ポイント
- 点突然変異誘発物質「ENU」を使い、T細胞をほとんどつくらない変異マウスを作製
- 遺伝子「themis」の1塩基変異(アミノ酸1個の変異)がT細胞成熟を阻害
- themisノックアウトマウスで機能を確認、T細胞の分化過程の途上でthemisが発現
要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、免疫制御の中心的役割を果たすリンパ球の1つT細胞※1の成熟過程に、新規遺伝子「themis ;セーミス」が関与していることを発見しました。これは、理研免疫・アレルギー科学総合研究センター(谷口克センター長)アレルギー免疫遺伝研究チームの吉田尚弘チームリーダー、免疫発生研究チームの河本宏チームリーダー、角川清和研究員、安田啄和研究員らによる研究の成果です。
研究チームは、遺伝子上の塩基配列に1塩基の突然変異を引き起こすENU (N-aethyl-N-nitrosourea)※2という薬剤を用いて、マウスへ人為的に遺伝子変異を誘導し、さまざまな変異マウスを作製するプロジェクトを2004年から進めてきました。その過程で、末梢血※3のT細胞が通常の10%と極めて少ない変異マウスを見つけました。そこで、T細胞をつくる胸腺という臓器の細胞(thymocyte)を調べたところ、この変異マウスはT細胞が成熟していく段階に異常があり、胸腺内の成熟T細胞が30%程度減っていたことから、この現象をSPOTR(single positive thymocyte reduction; スポッター)と命名しました。
SPOTRマウスの原因となる遺伝子を同定するため、遺伝子連鎖解析法(SNP解析)※4を駆使して候補遺伝子を絞り込み、塩基配列を解析しました。その結果、これまでに知られている遺伝子とは構造的にまったく異なる1つの遺伝子を発見しました。SPOTRマウスでは、この遺伝子内のたった1個の塩基が変異(1塩基変異)し、作られるタンパク質のアミノ酸1個がトレオニンからプロリンに変わっていました。この遺伝子が欠損したノックアウトマウスを作製したところ、SPOTRマウスと同じ異常を観察することができたため、発見した遺伝子がT細胞の成熟段階に深く関与していることが分かりました。さらに、この遺伝子は胸腺内で分化途上にあるT細胞にだけ発現していることも分かりました。
折りしも、この遺伝子はいくつかの国外の研究チームが同時期に発見しており、「themis」という遺伝子名がつきました。themis遺伝子の機能を研究することで、T細胞分化の研究に新しい広がりがもたらされると考えられ、SPOTRマウスの遺伝子変異は、T細胞の機能解明の糸口になると期待できます。
本研究成果は、米国の科学雑誌『Molecular and Cellular Biology』(9月15日号)に掲載されます。
背景
免疫制御の中心的役割を果たすリンパ球の1種であるT細胞は、その細胞表面に発現する抗原認識分子(T細胞受容体)で生体の異物を認識し、生体防御の機能を発揮します。T細胞は、胸腺の中でさまざまな分化段階を経て作られます。分化の最終段階では、身体の防御に役立つようなT細胞受容体を発現しているT細胞を選び出し、これらが成熟T細胞へと分化します。この過程を「正の選択」と呼びます。引き続いて、身体を構成する分子を認識し、自己の体を攻撃してしまう有害なT細胞受容体を発現するT細胞を除去します。これを逆に、「負の選択」と呼びます。
T細胞受容体を発現したばかりの未成熟T細胞は、CD4とCD8という分子を共に発現することからDP(double positive)細胞と呼びます。一方、正・負の選択を経た成熟T細胞は、CD4とCD8のうちどちらか片方しか発現しないので、SP(single positive)細胞と呼んでいます。DP細胞が生成するまでの細胞分化の分子機構の多くは明らかになりつつありますが、DP細胞からSP細胞への分化過程の分子機構は、ほとんど不明でした。
この成熟T細胞(SP細胞)が作られる段階の分子機構を解明する手がかりを得るために、研究チームはENUという薬剤を用いて人為的に遺伝子の変異を誘導して、変異マウスを作製するプロジェクトを進めてきました。
研究手法と成果
(1)変異マウス系統の樹立
ENUにより変異を導入したマウスを解析する過程で、末梢血中のT細胞が通常の10%と極めて少ない変異マウス個体を見つけ、この変異形質が遺伝することを確かめました。この変異を1つの系統として樹立して詳しく調べたところ、胸腺内で成熟T細胞が作られていく段階が阻害されていることが分かりました。この変異マウスは、胸腺内の成熟T細胞が通常のマウスに比べ30%程度に減っていることから、SPOTR(single positive thymocyte reduction;スポッター)マウスと名付けました(図1)。
(2)原因遺伝子の同定
研究チームは、SPOTRマウスの変異形質がどの遺伝子の変異に起因するかを調べました。SPOTRマウスは、C57/BL6系統※5の遺伝的背景を持っています。SPOTRマウスと正常なC3H系統※6マウスとの交配を繰り返し、その子孫がSPOTR表現型を発現するマウスと発現しないマウスの情報を比較して、単一遺伝子多型に基づいた遺伝子連鎖解析法(SNP解析)を実施すると、SPOTR表現型が全ゲノム中のどの遺伝子に起因するのかが分かります。
解析の結果、2つの候補遺伝子に絞りこむことができました。1つはreceptor-like protein tyrosine phosphatase type κ(RPTPκ)をコードする遺伝子ptprkで、T細胞が減少するという症状を呈する自然変異ラット(LECラット)の原因遺伝子として最近、北海道大学や徳島大学などから報告されています。LECラットとSPOTRマウスの表現型はよく似ています。しかし、SPOTRマウスでは、ptprk遺伝子には変異は見つかりませんでした。もう1つの遺伝子は、胸腺細胞だけに発現する機能が未知の遺伝子でした。その塩基配列を調べたところ、1779番目の塩基がアデニンからシトシンに置換する点突然変異をみつけました(図2)。その結果、この遺伝子が作るタンパク質の512番目のアミノ酸はトレオニンからプロリンに変化します。
一般にタンパク質は、アミノ酸配列が分かれば既知のタンパク質との機能的相同性を予測することができますが、この遺伝子が作るタンパク質は既知のタンパク質とはまったく共通性がなく、機能を推定することができないため、新しいタイプの遺伝子といえます。偶然に時期を同じくして、R.H. Schwartz(オックスフォード大学, 英国)、N.R. Gascoigne(Scripps研究所、米国)、P. Love(NICHD、米国)、鈴木春巳(国際医療センター、日本)が率いる国内外の4つのグループも同じ遺伝子を同定し、これらのグループと共通のthemisという遺伝子名を使うことにしました。
(3)ノックアウトマウス作製による原因遺伝子の確認
themis遺伝子の変異がSPOTRマウスの表現型の原因であることを確認するために、themis遺伝子を欠損したマウス(ノックアウトマウス)を作製しました。すると、SPOTRマウスと同じく、胸腺の成熟T細胞の明らかな減少を観察しました(図3)。すなわち、themis遺伝子が、胸腺におけるT細胞の成熟過程に深く関与していることを確認しました。
今後の期待
themisは既知の遺伝子とは異なるまったく新しいタイプの遺伝子で、この遺伝子の役割を明らかにすることで、T細胞分化の研究に新しい広がりをもたらすと考えられます。SPOTRマウスで解析した遺伝子変異の情報は、themis遺伝子の機能解明の糸口になると期待されるとともに、ヒトの免疫不全症とthemis遺伝子との関連など、遺伝子レベルでのヒトの免疫病の解明にも貢献すると注目されます。
発表者
理化学研究所
免疫アレルギー科学総合研究センター
免疫発生研究チーム
チームリーダー 河本 宏(かわもと ひろし)
Tel: 045-503-7010 / Fax: 045-503-7009
アレルギー免疫遺伝研究チーム
チームリーダー 吉田 尚弘(よしだ ひさひろ)
Tel: 045-503-7058 / Fax: 045-503-7057
お問い合わせ先
横浜研究推進部 企画課Tel: 045-503-9117 / Fax: 045-503-9113
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.T細胞
免疫制御の中心的役割を果たすリンパ球。胸腺(Thymus)で形成されるのでT細胞と呼ばれる。各細胞が異なる抗原特異的な受容体(T細胞抗原受容体)を発現し、抗原を認識する。機能により、種々のサイトカインを産生したり、B細胞からの抗体産生を調節したりするもの(ヘルパーT細胞)や、ウイルスなどの病原体に感染した標的細胞に傷害を与えるもの(キラーT細胞)などがある。 - 2.ENU(N-ethyl-N-nitrosourea)
増殖中の細胞に作用して、遺伝子配列にランダムな点突然変異を生み出す作用がある化学物質。一定の濃度で雄マウスの生殖細胞に作用させることで、精子に変異を入れることができる。その子孫にはさまざまな突然変異マウスが出現するので、その中から特定の細胞が欠損していたり、人間の病気に似た症状を示すマウスを探し出して調べることで、これまで分かっていなかった遺伝子の役割を知ることができる。理研では、このようなENUマウス解析プロジェクトを2000年から進めている。 - 3.末梢血
体を循環している血液。普通の採血で得られる静脈血も末梢血である。 - 4.遺伝子連鎖解析法(SNP解析)
マウスやヒトの遺伝子配列上には1,000カ所に1カ所の頻度で個体のばらつきがあり、これを一塩基多型(SNP)と呼ぶ。実験用マウスでは各系統に特異的なSNPが全部分かっており、これを基にして遺伝子変異の場所を同定することができる。例えばC57BL/6という系統で発生した点突然変異の場合、C3H系統のマウスとかけ合わせ、産まれた子孫の中から変異形質を示した個体数百匹について、ゲノム上の各SNPがC57BL/6とC3Hのどちらの型かを検査する。そのような変異固体マウスの中で、常にC57BL/6の型になるというSNPの場所がみつかれば、その変異形質の原因となっている遺伝子もそのSNPのすぐそばにあるということが推測できる。従って、そのSNPの近くを調べることで突然変異を探し出すことができる。これを遺伝子連鎖解析法という。 - 5.C57/BL6系統
マウスの近交系(近親交配を重ね、遺伝的背景を均一にしたマウスの系統)の1つ。黒い毛色をもち、近年では、遺伝子改変マウス作製のための胚提供用マウスとしてしばしば使用される。 - 6.C3H系統
マウスの近交系(近親交配を重ね、遺伝的背景を均一にしたマウスの系統)の1つ。野生色の体毛を持ち、がんや免疫研究などにしばしば使用される。
図1 正常マウスと新規に樹立したENU変異マウスの末梢血単核球および胸腺細胞のFACS解析
新しく樹立したENU変異マウスでは、胸腺中の成熟T細胞(SP細胞)の生成を阻害している。ENU変異マウスでは、末梢血と胸腺の両方で、CD4陽性CD8陰性T細胞(CD4SP細胞)およびCD4陰性CD8陽性T細胞(CD8SP細胞)が減少していた。特にCD4SP細胞の減少が特に著しかった。このENU変異マウスをSPOTRマウスと名付けた。
図2 変異マウスで検出した遺伝子異常
遺伝子連鎖解析法により絞り込んだ遺伝子の1つにおいて、DNA配列の1塩基置換を見つけた。この置換により、この遺伝子がつくるタンパク質の512番目のトレオニン(T)がプロリン(P)に変化する。遺伝子名は、同時期にこの遺伝子を同定した複数の海外のグループと統一してthemisとした。
図3 ノックアウトマウス作製による原因遺伝子の確認
themis遺伝子のノックアウトマウスを作製したところ、SPOTRマウスと同様の表現型を示した。この結果により、themisがT細胞の成熟段階に重要な遺伝子であることが確認できた。