ウイットに富んだ超高速の語り。そして笑顔。人間の魅力と可能性を感じさせる研究者である。数理創造研究センターのカトゥリン・ボシゥメン 副センター長。「ウイルス物理学」という新たな研究分野を開拓し、物理学の手法を用いて、目に見えない脅威になり得るウイルスを探究している。
カナダ・モントリオール生まれ。2001年にオタワ大学で計算物理学を専攻し、アルバータ大学大学院に進学した。2年後、カナダ国内で重症急性呼吸器症候群(SARS)が流行し、ウイルス研究に着手した。時間の経過や空間を考慮して感染拡大を予測するモデル開発に取り組み、2005年に生物物理学の博士号を取得。理研のポストを得て、2016年に来日した。
データは人類の共通財産
とにかくデータを見るのが好きでたまらない性分で、そこからいろいろな発想が浮かぶ「データオタク」と自己を分析する。さまざまなデータは、解かれるのを待っているパズルのピースのようなもの。パズルが解けたときにどんな宝物が見つかるか知りたくて、オフの日でも考えることがやめられない。
あるとき、目に留まったアリの行動を特集した科学雑誌の記事が研究人生に大きな影響を与えた。人間の免疫系と脳が、学び、適応し、記憶する方法は、アリの集団が餌を見つけ、共有し、記憶する方法と似ていると気付き、現在の研究テーマにつながったという。それが、数式やデータを扱う物理学と大学院時代に着手したウイルス学を統合した新たな研究分野「ウイルス物理学」だ。対象はエイズ、インフルエンザ、新型コロナなどのウイルスだけにとどまらず、がんやアルツハイマー病などに広がる。データを丹念に分析することが病気の予防や治療を含めた未解決問題を解くヒントにつながると確信し、公的機関などが保有する資料は人類の共通財産であり、オープンデータ化していく重要性を訴える。
異分野交流こそ問題解決の鍵
仲間に恵まれてきた経験に感謝し、「才能あふれる若手が世界に羽ばたくよう、研究費獲得や論文執筆を支えていきます」と指導にも余念がない。いつ、誰とでも議論しやすいようにと至るところに設置されているホワイトボードで意見交換を重ねる。週1回開催され、多彩な顔ぶれが集うセンター名物「コーヒーミーティング」も、新たなアイデアが誕生する場として大切にしている。
「発表者が難しい内容を分かりやすく伝えようと心がけているので、理解しやすく、今までにない着眼点を養うことができます。私も、異分野の研究者との何気ないディスカッションに端を発して、これまでは自分に縁のなかった天体物理学分野での成果をサポートすることもできました」と手応えを感じている。
支えとなった母の励まし
好奇心旺盛に育ったのは、「好きなことを楽しくやりなさい」と背中を押し続けてくれた母の存在が大きい。
授業では生物学が肌に合わず、膨大な暗記が求められる化学は苦手だった。一方、物理学は数学というツールで自然界の現象を記述できる。「暗記のために長時間、机に向かうのが嫌な怠け者には、物理学はぴったりでした」と笑う。母は周囲から「物理が分かるくらい頭がいいなら、医者を目指したほうがいいんじゃないの?」と言われたこともあったが、意に介さず、希望を尊重してくれたという。
現代の学問は「細分化」が進み、物理学、化学、生物学、地学など分野ごとに研究手法や用語が異なり、分野間での議論を難しくしている。それでも人口問題、気候変動、感染症など一分野では解決が難しい世界的規模の問題が山積していることを念頭に、「さまざまなことに関心を持ち、多様な視点を育むことが一層重要な時代を迎えています」と所属するセンターの役割の大きさを解説する。
今まで大切にしてきた視座は、パズルのピースを一つ一つ埋めるように、目前の疑問を解き明かすことだ。その姿勢を貫いていけば、理研が目指す社会課題の解決につながると確信している。
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