2020年3月に世界保健機関(WHO)が新型コロナウイルス感染症の流行を「パンデミック(世界的大流行)」と宣言してから、まもなく2年。ウィズコロナの生活が続く中、この問題を契機として、人類が抱えるさまざまな課題と科学技術の在り方に関心が高まっています。2022年の年頭にあたり、日本の科学技術研究の一翼を担う国立研究開発法人(国研)の二人の理事長が語り合いました。
左 : 松本紘理研理事長、右 : 平野俊夫量子科学技術研究開発機構理事長
融合的研究の広がり
松本:平野さんと私は共に関西出身。ほぼ同じ時期に国立大学の総長として大学改革に取り組んでいたこともあり、同志のように感じていました。さらに現職に就任したのも1年違いで、境遇が似ています。とはいえ平野さんは量子科学技術研究開発機構(QST)の初代理事長ですから、格別なご苦労があったのではないでしょうか。
平野:QSTは放射線の安全性や、がんや認知症などの治療を手掛ける放射線医学総合研究所(NIRS)と、日本原子力研究開発機構(JAEA)の量子ビーム部門と核融合部門が再編・統合されてできた組織です。それぞれ研究のバックグラウンドも違うし、組織としての歴史、そして文化も違う。大変な状況でしたが、逆にこれは新しいものをつくるチャンスだと考えて、各部門を融合させる取り組みを始めました。一つは、NIRSが世界で初めて開発した重粒子線がん治療装置の次世代機である「量子メス」の研究開発です。量子ビーム部門のレーザー科学や核融合部門の超伝導コイルなどJAEAの持つ技術を取り入れ、小型化・高性能化し、世界に普及させて「がん死ゼロ健康長寿社会」を目指すプロジェクトを始めました。もう一つは「生命とは何か」を追究する量子生命科学の創設。これからの生命科学は分子から量子の時代になると考えて、物理、化学、医学、生物学による融合研究の分野を、QSTの研究者を結集し、国内外の研究者とも連携してゼロから立ち上げました。
松本:理研は、1917年の創立当初から続く伝統ある物理、化学をはじめ、非常に分野の幅が広い。生命科学分野も組織や人材が充実しています。一方で理研には情報分野のボリュームが足りていないと感じました。情報分野の強化が自分のミッションの一つだと考えてロボットに関するプロジェクトをけいはんな地区に新設しました。自律的に考えるロボットの研究を、情報・機械工学・心理学の3分野が一体となり推進しています。社会が多様化している現在において、融合的研究は今後ますます重要になってくると思います。分野を超えて広げていきたいですね。
国研の使命を考える
松本:国研にはそれぞれ使命がありますが、国研同士で横の連携をつくり、協力する必要性を感じ、2016年に国立研究開発法人協議会(国研協)を立ち上げました。初代の会長は私が務め、平野さんは2020年に3代目の会長に選任されました。
平野:国研の担当省庁は文部科学省、経済産業省、厚生労働省などそれぞれ違いますが、先ほどの融合的研究の広がりにも関連して、省庁の枠を超えて俯瞰的な視点で連携できる国研協ができた意味は大きいですね。
松本:一方で、国民の皆さまからすると、国研は遠い存在かもしれません。研究機関であるだけでなく、博士号を取得した人たちの教育機関でもあることを、ご存じの方は少ないのではないでしょうか。国研を広く知ってもらうためにも、国研協は一つの足掛かりになると思います。
平野:社会は今、単にコロナ禍という意味にとどまらず、人類史20万年の中で"第5の波"とも言える大きな変革期にあると思うのです。産業革命による技術革新がまいた種が成長し、良いこともたくさんありましたが、環境の汚染や破壊、エネルギーや食料の問題、人口爆発など、科学技術の負の側面が強く現れている。このような課題を国研は科学技術で解決していく大きな使命を有していると考えています。
松本:科学技術がもたらした、ある意味でネガティブな面は、科学だけの責任とも言い切れないと思います。科学は事実を明らかにしますが、それをどう使うかは、使う人間によるところが大きいとも言えますよね。
平野:科学者は己の好奇心を原動力として純粋に真理を追究し、その成果がどんな結果をもたらすかまで考えが至らないことがあります。再生医学、iPS細胞、ゲノム編集などの技術が開発され、人間の平均寿命が生物学的寿命とされる120歳を突破する可能性が出てきました。生命科学は現在、生命誕生以来40億年の自然の摂理から離れ、人類史上稀有なターニングポイントにあるのではないでしょうか。その意味をいろいろな側面から考える必要があると思います。
松本:その分岐点に立って、科学の進歩を見つめながら、社会とどう折り合いをつけていくのか、自然科学者と人文社会科学者とが一緒に考えていく必要がありますね。2021年の国立研究開発法人理化学研究所法の改正によって、理研の研究対象は自然科学だけでなく人文社会科学にまで拡大されました。いよいよ文系の知識を持った人たちと真に協力していける組織となった、と考えています。
平野:国研の使命は、より社会貢献の意味合いが強くなってきていると思います。
科学者の知識が生きる社会へ
松本:国研の活動をぜひ国民の皆さまに、もっと知っていただきたいですね。研究成果の発信だけではどのような組織なのか、なかなか分からないものです。広報の面でも国研協に期待しています。科学の知見を政治へ生かすための提言も、国民に信用されて初めて可能になるのですから。海外には、科学者が政治家の近くにいてアドバイスをするという仕組みがあります。特定の期間やテーマを扱う委員会を都度設けるのではなく、政治家が科学的な知見に基づいて判断したいとき、常日頃から意見を求める相手が近くにいる、というのは良いことだと思います。
平野:私もそう思います。イギリスの新型コロナ対策を見ていると、オックスフォード大学など大学の科学者コミュニティーが状況に合わせて科学的根拠に基づいた提言を政府に行い、それをもとに政府の責任で決断し実行しています。アメリカでも国立アレルギー・感染症研究所の所長、アンソニー・ファウチ博士は何代もの大統領に科学者として提言し、政治判断の根拠となっていますね。日本においても、科学の発信力を強める必要があると思います。
来るべき変革に備えて
平野:新興感染症は、自然環境が破壊されて野生動物と人類社会の生活圏が限りなく密接になったことが原因と考えると、いわば一つの環境問題です。はしかや結核などの伝統的な感染症は家畜由来でしたが、これからは野生動物由来の新興感染症が増えるでしょう。あるいは地球温暖化の影響から、マラリアのような熱帯地域の感染症が日本でも流行するかもしれない。それに加えスーパー台風などの自然災害もあります。新型コロナは単なる一つの現象にしか過ぎません。これからも感染症や大規模災害が起こると想定し、備えておく必要がありますね。今年も、新型コロナと共生することになるでしょう。しかし、ワクチンが普及し、治療薬も使えるようになって、重症化事例は減少し、社会は正常化に向かうと考えられます。テレワークやオンライン会議など、新しい生活様式も含めて、今回学んだことをうまく取り入れていければいいですね。そういう意味では2022年は明るい年になるのではないでしょうか。一方で、前述したように今は生命進化の歴史を塗り替えるようなターニングポイントにあることも念頭に、将来に向け、国研としての使命を果たしていきたいと思います。
松本:理研もコロナ対策の研究には力を注いでいます。その一方で、基礎研究の成果を迅速に治療薬やワクチンとして社会実装するには課題があることを、今回改めて痛感しました。社会に貢献する理研のあり方を模索していくとともに、基礎研究の重要性を理解していただき、共感を得られる情報発信にも努めていきます。本日はありがとうございました。
松本 紘(まつもと ひろし)
理化学研究所
理事長
1942年生まれ。京都大学工学部卒業。工学博士。京都大学教授、同大学総長などを経て、2015年より現職。専門は宇宙プラズマ物理学、宇宙電波科学、宇宙エネルギー工学。2007年紫綬褒章、2021年瑞宝大綬章。
平野 俊夫(ひらの としお)
量子科学技術研究開発機構
理事長
1947年生まれ。大阪大学医学部卒業。医学博士。大阪大学医学部教授、同大学院医学系研究科長・医学部長、同大学総長などを経て、2016年より現職。専門は免疫学・生命科学。2009年クラフォード賞。
(撮影:相澤正。/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)
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