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2024年1月31日

理化学研究所
京都大学

マイクロ流路を利用したクモ糸形成プロセスの再現

-マイクロ流体デバイスによる生物プロセスの精密模倣-

理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター バイオ高分子研究チームの沼田 圭司 チームリーダー(京都大学 大学院工学研究科 教授)、チェン・ジャンミン 特別研究員(研究当時)、マライ・アリ・アンドレス 上級研究員、理研 開拓研究本部 新宅マイクロ流体工学理研白眉研究チームの土田 新 テクニカルスタッフⅡ、新宅 博文 理研白眉研究チームリーダーらの共同研究グループマイクロ流体デバイス[1]を利用し、自然界でクモが行う複雑な紡糸プロセスを模倣することに成功しました。

本研究成果は、高性能かつ環境に優しい高分子・繊維材料を製造するための技術の発展に大いに寄与することが期待されます。

今回、共同研究グループは、クモ糸を構成するタンパク質であるスピドロイン[2]を繊維に成形することを可能にするマイクロ流体システムを設計しました。クモが自然界で達成している紡糸機構と同様に、マイクロ流体デバイスはイオンの交換や、pH、せん断応力[3]を制御することができ、水性条件下でスピドロインの自己集合[4]を誘導し階層構造[5]を有する繊維成形の実現を達成しました。興味深いことに、マイクロ流体デバイスにかかる圧力を調節することで、繊維の内部構造を制御することもできました。これは圧力がマイクロ流体流路内のせん断応力に直接関係しているためです。紡糸過程のせん断応力を増加させることで、スピドロインがクモ糸の強度を担うβシート[6]構造をより多く形成できました。本研究は生化学、流体力学、高分子科学、および計算モデリングのさまざまな側面を組み合わせた学際的なアプローチにより達成されています。

本研究は、科学雑誌『Nature Communications』オンライン版(1月15日付)に掲載されました。

背景

クモの糸は、人工繊維とは異なる驚くべき力学特性を示すため、高分子科学や材料科学分野では長きにわたり研究対象となっています。加えて、クモの糸は生体適合性と生分解性を備えているため、再生医療や環境循環型材料開発において多大な可能性を秘めた生体高分子と考えられています。そのため、クモ糸を人工的に生産するさまざまな試みが、幅広い戦略を用いて行われてきました。

しかし、天然クモ糸の力学特性を再現することは困難であり、現在まで実現していません。その理由として、クモ糸の力学特性がスピドロインと呼ばれるタンパク質から成る複雑な階層構造に大きく依存している点が挙げられます。自然界、つまりクモの体内では、化学的・物理的要因の複雑かつ段階的な変化により、スピドロインの自己組織化[4]が引き起こされています。このような背景の下、共同研究グループはマイクロ流体工学を利用することで、クモの紡糸機構という複雑なプロセスを模倣することを目指しました。

研究手法と成果

共同研究グループは、クモの紡糸腺の複雑な機能を模倣することを目的とし、図1に示すようなマイクロ流体デバイスを設計しました。このマイクロ流体デバイスは三つの流入口にそれぞれ1.可溶性タンパク質前駆体(この場合、組換え生産されたMaSp2スピドロイン)溶液、2.イオン交換勾配を作り出す液-液相分離(LLPS)[7]トリガー、3.pH勾配を作り出す繊維化トリガーが導入され、流出口に向かって粘弾性せん断応力を加えて繊維の形成を促進します。

流出口に陰圧を加えることにより流路内に入った可溶性スピドロイン溶液は、セクションAにて、ナトリウムイオンと塩化物イオンが豊富な溶液から、カリウムイオン、リン酸イオン、および関連イオンが豊富な溶液へと置換されます。これにより、可溶性スピドロインが不溶性繊維に変化するために欠かせない中間段階であるLLPS現象が促進されます。さらにセクションBでは、pHを弱塩基性から弱酸性に変化させ、これが網目状の微小な繊維(ナノフィブリル)構造体が自己集合する引き金となります。さらに、セクションCにて、スピドロインの分子構造の変化を誘起するとされるせん断応力を加え、スピドロインから成るナノフィブリルを配向(繊維方向と同じ方向に沿って並ぶこと)させることで繊維化を達成します。

人工クモ糸繊維形成に使用するマイクロ流体デバイスの模式図の画像

図1 人工クモ糸繊維形成に使用するマイクロ流体デバイスの模式図

装置は、それぞれスピドロイン溶液、LLPSトリガー、および繊維化トリガー用の三つの入口(1、2、3)を持つ。この設計により、A、B、Cのセクション(領域)で連続する三つの段階を経てスピドロインの自己集合が可能になる。右の矢印は、出口から陰圧を加えることによる溶液の輸送方向を示している。

さまざまな実験条件の最適化を経て、マイクロ流体デバイス中で人工クモ糸が形成されました。図2では多様な顕微鏡を用いて観察されたマイクロ流路内での段階的な繊維形成を示しています。スピドロインの希薄な溶液から始まり、LLPSによるスピドロインの液滴への凝縮(セクションA)、pH5までの酸性に暴露(セクションB)することで形成された細い繊維(直径5~10マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル))が出口に向かって伸びている(セクションC)ことが観察されました。

クモ糸の自己組織化における各段階の顕微鏡画像の図

図2 クモ糸の自己組織化における各段階の顕微鏡画像

マイクロ流体デバイスにより、スピドロインの自己組織化を促進し、階層的に組織化された繊維を形成する。顕微鏡観察により、イオン勾配によるスピドロイン液滴の形成(LLPS)(セクションA)、酸性勾配への曝露による固化反応(セクションB)、配向したナノフィブリルから成る繊維の形成(セクションC)など、繊維形成プロセスにおける明確なステップが示されている。

最適化された条件下では、マイクロ流体デバイス内での繊維形成は高い再現性を示しました。驚くべきことに、完全な水中条件で生産されたにもかかわらず、マイクロ流体デバイスで組み立てられた人工クモ糸は水に不溶であり、蒸留水中でも有意な構造変化は認められませんでした(図3)。また、組み立てられた繊維には繊維軸方向に配向した束状のナノフィブリルから成る構造が確認されており、階層構造の形成を示唆しています(図2および図3)。このような階層構造は、クモ糸の優れた力学特性を再現するために必須であることが知られています。

マイクロ流体工学を用いて紡糸された安定かつ階層的な構造を有する繊維の図

図3 マイクロ流体工学を用いて紡糸された安定かつ階層的な構造を有する繊維

自己組織化後にマイクロ流体デバイスから回収された人工クモ糸は、純水中で高い構造安定性を示し、配向したナノフィブリルが束状に成形された階層構造を示す。ナノフィブリル構造は、上図に示したように、局所的な損傷箇所において容易に観察される。

加えて、天然のクモ糸が示す高い引っ張り強度と靭性は、スピドロインの特徴的な構造変化であるβシート結晶の形成と配向に起因すると考えられています。そこで、ラマン分光法[8]広角X線散乱(WAXS)[9]などの技術を使用して、形成された繊維の構造解析を実施することで、マイクロ流体システムのβシート構造を誘起する能力を評価しました(図4a)。注目すべきことに、マイクロ流体システムでは、繊維の組み立てが無秩序なタンパク質構造からβシートに富んだ構造への移行を伴っていることが示されました。重要なのは、βシートの組成がデバイスにかかる圧力と直接比例していたことです(図4b)。さらに、共同研究グループはスピドロインのレオロジー[10]解析を行うとともに、繊維化プロセスにおけるマイクロ流体デバイス内の物理的・化学的パラメータの変化を計算し(図4c)、βシートの形成とせん断応力の比例関係を示すことに成功しました。

マイクロ流路内のせん断応力による人工シルク繊維のβシート構造の生成の図

図4 マイクロ流路内のせん断応力による人工シルク繊維のβシート構造の生成

(a)ラマン分光法を用いて、マイクロ流路内の人工シルク繊維のタンパク質構造を計測した。その結果、装置に加える圧力の大きさによってラマンスペクトルが変化し、βシート構造の形成量が異なることが示された。(b、c)計算モデリングを用いてマイクロ流体装置の動作中の流路内のさまざまなパラメータの変化をシミュレーションし、システム内のせん断応力とβシート含有量の関係が示された。

今後の期待

本研究成果は、環境に優しい条件下で、自己集合化の過程を経て複雑な階層構造を持つ人工クモ糸を大量生産するための出発点となります。人工クモ糸の生産に限らず、高分子材料を環境低負荷なプロセスで成形加工することは、多くの産業分野で求められており、新たなグリーンテクノロジーとして、多様な高分子素材を製造するアプローチの開発に大きな影響を与えることが期待されます。

本研究成果は、国際連合が定めた17項目の「持続可能な開発目標(SDGs)[11]」のうち、「3.すべての人に健康と福祉を」「7.エネルギーをみんなにそしてクリーンに」「9.産業と技術革新の基盤をつくろう」「11.住み続けられるまちづくりを」「13.つくる責任 つかう責任」に貢献するものです。

補足説明

  • 1.マイクロ流体デバイス
    マイクロスケールの微小な流路中で、粒子や分子の流動および反応の操作・解析を行うデバイス。
  • 2.スピドロイン
    クモの糸の主成分となる高分子量の構造タンパク質。
  • 3.せん断応力
    流体の速度勾配などに起因する、ある面に物質を滑らせることで発生する単位面積当たりの応力のこと。
  • 4.自己集合、自己組織化
    自己集合は分子が熱力学的に安定な状態へ移行するために、分子同士が自発的に集まる現象。自己集合などを通じて、分子が自発的に特異な秩序構造を作り上げることを自己組織化という。
  • 5.階層構造
    バイオマテリアルの分野で、小さな構造が集合してより大きな構造が形成され、これを繰り返すことで次第に組み合わされる複雑な構造。
  • 6.βシート
    タンパク質の二次構造の一種で、シルクではタンパク質鎖間の水素結合を高めることで構造安定性をもたらす。
  • 7.液-液相分離(LLPS)
    液体中の分子が相互作用し互いを排除し合った結果、界面を挟んで成分比の異なる複数の液相に安定的に分離する現象。LLPSはLiquid-liquid phase separationの略。
  • 8.ラマン分光法
    光子の非弾性散乱に基づく計測技術で、試料の化学組成や構造に関する詳細な情報を得ることができる。
  • 9.広角X線散乱(WAXS)
    ポリマー試料の結晶化度を測定するために使用される方法。WAXSはWide-angle x-ray scatteringの略。
  • 10.レオロジー
    流体(液体と気体、特定の条件下で固体のような挙動を示す物質を含む)の流動と変形を研究する学問。
  • 11.持続可能な開発目標(SDGs)
    2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された、2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール、169のターゲットから構成され、発展途上国のみならず、先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり、日本としても積極的に取り組んでいる(外務省ホームページから一部改変して転載)。SDGsはSustainable Development Goalsの略。

共同研究グループ

理化学研究所
環境資源科学研究センター バイオ高分子研究チーム
チームリーダー 沼田 圭司(ヌマタ・ケイジ)
(京都大学 大学院工学研究科 教授、慶應義塾大学 先端生命科学研究所 特任教授)
上級研究員 マライ・アリ・アンドレス(Ali Andres Malay)
特別研究員(研究当時)チェン・ジャンミン(Chen Jianming)
(香港理工大学 Research Institute for Intelligent Wearable Systems, Research Centre of Textiles for Future Fashion, School of Fashion and Textile 助教)
開拓研究本部 新宅マイクロ流体工学理研白眉研究チーム
理研白眉研究チームリーダー 新宅 博文(シンタク・ヒロフミ)
テクニカルスタッフⅡ 土田 新(ツチダ・アラタ)

京都大学 大学院工学研究科
教授 浦山 健治(ウラヤマ・ケンジ)
助教 辻 優依(ツジ・ユイ)
修士課程 葛本 真子(クズモト・マコ)

東京大学 大学院工学系研究科
准教授 土屋 康佑(ツチヤ・コウスケ)
(理研 バイオ高分子研究チーム 客員研究員)

高輝度光科学研究センター
主幹研究員 増永 啓康(マスナガ・ヒロヤス)

研究支援

本研究は、文部科学省データ創出・活用型マテリアル研究開発プロジェクト事業「バイオ・高分子ビッグデータ駆動による完全循環型バイオアダプティブ材料の創出(研究総括:沼田圭司)、科学技術振興機構(JST)「共創の場形成支援プログラム(プロジェクトリーダー、沼田圭司)」による助成を受けて行われました。SPring-8 BL05XUを利用して実施されました。

原論文情報

  • Jianming Chen, Arata Tsuchida, Ali D. Malay, Kousuke Tsuchiya, Hiroyasu Masunaga, Yui Tsuji, Mako Kuzumoto, Kenji Urayama, Hirofumi Shintaku, and Keiji Numata, "Replicating shear-mediated self-assembly of spider silk through microfluidics", Nature Communications, 10.1038/s41467-024-44733-1

発表者

理化学研究所
環境資源科学研究センター バイオ高分子研究チーム
チームリーダー 沼田 圭司(ヌマタ・ケイジ)
(京都大学 大学院工学研究科 教授)
上級研究員 マライ・アリ・アンドレス(Malay Ali Andres)
特別研究員(研究当時)チェン・ジャンミン(Chen Jianming)
開拓研究本部 新宅マイクロ流体工学理研白眉研究チーム
理研白眉研究チームリーダー 新宅 博文(シンタク・ヒロフミ)
テクニカルスタッフⅡ 土田 新(ツチダ・アラタ)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
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Email: comms [at] mail2.adm.kyoto-u.ac.jp

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