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  3. 研究成果(プレスリリース)2014

2014年4月25日

理化学研究所

海馬-嗅内皮質間の同期性は記憶を意識的な行動へ変換する過程に重要

-「メタ認知」を支える神経回路メカニズムをマウスで立証-

ポイント

  • 海馬-嗅内皮質間の高周波ガンマ波の同期は作業記憶の呼び出しに重要
  • 動物が間違いに気づく瞬間に、高周波ガンマ波の同期が発生
  • 高周波ガンマ波の同期が主観的な意識に関わる可能性を示唆

要旨

理化学研究所(理研、野依良治理事長)は、脳波の一種である高周波ガンマ波[1]が脳の海馬-嗅内皮質[2]間で同期することが、動物が空間的な作業記憶(ワーキングメモリ)[3]を正しく読み出し、実行するために重要な役割を果たしていることを発見しました。これは、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)RIKEN-MIT神経回路遺伝学研究センター利根川進研究室の山本純研究員、ジャンヒャップ・スー研究員、竹内大吾研究員、利根川進センター長らの研究グループの成果です。

私たちの脳は、必要な事柄を一時的に覚え、必要となった時にその情報を呼び出して実行に移す機能「ワーキングメモリ」を備えています。ワーキングメモリには、記憶の符号化などの役割を担う海馬および海馬傍回[2]の働きが重要とされてきました。しかし、そのメカニズムはいまだ明らかにされていません。また、私たちは行動するときに、起こした行動が正しいか間違っているかをモニターし、必要があれば行動を修正します。こうした行動は「意識」あるいは「メタ認知[4]」と呼ばれる心理学用語で説明されていますが、その神経科学的なメカニズムはほとんど解明されていません。その原因の1つとして、メタ認知的な行動はヒト特有の機能と考えられており、マウスなどの小動物ではまだ決定的な証拠が示されていなかったことが挙げられます。

研究グループは、最新の電気生理学的および光遺伝学的手法を、海馬-嗅内皮質間の神経回路をブロックした遺伝子改変マウスに適用し、空間的ワーキングメモリを呼び出す際に記憶の形成/読み出しに重要とされる海馬と大脳嗅内野[2]間での情報処理がどのように行われるかを解析しました。その結果、海馬-嗅内皮質間において脳波の一種である高周波ガンマ波の同期が、空間的なワーキングメモリを正しく読み出し、実行するために極めて重要な役割を果たすことを実証しました。また、間違いに気付いて行動を意識的に修正する、いわゆる“お手つき”のような試行では、高周波ガンマ波の同期が時間的、空間的にシフトすることを発見し、意識的な自己修正の神経メカニズムの一端を初めて明らかにしました。

本研究成果は、米国の科学雑誌『Cell』(5月8日号)に掲載されるに先立ち、オンライン版(現地時間4月24日付け:日本時間4月25日)に掲載されます。

背景

私たちの脳は、日々の生活において、さまざまな事柄を目的に応じて一時的に覚え、その記憶が必要となったときに呼び出して実行に移す能力を備えています。これを作業記憶(ワーキングメモリ)と呼びます。例えば、通行人に聞いた道順にそって目的地にたどり着く、あるいは電話帳から一時的に番号を覚えてそれをダイヤルする、といった日々の課題に欠かせない能力ですが、その脳内メカニズムはまだ解明されていません。特に海馬周辺の神経回路は空間的なワーキングメモリに不可欠であることがこれまでの研究によって示されていますが、どのようなメカニズムで記憶が保持され、必要な時に呼び出されているのか詳細は分かっていませんでした。

さらにワーキングメモリを実行する時に、私たちは起こした行動が正しいか間違っているかをモニターし、必要があれば行動を修正します。そうした行動はこれまで「気付き」や「意識」、「メタ認知」と呼ばれる心理学用語で説明が試みられてきました。こうしたメタ認知の能力に関する記述はギリシャの哲学者アリストテレスの時代までさかのぼりますが、本格的に脳機能として議論され始めたのは1970年代のことです。しかし、その神経科学的なメカニズムについての研究は、あまり進んでいません。その原因の1つとして、意識やメタ認知に関する能力はヒト特有の機能と考えられており、実験モデル動物のマウスなどの小動物ではこの能力に関する決定的な証拠はまだ示されていないことが挙げられます。

ワーキングメモリを含む高次の脳機能は、これまで特にガンマ波と呼ばれる30~100Hzの脳波パターンとの関連が示唆されてきました。しかし、ガンマ波領域は他の脳波領域に比べて周波数帯域の定義があいまいで、詳しい機能が知られていない脳波領域であるといえます。ところが近年、ガンマ波領域に高域・低域の2種類の帯域が存在することがラットを使った実験で示され、多くの研究者がその機能分担について議論し始めています。

研究チームは、記憶中枢としての海馬-嗅内皮質間の電気生理的な神経活動を調べる目的で研究を進めていましたが、その過程で偶然、マウスが「おっと、これは間違い!(Oops!)」というように自己の間違いを修正するような行動をとることに気づきました。そこでこの現象に着目して詳細な解析に取り組むことにしました。

研究手法と成果

研究チームは、最新の電気生理学的手法および光遺伝学的手法を、脳の特定の神経回路だけをブロックした遺伝子改変マウスへ適用して、空間的ワーキングメモリを呼び出す時に海馬と嗅内皮質間での情報処理がどのように行われるかを調べました。

マウスのような小動物モデルでは、T型迷路を用いた空間ワーキングメモリ課題によって、ワーキングメモリを評価します(図1)。この課題では、マウスはまず、T字型の迷路の分岐したどちらか一方だけのアームに置かれた餌をもらうサンプル試行を行います(図1左)。その後、サンプル試行で餌の置かれたアームとは反対側のアームに餌を置いてテスト試行を行います(図1右)。このようなサンプル試行とテスト試行を組み合わせた課題が何回も繰り返されます。マウスは初めのうち、テスト試行中にその前のサンプル試行で餌をもらったアームを探そうとして不正解します。しかし、学習が進むとその反対側のアームに餌があるというルールを理解し、正解するようになります。つまり、テスト試行中、マウスはサンプル試行で訪れたアームを一時的に記憶し、その記憶をもとに反対側のアームを選ぶ作業を実行しなければ餌にありつけません。

野生型のマウスでは、T型迷路を用いた空間ワーキングメモリ課題において、迷路の分岐にさしかかる直前に、海馬-嗅内皮質間における局所電場電位[5]のうち高周波ガンマ領域における位相同期性[6]図2)が著しく高くなることを発見しました(図3)。この同期性はテスト試行において高く、さらにテスト試行で正解した場合に顕著である一方、不正解の場合にはほとんど確認されませんでした。また、この神経回路がブロックされた遺伝子改変マウスではT型迷路でのパフォーマンスが悪いことが示されていましたが、このマウスにおける高周波ガンマ波の活動は非常に低いことが確認されました。このことから、高周波ガンマ領域における位相同期性は空間記憶を正しく呼び出すことに関与すると考えられます。低周波ガンマ領域やシータ領域の脳波については、こうした変化は見られませんでした。

またT型迷路の分岐点において、マウスが一瞬不正解を選んだ直後にその間違いに気付き行き先を修正する、いわゆるお手つきのようなケース(おっと、これは間違い!ケース:oops case)にも注目して解析しました。その結果、海馬-嗅内皮質間の高周波ガンマ波の位相同期性が高くなるのは正解したときのように迷路の分岐の直前ではなく、分岐を通り過ぎた後の間違いを訂正する直前に観測され、時間的にも空間的にもシフトしていました(図4)。

さらに、海馬-嗅内皮質間の高周波ガンマ波の位相同期性が空間的ワーキングメモリの正しい呼び出しのために必要であるかをより直接的に調べるために、光遺伝学的手法[7]を用いて嗅内皮質第三層から海馬CA1領域への入力の神経活動を、T迷路の分岐の直前の期間に特異的に抑制したところ、マウスの記憶テストの正解率が著しく低下するとともに、海馬-嗅内皮間の高周波ガンマ波の位相同期性が低下することが分かりました。

以上の結果から、海馬-嗅内皮質間における高周波ガンマ波の位相同期性が記憶の意識的な呼び出しにおいて重要な役割を果たすことが分かりました。また、お手つきして自己修正をする時に見られた位相同期が修正直前に時空間的にシフトする現象は、単なるマウスのオペラント学習[8]などでは説明がつかず、マウスのような小動物にも意識あるいはメタ認知といった能力が存在することを示していると考えられました。

今後の期待

今回の研究では、マウスの遺伝子改変技術、覚醒下の行動解析、複数領野の多点同時記録技術そして最新の光遺伝学技術を融合させた世界最先端の技術を用いて、今まで実験的に検証が困難であった、意識やメタ認知といった現象の脳内メカニズムの解明を試み、非常に興味深い実験結果を得ました。今後は、高周波ガンマ波の位相同期性が海馬-嗅内皮質間以外の、ワーキングメモリに関与する領野にも共通して見られる現象なのか、その検証が待たれます。

今回の研究では、主に海馬と嗅内皮質における神経細胞集団のガンマ波領域の電気的振動現象と集合的神経活動を中心に解析を行いました。今後は、さらに踏み込んで単一細胞レベルの電気的活動を調べる必要があります。また、ガンマ波が観測される時に、シータ波[1](6~12Hzの連続的な脳波)が基本波として観測されることが報告されていることから、それらの周波数帯域との結合性が、脳の高次機能に果たしている役割を調べることも、重要な課題の1つになります。

ワーキングメモリは、日常会話をスムーズに行うなどといった、私たちの生活の中の高次精神機能に直結しており、その研究は私たちの精神活動のメカニズムを解明するという大きな課題の1つです。また、アルツハイマー病をはじめとする認知症やADHDなどの発達障害においても、ワーキングメモリの障害が指摘されています。遺伝子改変マウスや光遺伝学的手法に電気生理学的手法を組み合わせた方法で神経活動のダイナミクスを解き明かしていくことは、疾患における記憶障害のメカニズム解明につながると期待できます。

原論文情報

  • Jun Yamamoto, Junghyup Suh, Daigo Takeuchi, and Susumu Tonegawa, "Successful Execution of Working Memory Linked to Synchronized High Frequency Gamma Oscillations" Cell, 2014 May 8, 157 (4): doi; 10.1016/j.cell.2014.04.009

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 理研-MIT神経回路遺伝学研究センター
研究員 山本 純 (やまもと じゅん)
センター長 利根川 進 (とねがわ すすむ)
(RIKEN-MIT神経回路遺伝学研究センター教授)

お問い合わせ先

脳科学研究推進室
Tel: 048-467-9757 / Fax: 048-462-4914

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.ガンマ波、シータ波
    ガンマ波は約30~100Hzの散発性の脳波パターンであり、主に動物が行動しているときに出現し、静止している際にはそのパワーは比較的低レベルである。ガンマ波は高次精神機能に関与しているとされるが、そのメカニズムは明らかではない。シータ波は動物が動き出すと主に海馬や大脳皮質嗅内野で6~12Hzの顕著な定在波として出現し、ガンマ波とシータ波は位相的に密接に結合することが示されている。
  • 2.海馬、嗅内皮質、海馬傍回、大脳皮質嗅内野
    海馬と大脳皮質嗅内野は解剖学的に密接に結合しており、大脳皮質嗅内野が海馬の情報の入出力部位に位置している。特に今回の研究では、大脳皮質嗅内野の第Ⅲ層から直接海馬CA1領域に投射する繊維に着目しており、CA1領域にとって古典的な複数のシナプスを介した投射(すなわち大脳皮質嗅内野第Ⅱ層→歯状回→第3アンモン角→第1アンモン角→大脳皮質嗅内野第V層)とは対照的な入力である。今回の遺伝子改変や光遺伝学手法で操作したのはこの直接投射回路である。嗅内皮質は大脳皮質の一部で側頭葉の内側下部に位置する。海馬傍回とは海馬の周囲にある灰白質の領域のこと。
  • 3.作業記憶(ワーキングメモリ)
    ある作業をする際に一時的に情報を記憶し必要なときに読み出して使う記憶。一般的に短期記憶の意味で使用されることもあるが、厳密には同義ではない。ヒトはワーキングメモリの容量に限界があるとされており、数字でいうと7±2個の数字しか保持できないと提唱されている。
  • 4.メタ認知
    自己の認知活動(記憶、思考、情動、知覚など)を客観的にとらえ評価して制御すること。「認知の認知」と呼ばれ、1970年代から広まった概念。
  • 5.局部電場電位
    通常の脳波計測のように頭蓋骨表面から電位計測を行うのではなく、深部脳内に挿入された電極の周辺から計測する集合電位。電極の種類や脳内の部位にもよるが、電極の数百μm近傍のシナプス後電流の空間的総和を反映しているとされる。
  • 6.位相同期性
    振動現象は「振幅」と「位相」の独立した成分に分けて議論されるが、位相同期性は2点間の位相差を観測し、その位相がどの程度そろっているのかを解析する手法。
  • 7.光遺伝子工学
    ウイルスによる導入や遺伝子操作によって光に反応するイオンチャネルやポンプを人工的に神経細胞に発現させ、光で神経活動を制御する手法。今回の研究ではeArchTという過分極を引き起こす抑制性のプロトンポンプを投射繊維限定的に発現させ、そこにレーザー光を照射して、入力繊維の活動を高時間分解能で抑制する方法を用いた。
  • 8.オペラント学習
    ひとつの行動をとった結果により、その行動をとる頻度が変化するような学習。例えば、マウスがレバーを押すと餌がもらえることを自発的に覚えるような学習のこと。
T型迷路空間ワーキングメモリ課題の図

図1 T型迷路空間ワーキングメモリ課題

T字型の迷路の分岐したどちらか一方のアームに置かれた餌をもらうサンプル試行を行う(左)。その後、サンプル試行で餌を置いたアームとは反対側のアームに餌を置いてテスト試行を行う(右)。このテスト中、マウスはサンプル試行で訪れたアームを一時的に記憶し、その記憶を頼りにサンプル試行とは反対側の正しいアームを探す作業を実行しなければならない。

ガンマ波位相同期性が顕著な例の図

図2 ガンマ波位相同期性が顕著な例

大脳嗅内皮質でのガンマ波(赤の波)と海馬のCA1領域でのガンマ波(青の波)を重ね合わせると波の位相がそろっていることがわかる。このようなガンマ波の位相同期性は海馬CA1-嗅内皮質間では高域ガンマ波でのみ見られる。

正常正解試行中の神経活動の図

図3 正常正解試行中の神経活動

テスト試行で正解した時の海馬-大脳嗅内皮質間の位相同期性を解析したもの。T型迷路の分岐地点にさしかかる直前に高域ガンマ波の位相同期性が高くなっている(下、赤い矢頭で示している)。

自己訂正試行中の神経活動の図

図4 自己訂正試行中の神経活動

テスト試行で、マウスが自分の間違いに気づき、進行方向を変更して最終的に正解したような場合。T型迷路の分岐を過ぎて、間違ったアームに侵入し、「おっと、これは間違い」と気づいた時に高域ガンマ波の位相同期性が高くなっている(下、赤い矢頭で示している)。T分岐で高域ガンマ波の位相同期性が高くなる正解試行の例と比べると、位相同期性の高くなる時間と場所がシフトしていることが分かる。

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