理化学研究所(理研)開拓研究本部田原分子分光研究室の田原太平主任研究員(光量子工学研究センター超高速分子計測研究チームチームリーダー)、石井邦彦専任研究員(光量子工学研究センター超高速分子計測研究チーム専任研究員)らの研究チームは、最新の1分子蛍光計測法[1]を応用して、遺伝子の発現を制御するRNAが小分子(リガンド)と結合して非常に速く構造変化する様子を観測することに成功しました。
本研究成果は、抗菌薬の開発に向けた新しいRNA結合分子のデザインに貢献すると期待できます。
細菌のRNAには「リボスイッチ」と呼ばれる部位が存在します。リボスイッチが特定のリガンドと結合すると構造が変化して、下流のRNAの転写を停止させることが知られています。
今回、研究チームは、独自に開発した「二次元蛍光寿命相関分光法(2D-FLCS)[2]」を応用し、枯草菌が持つRNAのリボスイッチにリガンドが結合して構造を変化させる様子を、従来の6,000倍の時間分解能(10マイクロ秒)で計測しました。その結果、既知の60ミリ秒以上で起こる遅い過程以外に、数ミリ秒以内の速い過程が存在すること、リガンドとの結合が構造変化を大きく加速することが分かりました。これにより、リボスイッチが構造変化の速度の違いを利用して遺伝子発現を制御するという分子メカニズムを提案しました。
本研究は、科学雑誌『Journal of the American Chemical Society』の掲載に先立ち、オンライン版(5月20日付)に掲載されました。
背景
細菌のRNAには「リボスイッチ」と呼ばれる部位が存在し、この部位が特定のターゲット小分子(リガンド)と結合すると、RNAの構造が変化します。ある種のRNAでは、この構造変化がDNAからRNAへの転写を阻害し、そのRNAがコードするタンパク質の合成を停止させます。これは細菌に備わったタンパク質の量を調整するための機構ですが、人工的にリガンドを多量に与えるとこの機構が正常に働かなくなり、細菌は死んでしまいます。リボスイッチと高効率で結合するリガンドが見つかれば強力な抗菌薬になりうるため、その結合機構を解明することが抗菌薬の開発につながると期待されています。
リガンドとの結合によるRNAの構造変化を実験的に観測するとき、そのタイミングを多数のRNA分子で合わせることは難しいため、一つ一つのRNAを区別して計測する必要があります。以前、1分子蛍光計測法を用いたリボスイッチの計測が行われましたが、時間分解能が60ミリ秒にとどまっており、構造変化の詳しい機構を調べることはできませんでした。研究チームでは最近、時間分解能を飛躍的に向上させた新しい1分子蛍光計測法である「二次元蛍光寿命相関分光法(2D-FLCS)」を開発しました注1)。今回2D-FLCSを応用して、従来の6,000倍に相当する10マイクロ秒(0.01ミリ秒)の時間分解能でリボスイッチの計測を行い、構造変化の詳しい機構を明らかにすることを試みました。
- 注1)2015年7月7日プレスリリース「タンパク質の非常に速い構造変化を計測する新手法を開発」
研究手法と成果
研究チームはまず、枯草菌のRNAが持つリボスイッチ配列中のリガンド結合部位を再構成し、2種類の蛍光色素で標識した測定試料を用意しました(図1)。この試料を用いると、蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)[3]の原理を利用して、リガンド結合による構造変化を調べることができます。
図1 リボスイッチのリガンド結合と構造変化
測定に用いたRNA(リボスイッチのリガンド結合部位)を模式的に表した。枯草菌RNAのリボスイッチが持つリガンド結合部位と同じ配列を持つRNAを合成し、2種類の蛍光色素で標識した。リガンドの結合により、蛍光色素間の距離が変化する。この変化をFRETの原理を利用して2D-FLCSで計測した。
2D-FLCSでは、蛍光寿命[4]の測定を通してFRETの効率を求めます。水中を漂う各RNA分子に対して、顕微鏡下で蛍光寿命測定を2回行います。これを多数回繰り返した結果をまとめて、二次元マップ上に表現します(図2)。2回の測定の時間間隔を広げていくと、RNAの構造変化に伴って新しい蛍光寿命相関ピークが出現します(図2)。この相関ピークが出現する時間間隔から、構造変化の速度が分かります。2D-FLCSでは従来の1分子蛍光計測法とは異なり、蛍光寿命を解析するため、構造変化の測定時間分解能が大きく向上します。
図2 D-FLCSによるRNAの構造変化計測
2D-FLCSでは、時間間隔(ΔT)をあけて、同一のRNA分子に2回の蛍光寿命計測を行う。2回の計測の間にRNAの構造が変化すると、二次元マップの対応する位置に相関ピークが現れる。相関ピークが出現するΔTが、構造変化が起こる時間を表している。具体的には、相関ピークはΔT経過した後に構造変化した分子の割合を表しており、ΔTがゼロのときは高さがゼロ、ΔTを十分長く取ると左下・右上のピークと同じくらいの高さまで増加する。構造変化の時定数は、相関ピークの高さがある基準で決めた十分な高さになるまでの時間である。
2D-FLCSでリボスイッチの試料を測定したところ、リガンドがない条件でも、複数の構造が存在することを確認しました。このことから、RNAはリガンドがなくても、リガンドと結合したときと似た構造を取り得ることが分かりました。さらにこれらの構造の間に、数ミリ秒以内に新たに出現する相関ピークを確認しました。従来の1分子蛍光計測法では、60ミリ秒以降の遅い構造変化が存在することが知られていたため、この結果は、リボスイッチの構造変化が速い成分と遅い成分の二段階からなっているということを意味しています。
次に、このリボスイッチのリガンドとなるpreQ1という分子を試料溶液に加えたところ、相関ピークの出現時間が短くなることが分かりました(図3)。このデータから構造変化の時定数[5]を求めると、約3ミリ秒から約0.2ミリ秒まで10倍以上加速されていました。この構造変化の加速は、リガンドとの結合が誘導適合機構[6](リガンドの結合が起こった後で構造が変化する)で起こっていることを示唆します。
実際、2D-FLCSで求められた蛍光寿命から、リガンド結合構造とリガンドがないときの構造を比較すると違いが見られました。これはリガンド結合が、多数のリボスイッチの中にもともと一定の割合で存在していた構造を安定化しているのではなく、別の安定な構造を新たに作り出していることを意味しており、誘導適合機構を支持する結果といえます。今回観測された誘導適合機構による構造変化の加速は、リボスイッチが構造変化の速度の違いを利用して転写を制御しているメカニズムを分子レベルで明らかにしたものです。
図3 相関ピークの出現時間の変化
2D-FLCS測定で得られた相関ピークの強度を規格化したものを、蛍光寿命測定の時間間隔に対してプロットした。リガンド(preQ1)を加えることで、相関ピークが立ち上がる時間が大幅に短縮されている。つまり、構造変化が加速されていることが分かった。
今後の期待
本研究では、2D-FLCSを応用してリボスイッチの構造変化を観測し、従来一段階で起こると考えられていた構造変化が、実際には数ミリ秒以下の変化を含む二段階で起こることを発見しました。さらに、リガンドの結合が構造変化を加速する誘導適合機構が働いていることを突き止め、リボスイッチによる遺伝子の転写制御の機構を分子レベルで議論しました。
本研究で明らかになったリボスイッチの構造変化機構の知見は、抗菌薬の開発に向けた新しいRNA結合分子のデザインに貢献すると期待できます。
補足説明
- 1.1分子蛍光計測法
通常行われる多数の分子の同時計測の代わりに、単一の分子を取り出して蛍光計測を行う方法。主に蛍光標識した生体分子に対して適用され、多数の分子の同時計測では得られない構造の多様性や自発的な構造変化の情報を得る目的で利用される。 - 2.二次元蛍光寿命相関分光法(2D-FLCS)
生体分子の構造変化を高い時間分解能で計測するための1分子蛍光計測法。顕微鏡下で試料溶液に時間幅の短いレーザーパルスを照射し、試料に標識した蛍光色素が発する蛍光の蛍光寿命を計測する。同一の分子に対して時間間隔ΔTをあけて2度の蛍光寿命計測を行い、その結果をそれぞれ横軸・縦軸に取った二次元マップを作成する。異なる構造に対応する蛍光寿命の間に相関ピークが現れれば、ΔTの間にそれらのうち一方から他方に構造が変化したと判断できる。2D-FLCSはTwo-Dimensional Fluorescence Lifetime Correlation Spectroscopyの略。 - 3.蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)
二つの蛍光色素が近接して存在するとき、より短い波長の蛍光を発する色素(ドナー)に光を吸収させると、その色素からの蛍光だけではなく、もう片方の色素(アクセプター)からの波長の長い蛍光が観察される現象。ドナーからアクセプターへエネルギーが移動することが原因で起こり、エネルギー移動の効率は二つの蛍光色素の距離が近いほど高くなる。FRETの実験では、測定対象となる分子の適当な部位にドナー/アクセプターとして働く二つの蛍光色素を結合させておき、観測されるFRET効率から色素結合部位間の距離を求める。FRETはFluorescence Resonance Energy Transferの略。 - 4.蛍光寿命
蛍光色素がレーザー光を吸収してから蛍光光子を発するまでにかかる時間。FRET現象が起こるとき、ドナー/アクセプター蛍光強度比のほかにドナー蛍光の蛍光寿命も変化する。2D-FLCSではドナー蛍光の蛍光寿命を用いてFRET効率の時間変化を検出している。蛍光寿命を使う方が時間変化の検出に必要な蛍光光子の数が少なくて済み、時間分解能が向上する。 - 5.時定数
分子がある構造から別の構造に変化するとき、その速さを表す指標の一つ。多数の分子について観測したとき、構造変化せずに最初の構造のまま残っている分子の割合が約37%まで減るのにかかる時間を時定数と呼ぶ。 - 6.誘導適合機構
RNAがリガンドと結合して構造が変化する機構として、まず結合が起こり、その後構造が変化するか、あるいはあらかじめ構造が変化したところにリガンドが結合するかの2通りが考えられる。前者は誘導適合機構と呼ばれ、実験的には、リガンドによる構造変化の加速や、リガンド存在下での新しい安定構造の出現で特徴づけられる。
研究チーム
理化学研究所 開拓研究本部
田原分子分光研究室
主任研究員 田原 太平(たはら たへい)
(光量子工学研究センター 超高速分子計測研究チーム チームリーダー)
専任研究員 石井 邦彦(いしい くにひこ)
(光量子工学研究センター 超高速分子計測研究チーム 専任研究員)
特別研究員 ビドュットゥ・サーカー(Bidyut Sarkar)
原論文情報
- Bidyut Sarkar, Kunihiko Ishii, and Tahei Tahara, "Microsecond Folding of preQ1 Riboswitch and Its Biological Significance Revealed by Two-Dimensional Fluorescence Lifetime Correlation Spectroscopy", Journal of the American Chemical Society, 10.1021/jacs.1c01077
発表者
理化学研究所
開拓研究本部 田原分子分光研究室
主任研究員 田原 太平(たはら たへい)
(光量子工学研究センター 超高速分子計測研究チーム チームリーダー)
専任研究員 石井 邦彦(いしい くにひこ)
(光量子工学研究センター 超高速分子計測研究チーム 専任研究員)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
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