2013年10月17日
理化学研究所
脳内ネットワークの過剰な活動が統合失調症の症状に関与
-海馬での情報処理異常が複雑な統合失調症の症状の一因だった-
ポイント
- 統合失調症の脳内メカニズムの一端を神経回路レベルで解明
- 統合失調症モデルマウスの海馬は特定の神経細胞群が過剰に活動している
- 統合失調症の脳では海馬の情報がうまく伝わらない可能性
要旨
理化学研究所(理研、野依良治理事長)は、統合失調症の症状を示すモデルマウスを用いて、海馬[1]における記憶を担う脳内ネットワークに異常があることを発見しました。この脳内ネットワークの異常は、ヒトの統合失調症などの複雑な精神疾患の症状を起こす一因となっている可能性があります。これは、理研脳科学総合研究センター利根川進センター長(米国マサチューセッツ工科大学 RIKEN-MIT神経回路遺伝学研究センター教授)RIKEN-MIT神経回路遺伝学研究センター利根川研究室のジャンヒャップ・スー(Junghyup Suh)研究員らの研究チームによる成果です。
統合失調症は、幻覚や妄想があらわれる、考えがまとまらないなどの症状が特徴でおよそ100人に1人が発症すると言われています。このような複雑な精神症状が起こる脳内メカニズムの解明が、医学的観点から待たれていますが、未だ不明な点が多く残されています。
研究チームは一部の統合失調症患者が保有しているカルシニューリン[2]遺伝子の変異を遺伝子工学によって導入し、統合失調症に似た症状を示す遺伝子改変マウス(統合失調症モデルマウス)を作製しました。研究チームは、記憶に関わる脳の領域である海馬に着目し、この統合失調症モデルマウスを用いて、迷路テストを行っている間の海馬の神経細胞の活動を調べました。マウスが迷路を走るときの海馬の神経細胞は、マウスが通過する位置に応じて順に活動することが知られており、場所細胞[3]と呼ばれます。通常のマウスでは、迷路を走った後の休息中には直前に迷路を走ったときと同じ順番で海馬の場所細胞が活動しています。しかし、統合失調症モデルマウスでは、休息中に海馬の場所細胞の活動の順番がまったく再現されませんでした。代わりに過剰に高いレベルでほとんど同時に場所細胞が活動したことから、海馬での情報が脳ネットワークの中で正しく処理されていない可能性が示されました。
今回の研究で、幻覚や妄想、思考の混乱といった統合失調症の諸症状が記憶に関わる脳内ネットワークの機能異常と関連していることを示しました。統合失調症の発症メカニズムを神経回路レベルで解明することで、現在使われている薬や治療法の作用機構についての新しい解釈が可能になり、より有効な治療法の開発につながります。本研究成果は、アメリカ国立衛生研究所(NIH)の援助により行われました。米国の科学雑誌『Neuron』(10月16日号)に掲載されるに先立ち、オンライン版(10月16日付け:日本時間10月17日)に掲載されます。
背景
統合失調症は、脳がさまざまな情報の統合ができなくなることによって起こる精神疾患です。幻覚や妄想があらわれる、考えがまとまらないなどの症状が特徴で、約100人に1人の割合で発症するといわれています。(出典:厚労省2008年患者調査)頻度の高い疾患であるため、医学的観点からも複雑な精神症状を起こす脳内のメカニズムの解明が待たれています。
近年、自閉症や統合失調症などの精神疾患の患者は、前頭葉や海馬などの記憶に関わる脳の領域を含む「デフォルト・モード・ネットワーク[4]」と呼ばれる特定の脳の領域同士のつながり方に異常がある可能性が示唆されてきました。デフォルト・モード・ネットワークは、記憶を呼び起こしたり、未来の行動の計画を立てたりするのに重要な役割を果たします。そのため、このネットワークが、どのように情報を処理し、どのようにほかの脳の領域と情報をやりとりするのかを探ることで、これらの精神疾患の患者の脳において何が問題になっているのかを解明できると考えられています。
研究チームは、2003年に一部の統合失調症の患者が持っているカルシニューリン遺伝子の変異を同定し、この遺伝子の働きの異常が統合失調症を引き起こす可能性を示しました注1)。カルシニューリンは、学習や記憶のプロセスで誘導されるシナプス可塑性[5]に重要な役割を果たす酵素です。このカルシニューリン遺伝子が正常に働かない遺伝子改変マウスは、ヒトの統合失調症に似た認知症状および行動異常[6]を示すことから、このマウスの脳内ネットワークを調べることで、複雑な精神疾患の症状の原因を探ることに挑みました。
注1)Gerber et al. PNAS, 2003
研究手法と成果
研究チームは、デフォルト・モード・ネットワークで中心的な役割を果たし、記憶に関わる脳の領域である海馬に着目し、マウスに迷路テストを行っている間のこの領域の神経細胞の活動を電気生理学的手法[7]を使って調べました。
マウスが迷路を走るときに、海馬の一部の神経細胞はマウスが通過する位置に応じて異なる神経細胞が活動することが知られており、場所細胞と呼ばれます(図A)。迷路を走り終わったマウスの脳は、休息状態に入り、通った迷路のルートをまるでビデオ再生するように、脳内で迷路に関連する情報の処理を始めます。そのとき、通常のマウスの場所細胞では、直前に迷路を走っていたときと同じ順番で活動が起こり、情報が再生されています。こうして場所細胞が過去の情報を順序立てて再生しながら、大脳皮質[8]に送ることで、最終的に大脳皮質に迷路の空間記憶が長期的に保存されるようになると考えられています。しかし、統合失調症モデルマウスでは、直前に迷路を走っていたときの場所細胞の活動の順番がまったく再現されず、かわりに全ての細胞がほぼ同時に異常に高いレベルで活動していました。(図B)。
この結果は、統合失調症の脳では、活動した後の休息時、つまり情報を整理する時期に海馬の活動に異常が生じ、これらの脳の領域を含むデフォルト・モード・ネットワークが過度に亢進している可能性を示しています。「考えがまとまらない、幻覚や妄想があらわれる、ものごとを計画できない」といった統合失調症の複雑な諸症状の一因となっていることが明らかとなりました。
今後の期待
今回の研究で、統合失調症における思考の混乱などの症状が記憶に関わる特定の脳ネットワークの機能異常と関連していることを示しました。今後、この脳内ネットワークの解明は、この病気の発症メカニズムを神経回路レベルで研究する上で、新たな標的となると予測されます。さらに、現在使用されている薬や治療法について新しい解釈が可能となり、より有効な治療につながることが期待されます。
なお、本文は英語版のプレスリリースを参考に作成いたしました。
原論文情報
- Junghyup Suh, David J. Foster, Heydar Davoudi, Matthew A. Wilson and Susumu Tonegawa.
"Impaired hippocampal ripple-associated replay in a mouse model of schizophrenia".
Neuron,10.1016/j.neuron.2013.09.014
発表者
理化学研究所
脳科学総合研究センター 理研-MIT神経回路遺伝学研究センター(CNCG)
センター長 利根川 進 (とねがわ すすむ)
お問い合わせ先
脳科学総合研究センター 発生遺伝子制御研究チーム
研究員 青木 田鶴 (あおき たづ)
Tel: 048-467-9713
脳科学研究推進室
Tel: 048-467-9757 / Fax: 048-467-4914
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.海馬
記憶に関わる脳の領域。一時的に記憶を保持する短期記憶はここに保存されるが、より長い時間保持される長期記憶は、海馬で処理された後に大脳皮質へ送られ、保存されることが知られている。 - 2.カルシニューリン
脳に強く発現しているカルシウム依存性のタンパク質リン酸化酵素の1つ。脳内の神経伝達物質であるドーパミンやグルタミン酸のレセプターと相互作用することが分かっている。2つの異なるサブユニットにより構成されており、統合失調症の患者で同定された遺伝子変異はこのサブユニットの1つで見つかった。 - 3.場所細胞
海馬の複数の領域の興奮性の錐体細胞で、動物がおかれている空間内の特定の場所にいる時にだけ活動する性質を持つ。マウス、ラットなどのげっ歯目だけでなく、サルやヒトなどの霊長類の海馬にも存在することが確認されている。場所細胞の活動により、動物が環境を認識し、その情報を記憶として保存できるようになっていると考えられている。 - 4.デフォルト・モード・ネットワーク
休息時に脳は活動していないのではなく、特定の脳内ネットワークにおいて一定の活動レベルを保っており、このアイドリング状態の脳内ネットワークをデフォルト・モード・ネットワークと呼んでいる。核磁気共鳴画像法(MRI)などを用いた研究から、統合失調症の患者の脳ではこのデフォルト・モード・ネットワークの活動レベルが普通の人より高くなっていることが指摘されている。 - 5.シナプス可塑性
脳の神経細胞同士のつながりをシナプスと呼ぶが、このつながりが強まったり弱まったりする現象。学習などにおいて、繰り返し同じシナプスに神経活動が伝わることで、シナプスにおける神経のつながり方の強弱が調節される。 - 6.ヒトの統合失調症に関連した認知症状および行動異常
ヒトの統合失調症の患者は精神症状に加えて、全体的な活動量が亢進する、プレパルス抑制(Prepulse inhibition: PPI)とよばれる感覚処理のプロセスに異常を示す、社会性が下がるといった、ほかの行動の異常も示す。したがって、マウスの全体的な活動量、プレパルス抑制、社会行動を観察することで、客観的な指標をもとにモデルマウスが統合失調症に関連した行動を示すかどうか評価できる。 - 7.電気生理学的手法
マウスの脳に電極を挿入し、神経細胞の活動によって生じる微小な電圧や電流の変化を測定する方法。 - 8.大脳皮質
脳の表面に広がる、神経細胞の薄い層で、知覚、思考、記憶などの脳の高次機能をつかさどる。神経細胞は規則正しい層構造をなして並んでいる。
図 統合失調症モデルマウスが示す海馬の場所細胞の活動
- A
海馬の場所細胞
海馬の細胞は、場所細胞とよばれ、動物が通過する位置に対応して活動する。例えば、場所細胞①はマウスが迷路のスタート付近にいるときに活動する。●はマウスがその場所にいた時に細胞①が活動したことを示す。 - B
統合失調症モデルマウスが示す海馬の場所細胞の異常な活動
動物が迷路を走り終わって休息している間に、海馬の場所細胞は、直前に迷路を走っていたときと同じ順番で活動する。これは、それまでの経験を記憶として定着させるために、脳内でビデオ再生するように、場所細胞の活動を同じ順番で再現しているのである。ふつうのマウスでは、休息中に、直前までの海馬の場所細胞の活動の順番がきちんと再現されていたが、統合失調症モデルマウスでは、この場所細胞の活動の順番はまったく再現されずに、異常に高いレベルでほぼ同時に活動していた。下のグラフはそれぞれの場所細胞同士の活動のタイミングが、お互いにどのくらいずれているかを数値で示したものである。通常のマウスでは場所細胞同士の距離(縦軸)が離れるほど、タイミング(横軸)は大きくずれるグラフになる。ところが、統合失調症モデルマウスでは、場所細胞同士の距離に関わらず、同じタイミング(横軸0点付近)で活動していた。