2023年1月に開催されたシンポジウム「『富岳』EXPANDS ~可能性を拡張する~」。その中で松岡 聡 センター長は「スーパーコンピュータ『富岳」の上にサイエンスのためのプラットフォーム(基盤)が構築されたことが『富岳』の最大の成果」と述べ、その成果を社会に拡張するために、これまで進めてきた「『富岳』のクラウド化」に加え、「クラウドの『富岳』化」を行うと発表しました。発表の背景を松岡 センター長に聞きました。
松岡 聡(マツオカ・サトシ)
計算科学研究センター センター長
3年余りで誕生した数々のプラットフォーム
「私は、2010年の構想段階から文部科学省の作業部会などに参画していて※1、『富岳』をサイエンスのプラットフォームにしなければならないと言い続けてきました」と松岡 センター長は振り返る。そして、「プラットフォームとは、『富岳』というハードウェアだけではなく、『富岳』の上で動くソフトウェアや研究のために集めたデータ、さまざまなノウハウなどが一体になったもののことです。防災、創薬、ものづくり、気象などの分野ごとにプラットフォームをつくれば、その分野の研究者がみんな使いに来る。すると、研究で生まれたソリューションやデータを学習したAIなどの成果が、知識としてどんどんそこに集約される。その結果、ブレークスルーをもたらすことができるのです」と、その意図を説明する。
2020年4月、開発・整備中だった「富岳」は、新型コロナウイルス感染防止対策のため、試験的利用を開始。2021年3月の完成・本格稼働開始を経て、この3年余りの間に、社会の要請に応える数多くの分野のプラットフォームが次々と構築された。その例は、新型コロナ対策では飛沫シミュレーション(図1)や治療薬候補の探索、経済・社会への影響予測など、ほかにも次世代太陽電池、洋上風力発電、線状降水帯予測、心臓シミュレータなど、枚挙にいとまがない。
図1 動画 「富岳」でシミュレーションした飛沫の広がり方の違い(15秒)
一般的な会話、強い咳などでの、飛沫の量と広がりの違いを明らかにした。これにより、コロナ禍の中で、マスクの素材の違いによって飛沫を遮る効果に違いがあることを広く社会に示した。
提供:理研、豊橋技術科学大学、神戸大学 協力:京都工芸繊維大学、大阪大学
デジタルツインを着々と実現
「富岳」がプラットフォームになるためには、ハードウェアが出来上がったときにすぐソフトウェアが動く必要がある。このため、開発が始まる前の2013年、文部科学省の調査研究※2の中で、研究者コミュニティが一堂に会してどのようなソフトウェアが必要かを議論し、報告書にまとめた。これが、ハードウェアとソフトウェアを同時に設計する「コデザイン」という開発手法に反映された。
「だからこそ、新型コロナ対策のための試験的利用の段階でも『富岳』はすぐに成果を上げることができたのです。例えば、自動車開発などの産業用プラットフォームには、自動車の周りの空気の流れをシミュレーションするソフトウェアの準備ができていた。飛沫シミュレーションは、それを応用することで、すぐさま実行に至りました」と松岡 センター長は説明する。
飛沫シミュレーションは「デジタルツイン」の好例でもある。「ツイン」とは双子のことで、デジタルツインとは、現実世界から収集したデータを使い、コンピュータの中に現実世界のコピーをつくる技術を指す。コピーの世界では、現実には行えない実験が可能になるため、さまざまな課題の解決法を見いだすのに役立つと期待されている。「飛沫シミュレーションでは、オフィスやタクシー車両などの環境を『富岳』に取り込むために、大学や産業界などさまざまな機関と連携し、レーザーを使ってオフィス空間のサイズを測ったり、車両の詳細なCADデータの提供を受けたりしました。その環境で飛沫がどのように拡散するかをシミュレーションし、結果を可視化したのです」。これだけのことができるプラットフォームを構築したことで、デジタルツインが可能になり、感染対策に役立つ情報を提供できたのだ。
「富岳」はすでにクラウドの一員
もちろん、「富岳」以前にもスーパーコンピュータ「京」をはじめとするスパコンでシミュレーションは行われてきた。違いはどこにあるのだろうか。「一つは『富岳』になって計算能力がはるかに高くなったことです。例えば『京』では、ある条件で1回だけシミュレーションを行っていたところを、『富岳』では条件を変えて100回、1,000回と行えます。実験を繰り返すのと同じことができるようになったのです。もう一つは、『京』よりもさらに汎用性が高まったことです。さまざまなソフトウェアが動くので、それらを組み合わせて使うことが可能になりました」
さらなる違いは、「富岳」ではクラウド化が実現されたことだ。クラウドとは、インターネットに接続されたコンピュータやストレージなどのリソースを、ユーザーが必要に応じて使える仕組みのことだ。「京」ではクラウドとの接続性が不十分だったが、デジタルツインを実現するにはクラウドに置かれたデータを取り込むことも必要になる。そこで「富岳」では、クラウドとのデータ交換をスムーズに行える仕組みを開発時から整えた。この「『富岳』のクラウド化」により、「富岳」上にデジタルツインを実現できるプラットフォームが誕生した。
"バーチャル「富岳」"ができる
シンポジウムでは、これと対となる「クラウドの『富岳』化」という新たな戦略が発表された。「これは『富岳』上に構築したプラットフォームをクラウド上に広げていくことです」と松岡 センター長。具体的には、アマゾンが提供しているAWSというクラウドを「富岳」化する(図2)。背景には、「富岳」が常にフル稼働していることがある。より多くの成果を上げるには計算資源を外部に求める必要があるのだ。また、「富岳」の成果は原則として公開されるため、企業は独自の研究開発を秘密裏に進めることは難しいが、AWSでは成果非公開の利用も可能とする計画がある。そうなれば、これまで「富岳」の利用に二の足を踏んでいた企業などにも利用層が広がることだろう。
図2 「富岳」のクラウド化とクラウドの「富岳」化
「富岳」は当初からクラウドとの接続体制を整えていた(「富岳」のクラウド化)。これにより、AWSなどに置かれたデータをスムーズに取り込める。クラウドの「富岳」化では、AWSが「富岳」のCPU(中央演算装置)と互換性のあるCPUを用いてクラウド上の計算資源を用意する。これにより、現在、「富岳」でしか実行できないソフトウェアをAWSでも実行できるようになる。つまり、AWS上に"バーチャル「富岳」"ができる。企業は最先端の研究開発を「富岳」で行い、その成果を生かした製品開発をAWS上で行うといったすみ分けも可能になる。
一方、2006年に他社に先駆けてサービスを開始して以来、世界で最も包括的かつ幅広く採用されているクラウドサービスのAWSが、理研という公の機関のスパコンとの連携に乗り出したのは、「富岳」のソフトウェアに魅力があるからだ。「ただし、『富岳』のソフトウェアをうまく動かすには『富岳』と同様の計算環境が必要です。その点、AWSは我々のCPUと互換性のあるCPUを開発し有しています」と、松岡 センター長は語る。それ故に、連携する価値が「富岳」にはあるのだ。「まずは、成功例をいくつか出すことが大事。そこからどんどん展開していきたいですね」。サイエンスのプラットフォームとしての「富岳」は確実にEXPANDS(拡張)していくことだろう。
- ※12010年より戦略的高性能計算システム開発に関するワークショップ(SDHPC)、2011年より文部科学省研究振興局長の諮問会議「HPCI 計画推進委員会」の下に組織されたアプリケーション作業部会とコンピュータアーキテクチャ・コンパイラ・システムソフトウェア作業部会に参画。当時は東京工業大学学術国際情報センター教授。
- ※22012年より文部科学省「将来のHPCIシステムのあり方の調査研究(FS)」が発足し、システム設計分野(3課題)とアプリケーションソフトウェア分野による検討が行われた。当時、東京工業大学学術国際情報センター教授だった松岡は「アプリケーション分野からみた将来の HPCI システムのあり方の調査研究」に参画し、計算科学研究ロードマップ白書の作成に携わった。
(取材・構成:青山 聖子/撮影:相澤 正。/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)
関連リンク
- 2023年2月6日計算科学研究センターお知らせ「クラウドの「富岳」化(Virtual Fugaku)を目指します」
- 「富岳」EXPANDS イベントレポート
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