ポイント
- 包括的な遺伝子発現解析で、春ホルモンを誘導する司令塔遺伝子「Eya3」を同定
- 日長に応じて発現量が大きく変動する遺伝子を多数同定
- 哺(ほ)乳類では明け方の光が春ホルモンを誘導
要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、春ホルモン※1の司令塔となる遺伝子Eya3を同定し、このEya3が明け方の光によって発現することで、春ホルモンを誘導することを世界で初めて明らかにしました。理研 発生・再生科学総合研究センター(竹市雅俊センター長)システムバイオロジー研究プロジェクトの上田泰己プロジェクトリーダー、升本宏平客員研究員(近畿大学医学部 助教)らと近畿大学医学部 重吉康史教授らによる共同研究の成果です。
2008年、研究グループは名古屋大学の吉村崇教授らとともに、日照時間(日長)が長くなるとウズラの下垂体正中隆起部※2で誘導され、体内の生理機能を季節変化に適応させる春ホルモン「TSHβ」を発見しました。今回、研究グループは、このTSHβの制御機構を解明するために、マウスを対象にした遺伝子発現解析をゲノムワイドに行い、日長の変化に応じて発現変動する遺伝子を包括的に探索しました。具体的には、長日条件下(明期16時間、暗期8時間)、短日条件下(明期8時間、暗期16時間)で飼育したマウスを用いて、下垂体正中隆起部の発現遺伝子をそれぞれ比較したところ、長日条件下で強く発現する長日遺伝子を246個、短日条件下で強く発現する短日遺伝子を57個、同定しました。さらに、春ホルモンの誘導には短日条件下の明け方の光が重要であることを見いだしました。明け方の光によって発現上昇する遺伝子を探索したところ、光に反応してすぐに発現が上昇する34個の遺伝子を同定し、このうち、「Eya3」が春ホルモンを誘導する司令塔遺伝子であることを発見しました。このEya3は、副司令塔的な遺伝子とともに働くことで春ホルモンを誘導し、さらに、補佐官的な遺伝子の働きによって春ホルモンの誘導を一層促進することが分かりました。
季節変化に伴う日長の変動は、ヒトの季節性情動障害※3、双極性障害や統合失調症といった疾患に関係していると考えられています。Eya3は脊椎動物の多くに保存されている遺伝子であることから、これら日長変化に起因する疾患の治療に寄与することが期待されます。
本研究成果は、米国の科学雑誌『Current Biology』(12月21日号)に掲載されるに先立ち、オンライン版(12月2日付け:日本時間12月3日)に掲載されます。
背景
多くの生物は、日照時間(日長)の変化に応じて季節変化を感じ取り、体内の生理機能を調節して環境変化に適応しています。この日長の変化に伴う現象のことを「光周性」と呼び、動物では、生殖腺の発達や冬眠、渡りなどが光周性に起因していることが知られています。また、ヒトの光周性は、季節性情動障害、双極性障害や統合失調症といった季節変化に密接した疾患に関係していると考えられています。
これまで研究グループは、名古屋大学の吉村崇教授らとともに、ウズラの下垂体正中隆起部で、日長が長くなると甲状腺刺激ホルモンβサブユニット(TSHβ)が誘導されることを見いだし、これがいわば「春ホルモン」であることを発見しました(季節性の分野にも春がきた、Nakao et al, 2008, Nature)。環境の明暗情報は、光の情報によって下垂体正中隆起部に伝えられると考えられています。しかし、光の情報がどのように伝わり春ホルモンTSHβを誘導するのか、その誘導制御機構はいまだに明らかにされていませんでした(図1)。そこで、TSHβの誘導制御機構を解明するために、マウスを用いて包括的な遺伝子発現解析を行いました。
研究手法と成果
これまで、一般的な研究用マウス(C57BL6マウスなど)は光周性を示さないと考えられていました。しかし近年、CBA/Nマウス※4はウズラと同様に、日長が長くなると下垂体正中隆起部でTSHβを誘導することが報告されました(Ono et al, 2008, PNAS)。その結果、主にウズラやヒツジで行われてきた光周性の研究が、マウスでも行うことができるようになり、DNAマイクロアレイを用いたゲノムワイドな解析も可能となりました。研究グループは、マウスが持つ約4万個の全遺伝子の中から、日長の変動に伴って、マウス下垂体正中隆起部で発現量が変化する光周性遺伝子の同定に挑戦しました。
具体的には、長日条件下(明期16時間、暗期8時間)と短日条件下(明期8時間、暗期16時間)で飼育したCBA/Nマウスを用いて、下垂体正中隆起部での発現遺伝子を比較しました。その結果、長日条件下で強く発現する長日遺伝子を246個、短日条件下で強く発現する短日遺伝子を57個、合計で303個の光周性遺伝子を同定しました。次に、短日条件下で飼育しているCBA/Nマウスに対して、夕暮れ時(暗期開始直後)に光を照射したところ、TSHβは誘導されない一方で、明け方(暗期開始8時間後)に光を照射したところ、TSHβはすぐに誘導されて、その量が上昇することを見いだしました。この結果は、光に反応して光周性が引き起こされる時間帯(光誘導相)が、哺(ほ)乳類では短日条件下の明け方に存在することを意味しています(図2)。そこで、明け方の光によって発現が上昇する遺伝子を探索すると、光に反応してすぐに発現が上昇する遺伝子34個を同定しました。それらの中から転写因子※5を抽出し、さらに解析を進めた結果、TSHβの発現を制御する遺伝子、いわば春ホルモンの司令塔遺伝子(Eyes absent 3:Eya3)を同定することに成功しました。また分子生物学的手法を用いた結果、このEya3は恒常的に発現している副司令塔的な遺伝子(Sine oculis-related homeobox 1 homolog (Drosophila):Six1)とともに働いてTSHβを誘導し、さらに補佐官的な遺伝子(Thyrotroph embryonic factor:Tef、およびHepatic leukemia factor :Hlf)と協同して、より一層誘導促進を起こすことも分かりました(図3)。
今後の期待
光周性の制御機構を完全に理解するには引き続き研究を重ねる必要がありますが、今回の研究成果は、光周性に重要な役割を担う春ホルモンTSHβの誘導制御機構の理解をさらに一歩進めるものとなりました。また、今回の報告は哺(ほ)乳類での成果であるとともに、春ホルモンの司令塔Eya3が脊椎動物の多くに保存されている遺伝子であることから、将来的にはヒトの日長に起因する季節性情動障害の治療に寄与することが期待できます。
発表者
理化学研究所
発生・再生科学総合研究センター システムバイオロジー研究プロジェクト
プロジェクトリーダー 上田 泰己(うえだ ひろき)
お問い合わせ先
神戸研究所研究推進部 広報国際化室Tel: 078-306-3092 / Fax: 078-306-3090
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.春ホルモン
日照時間が長くなると、下垂体正中隆起部( ※2参照)で誘導される甲状腺刺激ホルモンβサブユニット(TSHβ)のこと。日照時間が短い状態から長い状態になることは、季節変化によって冬から春になることがイメージされるので、ここではTSHβを「春ホルモン」と呼称する。 - 2.下垂体正中隆起部
腺性下垂体の一部である正中隆起部は、視床下部の神経内分泌ニューロンの軸索末端から下垂体門脈系へホルモンが分泌される領域で、下垂体門脈系を介して視床下部から下垂体前葉細胞のホルモン分泌を調節する重要な部位。 - 3.季節性情動障害
ある季節に限り、うつ病と同様に気分の落ち込みや気力の低下、過眠などを伴う障害。冬季に発症する場合は冬季うつ病と呼ばれ、冬以外の季節では症状は改善される。日照時間が短くなることが原因と考えられている。 - 4.CBA/Nマウス
一般的な研究用マウスと異なり、メラトニン産生能を有したマウス。光の情報は間接的にメラトニンによって下垂体正中隆起部に伝えられているとされており、メラトニン産生能を有したCBA/Nマウスは光周性を示すと考えられている。 - 5.転写因子
DNA上転写開始を促す活性を持つ特定の領域・塩基配列(プロモーター)に特異的に結合し、RNAへの転写の過程を促進または抑制する一群のタンパク質。
図1 明け方の光によって春ホルモンが誘導される模式図
環境の明暗情報は、光によって下垂体正中隆起部に伝わると考えられている。しかし、光の情報が春ホルモンまでどのように伝わるのかは不明であった。今回研究グループは、明け方の光に反応して春ホルモンの発現制御を行う「春ホルモンの司令塔遺伝子Eya3」を発見した。
図2 実験条件と光誘導相
春から夏の日長を長日条件、秋から冬の日長を短日条件として実験を行った。光誘導相は短日条件下の明け方に存在し、暗期開始後8時間以降が光誘導相に相当する。
図3 春ホルモンの誘導制御機構
明け方の光刺激によって春ホルモンの司令塔遺伝子は発現し、副司令塔とともに働くことで春ホルモンを誘導する。その働きは補佐官が加わることによって一層強くなり、春ホルモンをより一層強く誘導する。