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2010年11月15日

独立行政法人 理化学研究所
独立行政法人 科学技術振興機構

電子の出し入れで硬さが劇的に変わる分子バネを開発

-たった1つの電子放出で分子全体の動きやすさが450倍も変化-

ポイント

  • ベンゼン環を48個も結合、分子バネ「オルトフェニレン」を世界で初めて合成
  • キラル対称性の破れを伴う結晶化で、右巻きまたは左巻きらせんだけのバネが得られる
  • 電子の出し入れに応じてバネのピッチが3.263Åから3.224Åに劇的に変化

要旨

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、電子1つを出し入れすることで硬さが大きく変化する分子バネの開発に成功しました。これは、理研基幹研究所(玉尾皓平所長)機能性ソフトマテリアル研究グループの相田卓三研究グループディレクター(東京大学教授)、福島孝典チームリーダー、太田英輔特別研究員、元独立行政法人科学技術振興機構の佐藤寛泰研究員らによる成果です。

バネ状の構造をした分子は、自然界のあらゆる所に存在してさまざまな機能を発現しています。これらの分子バネは、エレクトロニクスや分子機械への応用の可能性を秘めており、自然界からの探索やそれを模倣した分子の開発が活発に行われています。特に、金属イオンの添加や光の照射といった外部刺激に応答してその性質が変化する分子バネは応用性が高く、大変注目されています。これまでの理論によると、電子が高密度に含まれた分子バネは、電子を出し入れすることによってその振る舞いが変化するのではないかと予想されていましたが、電子を多量に含む分子バネは合成することが困難で、実験的には証明されていませんでした。

研究グループは、48個ものベンゼン環を隣の炭素の位置で結合させた分子バネ「オルトフェニレン」の合成に世界で初めて成功しました。オルトフェニレンは、コンパクトに折り畳まってベンゼン環3つを一巻きとした強固なバネ状構造を取りますが、その性質を調べたところ、意外にも溶液中では活発に動いており、らせんの巻く方向が反転を繰り返していることが分かりました。また、オルトフェニレンの末端にニトロ基を導入した誘導体を結晶化※1したところ、偶然にも「キラル対称性の破れ※2」と呼ばれる非常に珍しい現象が起き、右巻きあるいは左巻きのらせんでできたバネのどちらか一方だけを優先して含む結晶が得られることを見いだしました。さらに、この結晶を溶液にすると、どちらか一方のらせんだけを含む状態から、右巻きと左巻きがそれぞれ同じ量含まれる状態に変化していくことを、円偏光二色性分光法※3を使って観察しました。これにより、通常では難しい、らせんの反転がどのような頻度で起こっているかという「分子の動きやすさ」の評価を、実験的に示すことに成功しました。さらに、このオルトフェニレンから電子を1つ取り去ると、バネの硬さが劇的に増し、らせんの反転速度が約450倍も遅くなることを突き止めました。「硬さの変化」という今まで実現できなかった応答を示す分子バネの開発は、応答性分子の分野に新たなデザインコンセプトをもたらすものといえます。

本研究成果は、科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 発展研究(ERATO-SORST)「分子プログラミングによる電子ナノ空間の創成と応用」(総括責任者:相田卓三)の一環として行われ、英国の科学雑誌『Nature Chemistry』オンライン版(11月14日付け:日本時間11月15日)に掲載されます。

背景

DNAやタンパク質などのバネ状の構造をした分子は、自然界のあらゆる所に存在してさまざまな機能を発現しており、化学者たちの関心を引きつけてきました。このような分子バネの構造には、右にらせんを巻いた形と左にらせんを巻いた形があり、その構造への興味や、バネの動きが生み出す独特な性質の探求のため、分子バネの研究は活発に行われています。特に、金属イオンの添加や光の照射といった、外部刺激に応答してその振る舞いが変化するバネ状分子が数多く報告されているほか、新しい応答メカニズムも提案されています。これまで、電子を多量に含む分子バネは、含まれる電子の数に応じて動きが変化するのではないかということが理論計算によって予想されていましたが、実験的に明らかにされていませんでした。これを実現するためには、解決しなければならない2つの大きな問題がありました。1つは、分子の「動きやすさ」を評価することが難しい点、もう1つは、電子の出し入れが可能な骨格でできた分子バネの合成が極めて難しい点でした。

「オルトフェニレン」は、多数の電子が含まれる新しい分子バネで、複数のベンゼン環が隣同士の炭素の位置で連結した構造を持ちます(図1)。オルトフェニレンの合成は、1979年にノーベル化学賞を受賞した独の化学者ゲオルグ・ウィッティッヒ※4によって1952年に初めて試みられていますが、それから半世紀以上の間、世界中の化学者たちの挑戦を跳ね返し続け、論文はごくわずかしか発表されていません。少ない成功例の中でも、多数のベンゼン環をつなげることには至っておらず、結合させたベンゼン環の数は、最大でも12個にとどまっていました。オルトフェニレンは、非常に混み入った構造をしているため、ベンゼン環同士を連結させる反応を進行させることが難しかったためです。研究グループは、このオルトフェニレンに着目し、その合成に挑みました。

研究手法と成果

研究グループは、まず銅原子を間に挟んでベンゼン環同士をゆるく結合させておき、その後、直接連結させるという手法を用いることで、これまで困難を極めたオルトフェニレンの効率的な構築法を編み出しました。この手法を用いて、従来の記録を大きく上回る世界最大の48個ものベンゼン環を結合させたオルトフェニレンを合成することに成功しました(図1)

オルトフェニレンは、自発的に小さく折り畳まってベンゼン環3つを一巻きとしたバネ状構造を取りますが(図1)、溶液中では非常に活発に動いており、右巻きのらせんと左巻きのらせんが反転を繰り返しています。さまざまなオルトフェニレンを合成し、その性質を詳細に調べていたところ、末端部にニトロ基(-NO2)を導入したオルトフェニレン誘導体が結晶化するときに、偶然にも「キラル対称性の破れ」と呼ぶ非常に珍しい現象が起こっていることを見いだしました。通常の結晶化では、右巻きのらせんあるいは左巻きのらせんでできたバネを同量含む混合物となりますが、このオルトフェニレン誘導体の結晶化では、キラル対称性の破れにより、右巻きのらせんと左巻きのらせんのうち、どちらか一方を優先して含む結晶が得られました(図2)

右巻きのらせんと左巻きのらせんは、円偏光二色性(CD)分光法で観察すると区別することができるため、含まれる右巻きと左巻きのらせんの量が偏っていると、その偏りに応じたCDシグナルが観察できます。従って、例えば右巻きらせんのバネだけを含む結晶を溶液にした場合には、最初はこのCDシグナルが強く観測されますが、時間経過とともに溶液に右巻きのらせんと左巻きのらせんが同量含まれる混合物になると、CDシグナルは消失していき、観測できなくなります(図2)。このCDシグナルの減衰の速さを調べることで、らせんが右巻きと左巻きの間を行き来する速度定数※5が-10℃で9.76 × 10-4/sec、活性化エネルギー※6が88.3kJ/molであることが分かりました。

このように、偶然見いだした発見から、キラル対称性の破れを伴う結晶化で、右巻きのらせんと左巻きのらせんを分離することに初めて成功し、通常の手段では難しい「分子の動きやすさ」の評価を成し遂げることができたことになります。

さらに、オルトフェニレンから電子1つを取り去る働きをする酸化剤(アミニウム塩)を含む溶液に、同じようにオルトフェニレンの結晶を溶かし、らせんの反転の挙動を調査したところ、驚くべきことに、オルトフェニレンが電子1つを失うと、らせんの反転の速度定数が-10℃で2.18 × 10-6/sec、活性化エネルギーが96.6kJ/molとなり、反転速度は約450倍も遅くなっていることが分かりました(図3)。そこで研究グループは、オルトフェニレンの電子放出前と放出後の単結晶をそれぞれ作製し、X線回折により分子構造を詳細に調査しました。その結果、ベンゼン環3つで一巻するらせんを繰り返したオルトフェニレンのバネ構造が、電子放出前のバネの1ピッチが平均3.263Åだったのに対し、電子1つを放出した後は平均3.224Åに縮んで、バネの硬さが増大することが分かりました(図4)。また、オルトフェニレンから取り去った電子は1つだけであるにもかかわらず、それによって生じた正電荷は骨格全体によって共有されて、高密度に含まれた電子の間に働く静電反発力が抑えられることで、バネの硬さを変化させていることが明らかとなりました。

今後の期待

これまで合成することができなかった多数のベンゼン環を結合したオルトフェニレンは、小さな空間に多数の電子が密に含まれる構造に基づくユニークな性質、つまり電子1つを取り去った効果を骨格全体で共有する性質を示すことが分かりました。この性質を利用して、良く電気を通す分子ワイヤーとして応用が可能であると予想されます。また、オルトフェニレンの分子バネが電子の出し入れに応じて示す「硬さが変わる」という応答は、これまで分子の機能として実現されたことがなく、ナノテクノロジーの基礎となる応答性分子の分野に新たなデザインコンセプトをもたらし、画期的な分子デバイスの創成につながることが期待されます。

発表者

理化学研究所
基幹研究所 機能性ソフトマテリアル研究グループ
グループディレクター 相田 卓三(あいだ たくぞう)
Tel: 03-5841-7251 / Fax: 03-5841-7310

お問い合わせ先

(JSTの事業に関すること)
独立行政法人科学技術振興機構
イノベーション推進本部 研究プロジェクト推進部
小林 正(こばやし ただし)
Tel: 03-3512-3528 / Fax: 03-3222-2068

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.結晶化
    化学における精製手段の1つ。固体の化合物に溶媒を加えて加熱することで溶液とし、それを放冷すると純度の高い結晶が析出する。
  • 2.キラル対称性の破れ
    右手と左手や、右巻きのらせんと左巻きのらせんは、互いに同じ形状をしていても、そのまま重ね合わせることはできない。しかし、鏡に映すことで初めて重ね合わせることができるようになる。このような性質を持つ分子は「キラルである」と呼ばれる。右巻きのらせんと左巻きのらせんは、物理的・化学的性質が同一であるため、互いを分離するのは難しい。分子バネの結晶化においても、右巻きと左巻きの分子の結晶化のしやすさに差はなく、通常は同量が析出する。しかし、キラル対称性の破れが伴うと、どちら向きのバネが析出するかはその都度異なるが、どちらか一方のみを含む結晶が得られる。
  • 3.円偏光二色性分光法
    右円偏光と左円偏光のどちらを吸収しやすいかを測定する手法。右巻きのバネと左巻きのバネのようなキラルな分子は、円偏光のどちらか一方を選択的に吸収する。円偏光二色性は、Circular Dichroismの頭文字からCDと略される。
  • 4.ゲオルグ・ウィッティッヒ
    ウィッティッヒ反応の開発などで著名なドイツの有機化学者(1897~1987)。「新しい有機合成法の開発」の業績により1979年にノーベル化学賞を受賞した。
  • 5.速度定数
    化合物がある過程を起こす頻度を表す。
  • 6.活性化エネルギー
    化合物が安定な状態から別の安定な状態に変化するとき、越えなければいけないエネルギーの障壁。
オルトフェニレンの分子構造(上)とその模式図(下)の図

図1 オルトフェニレンの分子構造(上)とその模式図(下)

立体的な要因により、自発的に折り畳まれてバネ状構造を形成する。

結晶化におけるキラル対称性の破れ(左)と円偏光二色性(CD)スペクトル(右)の図

図2 結晶化におけるキラル対称性の破れ(左)と円偏光二色性(CD)スペクトル(右)

結晶化におけるキラル対称性の破れが起こると、右巻きのらせんか左巻きのらせんのどちらか一方だけを含んだオルトフェニレンの結晶が生じる。右巻きまたは左巻きどちらか一方のらせんでできた結晶を溶液に溶かしたときの円偏光二色性(CD)スペクトル観測では、時間とともに右巻きと左巻きの混合物になり、CDが減衰する。

オルトフェニレンの電子を取り去る前(橙)と取り去った後(緑)のCDシグナルの減衰の違いの図

図3 オルトフェニレンの電子を取り去る前(橙)と取り去った後(緑)のCDシグナルの減衰の違い

オルトフェニレンが電子を1つ失うことで、らせんの反転が劇的に遅くなっている。

オルトフェニレンの結晶のX線回折構造解析の図

図4 オルトフェニレンの結晶のX線回折構造解析

オルトフェニレンの電子を取り去る前(左)と取り去った後(右)の分子構造の変化を初めて解析。電子を1つ失ったオルトフェニレンは、バネのピッチが狭くなっている。

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