理化学研究所(理研)環境資源科学研究センターバイオ高分子研究チームの沼田圭司チームリーダー(京都大学大学院工学研究科材料化学専攻教授)、樋口美栄子研究員、京都大学大学院工学研究科材料化学専攻のチューン・ピン・フーン特定助教らの共同研究チームは、原始的な光合成生物である海洋性の「紅色光合成細菌[1]」を用いてクモ糸シルクタンパク質を生産することに成功しました。
今回、共同研究チームは、海洋性の紅色光合成細菌にジョロウグモの牽引糸[2]タンパク質の一つである「MaSp1」をコードする遺伝子を導入し、細胞内で発現させることに成功しました。紅色光合成細菌は、二酸化炭素固定能に加えて窒素固定[3]能を持つことが知られています。そこで、人工海水[4]の培地に炭酸水素ナトリウムと窒素ガスを加えた条件において紅色光合成細菌を培養した結果、栄養源豊富な培地で培養した場合の約7.5%に相当する量のMaSp1タンパク質を生産できました。さらに、紅色光合成細菌が生産したMaSp1タンパク質を精製し、タンパク質を有機溶媒に溶解し、延伸することにより、クモ糸様のファイバー構造を再現することに成功しました。海洋性の紅色光合成細菌は、地球上に豊富に存在する海水、窒素、二酸化炭素、光を生育に用いることができる微生物であることから、本研究成果は、天然資源の利用による持続可能な物質生産技術の一つとして、地球環境の保全に貢献すると期待できます。
本研究は、科学雑誌『Communications Biology』のオンライン版(7月8日付:日本時間7月8日)に掲載されます。
![海洋性の紅色光合成細菌を用いたクモ糸シルクの生産の図](/medialibrary/riken/pr/press/2020/20200708_4/20200708_4_fig.jpg)
海洋性の紅色光合成細菌を用いたクモ糸シルクの生産
背景
カイコやクモ由来のシルクは生分解性や生体適合性に加え、軽量かつ強靭という特性を併せ持ち、特にクモ糸は鋼鉄に匹敵する靭性(タフネス)を示すことから、高い衝撃吸収性が求められる構造材料への応用も期待されています。しかし、クモの大量飼育は困難であるため、さまざまな生物種をホスト生物としたクモ糸シルクの生産が試みられています。また、主鎖骨格に窒素を含むシルクの合成には、炭素源に加えて窒素源を供給する必要があります。そのため、将来的には炭素源や窒素源を安定的に導入可能な生産法が必要とされます。
「紅色光合成細菌(Rhodovulum sulfidophilum)」は、カルビン回路による二酸化炭素固定とニトロゲナーゼによる窒素固定を行うことが知られています。海洋性の紅色光合成細菌は、地球上に豊富に存在する海水と大気中の二酸化炭素および窒素を原材料とし、同じく無尽蔵な太陽エネルギーを栄養源として利用できることから、環境負荷の低減という点では最も理想的な物質生産システムであると考えられます。
そこで、共同研究チームは、海洋性の紅色光合成細菌を用いた、クモ糸シルクタンパク質の生産を試みました。
研究手法と成果
共同研究チームはまず、海洋性の紅色光合成細菌にジョロウグモの牽引糸の主成分であるMaSp1タンパク質を合成させるために、遺伝子組換え技術[5]により、MaSp1タンパク質に存在する繰り返し配列[6]の遺伝子を紅色光合成細菌に導入しました。この繰り返し配列はクモ糸の強度に重要な働きをすると考えられています。MaSp1タンパク質の合成量が増加するように、導入する遺伝子配列を最適化した結果、紅色光合成細菌においてMaSp1タンパク質を合成することが示されました。
次に、紅色光合成細菌が生育するのに利用する近赤外域の730ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)のLEDを培養光として照射し、無機塩類のみを含む人工海水の培地に、炭素源として二酸化炭素の代替となる炭酸水素ナトリウムを添加し、窒素源として窒素ガスを導入した培養条件において、MaSp1タンパク質の合成を試みました(図1a)。このような光独立栄養培養[7]条件において紅色光合成細菌が生育できることを確認し、紅色光合成細菌の生育を促進させる酵母抽出物を加えた結果、MaSp1タンパク質を合成することが分かりました(図1b)。これにより、遺伝子導入紅色光合成細菌が海水、光、二酸化炭素、窒素を利用してクモ糸シルクを生産することが可能であると示されました。今回の合成量は栄養源豊富な培地で培養した場合の約7.5%であり、培養条件の最適化などが今後の課題ですが、遺伝子導入紅色光合成細菌を用いて海水、光、二酸化炭素、窒素を利用したクモ糸シルク生産に成功しました。
![人工海水培養によるクモ糸シルクタンパク質の合成の図](/medialibrary/riken/pr/press/2020/20200708_4/20200708_4_fig1.jpg)
図1 人工海水培養によるクモ糸シルクタンパク質の合成
- a:クモ糸シルクタンパク質MaSp1の繰り返し配列の遺伝子を導入した海洋性紅色光合成細菌の培養。
- b:MaSp1タンパク質の全タンパク質に占める割合。MaSp1タンパク質量は、ウエスタンブロッティング法により定量した。(略称: MB = 高栄養培地、ASW = 人工海水、C = 炭酸水素ナトリウム、YE = 酵母抽出物、 N2 = 窒素ガス、 P = リン酸二水素カリウム)。
次に、9Lの大型培養槽でMaSp1遺伝子を導入した紅色光合成細菌を培養しました(図2a)。培養した細菌の細胞を破砕した後、MaSp1タンパク質を精製したところ、最終的に約10mgのMaSp1タンパク質が得られました(図2b)。この得られたMaSp1タンパク質を10%ヘキサフルオロイソプロパノール(HFIP)に溶解し、90%イソプロパノール溶液内で延伸すると、クモ糸様のファイバーが得られました(図2c)。走査型電子顕微鏡[8]により表面構造を観察した結果、このファイバーの直径は10~20マイクロメートル(μm、1μmは1000分の1mm)を示しており(図2d)、破断面からも内部の繊維状の構造を確認できました(図2e)。このように、紅色光合成細菌において生産されたクモ糸シルクタンパク質が天然のクモ糸と同等であることが示されました。
![組換え紅色光合成細菌において生産されたクモ糸ファイバーの構造の図](/medialibrary/riken/pr/press/2020/20200708_4/20200708_4_fig2.jpg)
図2 組換え紅色光合成細菌において生産されたクモ糸ファイバーの構造
- a:海洋性紅色光合成細菌の9Lの大型培養槽
- b:凍結乾燥させた精製MaSp1タンパク質。
- c:HFIP溶液に溶解させたMaSp1タンパク質を延伸することにより得られたファイバー。
- d:MaSp1タンパク質から得られたファイバーの走査型電子顕微鏡像。
- e:ファイバーの破断面の走査型電子顕微鏡像。
今後の期待
本研究では、地球上に豊富に存在する天然資源である海水、窒素、二酸化炭素、光を生育に用いることができる海洋性の紅色光合成細菌をホスト生物として、有用な生体高分子であるクモ糸シルクタンパク質の生産、ファイバー構造の再現に成功しました。
海洋性紅色光合成細菌が持つ二酸化炭素固定能や窒素固定能、また、天然資源である海水や光を利用した物質生産システムをさらに改善することにより、原材料にかかるコストの削減、持続可能な社会の実現への貢献が期待できます。
補足説明
- 1.紅色光合成細菌
近赤外光を利用して光合成を行う細菌。水の分解による酸素発生は行わない。 - 2.牽引糸
クモが獲物を獲得するときや、危機を感じて逃げるときなどに出す糸。 - 3.窒素固定
空気中の窒素をアンモニアに変換する反応。紅色光合成細菌においては、ニトロゲナーゼと呼ばれる酵素が触媒する。 - 4.人工海水
天然海水に近い成分組成となるように調合され、主成分である塩化ナトリウムと無機塩から成る。 - 5.遺伝子組換え技術
生物に新しい性質を付与するため、異種の生物に人工的に設計したDNAを導入する技術。 - 6.繰り返し配列
同じ配列が複数回繰り返して存在する配列。MaSp1タンパク質の場合、グリシンとアラニンが特に多く含まれる。 - 7.光独立栄養培養
光を照射し、二酸化炭素を炭素源とした光合成によって生育、増殖を行う培養。 - 8.走査型電子顕微鏡
電子顕微鏡の一種で、電子線を試料に照射することで数nm程度の構造まで観察できる装置。
研究支援
本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 ERATO「沼田オルガネラ反応クラスタープロジェクト(研究総括:沼田圭司)」、総合科学技術・イノベーション会議により制度設計された革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)「セレンディピティの計画的創出による新価値創造(プログラム・マネージャー:合田圭介、研究課題責任者:沼田圭司)」による支援を受けて行われました。
原論文情報
- Choon Pin Foong, Mieko Higuchi-Takeuchi, Ali D. Malay, Nur Alia Oktaviani, Chonprakun Thagun and Keiji Numata, "A Marine Photosynthetic Microbial Cell Factory as a Platform for Spider Silk Production", Communications Biology, 10.1038/s42003-020-1099-6
発表者
理化学研究所
環境資源科学研究センター バイオ高分子研究チーム
研究員 樋口(竹内)美栄子(ひぐち たけうち みえこ)
チームリーダー 沼田 圭司(ぬまた けいじ)
(京都大学大学院 工学研究科 材料化学専攻 教授)
京都大学大学院 工学研究科 材料化学専攻
特定助教 チューン・ピン・フーン(Choon Pin Foong)
![チューン・ピン・フーン特定助教の写真](/medialibrary/riken/pr/press/2020/20200708_4/20200708_4_photo-choon.jpg)
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