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2015年7月7日

理化学研究所

タンパク質の非常に速い構造変化を計測する新手法を開発

―数マイクロ秒の構造変化を一分子レベルで検出―

要旨

理化学研究所(理研)田原分子分光研究室の乙須拓洋客員研究員、石井邦彦専任研究員、田原太平主任研究員の研究チームは、タンパク質分子の非常に速い構造変化を追跡する新しい計測手法を開発しました。

タンパク質にはさまざまな機能がありますが、機能を発揮するためには特定の立体構造(天然構造)を取る必要があります。タンパク質の構造変化は分子認識[1]などの機能に密接に関わっているため、タンパク質の構造変化を理解することはきわめて重要です。しかし、どのようなメカニズムでタンパク質が自発的に構造を変化させ、天然構造が形成されるのかはいまだ明らかにされていません。

タンパク質の構造変化を詳細に調べるためには、一個のタンパク質分子に着目して、その構造が自発的に変化する様子を観察するのが最も直接的なアプローチです。このために一分子FRET[2]と呼ばれる方法が開発され、天然構造形成などタンパク質の構造変化が関わる現象の研究に応用されてきました。しかし、既存の一分子FRETは測定の時間分解能がサブミリ秒(数千分の一秒)程度だったため、数マイクロ秒(数十万分の一秒)で起こる速い構造変化を捉えることができませんでした。

研究チームは、一分子FRETの時間分解能を向上させるため、蛍光寿命という量に着目し、二次元蛍光寿命相関分光法(2D-FLCS)という新しい解析法を開発しました。2D-FLCSを用いると、数マイクロ秒以下の時間分解能でタンパク質の構造変化を調べることができます。また、測定結果を二次元マップ上に可視化することで、複数の中間構造がある複雑なケースでも直感的に構造変化を把握することができます。2D-FLCSを用いてシトクロムcというタンパク質の構造変化の過程を調べたところ、約5マイクロ秒で起こる分子レベルの構造変化が検出されるなど、タンパク質では非常に複雑な構造変化が起こっていることが分かりました。

今後、さまざまなタンパク質に対して2D-FLCSを応用することで、生体内でタンパク質が機能を発揮する機構が明らかにされると期待できます。

本研究は、英国のオンライン科学雑誌『Nature Communications』(7月7日付け:日本時間7月7日)に掲載されます。

背景

タンパク質は20種のアミノ酸の鎖からなる分子で、生化学反応を触媒する酵素として働いたり、特定の分子を認識して結合したりするなど、さまざまな機能を持ちます。タンパク質分子は特定の立体構造(天然構造)を取ることで初めてその機能を発揮しますが、アミノ酸の鎖がどのようにしてひとりでに折り畳まれ正しい天然構造となるのかはいまだ明らかになっていません。これはタンパク質の折れ畳みの問題と呼ばれますが、タンパク質分子の構造変化を直接観察できれば、折れ畳みのメカニズムを理解する手掛かりになります。また、天然構造をとるタンパク質が、さらにその構造を柔軟に変化させながらターゲットとなる分子を選んで結合する(分子認識)などの機能を発現することもあり、分子認識が関係する薬剤の働きなどを理解するためにも、タンパク質の構造変化を理解することはきわめて重要です。

1990年代から、蛍光色素で標識した分子を顕微鏡下で一個一個区別して観察する一分子計測実験が行われるようになりました。同じ時期にタンパク質分子が自発的に構造変化する様子を研究するために、一分子計測と蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)を組み合わせた一分子FRET実験が行われはじめ、サブミリ秒(数千分の一秒)程度の時間分解能で構造変化を追跡することができるようになりました。しかしサブミリ秒の時間分解能では、数マイクロ秒(数十万分の一秒)で起こる分子レベルの構造変化を理解するには不十分なものでした。この時間分解能の限界は、蛍光色素が単位時間当たりに放出する蛍光光子の数に原理的に上限があることに由来するため、既存の一分子FRETの手法の延長では時間分解能を大きく改善することは困難でした。研究チームは、タンパク質の一分子FRETの時間分解能を飛躍的に向上させることを目的として、新しい原理に基づく計測手法を開発に取り組みました。

研究手法と成果

研究チームは蛍光色素間の距離により変化するFRET効率を高い時間分解能で評価するために、蛍光色素がレーザー光を吸収してから蛍光光子を発するまでの時間(蛍光寿命)に着目しました。これまで、FRET効率を評価するために2種類の蛍光色素が発する蛍光光子数の比を使っていましたが、蛍光寿命を使う方が必要な光子数が少なくて済み、時間分解能が向上します。

蛍光寿命を使って一分子FRET実験を行うため、蛍光標識したタンパク質分子にレーザーパルスを照射し、その後、蛍光光子が分子から放出されてから検出器に到達するまでの時間を精密に計測しました。これを連続的に繰り返すことで、タンパク質分子の構造変化による蛍光寿命の変化を測定しました。蛍光寿命の変化を可視化するため、二次元蛍光寿命相関分光法(2D-FLCS)という解析法を用いました。2D-FLCSを使うと、ある瞬間に特定の構造を取っていたタンパク質分子が一定の時間経った後に別の構造に変化する様子を、蛍光寿命の変化を通してマッピングできます(図1)。異なる時間間隔のマップを比較することで、構造変化の時間スケールが分かります。

2D-FLCSを使ってシトクロムcというタンパク質を調べたところ、5つの異なる構造が見つかりました(図1)。実験はpH3.5で行われましたが、シトクロムcの天然構造は酸性条件にすると少しずつ壊れていく(変性する)ため、この条件では天然構造と変性した構造、さらにそれらの中間の状態が共存していています。観測された5つの構造(図1左下:二次元マップの対角線上の5つのピーク)は、これらに対応していると考えられます。さらに興味深いことに、0.2~4マイクロ秒の時間間隔のマップと8~12マイクロ秒の時間間隔のマップを比較すると、後者では天然構造を表すピークと中間状態を表すピークの間の構造変化を表すピークが現れていることが分かりました。つまり、数マイクロ秒の時間スケールでの構造変化が捉えられたことになります。このピークの時間間隔による変化から、構造変化時間は約5マイクロ秒と求められました。また、他のピークの挙動についても解析を行うことで、シトクロムcの天然構造の構造変化の過程がマイクロ秒以下からミリ秒以上までの幅広い時間スケールで複数の中間状態を経由しながら起こっていることが明らかになりました。これは既存の一分子FRETを大きく超える2D-FLCSの高い時間分解能により初めて得られた成果です。

今後の期待

折れ畳みが最も速いタンパク質の構造変化は数マイクロ秒で起こると考えられています。既存の一分子FRET計測では、これを実験的に捉えることができませんでしたが、2D-FLCSを用いることでこのような数マイクロ秒の時間領域の構造変化が見えるようになりました。これにより、スーパーコンピュータ「京」に代表される最新鋭の計算機を用いたタンパク質の分子シミュレーションと直接比較可能な実験データを提供できるようになります。このような理論計算と実験の連携を進めることで、タンパク質の折れ畳み過程や様々な働きの詳細をより効果的に解明できると期待できます。

原論文情報

  • Takuhiro Otosu, Kunihiko Ishii & Tahei Tahara, "Microsecond protein dynamics observed at the single-molecule level", Nature Communications, doi: 10.1038/ncomms8685

発表者

理化学研究所
主任研究員研究室 田原分子分光研究室
客員研究員 乙須 拓洋 (おとす たくひろ)
専任研究員 石井 邦彦 (いしい くにひこ)
主任研究員 田原 太平 (たはら たへい)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.分子認識
    ある種のタンパク質は水素結合や静電的相互作用などの弱い分子間相互作用によって特定の対象分子に結合することで、触媒や信号伝達などの機能を発揮する。結合相手の分子は一般にタンパク質の種類によって決まっており、高い選択性がある。つまり、タンパク質が特定の分子を自分の相手として認識していることになり、その機構を知ることが機能を理解する上で重要である。
  • 2.一分子FRET
    FRETは蛍光共鳴エネルギー移動の略で、二つの蛍光色素が近接して存在するとき、より短い波長の蛍光を発する色素(ドナー)に光を吸収させると、その色素からの蛍光だけではなく、もう片方の色素(アクセプター)からの波長の長い蛍光が観察される現象。これはドナーからアクセプターへエネルギーが移動することが原因で起こり、エネルギー移動の効率は二つの蛍光色素の距離の6乗に反比例する。一分子FRETの実験では、測定対象となるタンパク質分子の適当な部位にドナー/アクセプターとして働く二つの蛍光色素を結合させておき、観測されるFRET効率から色素結合部位間の距離を求める。これを一分子ごとに行いFRET効率の時間変化を計測することで、タンパク質の構造変化の情報が得られる。FRETではドナー/アクセプター蛍光強度比以外にドナー蛍光の蛍光寿命も変化するため、本研究では蛍光寿命を用いて一分子FRET効率の時間変化を検出している。
2D-FLCSによるシトクロムcの構造変化計測の図

図1 2D-FLCSによるシトクロムcの構造変化計測。

時間間隔ΔTを変えながら蛍光寿命測定を2回行い、その結果を縦軸・横軸にとってプロットする。ΔTを大きくしていくと構造変化を表すピークが現れる。

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