要旨
理化学研究所(理研)加藤分子物性研究室の川椙義高研究員、加藤礼三主任研究員、柚木計算物性物理研究室の関和弘基礎科学特別研究員、柚木清司准主任研究員、自然科学研究機構分子科学研究所の山本浩史教授らの共同研究グループ※は、有機物のモット絶縁体を利用して両極性動作する「モット転移トランジスタ[1]」を実現しました。
モット絶縁体とは、伝導電子を持つにもかかわらず、それらが互いに反発して身動きがとれなくなり絶縁体になっている物質のことです。モット絶縁体の電子相転移[2]を利用するモット転移トランジスタは、微細化において物理的な限界を迎えつつある既存のトランジスタを超える、次世代トランジスタとして注目を集めています。また、半導体を集積回路として利用するためにはp型半導体とn型半導体[3]を組み合わせる必要がありますが、モット転移トランジスタは原理的にp型(正孔型)、n型(電子型)のどちらとしても動作する(両極性動作する)ので、集積化に向いていると考えられています。しかし、これまで研究されてきたモット転移トランジスタでは、両極性動作において明瞭な相転移の実現には至っていませんでした。
共同研究グループは、比較的弱い電圧でも電子相転移を起こすことができる有機物のモット絶縁体を用いて電気二重層[4]を利用したモット転移トランジスタを作製し、両極性動作に成功しました。さらにn型動作時とp型動作時の性質を比較したところ、n型は普通の金属に近い状態である一方で、p型では特定の方向に進む電子が電子同士の反発を強く感じ動きにくくなる「疑ギャップ状態」であることが明らかになりました。これによって、モット絶縁体のドーピング非対称性と呼ばれる物性物理学の重要な課題の一つを解明したといえます。
本研究によって、軽量かつ柔軟で、集積化が容易な有機モット転移トランジスタの開発に近づきました。また、将来、モット絶縁体のpn接合[5]が可能になると、新たな太陽電池の開発につながる可能性があります。物性物理学の観点からも、さらなるドーピングで超伝導を引き起こし、転移温度などを比較することによって、高温超伝導[6]を含めた非従来型超伝導の機構解明につながる重要な情報が得られると期待できます。
本研究は科学研究費補助金若手研究(B)「電気二重層トランジスタを用いた有機強相関電子系の電子物性制御」および基盤研究(S)「分子性強相関電子系における量子液体の探索と理解」の支援を受けて行われました。成果は国際科学雑誌『Nature Communications』(8月5日付)に掲載されます。
※共同研究グループ
理化学研究所
加藤分子物性研究室
研究員 川椙 義高(かわすぎ よしたか)
特別研究員 佐藤 慶明(さとう よしあき)
主任研究員 加藤 礼三(かとう れいぞう)
柚木計算物性物理研究室
基礎科学特別研究員 関 和弘(せき かずひろ)
准主任研究員 柚木 清司(ゆのき せいじ)
自然科学研究機構 分子科学研究所
教授 山本 浩史(やまもと ひろし)
早稲田大学大学院 先進理工学研究科
大学院生 枝川 祐介(えだがわ ゆうすけ)
大学院生 蒲 江(プー・ジャン)
教授 (研究当時)竹延 大志(たけのぶ たいし)(現 名古屋大学大学院工学研究科 教授)
背景
伝導電子を持つにもかかわらず、それらが互いに反発して身動きがとれなくなり絶縁体になっている物質を「モット絶縁体」と呼びます。モット絶縁体の中では、物質を形作る原子や分子が一つずつ電子を持っています(図1)。このとき電子は、お互いに近づくとマイナスの電荷同士が反発するため動けず、電気は流れません。この状態で電圧をかけて電子を抜き取る(正孔ドーピング)か、または加える(電子ドーピング)と、電子相転移が起こり全体として電子が動けるようになります(図1)。この原理を利用するのが「モット転移トランジスタ」であり、従来のシリコントランジスタの微細化限界を超える、次世代トランジスタとして注目を集めています。また、正孔、電子どちらのドーピングでも電気が流れるので、p型(正孔型)としてもn型(電子型)としても動作する両極性トランジスタであり、集積化にも向いていると期待されています。
しかし、これまでに報告されているモット転移トランジスタは、両極性動作のために大きな電圧が必要であり、実際にはどちらかのドーピングでしか電子相転移を起こすことができませんでした。
研究手法と成果
共同研究グループは、今回、BEDT-TTF(ビスエチレンジチオ-テトラチアフルバレン)分子からなる有機物のモット絶縁体を材料として、電気二重層を利用した有機モット転移トランジスタを作製しました(図2)。有機物のモット絶縁体は、無機物と比べてもともと存在する電子が少ないため、弱い電圧でも電子相転移を起こすことができます。また、電気二重層を用いた手法は酸化シリコン膜などを用いる従来の手法と比べ、何倍も多くの正孔や電子をドーピングできます。これらの相乗効果によって、p型とn型どちらの場合も電気抵抗が大きく減少し、明確な両極性動作を観測することに成功しました。
さらに、n型動作とp型動作をホール効果[7]や理論計算から詳しく調べたところ、両者にはっきりとした違いがあることも分かりました。n型のときは電子同士の反発が弱く普通の金属に近い状態である一方で、p型では特定の方向に進む電子のみが電子同士の反発を強く感じ、動きにくくなっていることが明らかになりました。このp型の状態は「擬ギャップ状態」と呼ばれ、高温超伝導体とよく似た状態です(図3)。この違いは、電子同士の反発を考慮する前の、土台となる電子構造に起因していることが示されました。モット絶縁体のドーピング非対称性と呼ばれる物性物理学の重要な課題の一つを解明したといえます。
今後の期待
本研究によって、軽量かつ柔軟で、集積化が容易な有機モット転移トランジスタの開発に向け一歩前進しました。また、電圧だけでp型n型を制御できることから、将来モット絶縁体のpn接合が可能になれば、新たな太陽電池や発光デバイスの開発につながる可能性があります。
今回作製した両極性有機モット転移トランジスタは、さらなるドーピングによって超伝導状態になることが期待できます。物性物理学の観点からは、正孔ドーピングによる超伝導と、電子ドーピングによる超伝導を同一試料で調べることによって、まだ解明されていない、高温超伝導を含めた非従来型超伝導の機構解明につながる重要な情報が得られる可能性があります。
原論文情報
- Yoshitaka Kawasugi, Kazuhiro Seki, Yusuke Edagawa, Yoshiaki Sato, Jiang Pu, Taishi Takenobu, Seiji Yunoki, Hiroshi M. Yamamoto, Reizo Kato, "Electron-hole doping asymmetry of Fermi surface reconstructed in a simple Mott insulator", Nature Communications, doi: 10.1038/NCOMMS12356
発表者
理化学研究所
主任研究員研究室 加藤分子物性研究室
研究員 川椙 義高(かわすぎ よしたか)
主任研究員 加藤 礼三(かとう れいぞう)
准主任研究員研究室 柚木計算物性物理研究室
基礎科学特別研究員 関 和弘(せき かずひろ)
准主任研究員 柚木 清司(ゆのき せいじ)
自然科学研究機構 分子科学研究所 協奏分子システム研究センター
教授 山本 浩史(やまもと ひろし)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
自然科学研究機構 分子科学研究所 広報室
Tel/Fax: 0564-55-7262
kouhou [at] ims.ac.jp(※[at]は@に置き換えてください。)
補足説明
- 1.モット転移トランジスタ
従来の電界効果トランジスタは、不純物を添加した半導体に電圧をかけて電子や正孔を注入することによって電気抵抗を切り替える。そのため微細化が進むと、不純物による性能のばらつきが無視できなくなると考えられている。モット転移トランジスタは電圧による電子相転移という異なった動作原理に基づくので、不純物の添加を必要とせず、微細化限界を超える可能性を持っている。 - 2.電子相転移
物質が気体から液体、液体から固体に変化するように状態を変化させることを相転移と呼ぶ。電子相転移は電子の相転移であり、ここでは電気を流す「電子液体」と電気を流さない「電子固体」の間の相転移を指す(図1)。 - 3.p型半導体とn型半導体
半導体には、電子(マイナス電荷)を輸送するn型と、正孔(プラス電荷)を輸送するp型の半導体がある。コンピュータなどに応用するとき、n型半導体とp型半導体を組み合わせることで消費電力の少ない回路を作ることができる。無機半導体の場合、シリコンなどの半導体に異なる不純物を添加することでn型とp型を別々に作製するが、モット転移トランジスタでは電圧の正負を変えるだけでこれを切り替えることができる。 - 4.電気二重層
固体と電解液(溶媒と塩を含む溶液)、または固体とイオン液体の接触界面に形成される正と負に帯電した層のこと。イオン液体を二つの電極で挟んで電圧を加えると、陽イオンは負の電圧がかかった電極の方へ、陰イオンは正の電圧がかかった電極の方へ移動して、最終的には電極界面にびっしりと整列する。一方で、それぞれの電極の中ではイオンと反対の電荷を持つ伝導キャリア(電子あるいは正孔)が集まり、全体として電荷中性の状態を保つ。このイオンと伝導キャリアからなる層を電気二重層と呼び、非常に多くの電荷を蓄積できる大容量コンデンサとして使われている。 - 5.pn接合
p型半導体とn型半導体が接している領域のこと。太陽電池や発光ダイオードにはpn接合が利用されており、光によって生成した電子と正孔を電気として取り出したり、逆に電子と正孔を結合させて光を出したりすることができる。 - 6.高温超伝導
超伝導現象は、金属の電気抵抗が完全になくなることで、通常非常に低い温度で実現する。転移温度が多くの超伝導よりも高いものを高温超伝導と呼ぶ。どの程度高いと高温超伝導と呼ぶかについてははっきりとした定義はないが、液体窒素温度(−196℃)以上で起こる銅酸化物の超伝導を指すことが多い。 - 7.ホール効果
伝導体に流れる電流に対して垂直な方向に磁場をかけると、ローレンツ力により電子が曲げられて横方向の電場が発生する現象。発生する電場を測定することにより電子の密度を見積もることができる。
図1 モット絶縁体におけるドーピングの効果
モット絶縁体(中央)では、マイナスの電荷同士が反発するため、電子は隣の原子(分子)に飛び移ることができず、電気は流れない。一部の電子を抜き取ると(左)、電子が抜けた穴を埋めるように次々と移動し、電気が流れるようになる。逆に電子を加えると(右)、加えられた電子はどの原子(分子)にいても反発を受けるため、はじき出されるように次々と移動し、こちらも電気が流れるようになる。モットトランジスタでは、左がp型動作、右がn型動作に対応する。
図2 有機モット転移トランジスタの模式図と光学顕微鏡写真
本研究で作製した有機モット転移トランジスタを横から見た模式図(左)と上から見た光学顕微鏡写真(右)。菱形の点線は有機モット絶縁体の薄い単結晶を表す。ゲート電圧を加えると、イオンゲル(高分子にイオン液体を混ぜたもの)中のイオンが有機モット絶縁体の表面に電気二重層を形成し、正孔ドーピングもしくは電子ドーピングが行われる。ゲート電圧の正負を切り替えることによって、p型とn型を切り替えることができる。
図3 有機モット絶縁体における電子状態のドーピング非対称性
有機モット絶縁体に正孔および電子をそれぞれ約17%ドーピングしたときの、電気伝導を担う電子が取り得る波数(波長の逆数)の計算結果。描かれている楕円は「フェルミ面」と呼ばれ、通常の金属では決して途切れることはない。正孔ドーピング(左)ではこれが途切れ、二つの円弧(フェルミ・アーク)に分かれていることが分かる。これは、フェルミ面の一部で電子・正孔励起に有限のギャップ(擬ギャップ)が現れることによる。