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2016年10月4日

理化学研究所

分子間エネルギー移動の単分子レベル計測に成功

-エネルギーダイナミクスの精密制御に前進-

要旨

理化学研究所(理研)Kim表面界面科学研究室の今田裕協力研究員、金有洙主任研究員らの研究チームは、二種類の分子が隣接する異分子ダイマー(二量体)におけるエネルギー移動[1]を単分子レベルで計測することに成功しました。

分子間のエネルギー移動は、光合成反応や、太陽電池・光触媒などのエネルギー変換デバイスの動作に不可欠な物理現象です。これまで、エネルギー移動の研究には主に光学顕微鏡が用いられてきましたが、空間分解能[2]が数100ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)と不十分なため、1nmのスケールで起こるエネルギー移動の詳細は未解明でした。一方、原子スケールの空間分解能を持つ走査トンネル顕微鏡(STM)[3]をベースとした発光分光法(STM発光分光法[4])を用いた研究では、近年、さまざまな現象が単分子レベルで観測されており、エネルギー移動の研究への応用が期待されていました。

今回、研究チームは独自に開発したSTM発光分光装置を用いて、フタロシアニン(H2Pc)[5]分子とマグネシウムフタロシアニン(MgPc)[5]分子の間のエネルギー移動を調べました。その結果、STMのトンネル電流[3]でMgPc分子のみを局所的に励起すると、数nmの距離で隣接するH2Pc分子がMgPc分子からのエネルギー移動によって励起され発光することを見出しました。さらに、H2Pc分子内の水素原子の移動に起因して、エネルギー移動の確率が変動する現象を発見し、H2Pc分子がエネルギー移動を制御する「単分子バルブ」として機能することを示しました。

本研究は、励起エネルギーの動きを分子レベルの精度で制御し新しいエネルギー変換・情報処理デバイスを研究する、単分子励起子工学の開拓につながると期待できます。

成果は、英国の科学雑誌『Nature』に掲載されるのに先立ち、オンライン版(10月3日付け:日本時間10月4日)に掲載されます。

※研究チーム

理化学研究所 Kim表面界面科学研究室
協力研究員 今田 裕(いまだ ひろし)
訪問研究員 三輪 邦之(みわ くにゆき)
元研修生 今田 みやび(いまだ みやび)
元研修生 河原 祥太(かわはら しょうた)
研修生 木村 謙介(きむら けんすけ)
主任研究員 金 有洙(キム ユウス)

背景

地球上の生命は、太陽光のエネルギーによって支えられています。太陽光エネルギーを効率よく活用するには、物質が吸収したエネルギーを目的とする反応場に速く、正確に、効率よく運ぶこと(エネルギー移動)が非常に重要です。エネルギー移動の解明と制御を目指して、自然界の光合成システムにおけるエネルギー移動や、太陽電池・光触媒など人工の分子系でのエネルギー移動が、これまで活発に研究されてきました。

しかし、分子間のエネルギー移動は分子がナノスケールにまで近接した状況でのみ起こるため、多くの研究で用いられている光学顕微鏡などでは、数100ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)という光学的手法の空間分解能の限界から、詳細を解明できませんでした。

一方、原子スケールの空間分解能を持つ走査トンネル顕微鏡(STM)をベースとした発光分光法(STM発光分光法)を用いた研究では、近年、さまざまな現象が単分子レベルで観測されており、エネルギー移動の研究への応用が期待されていました。そこで研究チームは、この手法を用いて分子間のエネルギー移動を解明しようと試みました。

研究手法と成果

今回、研究チームは独自に開発した走査トンネル顕微鏡(STM)発光分光装置を用いて、数nmの距離に近接した異種2分子間のエネルギー移動を調べました。図1aに分子間エネルギー移動計測の概念図を示します。2種類の発光性分子(分子1と分子2)のうち、分子1をSTMのトンネル電流で局所的に励起させ、発光スペクトルの測定を行います。もし、分子1から分子2へエネルギー移動が起これば、分子1の発光に加えて、直接励起されていない分子2の発光も測定されます。

STMは原子スケールの空間分解能を持つ顕微鏡で、孤立した分子や近接した分子を明瞭に観察することができ、分子間距離や方位なども正確に測ることができます。しかし、今回のような原子レベルで構造が規定された分子系におけるエネルギー移動の測定は、これまで行われたことはありませんでした。

実験には、異なる発光エネルギーを持つフタロシアニン(H2Pc)分子とマグネシウムフタロシアニン(MgPc)分子を用い、この2分子の間のエネルギー移動を調べました(図1b)。今回、分子間距離が1.7nmのH2Pc-MgPcダイマー(二量体)と2.4nmのH2Pc-MgPcダイマー、二種類の試料で分子間エネルギー移動を調べて比較しました。STMのトンネル電流でMgPcを局所的に励起させ、STM発光スペクトルの測定を行った結果、いずれのH2Pc-MgPcダイマーでも、MgPcの発光(1.89eV)に加えて、H2Pcの発光ピークが1.81eVに観測されました(図2)。これは、MgPcからH2Pcへのエネルギー移動が起こったことを示しています。また、分子間距離が1.7nmのダイマーの方がH2Pcの発光強度がより強くなり、同時にMgPcの発光強度が弱くなりました。これは、分子間距離が小さいほど、エネルギー移動の確率が大きくなることを表しています。

さらに、分子間距離が1.7nmのH2Pc-MgPcダイマーのエネルギー移動の時間変化を調べたところ、エネルギー移動の確率は一定ではなく変動することが分かりました(図3)。図3aは、トンネル電流の大きさや印加電圧、発光測定時間、STM探針位置など同じ条件で測定した2本のSTM発光スペクトルですが、スペクトルの形が全く異なっています。スペクトル1(青線)はSTM探針を置いたMgPcの発光(1.89eV)のみが確認され、エネルギー移動の確率が非常に低い状態であることを示しています。スペクトル2(赤線)はMgPcの発光よりもH2Pcの発光(1.81eV)をかなり強く示しており、エネルギー移動の確率が高い状態であることが分かります。

図3bでは、H2Pc発光とMgPc発光の強度が時間とともに変動しています。これは、エネルギー移動の確率が変動していることを示しています。

また、STMの高い空間分解能による分子観察によって、エネルギー移動の確率が高いときには、H2Pc分子の中心にある二つの水素原子の位置が、ダイマー軸(H2Pcの中心とMgPcの中心を結んだ線)に沿った方向におおむね向いていること、エネルギー移動確率が低いときには、ダイマー軸に直交した方向におおむね向いていることが分かりました(図4a)。つまり、エネルギー移動確率の変動は、H2Pc内の水素原子の移動によって、エネルギー移動に寄与する分子軌道の配向が90°変化することに起因していると結論付けられます。これは、分子内の水素原子の位置の配向を制御することによって、H2Pcがエネルギー移動確率の高低を切り替えることができる、「単分子バルブデバイス」として動作することを示しています(図4b)。

今後の期待

従来、STMや電子顕微鏡などの高い空間分解能を持つ顕微鏡では、高速現象を調べることは困難でした。一方、高速現象を実時間で追跡することが可能な光学的手法では、ナノスケールで起こる現象を調べることは不可能でした。高い空間分解能で、“機能の宝庫”ともいえる励起状態で起こる高速現象を直接観察することは、自然科学における大きな目標の一つです。本研究は、STM発光分光法を用いて、分子間のエネルギー移動というダイナミックな現象を分子レベルで解明した一例です。本手法の発展により、多種多様なエネルギーダイナミクス[6]が分子レベルで解明され、励起エネルギーの動きを分子レベルの精度で制御し新しいエネルギー変換・情報処理デバイスを研究する、単分子励起子工学の開拓につながる可能性があります。

原論文情報

  • Hiroshi Imada, Kuniyuki Miwa, Miyabi Imai-Imada, Shota Kawahara, Kensuke Kimura and Yousoo Kim, "Real-space investigation of energy transfer in heterogeneous molecular dimers", Nature, doi: 10.1038/nature19765

発表者

理化学研究所
主任研究員研究室 Kim表面界面科学研究室
協力研究員 今田 裕(いまだ ひろし)
主任研究員 金 有洙(キム ユウス)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.エネルギー移動
    異なる分子や原子、イオンの間でエネルギーが交換する現象。一般に、高いエネルギーを持つものから、より低いエネルギーを持つものへ移動する。主な機構として、共鳴エネルギー移動(フェルスター機構)と電荷移動(デクスター機構)が知られている。
  • 2.空間分解能
    分解能とは、どのくらい細かくものを“見る”ことできるかの目安。分解能が小さな値では細かく(分解能が高く)、大きな値では粗く(分解能が低く)なる。空間分解能が高いほど物体をより精細に観測できる。
  • 3.走査トンネル顕微鏡(STM)、トンネル電流
    先端を尖がらせた金属針(探針)を測定表面に極限に近づけたときに電流が流れるトンネル現象を測定原理として用いる装置。試料表面をなぞるように走査して、その表面の形状を原子レベルの空間分解能で観測する。探針と試料間に流れる電流をトンネル電流と呼び、トンネル電流を検出し、その電流値を探針と試料間の距離に変換させ画像化する。
  • 4.STM発光分光法
    STMのトンネル電流によって誘起される発光を分光計測する実験手法。励起源であるトンネル電流が原子スケールの狭い領域に流れることから、誘起される発光の強度やエネルギーも同じスケールで変化し、局所的な光学特性を調べることができる。現在、原子レベルの分解能を持つ唯一の発光分光法である。
  • 5.フタロシアニン(H2Pc)、マグネシウムフタロシアニン(MgPc)
    フタロシアニンは、四つのフタル酸イミドが窒素原子で架橋された構造をもつ環状化合物で、鮮明な青色を呈する。マグネシウムフタロシアニンは、フタロシアニンの分子中心にある2個の水素原子が1個のマグネシウム原子と置き換わった安定な錯体分子。
  • 6.多種多様なエネルギーダイナミクス
    単一分子を考えても、分子軌道や分子振動、電子スピンなどの自由度があり、励起状態は無数に存在し、それらの量子状態の間の遷移はエネルギー変化を伴うダイナミックな現象である。代表的な現象として分子発光があるが、励起一重項状態からの蛍光、励起三重項状態からの燐光、三重項状態から一重項状態へ遷移して発光する遅延蛍光などがある。複数分子になると、分子間相互作用による三重項-三重項消滅や一重項分裂、電荷分離などが知られるが、分子スケールの高い空間分解能で直接観察された例はなく詳細は未解明である。
実験の概念図と試料のSTM像の図

図1 実験の概念図と試料のSTM像

(a)エネルギー移動計測法の概念図。2種類の発光性分子のうち、分子1をSTMのトンネル電流で局所励起し、発光スペクトルの測定を行う。もし分子1から分子2へエネルギー移動が起これば、分子1の発光に加えて、直接励起されていない分子2の発光も測定される。

(b)試料のSTM像と、H2PcとMgPcの分子模型。青い丸が窒素原子、黒い丸が炭素原子、白い丸が水素原子を示している。H2Pcの分子模型は、4個フタル酸が環状に結合した構造をしている。MgPcの分子構造は、H2Pcの中心にある2個の水素原子が1個のマグネシウム原子(緑色の丸)に置き換わったものである。

分子間エネルギー移動を示すSTM発光スペクトルとSTM像の図

図2 分子間エネルギー移動を示すSTM発光スペクトルとSTM像

上から順番に、分子間距離が1.7nmのH2Pc-MgPcダイマー、分子間距離が2.4nmのH2Pc-MgPcダイマー、MgPc単一分子、H2Pc単一分子のSTM発光スペクトル。発光測定はそれぞれ、右側のSTM像中に示す点(上から赤い丸、青い丸、黒い丸、黒い丸)にSTM探針を置いて測定を行った。ダイマーでは、局所励起されたMgPc(1.89eV)の発光スペクトルに加えて、H2Pc(1.81eV)の発光スペクトルも得られた(矢印)。これは、MgPcからH2Pcへエネルギー移動が起こったことを示している。

分子間エネルギー移動の確率の変動の図

図3 分子間エネルギー移動の確率の変動

(a)分子間距離が1.7nmのH2Pc-MgPcダイマーを、全く同じ条件で測定した2本のSTM発光スペクトル。
(b)発光強度の時間変化。1分間に1回のSTM発光スペクトルの測定を27分間連続で行った。H2Pc発光とMgPc発光の強度が、時間とともに変動していることが分かる。

H2Pcのバルブ効果の図

図4 H2Pcのバルブ効果

(a)エネルギー移動確率が高い状態と低い状態のSTM像。高い状態のときは、H2Pcの分子中心にある二つの水素原子の位置がおおむねダイマー軸に沿った方向に向いており、低い状態のときは、ダイマー軸に直交した方向を向いている。右の模式図では、H2Pc分子中心の二つの水素原子を赤い丸で示している。

(b)H2Pcの単分子バルブデバイスの概念図。仮想的に図のような直線状の分子配列を考える。左から二つ目まではMgPc。三つ目以降はH2Pc。
上図で、左二つのMgPcはエネルギーの高い励起状態を持ち、右三つのH2Pcはエネルギーの低い励起状態を持つ。左端のMgPcを励起したときに、(a)の上(高い移動確率)のように、三つのH2Pcの水素原子の配向が分子配列の方向に沿っていれば、励起エネルギーは高いほうから低いほうへスムースに伝わると考えられる。
下図で、(a)の下(低い移動確率)のように、H2Pcの水素原子の配向が分子配列と直交している場合(図では中心の分子)、その分子の手前まではエネルギーが伝わるものの、その先へはエネルギーが伝わらない。つまり、H2Pcはその先へエネルギーを伝えるか伝えないかを制御する、「バルブ」のように機能すると考えられる。

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