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  3. 研究成果(プレスリリース)2014

2014年9月12日

理化学研究所

頭皮の毛根細胞を利用した精神疾患の診断補助バイオマーカーの発見

-統合失調症や自閉症の診断に役立つ可能性-

ポイント

  • 毛根細胞と脳の細胞は発生の起源が同じであり、多くの遺伝子が共通して発現
  • 毛根細胞を使って脳内の遺伝子発現量の変化をモニターできる可能性
  • 非侵襲的かつ簡便なバイオマーカーの基盤として期待

要旨

理化学研究所(理研、野依良治理事長)は、ヒトの頭皮から採取した毛根の細胞に、ヒトの脳の細胞と共通する遺伝子が発現していることを発見し、これらの遺伝子の発現量の変化が、統合失調症[1]自閉症[2]などの精神疾患の早期診断を補助するバイオマーカー[3]となる可能性を示しました。これは、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)分子精神科学研究チームの前川素子研究員、吉川武男チームリーダーと、東京都医学総合研究所、浜松医科大学、山口大学、慶応大学からなる共同研究グループの成果です。

統合失調症は生涯罹患率が人口の約1%と高く、国内の総患者数は71万3000人と推定されています(2011年の厚生労働省の統計)。自閉症も年々増加の一途をたどり、社会問題化しています。これらの疾患を早期に発見して治療につなげることが疾患の予後改善に極めて重要なため、バイオマーカーの確立が急がれています。しかし、これまで多くの研究グループがバイオマーカーの確立を試みてきましたが、非侵襲的かつ簡便な方法で信頼性の高いものはありませんでした。例えば、血液由来のサンプルは、採血時の体内の状態に大きく影響されるという問題があります。

共同研究グループは、頭皮の毛根細胞が発生学的に脳の細胞と同じ外胚葉[4]由来であることに着目し、統合失調症患者や自閉症の方から約10本の毛髪を採取して、既に精神疾患の死後脳で発現変化が確認されている遺伝子の毛根細胞での発現量を測定しました。その結果、統合失調症患者の毛根細胞では、脂肪酸結合タンパク質(FABP)の1つであるFABP4をつくるFABP4遺伝子[5]の発現量が対照群(健常者)に比べ約40%低下し、自閉症の方の毛根細胞では神経系の細胞同士の結合に関与するCNTNAP2遺伝子[6]の発現が低下していることが分かりました。

本研究により、毛根細胞が脳内の遺伝子発現の状態を把握するためのサンプルとして有用である可能性が示されました。今後、毛根細胞の遺伝子発現測定を行うことにより、精神疾患の非侵襲的かつ簡便な客観的評価が可能になり、早期発見、早期治療に役立つと期待できます。

本研究成果は、米国の科学雑誌『Biological Psychiatry』のオンライン版(日本時間9月11日付け)に掲載されました。

背景

精神疾患の1つである統合失調症は生涯罹患率が人口の約1%と高く、国内の総患者数は71万3000人と推定されています(2011年の厚生労働省の統計)。また、発達障害である自閉症も年々増加の一途をたどり、現在では小児の約1%が自閉症と診断されるなど、社会問題になっています。

このような精神疾患では、遺伝子の発現状態を含めて脳に何らかの変調が生じることが原因と考えられています。しかし、存命中の方の脳の一部を採取して脳の変調を検出することは不可能です。また、現在の精神疾患の診断は、患者の行動や体験、家族や身近な方の情報に基づくところが大きく、臨床の場で実際に使用できる“客観的”な「生物学的診断ツール」はありません。こうした理由から、精神疾患の早期診断を補助する「バイオマーカー」の開発が待たれていました。

共同研究グループは、脳の細胞と同じ外胚葉由来であり、サンプルの採取が容易な頭皮の毛根細胞に着目しました(図1)。解析の結果、脳だけで発現していると考えられていた遺伝子の多くが、毛根細胞でも発現していることを見いだし、毛根細胞が脳内の遺伝子発現の状態を反映している可能性が示されました。そこで、これまで精神疾患の死後脳で発現量の変化が報告されていた遺伝子群について、毛根細胞におけるそれらの発現量を測定し、疾患群と対照群(健常者)で比較することにより、精神疾患のバイオマーカーを探すことにしました。

研究手法と成果

1)統合失調症患者の毛根細胞ではFABP4遺伝子の発現が低下

共同研究グループは、統合失調症患者の毛根細胞で発現変化が見られる遺伝子の同定を試みました。実験では、統合失調症患者群52名、対照群62名を含む「探索」サンプルグループと、統合失調症患者群42名、対照群55名を含む「再現」サンプルグループに分け、それぞれの頭皮から毛髪を約10本採取しました。これらの毛根細胞を用いて、統合失調症の死後脳で遺伝子発現量の変化が報告されている、①GABA関連遺伝子群②オリゴデンドロサイト系遺伝子群③脂質代謝関連遺伝子群、の計22遺伝子について、TaqMan法[7]により遺伝子の発現変化を調べました(図2)。

その結果、「探索」グループサンプルでは、統合失調症患者群と対照群でCALB2SSTCNPPMP22FABP4FABP7FAAHの7つの遺伝子の発現量の違いが認められました。「再現」サンプルグループでもFABP4遺伝子の発現量が、「探索」グループサンプルと同じく対照群に比べ約40%低下していました(図3)。そこで、FABP4遺伝子について、カットオフ値[8]を0.769(FABP4遺伝子と内部標準のGAPDH遺伝子の発現量の比)に設定したところ、感度[9]71.8%、特異度[9]66.7%、陽性的中率[9]60.9%、陰性的中率[9]76.6%、と高い感度および特異度で統合失調症を検出できることが分かりました(図4)。さらに、FABP4遺伝子の発現量低下は、年齢や性別、体重、食後時間、体格指数(BMI)[10]、服薬、喫煙習慣などに影響されないこと、また統合失調症発症後の期間にも影響されないことが判明しました。このことは、統合失調症のごく初期の状態を客観的かつ正確に評価できる可能性を示唆しています。

共同研究グループは、統合失調症の死後脳を用いた解析も行い、脳の前頭前野背外側部(BA46:Brodmann area 46)と呼ばれる領域では、FABP4遺伝子の発現量が対照群と比較して有意に差があることも見いだしました。さらに、ヒト由来iPS細胞を用いた解析により、FABP4遺伝子はiPS細胞から分化誘導したニューロスフィア(神経系前駆細胞)でも発現していることを見いだしました。この結果は、統合失調症に関連する脳の変調が蓄積し始めると考えられている脳の発達初期から、ヒトの神経系の細胞にFABP4遺伝子が発現していて、脳の発達に影響を及ぼす可能性があることを示唆しています。このように、統合失調症患者においては外胚葉由来の神経系細胞と毛根細胞でFABP4遺伝子の発現量が変化しており、FABP4遺伝子が統合失調症の病態に深く関わっている可能性が示されました。

なお、FABP4遺伝子は、毛根細胞の内毛根鞘(inner root sheath: IRS)と呼ばれる毛髪のやや内側に位置する場所や、Hair forming compartmentと呼ばれる毛髪の中央部に発現することを確認しています (図5)。これらの部位は、毛髪を引き抜いた際にはがれ落ちずに残る部位であるため、毛髪の引き抜き方が遺伝子発現解析に影響を与える可能性は少ないことが分かります。

2)自閉症の方の毛根細胞ではCNTNAP2遺伝子の発現が低下

共同研究グループは、自閉症群18名、対照群24名それぞれの頭皮から毛髪を約10本採取し、自閉症の方の毛根細胞で発現量の変化が見られる遺伝子の同定を試みました。自閉症の方と対照者群から毛根細胞を採取し、自閉症の死後脳で遺伝子発現変化が報告されている9つの遺伝子群についてTaqMan法により遺伝子の発現量の変化を調べました。その結果、自閉症の方の毛根細胞では、対照者群と比べてCADPS2遺伝子とCNTNAP2遺伝子の有意な低下が認められました。ただし、CADPS2遺伝子については、年齢との相関が認められたためその後の解析から除外し、CNTNAP2遺伝子の発現量の低下だけに注目しました(図6)。CNTNAP2遺伝子については、カットオフ値を0.90(CNTNAP2遺伝子とGAPDH遺伝子の発現量の比)に設定したところ、感度71.4%、特異度71.4%、陽性的中率71.4%、陰性的中率71.4%で、自閉症を検出できることが分かりました。

今後の期待

血液中の物質は、検査直前の体の状態や外部からの刺激で変動しやすいのですが、頭皮の毛根細胞中の物質は遺伝子の発現量も含めて安定しています。また、頭皮の毛根細胞の遺伝子発現測定は、生きた脳の状態を反映する可能性のある、非侵襲的で簡便なバイオマーカー診断法の基盤となる可能性が大きいと考えられます。今回はすでに「発症した」統合失調症患者、および自閉症の方を対象として測定を行いました。今後、時系列を追ってこの方法で疾患の発症をどこまでさかのぼれるかを検証することにより、精神疾患の予防法開発や早期治療導入の判定、さらに新しい角度からの創薬のヒントを提供できる可能性があると考えています。

原論文情報

  • Motoko Maekawa, Kazuo Yamada, Manabu Toyoshima, Tetsuo Ohnishi, Yoshimi Iwayama, Chie Shimamoto, Tomoko Toyota, Yayoi Nozaki, Shabeesh Balan, Hideo Matsuzaki, Yasuhide Iwata, Katsuaki Suzuki, Mitsuhiro Miyashita, Mitsuru Kikuchi, Motoichiro Kato, Yohei Okada, Wado Akamatsu, Norio Mori, Yuji Owada, Masanari Itokawa, Hideyuki Okano, and Takeo Yoshikawa. "Utility of Scalp Hair Follicles as a Novel Source of Biomarker Genes for Psychiatric Illnesses". Biological Psychiatry, 2014, 10.1016/j.biopsych.2014.07.025

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 分子精神科学研究チーム
チームリーダー 吉川 武男(よしかわ たけお)

お問い合わせ先

脳科学研究推進室
Tel: 048-467-9757 / Fax: 048-462-4914

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.統合失調症
    幻覚や妄想、意欲の低下、感情の平坦化などを主要な症状とする精神疾患。発症後、社会的機能も低下するといわれている。患者数が多く症状が重篤であるため、病態の理解と予防法の開発が急務となっている。統合失調症の病因として、“脳発達期の微細な障害が統合失調症を引き起こす要因”という「神経発達障害仮説」が広く知られているが、その分子メカニズムはよく分かっていない。
  • 2.自閉症
    社会性の障害、コミュニケーション障害、一見意味がないように見える習慣や儀式へのこだわりなどを特徴とする小児の脳機能障害による発達障害。根治的治療法が未だ不明なため、疾患の早期発見や早期療育的介入が必要とされるが、病因が不明なために診断および早期発見が困難な場合があることが問題となっている。近年、発症率が増加しており、現在では約100人に1人が罹患するといわれている。
  • 3.バイオマーカー
    ある特定の病気の存在や、病気の進行の程度を客観的に知るために用いられる生体由来の指標。近年、バイオマーカーは診断に用いられるだけでなく、病気の発症を未然に防ぐための利用や、薬による副作用を起こしにくい治療法を選択する個別化医療への応用が期待されている。
  • 4.外胚葉
    受精卵から、内胚葉、中胚葉、外胚葉の3つが生じる。その中で外胚葉は、将来的に、毛根を含む表皮、感覚器、脳などに分化することが知られている。
  • 5.FABP4遺伝子
    脂肪酸結合タンパク質(FABP: Fatty acid binding protein family)の1つであるFABP4タンパク質をつくる遺伝子。FABPはヒトで10種類知られている。FABP4タンパク質は末梢では他臓器に作用するアディポカイン(脂肪細胞から産生、分泌される生理活性物質の総称)として知られており、これまでのFABP4研究は成人におけるメタボリックシンドロームが中心だった。FABP4と精神疾患や脳発達の関連についての報告は、今回の共同研究チームによる研究が初めてであると思われる。実際、毛根細胞中の FABP4遺伝子の発現量は、メタボリックシンドロームに関連のある数値に影響されないことが判明した。
  • 6.CNTNAP2遺伝子
    ニューレキシン(neurexin)ファミリーに属する神経細胞の表面で働く細胞間接着因子を作る遺伝子で、その変異や多型と自閉症との関連、死後脳における発現量の変化、が報告されている。対応する遺伝子を破壊したマウスには、社会的相互作用の異常、反復行動など自閉症児に見られる特徴が現れる。
  • 7.TaqMan法
    リアルタイムPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)法における、PCR増幅産物の検出方法の1つ。TaqManプローブと呼ばれる蛍光標識プローブを用いる。なお、リアルタイムPCR法とは、PCR増幅産物の増加をリアルタイムでモニタリングし、解析する方法のこと。TaqMan法は、スタンダードな遺伝子発現解析法の1つとなっている。
  • 8.カットオフ値
    定量的検査について、検査の陽性、陰性を分ける値のこと。病態を鑑別するための検査に用いられる。
  • 9.感度、特異度、陽性的中率、陰性的中率
    • 感度(sensitivity): 特定の病気に罹患している集団に対して検査を行ったとき、集団の中の罹患者を検出できる割合。100%であれば全ての罹患者を検出でき、80%であれば8割の罹患者を検出できる。
    • 特異度(specificity): 特定の病気に罹患していない集団に対して検査を行ったとき、集団の中の罹患していない人を検出できる割合。理想の検査は、感度、特異度共に100%である検査である。
    • 陽性的中率: 検査で陽性と出た人のうち実際に病気に罹っている人の割合。
    • 陰性的中率: 陰性と出た人のうち実際に病気に罹っていない人の割合。
  • 10.体格指数(BMI)
    BMIはBody Mass Indexの略。肥満の程度を知るための指数で、体重(kg)÷[身長(m)×身長(m)]で計算される。
外胚葉の分化の図

図1 外胚葉の分化

脳と毛根の細胞は、同じ外胚葉由来の細胞から発生する。

毛根細胞の解析方法の図

図2 毛根細胞の解析方法

髪の毛を根元から引き抜き、毛根の細胞を溶かしてRNAを抽出。その後、目的の遺伝子の発現量を測定する。

統合失調症の毛根細胞における遺伝子発現解析図

図3 統合失調症の毛根細胞における遺伝子発現解析

統合失調症患者の毛根細胞では、対照群の毛根細胞に比べてFABP4遺伝子の発現量が低下している。

統合失調症「再現」サンプルグループのFABP4遺伝子発現データによるカットオフ値の図

図4 統合失調症「再現」サンプルグループのFABP4遺伝子発現データによるカットオフ値

統合失調症「再現」サンプルグループの毛根細胞のFABP4遺伝子の発現量のデータ(FABP4遺伝子と内部標準であるGAPDH遺伝子の発現量の比)を用いて、検査の陽性、陰性を分けるカットオフ値を決めるためのROC曲線(Receiver Operator Characteristic Curve)の図を作成した。ROC曲線は縦軸に「感度」、横軸に「1-特異度」をとって、カットオフ値を変動させながらプロットすることで得られる。ROC曲線の下の面積(AUC:Area Under Curve、斜線部分)が大きい(1に近い)検査ほど診断能力が高いといえる。感度と特異度の優れたROC曲線は、左上隅に近づいて行くという事実から、左上隅の角との距離が最小となるROC曲線状の点をカットオフ値に選択する。

統合失調症「再現」サンプルグループのFABP4遺伝子に関しては、AUC=0.713であり、カットオフ値は0.769が最適だと分かった。

毛根細胞におけるFABP4タンパク質の発現の図

図5 毛根細胞におけるFABP4タンパク質の発現

FABP4タンパク質は、内毛根鞘(inner root sheath:IRS)と呼ばれる毛髪のやや内側の場所や、Hair forming compartmentと呼ばれる毛髪の中央部に発現する。K85(写真下段の緑色の場所)はHair forming compartmentのマーカー、K71(写真上段の緑色の場所)はIRSのマーカーで、それぞれFABP4タンパク質(写真上下段の赤色の場所)の発現と重なる部分がある(写真一番右列の黄色の部分)。DAPI(写真上下段の青色の部分)は細胞核のある位置を示している。

自閉症の毛根細胞における遺伝子発現解析図

図6 自閉症の毛根細胞における遺伝子発現解析

自閉症患者の毛根細胞では、対照群の毛根細胞に比べてCNTNAP2遺伝子の発現量が低下している。

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