理化学研究所(理研)光量子工学研究センターテラヘルツ量子素子研究チームの林宗澤研究員、王利研究員、平山秀樹チームリーダーらの研究チームは、小型で高出力のテラヘルツ(THz)光[1]レーザー光素子として実用化が期待されている「テラヘルツ量子カスケードレーザー(THz-QCL)[2]」の高出力化に成功し、ピーク出力1.3W、平均出力52mWを実現しました。
本研究成果は、透視検査や無線通信、THz-LiDAR[3]などの応用に向けたTHz-QCL光源の実用化に貢献すると期待できます。
今回、研究チームは、THz-QCLの活性層に従来の3倍程度のドーピングを行い、それによるバンド歪み(曲がり)[4]の影響を考慮した設計を精密に行うことにより、高出力化を実現しました。設計では、量子カスケード構造のバリア層[5]の高さを変化させることにより、電子リークを低減する構造を導入しました。1.3W出力は、シンプルな基本構造を持つTHz-QCLの出力としては世界最高値です。
本研究は、科学雑誌『Physica Status Solidi Rapid Research Letters』オンライン版(5月20日付)に掲載されました。
GaAs/AlGaAs系THz-QCLの外観(左)と発振ピーク出力1.3Wを達成した動作特性(右)
背景
テラヘルツ(THz)光は、さまざまな物質を透過する「電波」としての性質と「光」の分解能の両方の性質を併せ持ちます。そのため、透視・非破壊検査用光源として注目されているほか、THz無線通信、THz-LiDAR、生物学や医学、超高速分光など、幅広い応用分野への波及が期待されています。特にTHz光を光源とした「テラヘルツ量子カスケードレーザー(THz-QCL)」(図1上)は、小型で高効率・高出力、狭線幅、連続発振が可能で、安価、高耐久性などの特徴を持つことから、優れたレーザー光源として実用化が期待されています。
THz-QCLは、半導体超格子構造[6]にバイアス電圧を印加することで、階段状に量子準位を形成し、そこに電子を滝(cascade)のように流して得られたバンド内遷移発光を用いて動作させます。発光するモジュールを200周期程度積層し、一つの電子が何度も発光遷移を繰り返すことで、高出力の動作が得られます。
レーザーの導波路構造は上下の両面金属構造(図1左下)、もしくは上面の金属と下面の半導体高濃度ドーピング層(片面金属構造)による電界閉じ込めによって実現されます。レーザーミラーは劈開によって形成します。THz-QCL素子は動作中に加熱するため、ヒートシンクに接着させ動作させます(図1右下)。
本研究では、量子カスケード活性層に高濃度ドーピング層を導入するとともに、電子リークを低減するためバリア層の高さを調節することで高出力化を試みました。
図1 テラヘルツ量子カスケードレーザー(THz-QCL)
- (上) THz-QCLの外観。放熱を目的とするヒートシンク上に、THz-QCL素子を接着させている。
- (左下) THz-QCLの導波路の上下両面金属構造の模式図。
- (右下) 左下の模式図で示した活性層のバンド構造の一例。
研究手法と成果
THz-QCLのバンド構造のシミュレーション解析の一例を、図2に示します。1周期が4層の量子井戸[7]で構成されるQCL構造を用い、一番幅の広い「電子引き抜き層」にドーピングを行っています。ドーピング量を増やして各量子準位の電子数を増やせば、高出力化が可能になります。しかし、ドーピング量を増やすと空間的な電子濃度分布も大きくなり、それによってバンドの歪み(曲がり)が生じます。バンドの曲がりが生じると、各量子準位のエネルギー配置もずれてしまいます。バンドが曲がることによって、特にレーザーの発振上位準位(ULL)と注入準位(IL)の間にエネルギー差が生じるため、レーザーの発振準位へ電子が注入しにくくなり、その結果レーザー出力が低下してしまいます。
そこで研究チームは、高濃度にドーピングを行ってバンドが曲がった場合でも、適切な量子準位のエネルギー配置が保てる構造を、非平衡グリーン関数法(NEGF法)[8]を用いた厳密解法で精度良く設計しました(図2)。
図2 THz-QCLのバンド構造のシミュレーション解析
- (左)バンド構造のシミュレーション解析の一例。ドーピングによりバンドが曲がっている(量子井戸の底辺部分がうねっている)。
- (右)非平衡グリーン関数法による電流密度分布の解析。量子構造は左右同一である。
バンド曲がりによる修正がない場合と、それを修正した最適設計構造の2種類の構造における光利得[9]のドーピング量依存性の計算結果を図3に示します。バンド曲がりによる修正がない場合の光利得は、ドーピング量を増やしても増加しません。一方、最適設計構造における光利得はドーピング量の増加とともに増加し、ドーピング量を従来の3倍程度にすると、1.5倍程度増加することが分かりました。
図3 光利得のドーピング量依存性の計算結果
バンド曲がりによる修正がない場合(赤)と、最適設計構造(青)における光利得のドーピング濃度の関係を示す。バンド曲がりによる修正がない場合は、ドーピング量を増やしても光利得は増加しない。最適設計構造では、ドーピング量を従来の3倍程度(3×1016cm-3から1×1017cm-3)に増やすと、光利得は1.5倍程度増加する。
平山秀樹チームリーダーらの過去の研究から、THz-QCLの動作において、レーザーの発振準位から水平方向に電子がリークし、光利得が大幅に低減することが明らかになっています注)。そのため、今回は隣接するモジュールの高位のリーク準位を上方にシフトさせることで、水平電子リークを遮断する構造を取り入れました。この構造を実現するために、図2で示した1周期の四つのバリア層を全て組成の異なるAlGaAs層(Al組成比がそれぞれ15%、17.5%、20%、30%)で構成し、また四つの量子井戸層にはGaAs層のほかに、Al組成が2%および4%のAlGaAs層を導入する設計としました。
この設計に基づき、実際に分子線エピタキシー(MBE)法[10]を用いて、GaAs/AlGaAs系超格子構造を精度良く成膜し、電極プロセスを経て、THz-QCL素子を作製しました。高出力を得るために、超格子活性層全体の厚さは14マイクロメートル(μm、1μmは1,000分の1mm)と厚めにし、また導波路構造は片面金属導波路構造を採用しました。
作製したGaAs/AlGaAs系THz-QCLの発振スペクトルと動作特性を図4に示します。パルス動作で電流注入を行い、レーザー発振は4.18~4.25THzで観測されました(図4左青線)。4種類の大きさの共振器を作製した結果、面積の大きい共振器(長さ3mm、幅580μm)の素子で高出力が得られ、測定温度5K(-268℃)のときに最高ピーク出力1.31Wが観測されました(図4右)。
図4 作製したGaAs/AlGaAs系THz-QCLの特性
- (左)作製した4種類の大きさの共振器におけるTHz-QCLの発振スペクトル。青線の共振器サイズで4.18~4.25THzのレーザー発振が観測された。
- (右)電流-電圧-出力特性のグラフ。共振器サイズ(長さ3mm、幅580μm)の素子で、5K(-268℃)のときに4.25THzで1.31Wの出力を実現した。
図5に、同じTHz-QCL素子において、パルス電流動作におけるデューティサイクル[11]を変化させたときの発振ピーク出力と平均出力を示します。デューティサイクルが1%のとき、最高ピーク出力1.31Wが得られ、デューティサイクルが5%のとき、平均出力52mWが得られました。ピーク出力1.31Wは、高反射ミラーなどを使わないシンプルな基本構造を持つTHz-QCLの出力としては世界最高値です。
図5 THz-QCLの発振ピーク出力と平均出力
- (左)パルス電流動作におけるデューティサイクルを変化させたときのピーク出力。デューティサイクルが1%のときに最高ピーク出力1.31Wが得られた(ピンク線)。
- (右)デューティサイクルを変化させたときの平均出力。デューティサイクルが5%のときに平均出力52mWが得られた(黒線)。
- 注)2019年2月15日プレスリリース「高温動作可能な高出力テラヘルツ量子カスケードレーザー」
今後の期待
本研究では、小型で高出力テラヘルツレーザー光源として実用化が期待されているTHz-QCLの1W以上の高出力動作を実現しました。本成果は、今後、透視検査や無線通信、THz-LIDARなどの応用に向けたTHz-QCL光源の実用化に大きく貢献するものと期待できます。
補足説明
- 1.テラヘルツ(THz)光
周波数が1テラヘルツ(電場と磁場が1秒間に1兆回振動)程度の電磁波。膨大な電磁波スペクトル上では、電波と光の中間に位置している。X線と同じようにさまざまな物質を透過する能力があるが、X線と比べて光子エネルギーは極めて低く安全性が高い。 - 2.テラヘルツ量子カスケードレーザー(THz-QCL)
テラヘルツ(THz)の周波数で動作する量子カスケードレーザー。テラヘルツの周波数帯は0.5~30THzであり、波長では600~10μmに相当する。量子カスケードレーザーは、半導体超格子構造にバイアス電圧を印加することで、階段状の量子準位を形成し、そこに電子を滝(カスケード)のように流して、得られたバンド内遷移発光を用いて動作させる原理の半導体レーザー。階段状の量子準位を200周期程度形成し、一つの電子が何度も発光遷移を繰り返すことで高出力動作が得られる。これまでに1.2~5.4THz領域でレーザー動作が実現している。THz-QCLはTerahertz Quantum-Cascade Laserの略。 - 3.THz-LiDAR
LiDARとはLight Detection And Ranging(光による検知と測距)の略称で、近赤外光や可視光を使って対象物に光を照射し、その反射光を光センサーでとらえ距離を測定するリモートセンシング(離れた位置からセンサーを使って感知する)方式のこと。近赤外光を使ったLiDARは分解能が高いが、霧などの天候に性能が左右される。また、電波を使ったレーダー(RADAR: Radio Detecting And Ranging、電波による検知と測距)は波長が長いため分解能に制限がある。それに対し、THz-LiDARは分解能も高く、天候にも左右されない点で大変優れている。 - 4.バンド歪み(曲がり)
半導体の中でドーピングを部分的に行って、半導体中の電子濃度に分布ができた場合、帯電効果によって半導体のバンドが曲がる現象。今回は、図2の解析結果に示されるように、量子井戸のうち一番広い層にのみn型のドーピングを行うことにより、その層の付近で電子濃度は増加し、そのため半導体のバンドが曲がる(底辺のラインが曲がっている)様子が見て取れる。 - 5.バリア層
半導体電子・光デバイスにおいて、電子の閉じ込め効果を用いた高効率発光層(量子井戸)層を形成するための電子の障壁となる層のこと。または、同デバイスにおいて、電子の反射・透過・輸送を制御するために用いられる薄膜の電子障壁層のこと。 - 6.超格子構造
化合物半導体の混晶組成比が異なる2種類、もしくは数種類の薄膜層を、周期的、もしくはランダムに積層した構造のこと。今回研究で用いているTHz-QCLの発光層はGaAs/AlGaAsの薄膜層で構成されており、4量子井戸(8層の薄膜層)を1周期とした超格子構造となっている。 - 7.量子井戸
半導体光デバイスの発光層として用いられる構造で、電子閉じ込め効果により高効率発光を得る目的で用いられる。半導体中の電子の波長程度の厚さ(5~15nm)の薄膜の井戸層と、それを囲む薄膜のバリア層から構成され、電子の波動関数を閉じ込めることにより、発光遷移確率を向上させ、高効率発光が得られる。今回用いているTHz-QCLでは、四つの量子井戸が1モジュールとして動作しており、量子閉じ込め効果を用いて、レーザー発振準位、注入準位と電子引き抜き準位を形成している。4量子井戸で、発光遷移だけでなく、電子注入と電子引き抜き、電子輸送の各現象を担っている。 - 8.非平衡グリーン関数法(NEGF法)
熱平衡状態からある程度離れた状態(非平衡状態)の電子の状態を解析する手法で、多数の量子準位間における電子のエネルギー遷移の様子と空間的な電子フロー(輸送特性)を一度に解析できる手法。半導体電子デバイスの解析などに有用な方法である。NEGFはNon-Equilibrium Green Functionの略。 - 9.光利得
レーザー媒質内で反転分布が形成された際に現れる負の吸収光利得が生成されると、誘導放出が生じ、光の増幅が起こる。共振器内を伝搬する光が増幅される度合い(単位は1/cm)を光利得という。共振器の導波路損失を打ち消して、光が共振器を1往復する間に光強度が減衰せず1倍に保たれれば、レーザー発振が起こる。 - 10.分子線エピタキシー(MBE)法
高品質な薄膜を成膜する方法の一つ。超高真空(約10-7Pa)中で高純度の元素材料を加熱蒸発させ、加熱した基板上で薄膜を成長させる方法。分子線エピタキシー法は、薄膜結晶成長方法として高品質な半導体超格子や半導体量子構造の作製に用いられる。 - 11.デューティサイクル
パルス電流注入を行う際の、パスルの1周期の時間に対する、通電している時間の割合のこと。
研究チーム
理化学研究所 光量子工学研究センター テラヘルツ量子素子研究チーム
研究員 王 利(ワン・リ)
研究員 林 宗澤(リン・ソウタク)
研修生 陳 明曦(チェン・ミイシ)
研修生 三好 哲平(ミヨシ・テッペイ)
(ウォータールー大学 博士課程)
客員研究員 王 科(ワン・ケイ)
(南京大学教授)
チームリーダー 平山 秀樹(ヒラヤマ・ヒデキ)
(開拓研究本部 平山量子光素子研究室 主任研究員)
原論文情報
- Tsung-Tse Lin, Li Wang, Ke Wang, Thomas Grange, Stefan Birner, and Hideki Hirayama, "Over 1 Watt output power terahertz quantum cascade lasers by using high doping concentration and variable barrier-well height", Physica Status Solidi Rapid Research Letters, 10.1002/pssr.202200033
発表者
理化学研究所
光量子工学研究センター テラヘルツ量子素子研究チーム
研究員 林 宗澤(リン・ソウタク)
研究員 王 利(ワン・リ)
チームリーダー 平山 秀樹(ヒラヤマ・ヒデキ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
お問い合わせフォーム