要旨
理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター生体機能触媒研究チームの中村龍平チームリーダー、何道平国際プログラムアソシエイトらの国際共同研究チーム※は、微生物の脱窒酵素[1]を模倣した人工触媒を開発し、高効率で亜硝酸イオンを窒素に無害化することに成功しました。
人口増加に伴う過度な窒素肥料[2]の利用により、環境汚染が深刻化しています。窒素肥料に含まれる窒素酸化物[3]は、水に溶けやすい性質を持つため、地下水や河川へ流入し、飲料水の汚染、湖沼の富栄養化や赤潮発生の原因になります。そのため、環境への排出が厳しく規制されています。窒素酸化物を除去する方法として、微生物が持つ脱窒反応[4]が利用されています。脱窒反応は硝酸イオンや亜硝酸イオンを還元することで窒素分子にして無害化し、大気に放出します。しかし、微生物を用いた排水処理には大掛かりな装置が必要になります。また、高濃度の硝酸イオンを処理することが難しいなどの問題点があります。
今回、国際共同研究チームは、微生物が行う脱窒反応の仕組みに着目し、完全に人工物で構成される脱窒触媒の開発に取り組みました。その結果、酸素を含むモリブテン硫化物から構成される触媒が、温和な環境で、亜硝酸イオンを窒素分子にまで変換する能力を持つことを見いだしました。この触媒開発のカギとなったのが、「電子とプロトン(水素イオン)の移動のタイミングを意図的にずらす」という新しい概念です。これにより、溶液のpHを変えるだけで選択性を向上させ、世界最高レベルの選択性(13.5%)を達成しました。
今後、窒素生成に対する選択性をさらに高めることで、微生物処理技術と並び新たな脱窒技術としての利用が期待できます。また、廃液からアンモニアを合成する新しい技術としての展開も考えられます。
本研究は、米国の科学雑誌『Journal of the American Chemical Society』に掲載されるのに先立ち、オンライン版(1月17日付け:日本時間1月18日)に掲載されました。
※国際共同研究グループ
理化学研究所 環境資源科学研究センター 生体機能触媒研究チーム
チームリーダー 中村 龍平(なかむら りゅうへい)
国際プログラムアソシエイト 何 道平(ヘ ダオピン)
上海交通大学
教授 金 放鳴(ジン ファンミン)
韓国基礎科学研究院
主任研究員 Sun Hee Kim(スン ヒ キム)
背景
窒素肥料の耕作地への過剰な散布により、農地から溶け出した窒素酸化物が引き起こす環境破壊が深刻化しています。窒素肥料のみならず、家畜の糞尿や生活排水にも窒素酸化物が含まれており、これらが湖沼や沿岸域に蓄積すると富栄養化や赤潮発生の原因になります。また、地下水への流出は、井戸水の汚染につながるため、環境への流出は厳しく規制されています。
現在、窒素酸化物を無害化する方法として、微生物が持つ脱窒反応を利用した排水処理技術が用いられています。微生物は、脱窒代謝により、毒性の高い硝酸や亜硝酸を、高い選択性で窒素分子へと変換することができます。しかし、微生物を用いた排水処理には大掛かりな装置が必要になります。また、微生物が生育できない高濃度の硝酸イオンや亜硝酸イオンを含む廃液などを、処理できないという問題があります。そのため、微生物が行う脱窒反応を人工触媒により代替する試みが行われてきました。しかし、人工の脱窒触媒には白金などの高価な貴金属を使う必要があります。また、反応を起こすためにはpH1以下の強酸性条件が必要であるなど、費用的な面や環境負荷の大きさという点で問題がありました。
研究手法と成果
国際共同研究チームはまず、人工の脱窒触媒を開発するにあたり、微生物が行う脱窒反応の仕組みに着目しました。土壌などに生息する微生物は、4種類の異なる酵素を用い、硝酸イオン(NO3-)から亜硝酸イオン(NO2-)、亜硝酸イオンから一酸化窒素(NO)、一酸化窒素から一酸化二窒素(N2O)、そして最後に一酸化二窒素から窒素分子(N2)を作り出します(図1)。微生物は、このような多段階反応を、鉄(Fe)や銅(Cu)、そしてモリブテン(Mo)などの元素を酵素の活性中心に用い、脱窒反応を選択的かつ温和な条件で進行させます。
国際共同研究チームは、NO3-を還元する酵素が、モリブテンを活性中心に持つことに着目しました。モリブテンを活性中心に持つ酵素は、硫黄(S)と酸素(O)が配位したプテリン構造[5]をとっています。そこで、プリテン構造と類似した活性中心を持つ触媒を、水熱合成法[6]により合成しました。得られた触媒の構造を解析したところ、天然酵素の活性中心と類似の酸素を含むMoS4構造をとることを確認しました。
次に、人工脱窒触媒を電極として用い、中性のpH環境下で亜硝酸還元反応に対する活性の評価を行いました。その結果、温和なpH領域において微生物の脱窒代謝と同様に、NO2-からNO、NOからN2O、そしてN2Oの還元を経由して分子状のN2が生成することを見いだしました。さらに、その反応選択性は、溶液のpHに対し鋭敏に変化し、pH5においてNO2-からN2への変換が、3.5%に達しました(図2右上)。さらに、高濃度のNO2-が存在する環境下においては、反応選択性はさらに向上し13.5%の反応選択性で進行することが分かりました。
一方、pH5以下の場合は、有毒ガスであるNOを生成し(図2左下)、またpH5以上では、化学燃料であるアンモニウムイオン(NH4+)が主な生成物でした(図2左上)。このようなpHに依存した脱窒反応は、プリテン類似構造を持たないモリブテン硫化物触媒では全く観測されませんでした。
以上の結果は、生体酵素が行う多段階の脱窒反応を、人工触媒によって再現可能であることを示しています。また、今回観測されたpH依存性は、反応の律速段階[7]において「プロトン(水素イオン)と電子の移動のタイミングがずれている」ことを示しています(図3)。このような、電子とプロトンの移動のタイミングをずらすという概念は、触媒化学においては新しい概念であり、脱窒反応のみならず、複数の競合反応を持つ触媒反応全般において、選択性を制御するための新たな戦略となります。
今後の期待
窒素酸化物の河川や地下水そして湖沼への排出は、環境破壊を引き起こすため厳しく規制されています。今回開発した人工脱窒触媒によって、微生物が生息できない高濃度の亜硝酸イオンの処理が可能になります。また、従来の課題であった大掛かりなシステムを必要としないという利点もあります。
今後、窒素生成に対する選択性をさらに高めることで、微生物処理技術と並び新たな脱窒技術としての利用が期待できます。また、廃液からアンモニアを合成する新しい技術としての展開も期待できます。
原論文情報
- D. He, Y. Li, H. Ooka, Y. K. Go, F. Jin, S. H. Kim, R. Nakamura, "Selective electrocatalytic reduction of nitrite to dinitrogen based on decoupled proton-electron transfer", Journal of the American Chemical Society, 10.1021/jacs.7b12774
発表者
理化学研究所
環境資源科学研究センター 生体機能触媒研究チーム
チームリーダー 中村 龍平(なかむら りゅうへい)
国際プログラムアソシエイト 何 道平(ヘ ダオピン)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
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補足説明
- 1.脱窒酵素
微生物の脱窒反応を触媒する酵素 - 2.窒素肥料
植物の生育に欠かせない窒素を主成分とする肥料。塩化アンモニウム、硫酸アンモニウム、硝酸アンモニウム、尿素などを含む。 - 3.窒素酸化物
窒素の酸化物の総称。硝酸(HNO3)や亜硝酸(HNO2)などを含む。 - 4.脱窒反応
硝酸イオン(NO3-)や亜硝酸イオン(NO2-)を、分子状窒素(N2)として大気中へ放散させる作用。 - 5.プテリン構造
ピラジン環とピリミジン環から構成される有機化合物。酵素の触媒における補因子として働く。 - 6.水熱合成法
高温高圧の熱水の環境下で行う化合物の合成方法。常温では水に溶けない物質も溶解するため、通常は得られないような物質の合成ができる。 - 7.律速段階
ある化学反応プロセスの中で、特別に遅い反応段階があると、他の反応がいくら速くても、その遅い段階の反応速度が全体としての速度を決定してしまう。これを律速段階という。
図1 微生物が行う脱窒反応の経路
毒性の高い硝酸イオン(NO3-)と亜硝酸イオン(NO2-)が、複数の酵素により還元され、無害な窒素分子(N2)として空気中に放出される。
図2 人工の脱窒触媒を用いた亜硝酸イオンの無害化反応
亜硝酸イオン(NO2-)の還元反応により、アンモニウムイオン(NH4+)、一酸化窒素(NO)、一酸化二窒素(N2O)、そして窒素分子(N2)が生成する。その選択性は溶液のpHに強く依存し、窒素生成の効率は、pH5で最大値となった(右上)。
図3 人工脱窒触媒を用いた亜硝酸の無害化反応のメカニズム
活性中心は、亜硝酸イオン(NO2-)を還元する酵素と類似のプテリン構造を取る。電子とプロトン(水素イオン)が個別に移動する経路を利用することで、窒素分子(N2)の生成が最適化される。