究では、このような電極近傍の様子を実験的に観察し、定量化するための新モデルも提案しました。

この成果は、国際連合が定めた17の目標「持続可能な開発目標(SDGs)[9]」のうち、「6.安全な水とトイレを世界中に」と「7.エネルギーをみんなに、そしてクリーンに」に貢献するものです。

補足説明

  • 1.イオン
    電荷を持つ原子や分子のこと。例えば、食塩(NaCl)を水に溶かすと、プラスの電気を帯びたナトリウムイオン(Na+)とマイナスの電気を帯びた塩化物イオン(Cl-)に分かれる。
  • 2.水和構造
    水分子が、水溶液中に溶けているイオンや分子を取り囲むように並ぶ構造。例えば、ナトリウムイオン(Na+)は正電荷を持つため、水分子は負に帯電した酸素側を近づけてプラスとマイナスの電荷を中和させようとする。逆に負の電荷を持つ塩化物イオン(Cl-)の周りには、水分子の正に帯電した水素側が集まる。物質の電荷だけでなく、その大きさによっても周りの水分子の並び方は変化する。
  • 3.水の電気分解
    電気エネルギーを用いて水を水素と酸素に分解する反応(2H2O→2H2+O2)のこと。再生可能エネルギー由来の電力から水素をつくることが可能となる上、副生成物として酸素しか発生しないため、環境負荷の低い水素製造技術として近年盛んに研究されている。水電解ともいう。
  • 4.淡水化技術
    海水は塩分濃度が高く、そのまま飲むと脱水症状を引き起こす。また、不純物が多く、工業用途に活用することも難しい。現在、淡水をつくる方法として、特殊な膜で海水をろ過し、塩分を除去する方法が主流である。この膜の名前(Reverse Osmosis Membrane)に由来し、この淡水化技術をRO法と呼ぶ。
  • 5.回転リングディスク電極装置
    円形のディスク電極の周りにリング電極を固定した測定系。この測定系をモーターで回転させることで、塩化物イオンなどが電極にどの程度到達しやすいかを評価できる。本研究では、ディスク電極に酸化イリジウムを塗布し、酸素発生と塩素発生を行った。リング電極には白金を用い、ディスクで発生した塩素の量を評価するために使った。
  • 6.レビッチ(Levich)式
    回転リングディスク電極など、回転する電極に到達する反応物を定量化する数式。電極回転数が速ければ速いほど、たくさんの反応物が電極に到達する。電極回転数以外にも溶液の粘性や反応物の拡散係数や濃度に依存することが数式から読み取れるが、共存するイオンの影響は考慮されていない。
  • 7.拡散層
    物質の拡散によって濃度勾配が生まれている領域。従来のLevich式における電極回転数によって決定される拡散層はおおよそ1μm程度であるのに対し、本研究で提案した、共存イオンが形成する新たな拡散層はおおよそ1nmの大きさを持つ(1μmは1mmの1,000分の1。1nmはそのさらに1,000分の1)。
  • 8.構造エントロピー(ΔstrucS
    気温などを測るときに温度を使うように、乱雑さの度合いを測るときにはエントロピーを使う。秩序立った構造はエントロピーが小さくなり、逆に無秩序な構造ほどエントロピーは大きくなる。本研究の場合、小さなLi+イオンを水中に溶かすと元の水の状態よりも水分子が整然と配列し、エントロピーが小さくなる。一方で、大きなCs+イオンを溶かすと元の水和構造が乱され、逆にエントロピーは大きくなる。一般に、「この構造でなければならない」状態ほどエントロピーは小さくなり、各原子の場所が一通りに定まる完全結晶で最小となる。
  • 9.持続可能な開発目標(SDGs)
    2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17の目標、169のターゲットから構成され、発展途上国のみならず、先進国自身が取り組む普遍的なものであり、日本としても積極的に取り組んでいる(外務省ホームページから一部改変して転載)。

共同研究グループ

理化学研究所
環境資源科学研究センター 生体機能触媒研究チーム
チームディレクター 中村 龍平(ナカムラ・リュウヘイ)
(東京科学大学 地球生命研究所 教授、同大学 物質理工学院 応用化学系 教授)
基礎科学特別研究員 林 泰正(リム・テジョン)
研究員 大岡 英史(オオオカ・ヒデシ)
光量子工学研究センター 光量子制御技術開発チーム
チームディレクター 和田 智之(ワダ・サトシ)
研究員 村上 武晴(ムラカミ・タケハル)

東京科学大学 地球生命研究所
博士研究員 余 雨航(ユウ・ユウハン)

研究支援

本研究は、理化学研究所基礎科学特別研究員制度(SPDR、林泰正)、研究奨励ファンド(研究代表者:林泰正)、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業若手研究「Generalizing the effects of ions on water structure and diffusion phenomena during the condition of electrolyzer operation(研究代表者:林泰正、JP25K18006)」「Cascade reactions under flow regime within hydrothermal vents' microchannels(研究代表者:余雨航、JP25K17997)」、科学技術振興機構(JST)革新的GX技術創出事業GteX「グリーン水素製造用革新的水電解システムの開発(研究代表者:高鍋和広、JPMJGX23H2)」、文部科学省データ創出・活用型マテリアル研究開発プロジェクト「再生可能エネルギー最大導入に向けた電気化学材料研究拠点(DX-GEM、研究代表者:杉山正和、JPMXP1122712807)」の助成を受けて行われました。

原論文情報

  • Taejung LIM, Hideshi OOKA, Yuhang YU, Takeharu MURAKAMI, Satoshi WADA, Ryuhei NAKAMURA, "Hydration entropy of cations regulates chloride ion diffusion during electrochemical chlorine evolution", Nature Chemistry, 10.1038/s41557-025-02014-4

発表者

理化学研究所
環境資源科学研究センター 生体機能触媒研究チーム
チームディレクター 中村 龍平(ナカムラ・リュウヘイ)
基礎科学特別研究員 林 泰正(リム・テジョン)
研究員 大岡 英史(オオオカ・ヒデシ)

林 泰正 基礎科学特別研究員の写真 林 泰正
大岡 英史 研究員の写真 大岡 英史
中村 龍平 チームディレクターの写真 中村 龍平

発表者のコメント

物質拡散は教科書が多数存在するほど確立された研究テーマです。このため、高電流の電解中でのイオン拡散でも、当然のように伝統的な解釈が適用されてきました。本研究を通して、工学的な課題が出発点だとしても、その根本的な解決には必ず基礎科学的な理解が必要であることを学びました。(林 泰正)

報道担当

理化学研究所 広報部 報道担当
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科学技術振興機構 広報課
Tel: 03-5214-8404
Email: jstkoho@jst.go.jp

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