ポイント
- 大脳皮質視覚野内の抑制性細胞は高密度な群れを作る
- 単一では作用が弱いが群れを作ることで作用を強め興奮性細胞の特徴選択性を増強
- 脳の情報処理の特徴が明らかとなり脳型情報処理機械の開発に期待
要旨
理化学研究所(理研、野依良治理事長)は、遺伝子改変マウスを使った実験により、大脳皮質の神経回路網では、神経細胞が単独ではなく高密度な群れを作って情報処理を行っていることを明らかにしました。これは、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)大脳皮質回路可塑性研究チームの蝦名鉄平元研究員(現大学共同利用機関法人自然科学研究機構基礎生物学研究所光脳回路研究部 NIBBリサーチフェロー)、津本忠治チームリーダーらの研究チームの成果です。
大脳皮質はヒトで約160億、マウスでも約1,400万と極めて多数の神経細胞で構成されています。しかし、なぜ多数の神経細胞が存在し、どのような原理で働くのかは不明でした。大脳皮質の神経細胞の約20%を占める抑制性神経細胞(抑制性細胞)[1]が抑制性伝達物質のGABA[2]を放出し、興奮性神経細胞(興奮性細胞)[3]の活動を抑制することで神経回路の動作を制御していると想定されてきました。しかし、実際に多数の抑制性細胞がどのように神経回路を制御するのかは分かっていませんでした。
研究チームは、抑制性細胞が緑色蛍光を発する遺伝子改変マウスを用意し、多数の細胞活動を同時に記録できる2光子励起カルシウムイメージング法[4]を使って、抑制性細胞と興奮性細胞について、大脳皮質視覚野[5]の三次元空間における位置と視覚刺激に対する反応性を調べました。また、微小電極法[6]で、抑制性細胞から興奮性細胞が受ける抑制の強さも直接計測しました。その結果、抑制性細胞は大脳皮質視覚野内で三次元の群れを形成し、群れの中の興奮性細胞に強い抑制をかけて刺激特徴選択的な視覚反応を鋭くさせていました。一方で、群れの外にいる単独の抑制性細胞は、興奮性細胞を強く抑制できないことを見いだしました。
今回、研究チームは、大脳皮質の抑制性細胞は群れを作ることで、個々の細胞では足りない作用を増強し興奮性細胞に効果的な抑制をかけていることを明らかにしました。また、大脳皮質の情報処理回路は、抑制性細胞が群れを作り、一部の細胞が脱落しても全体の機能には影響しないという安定かつ頑健なものであることも分かりました。この成果は、新しい概念に基づく脳型コンピュータなど脳型情報処理機械の開発につながることが期待できます。
本研究成果は、米国の科学誌『Cell Reports』12月11日号の掲載に先立ちオンライン版(11月20日付け:日本時間11月21日)に掲載されます。
背景
大脳皮質視覚野の神経細胞は、目から入る外界の視覚刺激の中のある特徴(例えば、一定角度に傾いた輪郭、あるいは特定の方向に動く物体など)にのみ、良く反応します。こうした特定の刺激に選択的に反応する性質は「特徴選択的反応性」と呼ばれ、1981年にノーベル生理学・医学賞を受賞したヒューベルとウィーゼルが、最初に発見しました。その後、この反応性は、脳の他の領野の神経細胞にも存在することが判明し、脳における情報処理原理の1つとされています。また、彼らは一定の方位(傾き)選択性[7]を持つ興奮性神経細胞(興奮性細胞)が、大脳皮質視覚野内に縦に集まる、方位円柱状構造を持つことも見いだしました。その後の研究では、特徴選択的反応性の形成には、抑制性神経細胞(抑制性細胞)の働きが重要であることが示唆されました。抑制性細胞は、抑制性伝達物質のGABAを放出し、興奮性細胞の活動を抑制することで神経回路の動作を制御しているとされています。ただ、ヒトで約160億、マウスでも約1,400万と極めて多数の神経細胞で構成される大脳皮質において、その約2割を占める抑制性細胞(ヒトで約32億、マウスでも約280万)が、どのように分布し、どのように興奮性細胞を抑制しているのかは不明でした。
研究チームは、抑制性細胞がどのように興奮性細胞を抑制し、神経回路の動作を制御しているのか、その仕組みを遺伝子改変マウスと2光子励起カルシウムイメージング法を用いた実験により、解明しようと試みました。
研究手法と成果
研究チームは、抑制性細胞と興奮性細胞の配置と視覚反応性を同時に記録するため、抑制性細胞が緑色蛍光タンパク質(GFP:Green Florescence Protein)を発現する遺伝子改変マウスと、2光子励起走査型蛍光顕微鏡を使ったカルシウム蛍光イメージング法を適用しました(図1A)。この方法では、得られた二次元(平面)画像を立体的に積み重ねることによって、三次元の空間内における抑制性細胞と興奮性細胞の分布を知ることができます(図1B)。さらに、マウスにさまざまな傾きで動く縞模様を見せたときの、抑制性細胞と興奮性細胞の方位選択性を計測しました。その結果、抑制性細胞は高密度な群れを作っており(図2Aのグレーで示す星雲状の塊)、その群れの中の興奮性細胞は方位選択性が強く、群れの外の同細胞は方位選択性が弱いことを見いだしました(図2B)。
方位選択性の強弱はGABAの抑制作用によって形成されると言われ、選択性の強弱からGABA抑制の強さを推定できます。しかし、これはあくまでも間接的な推定です。そこで研究チームは、GABA抑制の強さを直接計測するため、微小電極法を用いて、興奮性細胞が受ける抑制の強さを計測しました(図3A)。その結果、抑制性細胞の群れの中の興奮性細胞では、視覚刺激によって大きな抑制性シナプス後電流[8]が生じますが、抑制性細胞の群れの外にある興奮性細胞では小さな抑制性シナプス後電流しか生じないことが分かりました(図3B)。
抑制性細胞は一様な細胞ではなく、形状や発現するペプチド(アミノ酸がつながった分子)によっていくつかのタイプに分けられ、その機能はタイプごとに異なるとされています。研究チームは、主要なタイプであるParvalbuminn発現細胞(PV細胞)[9]とSomatostatin発現細胞(SOM細胞)[10]が、それぞれ群れを作るか調べました。まずGFPがPV細胞に発現する遺伝子改変マウスを使って群れの三次元分布を調べました(図4Aと4C、緑の細胞)。次に、SOM細胞を免疫組織化学的に可視化して三次元分布を調べました(図4Aと4C、赤の細胞)。その結果、PV細胞とSOM細胞はそれぞれ独自の群れを作っていることが分かりました。(図4D)。また、群れの内外の興奮性と思われる細胞の視覚反応を記録し、方位選択性を解析したところ、「群れの内の細胞の選択性は強いが、外の細胞の選択性は弱い」という結果を得ました。
大脳皮質には多数の抑制性細胞が存在します。研究チームは、抑制性細胞は群れを形成し、その群れの中の興奮性細胞に強い抑制をかけて方位選択性を増強しているが、群れの外に存在する単独の抑制性細胞は、興奮性細胞を抑制する作用が弱いことを示しました。つまり、抑制性細胞は群れることで弱い抑制作用を強めているのです。また、このような集団的な情報処理回路では、1個の細胞が脱落しても全体の機能が変わらずに安定かつ頑健な動作を保持できると考えられます。見方を変えれば、このような多数の細胞が集団で働く情報回路が安定的に機能するには、極めて多くの細胞、すなわち“素子”が必要であるということです。哺乳類の大脳皮質で細胞数が多いのは、こうした理由によるものと解釈できます。
今後の期待
抑制性細胞は機能の異なる7種以上のタイプに分けられます。今回はPV細胞とSOM細胞に限って、その分布や興奮性細胞の機能に対する効果を調べました。今後の研究によって全てのタイプの抑制性細胞がどのように分布し、大脳皮質神経回路の中でどのように機能しているのかを明らかにすることで、大脳皮質神経回路の全貌が明らかになると期待できます。また、脳が、「一つひとつの作用が弱い神経細胞(素子)を多数集合させることによって、障害に強く、頑健かつ柔軟な情報処理回路を作り上げる」という原理を解明できれば、脳型コンピュータなどの情報処理システム開発においてイノベーションをもたらすと期待できます。
原論文情報
- Ebina T, Sohya K, Imayoshi I, Yin S-T, Kimura R, Yanagawa Y, Kameda H, Hioki H, Takeshi Kaneko T, Tsumoto T "Three-dimensional clustering of GABAergic neurons enhances inhibitory actions on excitatory neurons in the mouse visual cortex" Cell Reports, 2014 doi:10.1016/j.celrep.2014.10.057
発表者
理化学研究所
脳科学総合研究センター 大脳皮質回路可塑性研究チーム
チームリーダー 津本 忠治(つもと ただはる)
お問い合わせ先
脳科学研究推進室
Tel: 048-467-9757 / Fax: 048-462-4914
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.抑制性細胞
GABAを伝達物質として放出し、他の神経細胞の活動を抑制する神経細胞。軸索は通常短く介在ニューロンとも呼ばれる。大脳皮質視覚野では神経細胞全体の約20%を構成すると言われている。 - 2.GABA
ガンマアミノ酪酸(GABA:γ-aminobutyric acid)は、アミノ酸の1つで成熟脳では脳神経細胞の興奮を抑える抑制性の神経伝達物質。神経細胞のシナプス前部から放出され、シナプス後部の膜上に存在するGABA受容体と結合し作用する。 - 3.興奮性細胞
興奮性細胞は、大脳皮質に多数(全神経細胞の約80%)存在する神経細胞。軸索末端からグルタミン酸を放出し他の神経細胞を興奮させることから、興奮性神経細胞と呼ばれている。その細胞体は錘体様の形状を示すことから錐体細胞とも呼ばれる。 - 4.2光子励起カルシウムイメージング法
神経細胞の活動を可視化するために、活動に応じて増減する細胞内カルシウムが蛍光強度や波長を変える指示薬を細胞内に取り込ませ、神経細胞の活動を蛍光信号に変えて可視化する方法。従来の1光子励起蛍光顕微鏡は、深部からの記録がぼやけるが、深部からも空間分解能の良い画像の得られる2光子励起走査蛍光顕微鏡を使って神経細胞の活動を三次元的に画像化できる。 - 5.大脳皮質視覚野
視覚情報処理に関わる大脳新皮質の領域を視覚野と呼ぶ。この視覚野はさらに、一次視覚野(V1野)、二次視覚野(V2野)…といくつもの領域に分けることができる。大脳新皮質の1番後ろにあるのが一次視覚野であり、より高次になるほど脳の前方に位置している。一次視覚野では、神経細胞は明暗あるいは色のコントラストで構成される輪郭の小片の位置と傾きなどを検出することが知られている。 - 6.微小電極法
先端の直径が数ミクロン~1ミクロン以下の細い電極を脳に刺入し、直径数ミクロン~20ミクロン程度の小さな細胞体を持つ神経細胞の出す神経信号を、細胞外あるいは細胞内から記録する方法。 - 7.方位(傾き)選択性
大脳皮質一次視覚野の神経細胞(主に興奮性細胞)は、外界の視覚刺激の中で特定の傾きの輪郭あるいは線状刺激に良く反応する性質があり、これを方位(傾き)選択性と呼ぶ。ただ、最も良く反応する方位(最適方位)は細胞ごとに異なり、全体としては全ての方位が揃っている。 - 8.抑制性シナプス後電流
抑制性細胞の軸索終末(シナプス前部)から放出されたGABAがシナプス後部にある受容体に作用し生じる電流。主要なGABA受容体であるA型受容体の場合はクロールイオンの流入によって生じその大きさは抑制の強さを示す。 - 9.Parvalbuminn発現細胞(PV細胞)
抑制性細胞の一種でパルブアルブミン(Parvalbumin)を発現する介在性ニューロン。形状からbasket cellと呼ばれる細胞が多い。大脳皮質の領野や層によって異なるが抑制性細胞の約40%を占める。 - 10.Somatostatin発現細胞(SOM細胞)
抑制性細胞の一種でソマトスタチン(Somatostatin)を発現する介在性ニューロン。Martinotti cell と言われる独特の軸索分枝パターンを示す細胞が多い。大脳皮質の領野や層によって異なるが抑制性細胞の約30%を占める。
図1 2光子励起カルシウムイメージング法による抑制性細胞と興奮性細胞の分布の観測
- A.2光子励起カルシウムイメージング法の遺伝子改変マウスへの適用法を示す。まず、細胞活動を計測するためのカルシウム指示薬をガラス管より大脳皮質内に注入する。その後、特定の方位(傾き)を持つ視覚刺激を与える(図中では縦の方位の縞模様が左右に動いている)。
- B.大脳表面から一定の深さにおける抑制性細胞(緑)と興奮性細胞(白)の分布を示す。赤色はグリア細胞。右の拡大図は深さ160μmの面を拡大したもの。
図2 抑制性細胞集団の内と外に位置する興奮性細胞における方位選択性の強さの違い
- A.抑制性細胞(赤)と興奮性細胞(青)の大脳皮質視覚野内三次元分布(317×317×105μm)。灰色の塊は抑制性細胞の群れを示す。
- B.抑制性細胞の群れの中にいる興奮性細胞(Cell 1)と群れの外にいる興奮性細胞(Cell 2)の各方位視覚刺激に対する反応。上部の直線と←は視覚刺激の方位と動きの方向を示す。群れの内側にあるCell 1は全体的に反応が弱いが方位選択性は強く、抑制性細胞の働きが強いことが分かる。
図3 抑制性細胞の群れの内と外における興奮性神経細胞からの抑制性電流の記録
- A.抑制性細胞(赤)と興奮性細胞(青)及び記録電極の配置図。図2Aと同一の部位を違う角度から表示。
- B.視覚刺激によって生じた抑制性シナプス後電流値。赤線は抑制性細胞の群れの内側の興奮性細胞から記録した電流値、青色は群れの外側の興奮性細胞から記録した電流値、上部の黄色い帯は視覚刺激を与えた時間を示す。
図4 大脳皮質視覚野におけるPV細胞とSOM細胞の分布
- A.緑色蛍光タンパク質を発現したPV細胞(緑)と免役組織化学的に可視化したSOM細胞(赤)の配置を示す。
- B.Aと同じ面をカルシウム指示薬で染めたもの。灰色の細胞は興奮性を含めた全ての神経細胞を示す。
- C.AとBを重ね合わせたもの。
- D.大脳皮質視覚野におけるPV細胞の集団(青)とSOM細胞の集団(赤)の分布領域を三次元的に示す。細胞のタイプ毎に群れが作られていることが分かる。