理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター生体機能触媒研究チームの中村龍平チームリーダー、李亜梅研究員(研究当時)らの国際共同研究グループは、化学合成した酸素を含むモリブデン硫化物の触媒に、天然の硝酸還元酵素[1]と類似した反応活性サイトがあることを見いだしました。
本研究成果は、水質汚染物質として規制されている硝酸イオン(NO3-)を無害化するための、新たな触媒開発につながると期待できます。
窒素肥料[2]の大量消費により、環境汚染が深刻化しています。特に、硝酸イオンは、水に溶けやすく、化学的に安定であるため、地下水や河川に蓄積し、飲料水を汚染したり、湖沼の富栄養化や赤潮を引き起こします。国際共同研究グループは、2017年、硝酸イオンを無害化するための触媒として、モリブデン硫化物が有望な候補であることを見いだしていました。
今回、国際共同研究グループは、触媒作用の起源を明らかにするため、モリブデン硫化物の性質を電子スピン共鳴分光法[3]などで評価しました。その結果、酸素を含む5価のモリブデン(Mov=O、オキソモリブデン)が、反応を促進するための活性種であることを突き止めました。そして、この活性種が、天然の硝酸還元酵素と類似した構造を持つことを明らかにしました。本成果は、酵素が持つ優れた特性を、人工の触媒を用いて再現するための大きな一歩になると考えられます。
本研究は、科学雑誌『Angewandte Chemie International Edition』のオンライン版(4月1日付)に掲載され、Very Important Paper (VIP)に採択されました。
生体酵素が持つオキソモリブデン構造(左)は、硝酸イオン(NO3-)を還元する能力が高い
背景
人口増加に伴う過度な窒素肥料の利用により、水質汚染が深刻化しています。特に、窒素肥料に含まれる硝酸イオン(NO3-)は、環境に蓄積しやすく、飲料水の汚染、湖沼の富栄養化や赤潮発生の原因になります。そのため、硝酸イオンの環境への排出は、厳しく規制されています。
現在、硝酸イオンを無害化する方法として、微生物が持つ硝酸還元代謝[4]を利用した排水処理技術が用いられています。しかし、硝酸が高濃度だと微生物が生育できず、廃液を処理できないという問題があります。また、化学的に硝酸を処理するためには、高価な貴金属触媒を使う必要があります。しかも、強酸性条件でないと反応が起きないなど、環境負荷の観点からも問題がありました。
そのような中、国際共同研究グループは、微生物が持つ硝酸還元酵素の仕組みを取り入れた、人工触媒の開発を進めてきました。そして、モリブデン硫化物(MoSx)を触媒として用いることで、温和なpH環境(pH 7)で、選択的に硝酸イオンを還元できることを見いだしました注1-2)。
微生物が持つ硝酸還元酵素には、モリブデンが使われています。そのため、国際共同研究チームは「モリブデン硫化物触媒にも、酵素と似た活性サイトがあるのではないか?」と仮説を立てました。本研究では、その仮説を検証するため、触媒表面における化学種がどのように変化するかを、電子スピン共鳴分光法などを用いて追跡することを試みました。
- 注1)Y. Li, A. Yamaguchi, M. Yamamoto, K. Takai, R. Nakamura, Molybdenum Sulfide: A Bioinspired Electrocatalyst for Dissimilatory Ammonia Synthesis with Geoelectrical Current, J. Phys. Chem. C, 2017, 121, 2154-2164
- 注2)2018年3月29日プレスリリース「温和な環境で働く人工脱窒触媒」
研究手法と成果
本研究では、酸素を含む硫化モリブデン粒子を硝酸還元触媒として用いました。還元剤を加えた環境で、モリブデン硫化物表面における化学種(モリブデン原子中の電子数とスピンの状態、モリブデン酸素間の結合)がどのように変化するかを、電子スピン共鳴分光法などを用いて測定しました。ここでは、亜ジチオン酸イオン(S2O42-)を還元剤[5]として触媒を含む水溶液に添加することで、硝酸還元反応を駆動しました。
電子スピン共鳴分光法でモリブデン原子中の電子数とスピンの状態を調べたところ、還元剤の添加により、酸素を配位子に持つ5価のモリブデン種(MoV=O)が生成するこが分かりました。引き続き、触媒を含む溶液に、硝酸イオンを添加しました。すると、5価のモリブデン種が消失し、硝酸イオンの還元生成物である亜硝酸(NO2-)とアンモニウムイオン(NH4+)が生成することを突き止めました(図1)。この結果より、酸素を含む5価のモリブデン(MoV=O)が活性種となり、硝酸イオンが還元されていることが分かりました。
図1 電子スピン共鳴分光法により特定されたMoV=O中間体と反応機構の概念図
- 左:還元剤を添加すると、反応前のスペクトル(黒)と比較して、新たなピークが検出された(赤)。このピークは硝酸添加により消失する(青)ことから、このピークは硝酸を還元する能力を持つ活性中間体に由来すると考えられる。
- 右:電子スピン共鳴分光法の結果から想定される反応機構。触媒表面に生成したMoV=Oが活性種となり、硝酸イオン(NO3-)が還元され、亜硝酸イオン(NO2-)とアンモニウムイオン(NH4+)が生成する。
一方で比較として、酸素を含まない硫化モリブデン粒子を触媒として用いた場合には、硝酸還元反応は全く進行しませんでした。また、電子スピン共鳴分光法を用いた計測においても、MoV=Oの生成は観測されませんでした。つまり、活性種であるMoV=Oを効率的に触媒表面に作り出すには、モリブデンの配位子に酸素と硫黄の両方が必要であるということを突き止めました。
モリブデンを酸素と硫黄で配位した構造は、天然の硝酸還元酵素と共通しています。天然酵素はモリブデンを活性中心に持ち、硫黄と酸素が配位したプテリン構造[6]をとっています(図2)。そして、酵素反応においても、MoV=Oが生成し、硝酸イオンの活性化が進行することが分かっています。よって、本研究により、化学合成したモリブデン硫化物には、天然の酵素と類似した反応活性サイトがあることが明らかになりました。
図2 自然界の硝酸還元酵素の活性中心
生体内における硝酸還元酵素の役割によって活性中心が異なる。左は、酸素ではなく硝酸を呼吸に使う細菌が持つ硝酸還元酵素。右は、窒素を取り込むためのシロイヌナズナの硝酸還元酵素。いずれの酵素でも、モリブデン(Mo)が酸素(O)と硫黄(S)の両方に配位されている。黄色で示された硫黄原子は、プテリン環に配位している。
今後の期待
本成果は、貴金属に依存することなく、温和な環境で硝酸イオンの無害化が可能であることを示すものです。また、廃液からアンモニアを合成する新しい技術としての展開も期待できます。
本研究成果は、国際連合が設定した「持続可能な開発目標(SDGs)[7]」のうち、目標7「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」、そして目標14「海の豊かさを守ろう」に貢献する研究成果です。
補足説明
- 1.硝酸還元酵素
硝酸イオン(NO3-)を亜硝酸(NO2-)に還元するための酵素。生体内では、エネルギーを獲得するためや、生体分子の合成に必要な窒素原子を取り込むために使われる。 - 2.窒素肥料
植物の生育に欠かせない窒素を主成分とする肥料。塩化アンモニウム、硫酸アンモニウム、硝酸アンモニウム、尿素などを含む。 - 3.電子スピン共鳴分光法
物質を磁場の中に置いた状態で電磁波を当てると、共鳴現象により、ある特定の光を強く吸収することが知られている。この現象を利用して物質中の電子状態を特定する手法を電子スピン共鳴分光と呼ぶ。全ての分子の電子状態を観測できるわけではないが、観測できる分子については、極めて詳細な情報が得られる。 - 4.硝酸還元代謝
ヒトは、酸素の持つ酸化力で糖を分解し、エネルギーを獲得している。しかし、酸素ではなく、硝酸の酸化力で糖を分解し、エネルギーを獲得する微生物もいる。このような代謝の方法を硝酸還元代謝という。 - 5.還元剤
硝酸イオンは化学的に安定なため、それを還元するためにはエネルギーを加える必要がある。ここでは、還元剤がエネルギーを触媒に供給する役割を持つ。 - 6.プテリン構造
炭素と窒素からなる分子であり、二つの環がつながった形を持つ。酵素が触媒として機能することを補助する補因子としての役割を持つ。 - 7.持続可能な開発目標(SDGs)
2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のためのアジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール、169のターゲットから構成され、発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり、日本としても積極的に取り組んでいる(外務省ホームページから一部改変して転載)。
国際共同研究グループ
理化学研究所 生体機能触媒研究チーム
チームリーダー 中村 龍平(なかむら りゅうへい)
研究員(研究当時) 李 亜梅(リ ヤメイ)
基礎科学特別研究員 大岡 英史(おおおか ひでし)
国際プログラム・アソシエイト(研究当時) 何 道平(ヘ ダオピン)
上海交通大学
教授 金 放鳴(ジン ファンミン)
韓国基礎科学支援研究院(KBSI)
主任研究員 Sun Hee Kim(スン ヒ キム)
research scientist(研究当時) Yoo Kyung Go(ユ キョン ゴ)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究(B)「新規活性予測モデルに基づく3d元素を用いた酸素発生電極触媒の開発(研究代表者:中村龍平)」、理研国際プログラム・アソシエイト制度および韓国研究財団 2017M3D1A1039380による支援を受けて行われました。
原論文情報
- Yamei Li,* Yoo Kyung Go, Hideshi Ooka, Daoping He, Fangming Jin, Sun Hee Kim,* Ryuhei Nakamura* , "Enzyme Mimetic Active Intermediates for Nitrate Reduction in Neutral Aqueous Media", Angewandte Chemie International Edition, 10.1002/anie.202002647
発表者
理化学研究所
環境資源科学研究センター 生体機能触媒研究チーム
チームリーダー 中村 龍平(なかむら りゅうへい)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
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