要旨
理化学研究所(理研)脳科学総合研究センター精神疾患動態研究チームの加藤忠史チームリーダー、笠原和起副チームリーダーらの共同研究グループ※は、うつ病・躁うつ病を伴う遺伝病の原因遺伝子の変異マウスが、自発的なうつ状態を示すことを発見しました。さらに、このうつ状態の原因が脳内の視床室傍核[1]という部位のミトコンドリア機能障害にあることを突き止めました。
精神疾患動態研究チームは、ミトコンドリア病[2]という難病の患者がうつ病や躁うつ病を示すことに着目し、その原因遺伝子の変異が神経のみで働くモデルマウスを作成しました。2006年に、日内リズムの異常や性周期[3]に伴う行動量の変化を報告した際、2週間ほど活動低下が続く場合があることに気づきました。
共同研究グループは今回、この活動低下を詳細に分析し、この状態が平均すると半年に1回見られ、うつ病の診断基準を満たす(興味喪失、睡眠障害、食欲の変化、動作の緩慢、疲れやすい、社会行動の障害)ことを示しました。また、この状態にあるマウスは、うつ病と同じような治療反応性(抗うつ薬を投与することで減少するなど)や生理学的変化(副腎皮質ホルモンの増加など)を示しました。
この活動低下の原因となる脳部位を明らかにするため、異常なミトコンドリアDNAが多く蓄積している脳部位を探索したところ、これまでうつ病との関連が知られていなかった視床室傍核という部位に著しく蓄積していました。また、同じようなミトコンドリアの機能障害は、うつ状態を示すミトコンドリア病患者の視床室傍部[1]でも見られました。さらに、正常なマウスの視床室傍核の神経細胞の神経伝達を人為的に遮断したところ、モデルマウスに似た低行動状態が現れました。これは、モデルマウスのうつ状態が、視床室傍核の病変により生じていることを示しています。
このモデルマウスは自発的かつ反復的なうつ状態を示すモデルマウスとしては初めてのもので、これまでとは作用メカニズムが異なる抗うつ薬や気分安定薬の開発につながると期待できます。また、今後の研究でうつ病や躁うつ病の一部が、視床室傍核の病変で起きることが証明できれば、こうしたこころの病気を脳の病変で生じる疾患と捉えることができ、新しい診断法の開発につながる可能性があります。本研究は、米国の科学雑誌『Molecular Psychiatry』に掲載されるのに先立ち、オンライン版(10月20日付け)に掲載されます。
※共同研究グループ
理化学研究所 脳科学総合研究センター 精神疾患動態研究チーム
チームリーダー 加藤 忠史(かとう ただふみ)
副チームリーダー 笠原 和起(かさはら たかおき)
研究員 高田 篤(たかた あつし)
研究員 加藤 智朗(かとう ともあき)
専門職研究員 窪田-坂下 美恵(くぼた-さかした みえ)
研究員 澤田 知世(さわだ ともよ)
新潟大学 脳研究所 生命科学リソース研究センター 脳疾患標本資源解析学
教授 柿田 明美(かきた あきよし)
自治医科大学 分子病態治療研究センター 遺伝子治療研究部
教授 水上 浩明(みずかみ ひろあき)
教授 小澤 敬也(おざわ けいや)(現 東京大学医科学研究所 医科学研究所附属病院 病院長)
大阪赤十字病院 神経内科部
副部長 金田 大太(かねだ だいた)(現 東京都健康長寿医療センター神経内科 医長)
背景
日本でうつ病や躁うつ病により治療を受けている人は約100万人に上り、日本人の健康寿命を奪う主な疾患の1つとなっています(厚生労働省による2011年患者調査)。抗うつ薬や気分安定薬などによる治療が行われていますが、すべての人に有効とはいえず、副作用もあることから、新たな薬の開発が期待されています。しかし、半世紀にわたる研究でも、その原因は完全には解明されておらず、画期的な新薬の開発は成功していません。抗うつ薬の創薬研究がもっぱらストレスによる動物の行動変化を指標に行われてきたことが、同分野での創薬がうまく進まなかった理由の1つと考えられています。
精神疾患動態研究チームは、ミトコンドリア病という遺伝病の1つである「慢性進行性外眼筋麻痺」[4]が、しばしばうつ病や躁うつ病を伴うことに着目し、その原因遺伝子の変異が神経のみで働くモデルマウスを作成しました。そして、このマウスが、日内リズムの異常や性周期に伴った顕著な行動量の変化などを示すことを2006年に報告しました(注1)。この研究の過程で、このモデルマウスが、2週間ほど、輪回し行動をあまりしなくなる時があることに気づきました。
注1)2006年4月18日プレスリリース「躁うつ病(双極性傷害)にミトコンドリア機能障害が関連」
研究手法と成果
この活動低下の状態は、モデルマウスでは平均すると半年に1回の頻度で出現し、中には半年に複数回繰り返す個体も見られました(図1)。今回、共同研究グループは、このモデルマウスが活動低下状態にある時の行動を詳しく解析しました。その結果、興味喪失、睡眠障害、食欲の変化、動作が緩慢になる、疲れやすいといった症状、および社会行動の障害を示し、精神疾患の診断基準であるDSM-5[5]のうつ状態の基準に合致することが分かりました。また、この状態は、抗うつ薬治療により減少し、気分安定薬であるリチウム投与を中止すると増加するなど、うつ病や躁うつ病のうつ状態と同様の治療薬に対する反応を示しました。さらに、この状態の間には、副腎皮質ホルモンの増加など、うつ病患者と同様の生理学的変化が見られました。
次に、この活動低下の原因となる脳部位を調べるため、異常なミトコンドリアDNAが多く蓄積している脳部位を探索しました。その結果、視床室傍核という、これまでうつ病との関連が知られていなかった脳部位に著しく蓄積していることが分かりました(図2)。同じようなミトコンドリア機能障害は、うつ症状を示すミトコンドリア病の患者の脳の視床室傍部でも見られました。
続いて、この部位がうつ状態の原因かどうかを明らかにするため、正常なマウスの神経回路を人為的に操作して解析しました。その結果、視床室傍核の神経細胞の神経伝達を遮断することにより、モデルマウスによく似た活動低下状態が現われました。この結果は、モデルマウスのうつ状態が、視床室傍核の病変により生じていることを示しています。
今後の期待
このモデルマウスは、自発的で反復性のうつ状態を示すモデルマウスとしては初めてのものです。このモデルマウスを用いることにより、これまでとは全く作用メカニズムの異なる抗うつ薬や気分安定薬の開発が可能になると期待できます。また、もし、うつ病や躁うつ病の一部が、視床室傍核の病変によって起きることが分かれば、これらの病気をこころの症状ではなく、脳の病変により定義することができると考えられます。更に、精神疾患を脳の病として理解する道が開け、脳の病変に基づく診断法の開発につながる可能性もあります。
原論文情報
- Takaoki Kasahara*, Atsushi Takata*, Tomoaki Kato*, Mie Kubota-Sakashita, Tomoyo Sawada, Akiyoshi Kakita, Hiroaki Mizukami, Daita Kaneda, Keiya Ozawa, Tadafumi Kato (*co-first authors), "Depression-like Episodes in Mice Harboring mtDNA Deletions in Paraventricular Thalamus", Molecular Psychiatry, doi:10.1038/MP.2015.156
発表者
理化学研究所
脳科学総合研究センター 精神疾患動態研究チーム
チームリーダー 加藤 忠史(かとう ただふみ)
副チームリーダー 笠原 和起(かさはら たかおき)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.視床室傍核、視床室傍部
脳の中心部にある視床の一部で、視床上部と呼ばれる構造を形成する神経核の1つ。既存の抗うつ薬の作用に関係するセロトニン神経やストレスで活動するCRH(副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン)神経からの投射を受けている。また、恐怖に関わる扁桃体、報酬に関わる側坐核および感情の制御に関わる前部帯状回に線維を送っているなど、感情に関わるほとんどの脳部位とつながりがある。人において、視床室傍部のどの領域がマウスの視床室傍核に相当するのかは完全には分かっていない。
- 2.ミトコンドリア病
細胞の中にあるエネルギー代謝に関わる細胞内小器官であるミトコンドリアの機能障害が原因で生じるまれな遺伝病。脳と筋の症状が強く表れることから、ミトコンドリア脳筋症とも呼ばれる。慢性進行性外眼筋麻痺はその1つ。 - 3.性周期
卵胞ホルモン、黄体ホルモンの増減に伴って、卵巣の発育、排卵、黄体形成が行われ、妊娠しなければ新たなサイクルに入る、という周期。人の月経周期に相当するが、マウスの性周期は4~5日。 - 4.慢性進行性外眼筋麻痺
主な症状は、眼球運動障害、眼瞼下垂などの筋肉に見られるが、うつ病などの中枢神経の症状を伴うことも多い。原因遺伝子には、ミトコンドリアDNA合成酵素の遺伝子などがあり、異常なミトコンドリアDNA(ミトコンドリアが独自に持っているDNA)が筋肉や脳に蓄積することがその原因と考えられている。 - 5.DSM-5
精神疾患の診断と統計のためのマニュアル第5版。米国精神医学会が作成した、世界的に用いられている精神疾患の診断基準。
図1 モデルマウスに見られるうつ状態
約2週間の活動低下状態が出現し、その期間はうつ病の診断基準を満たす症状を示す。この活動低下状態は、モデルマウスでは平均すると半年に1回の頻度で見られた。半年に3回の活動低下状態を示したモデルマウスの例を図に示した。
図2 モデルマウスのうつ状態の原因脳部位
異常なミトコンドリアDNAが視床室傍核(PVT)に著しく蓄積し(左の図の赤い部分)、この部位にはミトコンドリア機能障害を持つ細胞(黄色枠内の赤く見える細胞)が多く見られる。