ポイント
理化学研究所(理研)生命機能科学研究センター集積バイオデバイス研究チームの田中信行研究員、田中陽チームリーダー、鈴鹿工業高等専門学校の平井信充教授、株式会社北川鉄工所の春園嘉英係長らの共同研究グループ※は、微生物の作用により物体表面に発生するバイオフィルム[1]の有無を「水とのなじみやすさ」を指標とすることで、触れずに簡便に評価できる手法を開発しました。
本研究成果は、住宅設備や水中構造物にバイオフィルムが付着することを防ぐための素材開発や、歯垢など生体表面に発生するバイオフィルムを制御する技術の開発に貢献すると期待できます。
バイオフィルムは、流しに発生する“ヌメリ”の原因となるなど、水があればどこにでも発生し、環境・衛生に影響を与え、材料腐食などの原因となります。
今回、共同研究グループは、バイオフィルムが水となじみやすい親水性の生体高分子(多糖類やタンパク質など)を多く含むことに着目しました。そこで、水で覆われた評価対象の物体表面に一定圧力の空気噴流を噴射するという簡便な操作を用いて、発生した「液体除去円」の大きさからバイオフィルムの親水性を評価しました。その結果、バイオフィルムの液体除去円は、清浄な場合と比べて小さくなり、親水性が高いことが分かりました。このように、液体除去円の大きさを清浄な場合と比べることで、バイオフィルムの有無を評価できることが明らかになりました。
本研究は、英国の科学雑誌『Scientific Reports』(5月30日付け)に掲載されました。
図 液体除去円の大きさで評価するバイオフィルム
※共同研究グループ
理化学研究所 生命機能科学研究センター 集積バイオデバイス研究チーム
研究員 田中 信行(たなか のぶゆき)
パートタイマー(研究当時) 髙原 順子(たかはら じゅんこ)
パートタイマー(研究当時) 粟津 茜(あわづ あかね)
パートタイマー 藤田 暢子(ふじた のぶこ)
チームリーダー 田中 陽(たなか よう)
鈴鹿工業高等専門学校
講師 幸後 健(こうご たけし)
教授 平井 信充(ひらい のぶみつ)
准教授 小川 亜希子(おがわ あきこ)
教授 兼松 秀行(かねまつ ひでゆき)
株式会社北川鉄工所
係長 春園 嘉英(はるぞの よしひで)
室長(研究当時) 市田 春治(いちだ しゅんじ)
※研究支援
本研究は、科学技術振興機構(JST)研究成果最適展開支援プログラム「バイオ界面の非接触濡れ性評価システム(研究代表者:春園嘉英、田中信行)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金若手研究「非接触濡れ性センシングと細胞品質評価(研究代表者:田中信行)」」および国際共同研究加速基金(国際共同研究強化(A))「濡れ性とマトリックス動態を介した細胞分化の非破壊評価(研究代表者:田中信行)」による支援を受けて行われました。
背景
バイオフィルムは、微生物と微生物が産生する細胞外高分子物質(多糖類やタンパク質など)の集合体であり、一般的には“ヌメリ”として知られています。バイオフィルムは、水と微生物が付着できる物体があればどこにでも発生し、環境・衛生に影響を与え、水中構造物の腐食の原因ともなります。このような場面ではバイオフィルム形成を抑制することが求められます。一方、バイオフィルムは、水棲植物の足場にもなり、藻場回復など水中環境改善のための足がかかりとしても注目されています。このような場合、バイオフィルム形成を促進することが必要となります。
このように、目的に応じてバイオフィルム形成を制御するためには、水中にさらされる物体の素材、表面コーティング、表面粗さなどの調整が必要です。研究開発の現場では、水中に置かれたさまざまな材料表面にバイオフィルムが生成されたか否かを調べます。しかし、これまでは色素による染色や乾燥後の顕微鏡観察など、前処理が必要な方法が一般的であり、バイオフィルムをそのままの状態で調べる簡便な手法が求められていました。
研究手法と成果
流しなどに発生するヌメリは、その時々の温度や水質によって大きく変化します。共同研究グループはまず、実験室で研究対象のバイオフィルムを安定的に形成するために、専用の装置であるバイオリアクター[2]を導入しました(図1)。これは、10リットルほどのタンクに水を張り、一定の水温に管理しながらポンプを使って水を循環させるものです。身近な環境で発生するバイオフィルムを想定し、空気を電動ファンで循環する水に吹き付けることによって、周囲の環境中に含まれる微生物を効率的に水中に取り込むことができます。
バイオリアクターのタンク内の水中に、プラスチック容器を14日間置いた状態でバイオリアクターを稼働させました。その後、クリスタルバイオレットというバイオフィルムを紫色に染色する色素を用いて、バイオフィルムの形成を確認しました。その結果、清浄なプラスチック容器は染色されませんでしたが、水中に14日間置いた同じ容器は薄い紫色に染まり、所々濃い紫色の小さな斑点が見られ(図2)、周囲の空間中に含まれる微生物がプラスチック容器の表面に付着し、バイオフィルムが形成されたことが分かりました。
さらに、プラスチック容器の表面を乾燥させて、顕微鏡観察を行いました。すると、大小さまざまな形状の微小物体が容器表面に付着している様子が見られました(図3)。特に、細長い棒状の物体は桿菌(かんきん)と呼ばれる微生物と考えられます。これらの結果から、バイオリアクターを使用して2週間ほどで、その表面に塊状の物体を形成するまでにバイオフィルムが成長していることが分かりました。
バイオフィルムは、微生物が多糖類やタンパク質などを多く含む細胞外高分子物質で覆われた構造を持っています。共同研究グループは、多糖類やタンパク質が一般的にプラスチックなどと比べて、水とのなじみがよい親水性であることに着目し、物体表面の親水性を調べることで、バイオフィルムが形成されたか否かが分かるのではないかと考えました。一般的に親水性の評価には、液滴などを物体表面に接触させたときの接触角を指標としますが、これは乾燥状態での評価が基本であるため、もともと濡れた状態であるバイオフィルムの親水性評価には利用できませんでした。
これまでに田中信行研究員らは、液滴の代わりに、液体に覆われた物体表面に空気噴流を当てたときの液体の動きから、親水性を評価する手法(図4)を開発しており注1)、液中にある培養細胞などの評価に応用されています注2)。この手法では、空気噴流によって生じた「除去円」が小さいほど、基本的には物体の水とのなじみやすさが大きいといえます。
この手法で、清浄なプラスチック容器と14日間バイオリアクター内に置いたプラスチック容器の親水性をそれぞれ評価しました。その結果、清浄なプラスチック容器では大きな除去円が生じるのに対して、バイオリアクター内に14日間置いたプラスチック容器では、その1/3ほどの直径の除去円しか発生しませんでした(図5)。これにより、バイオフィルム形成により表面の親水性が高まり、除去円の観察だけで特別な前処理無しに、バイオフィルム形成の有無を直接触れることなく検出できることが分かりました。
注1)2017年9月19日プレスリリース「細胞のうるおいを測る」
注2)Nobuyuki Tanaka, Makoto Kondo, Ryohei Uchida, Makoto Kaneko, Hiroaki Sugiyama, Masayuki Yamato, and Teruo Okano, “Splitting culture medium by air-jet and rewetting for the assessment of the wettability of cultured epithelial cell surfaces.” Biomaterials, 34, 9082-9088, 2013. DOI: 10.1016/j.biomaterials.2013.08.029
今後の期待
今回、バイオフィルムの有無を親水性という全く新しいアプローチで検出することに成功しました。これまで、バイオフィルム対策技術の研究開発では、さまざまな試薬や顕微鏡による検出方法が利用されてきましたが、本手法によって、そのままのサンプルに空気噴流を当てるだけでバイオフィルムの有無を評価できるようになると考えられます。
例えば、流し台などの住宅設備では、バイオフィルムが形成されにくい素材や加工を施すことで、掃除の回数や、衛生面での心配を減らすことができます。本手法によってバイオフィルムの形成の評価をより簡便・迅速に行うことができるようになり、より効率的な対策技術の研究開発が期待できます。
また、歯の表面に形成される歯垢などのバイオフィルムは、虫歯や歯周病の原因となります。将来的に歯の表面を薄く覆う唾液の除去円を計測することで、バイオフィルムの状態を予測することができれば、簡便な口腔内の健康診断に役立つと期待できます。
原論文情報
- Nobuyuki Tanaka, Takeshi Kogo, Nobumitsu Hirai, Akiko Ogawa, Hideyuki Kanematsu, Junko Takahara, Akane Awazu, Nobuko Fujita, Yoshihide Haruzono, Shunji Ichida, and Yo Tanaka, "In-situ detection based on the biofilm hydrophilicity for environmental biofilm formation", Scientific Reports, 10.1038/s41598-019-44167-6
発表者
理化学研究所
生命機能科学研究センター 集積バイオデバイス研究チーム
研究員 田中 信行(たなか のぶゆき)
チームリーダー 田中 陽(たなか よう)
鈴鹿工業高等専門学校
教授 平井 信充(ひらい のぶみつ)
株式会社北川鉄工所 新事業推進本部
係長 春園 嘉英(はるぞの よしひで)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
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Tel: 0847-40-0501 / Fax: 0847-45-0589
※上記の[at]は@に置き換えてください。
産業利用に関するお問い合わせ
補足説明
- 1.バイオフィルム
微生物と微生物が産生する細胞外高分子物質(多糖類やタンパク質など)が、固体表面上に形成する構造体のこと。バイオフィルムは廃水処理に利用されるなど有用な面がある一方、各種材料の劣化や腐食、感染症などの健康被害を引き起こすことがある。 - 2.バイオリアクター
酵素などの生物触媒や微生物を用いて、有用物質を産出するための装置。本研究では、環境中に含まれる常在菌を取り込み、水中の物体にバイオフィルムを形成させるために特別に作られたものを利用した。
図1 バイオフィルム形成実験用バイオリアクター
10リットルほどのタンクに水を張り、一定の水温に管理しながらポンプを使って水を循環させる。空気を電動ファンで循環する水に吹き付けることで、周囲の環境中に含まれる微生物を効率的に水中に取り込むことができる。
図2 クリスタルバイオレット染色の結果
左の清浄なプラスチック容器は全く染色されなかったのに対して、右の14日間稼動させたバイオリアクター内のプラスチック容器は全体的に薄い紫色になり、所々濃い紫色の斑点が見られた。画像では、コントラストを強調している。
図3 顕微鏡観察結果
左は顕微鏡画像で、大小さまざまな微小物体が形成されていた。細長い棒状のもの(代表的なものを矢頭で指示)は桿菌(かんきん)と考えられる。右は、顕微鏡画像の領域を3次元で表示したもの。スケールバーは100マイクロメートル(μm、1,000分の1mm)。
図4 液体除去による親水性評価
左は模式図で、右は実験の様子。液体に覆われた物体表面に1秒間だけ空気噴流を当てたときの液体の動きから、親水性が評価できる。空気噴流によって生じた除去円が小さいほど、物体の水とのなじみやすさが大きいといえる。
図5 バイオフィルムの有無と除去円の挙動
バイオリアクター内に14日間置いたプラスチック容器では、清浄なプラスチック容器の1/3ほどの直径の除去円しか発生せず、1.5秒後(空気噴射停止の0.5秒後)には高親水性のために除去円は消えてしまった。