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特集 2021年8月4日

AI時代が問いかける人と社会の未来像

2021年4月、科学技術基本法が改正され科学技術・イノベーション基本法が施行されました。これを受け、理研の研究活動内容を定める「国立研究開発法人理化学研究所法」も改正され、研究対象は自然科学だけでなく、人文社会科学も含まれることになりました。人類が直面する課題を解決するために、より総合的な科学力への期待が高まります。身近な存在になりつつある人工知能(AI)と人間社会の関係性について、鈴木晶子チームリーダー(TL)に話を伺いました。

鈴木 晶子チームリーダーの写真

鈴木 晶子(すずき しょうこ)

革新知能統合研究センター
社会における人工知能研究グループ
人工知能倫理・社会チーム
チームリーダー
上智大学文学部、同大学院文学研究科修了。文学博士。1982年から1989年までドイツ・ケルン大学哲学部留学。1997年から京都大学教育学部助教授、2003年より同大学大学院教育学研究科教授。2005年から2014年まで日本学術会議会員(第一部)。2009年から2010年までベルリン自由大学客員教授。2016年より現職。京都大学教育学研究科教授を兼務。専門は、科学哲学、教育哲学、倫理学、人類学。

AI時代を生き抜くヒントを歴史に求める

ウェブサイトの検索エンジンに「AI倫理」と入力すると、800万件以上の記事がヒットする。AIの社会実装が急速に進む中、世界中の人々が、AIによる利便性を享受する一方で、その未知の技術に対する不安を抱えている証拠だろう。AIによって、医療、教育、金融、物流などさまざまな分野で、大きな変化がすでに起こっている。人間とAIが共存するために、私たちは今、どのような問題意識を持つべきなのだろうか。科学哲学、教育哲学、倫理学、人類学などのバックグラウンドを持つ鈴木TLは、過去の技術革命に目を向ける。

ガリレオやニュートンが活躍した17世紀の科学革命、それに伴って起きた機械や動力による18世紀の産業革命は、人間のコミュニケーションに劇的な変化をもたらした。その変化とは、顔の見える共同体組織から顔の見えない社会的組織への転換だ。社会の都市化によって、人々が農村から都市に流入し、地縁や血縁の中で暮らしていた人間は、新しい対人関係に直面する。「私がここで注目したいのは、顔の見える共同体とともに消えた"何か"です。技術革新によって得たものの一方で失われてゆくものに、人類が目を向けてこなかったことに研究者として強い問題意識を持っています」。

AI技術の発展が情報技術を革新し、コミュニケーションにも革命をもたらした。これまでも人間は自ら創造した技術や道具を駆使してきたが、情報化やデジタル化時代の到来により、さらにAIをはじめとする新たなツールを手に入れた。だが他方で、便利なツールの登場によって使わなくなった能力を失いつつある。例えば、パソコンの普及により、漢字を思い出せなくなったという話をあちこちで聞く。漢字以外でも記憶を探るよりインターネットで調べた方が早い。「昔の人は、好きな詩人のお気に入りの一編を暗唱して聞かせてくれたりしたものです。記憶と想起は強く結びついています。記憶能力が衰退すると、クリエーティヴィティにも影響が出る可能性も否定できません」。

失われてゆくものに目を向ける

鈴木TLの専門は、「触覚知性(タクト)」の研究だ。触覚知性とは、触覚を通した空間認知やリズム感覚、感情、振る舞いのようなもの。暗黙知や身体知と呼ばれる能力で、環境との接触面に働く感覚や知性ともいえる。「人間はオギャーと生まれると母親の肌に触れ、やがて伝い歩きや二足歩行をしながら、接触によって自分がこの世界でどのような位置にいるかを把握していきます。そして自然に他者との物理的、心理的距離を測るスキルを獲得するのです。私は、こうした言語化が難しい人間の認知や熟達のメカニズムを人文社会科学の視点から解明しようとしています」。近年は、こうした暗黙知、身体知さえも定量化、可視化してAIに学習させようと試みる研究分野もある。触覚知性のような能力さえAIに委ねるようになったとき、人間はどうなるのか?これは、研究者でなくとも気になるところだ。

人間は、道具を用いることを通して、道具との間にある種の関係性を構築してきた。その関係性のなかで、自らの力を強化する道具を使いこなす術を養い、それを身体の一部のように用いるようになった。この過程で人間は道具を活用するためのコミュニケーションを習得し、能力の組み換えを繰り返してきた。AIという新たな道具の登場によって、人間の能力は大きな変化と向き合うことになるだろう。「今こそ、能力の定点観測が必要です。AIによって失われてゆく能力に目を向けつつ、新たに獲得した能力を駆使し、人間だからできることは何か、人間性のありかを深く考えるチャンスだと思います」。

倫理とは「人として生きる倫・道(みち)」

鈴木TLが率いる人工知能倫理・社会チームでは、研究にあたって三つの考え方を共有している。一つ目は、「AIは人間の技術文明の一つ」ということ。AIを単なる技術として捉えず、これまで人類が築き上げてきた技術文明の歴史に、AIによって新たな1ページが加わったという視座を提案している。二つ目は、「人間の定義も変わることを意識する」。AI技術が人間を凌駕する未来を考えるならば、まず人間とは何かを理解する必要がある。動物との比較で人間の特性を定義していた時代を経て、今こそ機械との比較を通して、人間性を再定義すべきだと考えている。三つ目は、「AI時代の倫理や法のあり方を熟考する」。AI技術が急速に発展する中、OECD(経済協力開発機構)やユネスコなどの国際機関でもAIの法規制や倫理についての議論が盛んに行われている。

各国政府はもとより巨大IT企業は、いずれも新たな技術が格差を拡大することなく、幸福な人間社会を実現することを目指して、法や倫理のグローバルなスタンダードを打ち出そうとしている。鈴木TLは危機感を持ってこうした動きを注視している。「グローバルな視点だけではなく、それぞれの国や文化などローカルな視点が活かされるような、"グローカルな倫理基盤"を検討する必要があります。スマートシティの構築も人々が大切にしてきた価値や習慣、経験知など文化を活力としていくことが鍵となります。AI倫理も生命倫理と同様に、それぞれの国や地域の文化や価値観に合わせたルールづくりが肝要です。倫理とは、人として生きる倫・道。倫理を支える倫理、いわば"メタ倫理"について価値多元化、文化多様性に応答できるようなものが求められるでしょう」。

AI時代の"Human Ethics"を国際発信する

鈴木TLの研究チームでは、新しいプロジェクトとして、AI時代のHuman Ethics(人間倫理)について検討し国際発信していく計画だ。東洋の伝統的な表現でいえば「人倫」となる。人が人としてこのAI技術文明時代をいかに生きていくか、万物との繋がりや動的なバランスを求める東洋的な和の精神、一言でいうと動的調和を、西洋的な思想と融合し得る道を探るような「新しいフィロソフィー」の構築を目指していくという(図1)。

哲学はすべての学問の源だ。自然科学も人文社会科学も同じルーツを持つ。つまり、それぞれの研究領域を深く掘り下げていけば、同じ水脈にたどりつくということになる。AI時代の人間倫理が問われる今こそ、哲学の知見を自然科学の分野でも大いに役立てるべきだろう。「自然科学系の研究者は、仮説を立てる際に、もう一つの仮説の可能性を議論できる相手を人文社会科学の分野に持ってほしい」と力説する鈴木TL。自然科学との対話を通して、人文社会科学の知見にも新たな発見があると期待を寄せている。

AI時代に必要とされるヒューマニズムの転回の図

図1 AI時代に必要とされるヒューマニズムの転回

AI時代において、社会や個人の捉え方は大きく変わろうとしている、と鈴木TL。
個人主義や心身二元論に基づく理解を転回するキーワードは「触覚知性」と「動的調和」だ。

(取材・構成:丸茂健一/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)

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