理化学研究所(理研)開拓研究本部 森本超短パルス電子線科学理研白眉研究チームの森本 裕也 理研白眉研究チームリーダー(光量子工学研究センター 超短パルス電子線科学理研白眉研究チーム 理研白眉研究チームリーダー)らの国際共同研究チームは、アト秒(as、1asは100京分の1秒)電子ビーム[1]を用いた実験により、電子回折[2]過程を光によって超高速のアト秒で変調できることを発見しました。
本研究成果は、アト秒とオングストローム(Å、1Åは100億分の1メートル)という極限的な時間空間分解能を持つ電子顕微鏡の開発に向けた大きな一歩です。
電子回折は、物質の構造を原子レベルで精密に決定するための手法であり、電子顕微鏡や基礎科学の実験で広く一般的に用いられています。今回、理研とドイツ・コンスタンツ大学の国際共同研究チームは、アト秒という極めて短い時間幅の電子ビームを発生させ、その回折現象を調べました。実験の結果、測定試料である結晶薄膜にレーザー光を照射すると、電子ビームの回折効率(強度)がアト秒の時間スケールで変化することを発見しました。また、照射するレーザー光を工夫することで、回折効率がレーザー光の強度に対して非線形的に変化する様子も観測されました。これらの発見は、アト秒電子顕微鏡の開発における基礎的な知見であり、その開発により物質のミクロなスケールでの構造や機構の解明に役立つと期待されます。
本研究は、科学雑誌『Physical Review Letters』オンライン版(5月22日付)に掲載されました。
アト秒の時間スケールで電子回折強度が変化する様子のイメージ図
背景
2001年に発生が報告されたアト秒レーザー光は、物質中で電子が超高速で運動する様子を観測することを可能としました。しかし、原子レベルの分解能で電子が動く様子を撮影することはいまだ達成されていません。それは、アト秒レーザーの波長[3]が原子1個のサイズよりも10倍から100倍も長いためです。
原子1個を識別して観測するには電子顕微鏡が使われます。電子顕微鏡で使われる電子ビームは、その波長が原子の大きさの100分の1程度であるため、原子レベルの観測が可能となります。結晶性の試料の場合、電子顕微鏡の測定手法の一つである電子回折が物質の構造決定に頻繁に用いられます。電子顕微鏡を用いて超高速のアト秒で起こる現象を観測するためには、アト秒の間だけ試料をフラッシュのように照らす、アト秒電子ビームが必要で、ようやく最近になってアト秒電子ビームを発生させる技術が誕生しました。しかし、アト秒という極めて短い時間幅を有するビームで電子回折を行うと、どのような信号が観測されるかは、アト秒電子ビームを発生させること自体が難しい上、それを回折させる実験にも困難が伴うため、分かっていませんでした。
研究手法と成果
国際共同研究チームは、2018年にアト秒電子ビームの直接観測に成功しています注)。今回は、アト秒電子ビームを用いた電子回折実験を実施しました。図1(a)に実験の概略図を示します。レーザー光によって電子ビームを加減速することで、アト秒電子ビームを発生させました。そして、アト秒電子ビームによって試料であるケイ素単結晶薄膜の透過電子回折像を取得しました(図1(b))。次に、このケイ素単結晶薄膜にレーザー光を照射すると、アト秒電子ビームとレーザー光の相対的な遅延時間(時間差)に応じて、回折強度が超高速で変化しました(図1(c))。その変化は3,400asの周期で起こりました。図1(c)は1(b)中の一つの回折スポットについての結果ですが、全てのスポットで同様の変化が観測されました。
図1 アト秒電子ビームによる回折実験
(a)実験の概略図。レーザー光の照射によって発生させたアト秒電子ビームによって、試料の回折像を観測した。試料にもレーザー光が照射されている。(b)観測されたケイ素単結晶薄膜からの回折像。(c)アト秒電子ビームとレーザー光の遅延時間に応じて観測された超高速の回折強度の変化。
回折強度が超高速で変化した原因を調べたところ、回折が起こる条件であるブラッグの法則(ラウエの条件)[4]に由来していることが分かりました。電子回折は、電子ビームと結晶の間の角度がブラッグの法則を満たすと効率よく回折が起こりますが、満たさない場合はその効率が低くなります。結晶学ではこの法則を利用したロッキング・カーブ測定という測定が行われます。ビームに対して結晶を回転させた際の回折強度の変化を測定することで、結晶の性質が評価されます。一方、本研究では結晶は回転させていません。しかし、以下で述べるようにアト秒電子ビームがレーザー光の影響で振動運動を行ったため、類似した効果が発生しました。
レーザー光は超高速で振動する電磁場です。図2中の青線で示すように、レーザー光が照射されている試料(結晶)へアト秒電子ビームが入射すると、電子ビームは揺さぶられます。つまり、レーザー光の影響によって、電子は振動運動を行います。レーザー光の電磁場は交流で、時間とともに振動するため、アト秒電子ビームとレーザー光の間の試料に到達する時間差によって、電子ビームの試料(結晶)への入射角度が変化します。その変化の周期は実験で用いられた波長1マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)のレーザー光の周期3,400asとなり、実験結果と周期が一致します。従って、超高速で振動する電磁場であるレーザー光を利用することで、電子回折の効率をアト秒レベルで制御できることが分かりました。
図2 今回発見された電場誘起ロッキング・カーブ効果の概念図
レーザー光の電磁場の影響により、電子ビームは振動運動を示す。レーザー光の電磁場は超高速で振動する交流電場なので、アト秒電子ビームの試料への到着時間(レーザー光との時間差に対応)によって試料への入射角度(図中の太い青矢印)が変化する。入射角度がブラッグの法則を満たす角度に近づけば(例として右側の図)回折強度は強くなり、逆に離れれば(例として左側の図)回折強度が弱くなる。この回折強度の変化は、レーザー光の1周期より十分短いアト秒の時間スケールで起こる。
この現象を電子ビームより身近な光の例で説明すると以下のようになります。光は回折格子という光学素子で回折されます。電子と同じく、ブラッグの法則を満たす角度で入射した光が効率よく回折されます。上述の電子ビームで観測された現象を光に置き換えると、回折格子に向かってくる光の進行方向がアト秒の時間スケールで変化し、その結果、回折光の強度が超高速で変調されることに対応します。
図1(c)の結果では、回折強度が時間とともにサイン波のように振動して変化しました。結晶に照射するレーザー光の波長を長くしたり(つまり、振動運動の周期を長くしたり)、レーザー光を強くしたり(つまり、振動の振幅を大きくしたり)すると、もはやサイン波のような振動を示さないことも本研究で明らかとなりました。これは非線形な効果と呼ばれます。波長が約7倍長い高強度の中赤外レーザー光を結晶に照射した結果を図3に示します。周期が長い中赤外レーザー光によって電子の結晶への入射角度が大きく変調され、回折強度の変化がサイン波形ではなくなりました(図3(a)中の緑曲線)。この結果はレーザー光の波長や強度を適切に選択することで結晶による電子ビームの回折強度を大きく変調できることを示しています。
図3 電場誘起ロッキング・カーブ効果における非線形効果
(a)中赤外高強度レーザー光(赤曲線)を試料に照射することで、緑の曲線で示すように、図1(c)で見られたサイン波形とは大きく異なる回折強度の変調が得られる(シミュレーション)。(fsはフェムト秒、1fsは1,000兆分の1秒)(b)実験結果との比較。実験では、レーザー光によるストリーク角度((a)内の赤曲線、(b)の横軸)ごとの回折強度((a)内の緑曲線、(b)の縦軸)の変調を観測した。図1(c)のようなサイン型の変調の場合にはこの結果は直線となるが、非線形効果によって放物線のような(つまり非線形な)カーブ(緑の曲線はシミュレーション結果、黒丸は実験結果)となっている。mrad(ミリラジアン)は角度の単位。ここでは電子ビームの進行方向を表している。
- 注)Yuya Morimoto and Peter Baum, Nat. Phys. 14, 252-256 (2018).
今後の期待
本研究によって、アト秒電子ビームの回折現象が解明されました。今後は本研究の結果を基に、アト秒とオングストロームという極限的な時間空間分解能を持つ電子顕微鏡の開発を進めていきます。そのような顕微鏡が完成すれば、物質中で電子が動く様子が動画として撮影され、化学反応や光を当てると物質の性質が変化する光誘起相転移のミクロなスケールでの機構解明に役立つと期待されます。
また、レーザー光によって電子ビームの回折強度を変調できるという本研究の発見は、光の周波数であるサブ・ペタヘルツ(1秒間に数百兆回振動することに対応)で電流値を変調していると見なすことができます。極端にいえば、電子回折が起こるかどうか、つまり電子回折のONとOFFを光周波数で切り替えることが実現するかもしれません。サブ・ペタヘルツの電流変調は、レーザー光による超高速の情報処理に応用できる可能性があります。
補足説明
- 1.アト秒電子ビーム
アト秒域(100京分の1秒から1京分の1秒程度)の時間幅を有する電子ビーム。電子ビームを光によって超高速で加減速することで発生させる。アト秒レーザー光を除くと、唯一のアト秒時間幅を有するビームである。 - 2.電子回折
電子の波としての性質を利用して物質のミクロな構造を決定する手法。X線回折と並んで、結晶性の物質や気体分子の構造を決定するための標準的な手法。 - 3.波長
波の周期的な長さであり、可視光の場合は色に対応する。物質である電子の場合は、ド・ブロイ波長とも呼ばれる。物を"見る"ためにはその対象の大きさよりも短い波長の光や電子ビームを用いる必要がある。 - 4.ブラッグの法則(ラウエの条件)
物質、特に周期的な構造を有する結晶によって反射されたり散乱されたりした光、X線、電子などの波が干渉して強め合う条件を表す法則。
国際共同研究チーム
理化学研究所 開拓研究本部 森本超短パルス電子線科学理研白眉研究チーム
理研白眉研究チームリーダー 森本 裕也(モリモト・ユウヤ)
(光量子工学研究センター 超短パルス電子線科学理研白眉研究チーム 理研白眉研究チームリーダー)
コンスタンツ大学(ドイツ)物理学科
教授 バウム・ペーター(BAUM Peter)
研究支援
本研究の一部は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(ACT-X)「機械学習による電子線制御技術のフロンティア開拓(研究代表者:森本裕也)」、創発的研究支援事業「光変調された電子線と原子・分子・固体の衝突(研究代表者:森本裕也)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業国際共同研究加速基金(帰国発展研究)「サブフェムト秒電子線計測法の開発(研究代表者:森本裕也)」、風戸研究奨励会、光科学技術研究振興財団による助成を受けて行われました。
原論文情報
- Yuya Morimoto and Peter Baum, "Field-Induced Rocking-Curve Effects in Attosecond Electron Diffraction", Physical Review Letters, 10.1103/PhysRevLett.132.216902
発表者
理化学研究所
開拓研究本部 森本超短パルス電子線科学理研白眉研究チーム
理研白眉研究チームリーダー 森本 裕也(モリモト・ユウヤ)
(光量子工学研究センター 超短パルス電子線科学理研白眉研究チーム 理研白眉研究チームリーダー)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
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