理化学研究所(理研)開拓研究所田中生体機能合成化学研究室の田中克典主任研究員(東京科学大学物質理工学院応用化学系教授)、チャン・ツンチェ研究員、アンバラ・ラクマット・プラディプタ客員研究員(東京科学大学物質理工学院応用化学系助教)、河合雅行研修生(東京科学大学物質理工学院応用化学系博士後期課程3年)らの研究チームは、がん細胞が過剰に産生している代謝物である一酸化炭素(CO)[1]を原料として、がん細胞の中で抗がん剤を合成することにより、がん細胞の増殖を抑制することに成功しました。
本研究成果はがんの「現地」でがん細胞の代謝物を「原料」として、抗がん剤の骨格を化学合成することで、がんを選択的に治療できる「生体内合成化学治療」への応用が期待されます。
今回、研究チームは、がん細胞内に存在する一酸化炭素を抗がん剤へと変換する手法を開発しました。一般的には一酸化炭素は有毒なガスとして知られていますが、生体内にも血管の弛緩作用などを担うシグナル分子として存在しています。この一酸化炭素を抗がん剤へと変換するため、田中主任研究員らはアルブミン[2]と呼ばれるタンパク質の疎水性ポケット[2]内部にパラジウム錯体[3]を固定した、「アルブミン-パラジウム複合体」を開発しました。通常、生体内では不安定なパラジウム錯体を、アルブミンによって保護することで、生体内でも活性を維持し、がん内因性の一酸化炭素を捕捉・活性化・フェナントリジノン誘導体と呼ばれる抗がん剤へと変換することができるようになりました。
本研究は、科学雑誌『Nature Communications』オンライン版(9月17日付)に掲載されました。
がん細胞中の一酸化炭素(CO)を原料とした抗がん剤合成の概要図
背景
抗がん剤による化学療法は、転移したがん細胞だけでなく、正常な細胞にも作用するため、副作用が避けられないという課題があります。そこで、田中主任研究員らは、がん細胞で過剰に産生される代謝物アクロレインを利用することで、がん細胞上でのみ選択的に抗がん剤やポリマーを合成する技術を開発してきました注1、2)。通常はフラスコの中で行われる複雑な有機合成化学反応を、生体内(疾患部位)で行い、治療薬を体内で直接合成することで疾患を治療するこの手法を「生体内合成化学治療」と名付け、この分野で世界をリードしてきました。
近年、がん細胞では正常な細胞に比べ、一酸化炭素が多く産生されていることが分かってきました注3)。一酸化炭素は、一般的には有毒なガスとして知られていますが、生体内では少量の一酸化炭素がシグナル分子として存在しています。一方、有機合成化学においては、遷移金属錯体[3]を用いて、一酸化炭素をカルボニル基(C=O)という形に変換してさまざまな分子の合成に利用しています。例えば、フェナントリジノン誘導体と呼ばれる薬剤分子や抗がん活性分子もカルボニル基を有しています(図1)。そこで、がん細胞中の一酸化炭素を原料に、これらの薬剤分子を合成することが可能になれば、より汎用性の高い「生体内合成化学治療」技術を開拓できると着想しました。
図1 カルボニル基を持つ薬剤分子フェナントリジノン誘導体
有機合成化学では一酸化炭素を化学変換することによってカルボニル基を得ることができる。カルボニル基はさまざまな分子に含まれている基本的な構造であり、フェナントリジノン誘導体と呼ばれる薬剤分子もカルボニル基を持つ。
しかし、生体内には、遷移金属錯体に強く結合して反応を阻害するグルタチオン[4]などの分子が多く存在するため、生体内で遷移金属錯体をそのまま利用することは困難です。これに対し、田中主任研究員らは、これまでの研究においてアルブミンというタンパク質が持つ疎水性ポケットの内部に遷移金属錯体を閉じ込めることで、グルタチオンから遷移金属錯体の触媒機能が保護され、生体内であっても有機合成反応に利用できることを見いだしています注4~7)。
そこで研究チームは、生体内で不安定なパラジウム錯体を、アルブミンによって保護したアルブミン-パラジウム複合体を開発しました。この複合体は生体内でも反応性を維持でき、がん内因性の一酸化炭素を捕捉・活性化・変換することができます。これにより、がん細胞が産生する一酸化炭素を原料として、がん細胞内で抗がん剤を合成する新しい治療法の実現を目指しました。
- 注1)2025年12月12日プレスリリース「がん細胞内の『現地』で光るポリマーを化学合成」
- 注2)2026年1月8日プレスリリース「がんで天然物の活性構造をつくる」
- 注3)Nature Reviews Drug Discovery「Gasotransmitters in cancer: from pathophysiology to experimental therapy」
- 注4)2019年7月2日プレスリリース「触媒的『現地合成』によるがん治療」
- 注5)2021年3月18日プレスリリース「がん細胞上で薬剤を化学合成」
- 注6)2022年1月10日プレスリリース「体内でベンゼン環を作る」
- 注7)2023年9月27日プレスリリース「極微量の触媒で抗がん剤を体内で大量生産」
研究手法と成果
パラジウム錯体1(錯体1)は、フラスコ内では一酸化炭素と反応して、カルボニル化合物の一種であるフェナントリジノンを形成できる一方、グルタチオンが存在する水中のような生理的条件下では反応性が失われてしまうことが知られていました(図2上)。そこで研究チームは、錯体1の構造を参考に、生体内でも一酸化炭素との反応性を維持し続けられるパラジウム錯体の探索を行いました。その結果、錯体1に配位子としてトリフェニルホスフィンを取り付けた上で、アルブミンの疎水性ポケットに取り込ませたアルブミン-パラジウム複合体2(複合体2)は生理的条件下であっても一酸化炭素と反応できることを見いだしました(図2下)。生体内にはパラジウム錯体の反応性を失わせるグルタチオンが存在していますが、複合体2はグルタチオンが20当量(複合体2の20倍)存在する水溶液中であっても反応性を失わず、フェナントリジノンを形成できることが分かりました。
図2 グルタチオンに対して安定なパラジウム錯体の探索
パラジウム錯体1(錯体1)はフラスコ内では一酸化炭素を捕捉し、カルボニル化合物の一種であるフェナントリジノンへと変換することができる一方、生理的条件下ではグルタチオンなどによって反応性が失われてしまう(上)。そこで、錯体1にトリフェニルホスフィンを配位子として取り付けて活性化し、アルブミンの疎水性ポケットに固定したアルブミン-パラジウム複合体2を合成した。このアルブミン-パラジウム複合体2は、生理的条件下であっても反応性が失われず、一酸化炭素と反応してフェナントリジノンを形成することができる(下)。
研究チームは続いて、がん細胞が産生しているごく少量の一酸化炭素でもフェナントリジノン誘導体へ変換できるかを検証しました。複合体2に対し、アルブミンの疎水性ポケットに強く相互作用するN-ジエチルアミノクマリンを導入することで、より強固なアルブミン-パラジウム複合体3(複合体3)を開発しました(図3a)。複合体3をシャーレ上で培養されたヒト正常細胞やヒトがん細胞に投与し、48時間後に細胞内容物をHPLC-MS(高速液体クロマトグラフィー質量分析)[5]によって分析したところ、目的のフェナントリジノン誘導体を観測することに成功しました。これは、がん細胞中の一酸化炭素が複合体3と反応し、フェナントリジノン誘導体を生じたことを示唆しています。さらに、ヒト肝臓がん細胞(HepG2)、ヒト子宮頸(けい)がん細胞(HeLa S3)、ヒト乳がん細胞(MCF7)、ヒト肺がん細胞(A549)を用いた実験では、多くのフェナントリジノン誘導体を観測した一方、ヒト正常乳腺細胞(TIG3)からはほとんどフェナントリジノン誘導体が観測されず、一酸化炭素が多く産生されているがん細胞で優先的に反応を起こさせることが可能であると示唆されました(図3b)。
図3 がん細胞内の一酸化炭素の変換と検出
- (a)アルブミン-パラジウム複合体3(複合体3)は細胞内に投与することで細胞内の一酸化炭素をフェナントリジノン誘導体へと変換する。
- (b)複合体3を投与したヒト細胞から回収されたフェナントリジノン誘導体の物質量。一酸化炭素を多く産生しているがん細胞からはフェナントリジノン誘導体を多く検出した一方、ヒト正常細胞からはほとんどフェナントリジノン誘導体が検出されなかった。pmol/106cells:100万細胞当たりのピコモル(pmol、1pmolは1兆分の1モル)。
研究チームはさらに、アルブミン-パラジウム複合体4(複合体4)を新たに設計・開発し(図4a)、細胞内に投与された複合体4を一酸化炭素と反応させて、強力な抗がん活性を有するオキシニチジン誘導体の細胞内で合成することに取り組みました。複合体4を、ヒト乳がん細胞(MCF7)やヒト肝臓がん細胞(HepG2)に投与したところ、細胞内部でオキシニチジン誘導体が合成されることにより、それぞれのがん細胞に対して抗がん活性を示すことが分かりました(図4b)。一方、ヒト正常乳腺細胞(TIG3)に対しては、ほとんどダメージを与えませんでした。これらの結果から、複合体4は一酸化炭素を多く産生しているがん細胞に対してのみ抗がん活性を示すことが分かりました。
図4 がん細胞内での抗がん活性分子の合成と抗がん活性評価
- (a)アルブミン-パラジウム複合体4(複合体4)を細胞内に投与すると細胞内の一酸化炭素をフェナントリジノン誘導体の一種であるオキシニチジン誘導体へと変換する。オキシニチジン誘導体は強力な抗がん活性を有する。
- (b)複合体4の抗がん活性評価。複合体4を乳がん細胞MCF7のコロニーに対して投与する実験では、10マイクロモーラー(µM:薬剤分子の濃度。1µMは100万分の1モル/L。例えば10µMの水溶液では、水1リットル中に100万分の10モルの薬剤を溶かしたときの濃度)以上の濃度でコロニーの形成をほぼ完全に阻害することが明らかとなった。
今後の期待
本研究では、不安定なパラジウム錯体を、アルブミンによって保護することで、生体内でもパラジウム錯体の触媒活性を維持し、細胞内の一酸化炭素を捕捉・活性化・変換できることを見いだしました。これにより、がん細胞内の一酸化炭素を原料として、抗がん活性を持つフェナントリジノン誘導体を細胞内で直接合成することに成功し、抗がん剤をがん細胞内の「現地」でつくり出し、選択的にがん細胞の増殖を抑制できることを実証しました。
がん細胞では、一酸化炭素以外にも通常細胞とは異なる多様な代謝物が産生されています。本研究は、「疾患特有の代謝物を化学反応の原料として疾患現地で薬をつくる」という、新しい可能性を示しました。今後は、さまざまな疾患に特徴的な代謝物を利用して必要な場所で医薬品を合成する、「生体内合成化学治療」という新たな治療戦略へ研究をさらに発展させていきます。
補足説明
- 1.一酸化炭素(CO)
炭素原子と酸素原子から構成される気体分子。高濃度では一酸化炭素中毒を引き起こす有毒なガスとして知られるが、生体内ではヘムオキシゲナーゼという酵素によって産生され、抗炎症作用やシグナル伝達などの役割を果たしている。近年になって、がん細胞で多く産生されていることが明らかとなった。 - 2.アルブミン、疎水性ポケット
アルブミンは血清成分の大部分を占め、分子量が6万程度の極めて安定な可溶性タンパク質。アルブミンにはさまざまな薬物と配位する疎水性ポケットが存在し、血中でこれらの薬物を運搬する。田中主任研究員らは、金属錯体をこの疎水性ポケットに配位させておくことで、グルタチオンなどの金属錯体に結合してその働きを阻害する分子から保護できることを見いだした。 - 3.パラジウム錯体、遷移金属錯体
周期表の第3族から第11族に属する遷移金属を中心とし、他の分子(配位子)が結合した複合体のことを遷移金属錯体という。遷移金属は特定の官能基に対して強い親和性を示すため、さまざまな有機化学反応に用いられる。特にパラジウムを中心としたパラジウム錯体は、炭素と別の炭素を結合させる化学反応によく用いられる。 - 4.グルタチオン
三つのアミノ酸から構成されるペプチドで、生体内では抗酸化作用や解毒作用を担っている。グルタチオンに含まれている硫黄は金属と反応しやすく、金属錯体の反応性を即座に失わせることが知られている。 - 5.HPLC-MS(高速液体クロマトグラフィー質量分析)
HPLCは液体のサンプルをカラムと呼ばれる装置に通すことによって、サンプル中に含まれるさまざまな分子を分離することができる分析装置。HPLC-MSは分子を分離すると同時に分子の重さを測定することができる分析装置であり、生体由来サンプルのような多くの物質が混ざったサンプル中のごく微量な分子も観測・定量することができる。HPLC-MSはhigh performance liquid chromatography-mass spectrometryの略。
原論文情報
- Masayuki Kawai, Tsung-Che Chang, Ambara R. Pradipta and Katsunori Tanaka, "Harnessing Endogenous Carbon Monoxide for Cancer-Selective Drug Synthesis", Nature Communications, 10.1038/s41467-026-77616-8
発表者
理化学研究所
開拓研究所 田中生体機能合成化学研究室
主任研究員 田中 克典(タナカ・カツノリ)
(東京科学大学 物質理工学院 応用化学系 教授)
客員研究員 アンバラ・ラクマット・プラディプタ(Ambara Rachmat Pradipta)
(東京科学大学 物質理工学院 応用化学系 助教)
研究員 チャン・ツンチェ(Tsung-Che Chang)
研修生 河合 雅行(カワイ・マサユキ)
(東京科学大学 物質理工学院 応用化学系 博士後期課程3年)
左からアンバラ・ラクマット・プラディプタ 客員研究員、河合 雅行 研修生、田中 克典 主任研究員
報道担当
理化学研究所 広報部 報道担当
お問い合わせフォーム
東京科学大学 総務企画部 広報課
Tel: 03-5734-2975 / Fax: 03-5734-3661
Email: media@adm.isct.ac.jp
