要旨
理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター統合メタボロミクス研究グループの中林亮研究員、斉藤和季グループディレクター、楊志剛元特別研究員らの研究チーム※は、含硫黄代謝物特異的分析手法「S-オミクス[1]」を用いて、血圧の上昇に関与するアンジオテンシン転換酵素(ACE)[2]に対して阻害活性を示す含硫黄代謝物をアスパラガスから新たに発見し、アスパラプチンと命名しました。
ヒトに有益な活性を示す天然化合物の発見は、メタボロミクス[3]において重要な課題の一つです。植物界に広く分布している含硫黄代謝物は、抗炎症作用、抗酸化作用、抗ガン作用などの健康機能活性を示すことから注目を集めています。アスパラガスの抽出物は、血圧降下作用を示すことが知られており、活性成分の解明が求められていました。
アスパラガスは含硫黄代謝物を比較的多く含むことが知られています。また、医薬品などに使われる硫黄を含む化合物は、ヒトの血圧の上昇などに関わるACEへの阻害活性を示すことが知られています。研究チームは、この2点に着目してアスパラガスにおいてACE阻害活性を示す含硫黄代謝物の探索を行いました。
S-オミクスを用いて47種類の植物の凍結乾燥粉末サンプルにおける含硫黄代謝物の網羅的なスクリーニングを行った結果、アスパラガスからアルギニンとアスパラガス酸で構成されるアスパラプチンを発見しました。ACE阻害活性試験の結果、アスパラプチンの50%阻害活性濃度(IC50)[4]は113μMであり、その阻害活性には結合体におけるアスパラガス酸が必須であることが分かりました。また、定量試験の結果からアスパラプチンはアスパラガスに251mg/kg新鮮重[5]含まれていることが分かりました。今後、S-オミクスを用いることでヒトに有益な活性を示す新たな含硫黄代謝物の発見が期待できます。
本研究は、米国の科学雑誌『Journal of Natural Products』のオンライン版(4月29日付け)に掲載されました。
※研究チーム
理化学研究所 環境資源科学研究センター 統合メタボロミクス研究グループ
研究員 中林 亮 (なかばやし りょう)
グループディレクター 斉藤 和季(さいとう かずき)(環境資源科学研究センター 副センター長)
元特別研究員 楊 志剛(よう しごう)
テクニカルスタッフ 西澤 具子(にしざわ ともこ)
テクニカルスタッフ 森 哲哉(もり てつや)
背景
植物界に広く分布する含硫黄代謝物はヒトに対して有益な活性(抗炎症作用、抗酸化作用、抗ガン作用など)を幅広く示すことが知られています。医薬品などに使われる硫黄を含む化合物は、ヒトの血圧の上昇に関わるアンジオテンシン転換酵素(ACE)への阻害活性を示します。
これまで野菜の抽出エキスを用いたACE阻害活性試験により、アスパラガスが高血圧の予防に効果的であることが示唆されています。アスパラガスにおいてACE阻害活性に寄与する代謝物としてニコチアナミン類が活性成分の一つと考えられていますが、その他の代謝物の関与も示唆されています。
そこで研究チームは、アスパラガスにおける含硫黄代謝物の網羅的な解析によりACE阻害活性を有する含硫黄代謝物の探索を行いました。
研究手法と成果
研究チームは、液体クロマトグラフィー-フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴質量分析(LC-FTICRMS)装置[6]を用いた含硫黄代謝物を網羅的に測定できる分析手法「S-オミクス」により47種類の植物の乾燥粉末サンプルにおける含硫黄代謝物の網羅的な解析を行いました。その結果、4537イオン中733イオンが含硫黄代謝物由来のイオン(S-イオン)であることが分かりました。特にシグナル強度が高いイオンを絞り込んだ結果、アスパラガスで特異的なS-イオンが見出されました(図1A)。次に、M+2領域[7]の同位体イオンの解析を行い、組成式の決定を試みました。理論パターンとの比較解析の結果、このイオンは硫黄原子を含み、その組成はC10H19N4O3S2であることが分かりました(図1B)。対象化合物由来のピークはベースピーククロマトグラム[8]上では確認されましたが、UVクロマトグラム[9]上では確認されませんでした(図1C)。このことは、対象化合物が構造上の特徴として発色の原因となる原子団(発色団)を有していないことを示唆していました。そこで、UVスペクトルではなく、質量電荷比(m/z)を指標とした分取液体クロマトグラフィー-質量分析装置[10]による対象化合物の単離を行いました。単離した対象化合物をMS[11]やNMR[12]などによって各種機器分析データを解析した結果、対象化合物はアルギニンとアスパラガス酸から構成されることが明らかとなりました(図1D)。本化合物は新規化合物であったためアスパラプチンと命名しました。
ACE阻害活性試験の結果、アスパラプチンの50%阻害活性濃度(IC50)は113μMであることが分かりました。L-アルギニン、D-アルギニン、L-アスパラギン酸、アスパラガス酸グルコースエステルとの比較解析の結果、アスパラプチンの阻害活性には結合体におけるアスパラガス酸が必須であることが明らかとなりました。また、ACE阻害活性の発現のためにはアスパラガス酸の結合の相手はグルコースよりもアルギニンが適していることが分かりました(表1)。
市販品のグリーンアスパラガス、パープルアスパラガス、ホワイトアスパラガスにおけるアスパラプチンの定量を行った結果、パープルアスパラガスよりもグリーンアスパラガスおよびホワイトアスパラガスで比較的多く含まれることが分かりました(表2)。
今後の期待
今後、共同研究などを通じてアスパラプチンの血圧降下作用を詳細に評価することで、アスパラガスの健康機能性におけるアスパラプチンの寄与を明らかにし、健康機能性食品や医薬品などへの展開を期待できます。また、本研究により、S-オミクスが新規含硫黄代謝物の効率的発見に有効であることが分かりました。S-オミクスを植物だけでなく、動物や昆虫、微生物にも適用することで様々な構造を有する含硫黄代謝物の探索が可能となります。医薬品や農薬は天然化合物の構造を基本として作られており、その多くは硫黄原子を含んでいます。S-オミクスによって医薬品や農薬に有益な活性を示す化合物の探索研究が大きく進展することが期待できます。
原論文情報
- Ryo Nakabayashi, Zhigang Yang, Tomoko Nishizawa, Tetsuya Mori, Kazuki Saito, "Top–down Targeted Metabolomics Reveals a Sulfur-containing Metabolite with Inhibitory Activity against Angiotensin-converting Enzyme in Asparagus officinalis", Journal of Natural Products, doi: 10.1021/acs.jnatprod.5b00092
発表者
理化学研究所
環境資源科学研究センター 統合メタボロミクス研究グループ
研究員 中林 亮(なかばやし りょう)
グループディレクター 斉藤 和季(さいとう かずき)(環境資源科学研究センター 副センター長)
元特別研究員 楊 志剛(よう しごう)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.S-オミクス(サルファーオミクス、エスオミクス)
質量分析における34Sを含む同位体イオンを指標とした含硫黄代謝物を網羅的に分析する手法。 - 2.アンジオテンシン転換酵素(ACE)
血圧や細胞外容量の調節に関わるホルモン系であるレニンーアンジオテンシン系におけるアンジオテンシンⅠからアンジオテンシンⅡへの反応を触媒する酵素。 - 3.メタボロミクス
細胞内の低分子代謝物を網羅的に解析する手法。 - 4.50%阻害活性濃度(IC50)
酵素などの生物学的プロセスの50%を阻害するために必要な物質の濃度。値が低いほど活性が高い。 - 5.新鮮重
水分を含んでいる状態の対象サンプルの重さ。 - 6.液体クロマトグラフィー-フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴質量分析(LC-FTICRMS)装置
化合物の分離と分離した化合物由来のイオンの質量分析をオンラインで行うことが出来る装置。イオンのサイクロトロン運動による周波数を計測することで精密な質量電荷比( m/z)を得る。分解能100万FWHM(full width at half-height maximum)以上と質量精度1ppm以下の測定が可能。 - 7.M+2領域
モノアイソトピックイオンに対して2Da大きい領域。高分解能スペクトルにおいて34S、18O、13C2などを含む同位体イオンが現れる。 - 8.ベースピーククロマトグラム
MSのスペクトル上で最も強度の高いピークの強度のみを使用してプロットしたクロマトグラム。 - 9.UVクロマトグラム
UVスペクトルを基本としたクロマトグラム。 - 10.分取液体クロマトグラフィー-質量分析装置
液体クロマトグラフィーによる対象化合物の分取および分析が同時にできる装置。 - 11.MS
Mass Spectrometryの略。化合物由来のイオンの質量電荷比( m/z)を計測する方法 - 12.NMR
Nuclear Magnetic Resonanceの略。化合物を構成する原子の結合状態を示す化学シフトを計測する手法。
図1 含硫黄代謝物特異的分析(S-オミクス)によるアスパラプチンの発見
- (A) S-イオンの分布を表したヒートマップ シグナル強度値に応じて色が異なる。赤枠はアスパラプチン由来のイオンを示す。
- (B) M+2領域の同位体ピーク
- (C) ベースピーククロマトグラム *はアスパラプチンのピーク。
- (D) アスパラプチンの構造
表1 化合物のACE阻害活性
表2 アスパラガスにおける特異的(二次)代謝物の定量