2010年4月1日
独立行政法人 理化学研究所
自由空間の電子に新しい性質「軌道角運動量」を発見
―新しい性質が、量子力学研究の発展や革新的電子顕微鏡の開発に貢献―
ポイント
- 電子の波面をらせん状にねじることで、軌道角運動量(位相特異点)を持つ電子を生成
- 世界で初めて電子の波面構造を制御することに、砕いた鉛筆の芯を使って成功
- 量子力学などの基礎研究や、電子顕微鏡開発などの応用研究に幅広く寄与
要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、素粒子の1つである電子が軌道角運動量※1を持つことを世界で初めて発見しました。理研基幹研究所(玉尾晧平所長)単量子操作研究グループ(外村彰グループディレクター)量子現象観測技術研究チームの内田正哉研究員(現、国立大学法人名古屋工業大学研究員)と外村彰グループディレクターによる成果です。
軌道角運動量は、スピン角運動量などとともに最も基本的な物理量の1つです。これまでに、光あるいは、原子や結晶中の束縛された電子が、軌道角運動量を持つことはよく知られています。しかし、原子や結晶から飛び出した、真空中(自由空間)を動く電子が、軌道角運動量を持つとは考えられていませんでした。
研究グループは、鉛筆の芯(黒鉛)を砕いて、その厚みがらせん状をしている構造を作製し、そこに電子を通過させ、電子の波面の形をらせん状にねじることで、軌道角運動量を持つ電子を作り出すことに成功しました。これは、世界で初めて電子の波面※2構造を制御し、電子の位相特異点※3を生成したことを意味しています。電子が発見されてから100年以上も経って、また1つ電子の新しい性質が発見された画期的な成果といえます。
本研究成果は、量子力学研究や素粒子実験などの基礎研究だけでなく、革新的な電子顕微鏡の開発など幅広い分野に寄与するものとして期待できます。
本研究成果は、英国の科学雑誌『Nature』(4月1日号)に掲載されます。
背景
1992年にL. アレンらのオランダの研究グループが、光が軌道角運動量を持つことを明らかにしました。今では、軌道角運動量を持つ光は、光ピンセットから量子情報、天文学などと幅広く利用されています。軌道角運動量を持たない光の波面が、平面波状であるのに対し、軌道角運動量を持つ光の波面は、らせん状をしています。らせん状の光の中心には、位相特異点が存在しています。
一方、原子や結晶中に束縛された電子もまた、軌道角運動量を持つことが知られています。しかし、原子や結晶から飛び出した、真空中(自由空間)を動く電子が、軌道角運動量を持つとは考えられていませんでした。
研究グループは、電子も光と同様に、「粒子であり波である」ため、真空中(自由空間)を動く電子も軌道角運動量を持つと予測し、軌道角運動量を持つ電子を作り出すことに挑みました。
研究手法と成果
電子の位相の進み具合は、電子が通過する物質とその厚みによって変わります。従って、厚みがらせん状に変化している構造に電子を通過させることによって、電子の波面をらせん状にすることができると考えました(図1)。
研究グループはまず、層状になりやすい黒鉛(鉛筆の芯)を細かく砕き粉末状にし、それを試料支持膜の上に載せ、透過型電子顕微鏡※4を使って観察しました。数十nm程度の厚みを持つ黒鉛の薄膜が自然に重なっているのがよく観察でき、その中から、らせん状に近い構造をしている領域を探しだしました。黒鉛の厚み、すなわち位相の変化は、同じ透過型電子顕微鏡を用いて電子線干渉法※5によって測定し(図2)、その結果、らせん状に近い変化した領域であることが分かりました(図3左)。電子線干渉法によって得たデータを解析すると、このらせん状をした領域を通過した電子の波面が、らせん状の波面に特有の干渉パターンをしていること、すなわち、軌道角運動量を持つことが確認できました(図3右)。これは、世界で初めて電子の波面構造を制御し、電子の位相特異点を生成したことを意味しています。
今後の期待
今回の研究によって、真空中を動く電子が軌道角運動量を持つことが、世界で初めて明らかとなりました。この軌道角運動量は、電子の持つ新しい性質であるとともに、電子がスピン角運動量に加えて新たな自由度を得たことになります。この電子の新しい性質を研究、利用することで、量子力学や素粒子実験など基礎研究への新たな展開が期待できます。また、電子線は電子顕微鏡をはじめとする多くの研究装置に使われており、軌道角運動量を活用した超高感度の電子顕微鏡や、まったく新しいタイプの電子分光装置、磁気顕微鏡の開発などの応用展開も期待できます。
発表者
理化学研究所
独立行政法人理化学研究所基幹研究所
単量子操作研究グループ
量子現象観測技術研究チーム 研究員
(現)国立大学法人名古屋工業大学 研究員
内田 正哉(うちだ まさや)
Tel: 052-735-7117
単量子操作研究グループ 量子現象観測技術研究チーム
チームリーダー 外村 彰(とのむら あきら)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.軌道角運動量
位置座標とその共役運動量の外積として表される運動量。原子などの中心力場に束縛された電子にとって、軌道運動量はよい量子数(量子状態を指定する数)となる。電子は軌道角運動量以外に、スピンに関係する角運動量(スピン角運動量)を内部自由度として持っている。スピン角運動量を持つ電子線(偏極電子線)は、電子顕微鏡、素粒子実験などに使われている。 - 2.波面
位相の等しい点を連ねてできる面。波面が平面である面を平面波という。 - 3.位相特異点
波の位相が確定できない点。例えば、波面がらせん状の構造をとるとき、らせん中心では位相が確定できず、位相特異点となる。光の軌道角運動量は位相特異点と密接な関係があることが分かっている。 - 4.透過型電子顕微鏡
薄膜化した試料へ加速した電子線を照射し、透過した電子線を結像する装置。電子線の波長は極めて短いため、高い分解能での観察が可能。 - 5.電子線干渉法
複数の電子波を干渉させることで、電場・磁場などによる位相変化を測定する方法。

図1 平面波状の波から、らせん状の波へのらせん状位相板を用いた変換
らせん状位相板は、厚みがらせん状に変化している構造を持つ。位相板の材質や構造を変えることで、位相板を通過した波の波面構造を変えることができる。

図2 電子線干渉法を用いた実験の概略図
電子銃から放出された平面波状の電子波はバイプリズムによって2つに分けられる。一方のらせん状をした位相板を通過した電子波を、もう一方の平面波状の電子波と重ね合わせ、干渉パターンを形成する。

図3 電子線干渉法によって得た位相分布像と干渉縞
(左図)位相分布像は黒鉛薄膜の厚みの変化を反映しており、その変化を濃淡(白:厚い、黒:薄い)で表している。この領域では黒鉛薄膜がうまく積み重なることによって、黒鉛の厚みがらせん状に近い構造で変化していることが分かる。電子がこの領域を通過することで、らせん状にねじれた軌道角運動量を持つ電子ができる。
(右図)中心付近に見られる干渉縞の「Y」状の分裂によって、軌道角運動量を持つことが確認できた。軌道角運動量を持たないと、このような分裂は起こらない。