理化学研究所(理研)計算科学研究センター 離散事象シミュレーション研究チームの村瀬 洋介 研究員らの国際共同研究チームは、理研のスーパーコンピュータ「富岳」[1]を用いた大規模シミュレーションと数理モデルによって、社会における評判に基づいた協力行動がいつどのように進化するかを明らかにしました。
本研究成果は、ヒトの社会的感情の起源の理解や、社会において大規模な協力を実現する仕組みのデザイン(設計)に貢献すると期待できます。
今回、国際共同研究チームは、ヒト社会において協力行動を維持する仕組みである「間接互恵性[2]」について、数理モデルとシミュレーションを使って研究しました。社会で互いに協力するためには評判と社会規範が重要な役割を果たします。本研究では、協力行動を促す社会規範がどのような条件で生まれ、どのように進化するかについて調べ、協力行動を生み出す鍵となる社会規範の特徴を明らかにしました。
本研究は、科学雑誌『Proceedings of the National Academy of Sciences(PNAS)』オンライン版(8月8日付)に掲載されました。
背景
ヒトが持つ最も際立った特徴の一つは協力行動であるといわれています。個々の力は弱くとも互いに助け合い、大きな集団で協力することにより生存競争を生き抜いてきました。社会性を持つ動物は多いですが、ヒトは直接的な血縁関係を持たない多様な相手とも協力し合えるという点において傑出しています。進化生物学において、このような非血縁者への協力行動を説明する重要な仕組みの一つに「間接互恵性」と呼ばれるものがあります。
間接互恵性は評判を通じて、協力を維持する仕組みです(図1)。例えば、AさんがBさんを助けたとします。その様子が社会に観測されていると、Aさんの利他的な行動が良い評判として社会に広まり、後に第三者であるCさんがAさんを助けてくれるでしょう。つまり、Aさんの協力行動が、Cさんによって「間接」的に返報を受けることになります。このような社会では、Aさんはコストを払ってでも協力行動をとることで長期的に利得を最大化することができ、協力行動が安定して維持されると考えられます。
図1 間接互恵性の仕組み
ヒトの社会では、ある人(A)が誰か(B)に協力すると、それを見た周りの人たちの間で良い評判となって社会に広まり、協力した人は後に第三者(C)から協力を得られ、間接的に返報を受けることができる。
間接互恵性を適切に機能させるためには、「社会規範」が重要な役割を果たします。間接互恵の理論では、社会規範を「誰に対してどのような行動をとるべきか」、「どのような行動を良い(悪い)行動と評価するか」という行動に対する指針とその行動に対する評価を規定するものと定義しています。例えば、「評判が良い人に対しては協力をするべきだ」という規範が社会で共有されていなければ、誰も評判のことなど気にしなくなり協力行動は生まれないでしょう。
どのような社会規範があれば協力行動が生まれるのでしょうか。これは、進化ゲーム理論[3]において精力的に研究されてきたテーマです。これまでの研究では、ある社会規範がすでに確立しているという条件の下で、その社会規範が安定しているかどうか(プレイヤーが社会規範から逸脱することによって得をしないかどうか、ナッシュ均衡[4]かどうか)が主に議論されていました。一方で、「そもそも協力がない状態からどのように協力を生み出す社会規範が進化してくるのか?」という問いは根源的で重要であるにもかかわらず十分に研究されていませんでした。あり得る進化的な経路は膨大な数になり、それらを網羅的に調べることは従来の手法では困難であったからです。本研究では、この難問に「富岳」を用いて挑みました。
研究手法と成果
本研究では、間接互恵性による協力行動がいつどのように進化するか、進化ゲーム理論に基づく数理モデルを使って研究しました。進化ゲーム理論においては、集団の中の各プレイヤーは、ある社会規範に則って行動しますが、他者と利得を比較し、より高い利得を得ているプレイヤーの社会規範を学習していきます。つまり、より成功した社会規範は広まり、劣った社会規範は消滅するという「社会規範の進化」が集団内で起きます。
このようなダイナミクスを理解するための研究は数多く行われてきました。しかし、先行研究では、社会規範がすでに確立している状態についての研究がほとんどであり、また研究対象としている社会規範の数も数個でした。実際には、寛容な社会規範から厳格な社会規範までさまざまなものが存在し、それらがどのように現れるかについても理解する必要があります。このような先行研究の制約は主に必要な計算量に由来します。考慮する社会規範の数をK種類とすると、考慮するべき進化的な遷移はKの2乗で増加します。例えば、本研究では約2,000種類の社会規範を対象に研究を行いましたが、約400万通りのパターンを考える必要があります。これは通常の方法では困難です。
本研究では、上記のような困難を「富岳」を使った大規模数値計算により克服しました。有限サイズの集団においてプレイヤーが利得に応じて社会規範を学習するという標準的なモデルを用いて、社会規範がどのような経路で進化するかを求めることに成功しました(図2)。その結果、集団が単一のコミュニティから成る場合、協力を促す社会規範が進化することは難しいことが明らかになりました。これは、先行研究により単一のコミュニティにおいても協力を促す社会規範が維持される可能性が示唆されていただけに、興味深い結果といえます。
一方で、集団が単一のコミュニティではなく、いくつかの小さなグループ(例えば、部族や村などの小規模な集団)に分割されている場合、協力的な社会規範が進化することも分かりました。その際には、ある一つの社会規範が特に重要な役割を果たします。その社会規範は非常にシンプルで、「協力行動を常に肯定的に評価し、ほとんどの(他の非協力者を懲らしめるために協力しない場合を除いて)非協力行動を否定的に評価する」というものです。
この研究により、社会規範、そこから生じる評判のダイナミクス、および集団の構造との複雑な相互作用について新たな洞察が得られました。どの社会規範が支配的になるか、そして協力行動がどれだけ生じやすいかは集団の構造に大きく依存することを示唆しています。
図2 社会規範の進化的経路
社会規範が時間とともにどのように遷移していくかを可視化したもの。約2,000通りの社会規範の中から進化の過程で頻繁に現れる重要なもののみを抜粋して描画している。確率的に遷移しやすい場合は実線、交互に入れ替わる場合を破線で表す。例えば、L2という社会規範からL1,L3,L4,L7という社会規範に遷移しやすいことが分かる。さらに遷移のパターンから社会規範をいくつかのタイプに分類することができる。例えば、タイプⅠはタイプⅡから遷移しやすく、同じタイプに分類される社会規範同士は交互に入れ替わる遷移が起きる、という特徴がある。
今後の期待
本研究成果は、今後のさらなる理論研究に加えて、人間を対象とした行動実験や社会活動の調査研究の重要な足掛かりとなることが予想されます。それにより、人間の社会活動における心理状態の変化やその進化的起源の理解につながることが期待されます。また、現代社会においても、さまざまな場面で評判情報が重要な役割を果たしています。今後の研究により、評判をよりよく活用し、間接互恵性が適切に機能する社会をデザインするための指針が見つかるかもしれません。
間接互恵性の研究は、これまで主に理論と実証により進展してきた一方で、コンピュータの利用は小規模なシミュレーションなどに限られていました。本研究は、スーパーコンピュータによる大規模計算を初めて活用したという意味でも先駆的です。この分野において、理論、実験に加え、計算による研究がさらに開拓されていくことが期待されます。
補足説明
- 1.スーパーコンピュータ「富岳」
スーパーコンピュータ「京」の後継機。2020年代に、社会的・科学的課題の解決で日本の成長に貢献し、世界をリードする成果を生み出すことを目的とし、電力性能、計算性能、ユーザーの利便性・使い勝手の良さ、画期的な成果創出、ビッグデータやAIの加速機能の総合力において世界最高レベルのスーパーコンピュータとして2021年3月に共用が開始された。現在「富岳」は日本が目指すSociety 5.0を実現するために不可欠なHPCインフラとして活用されている。 - 2.間接互恵性
社会において評判を通じて協力が維持される仕組み。 - 3.進化ゲーム理論
ゲーム理論の枠組みを応用し、生物種や形質、行動、文化などの進化を分析する理論。 - 4.ナッシュ均衡
ゲーム理論における解の概念の一つ。ある戦略の組み合わせが与えられたときに、どのプレイヤーも自分だけが戦略を変更して利得を増やすことができないとき、その戦略の組み合わせをナッシュ均衡という。
国際共同研究チーム
理化学研究所 計算科学研究センター 離散事象シミュレーション研究チーム
研究員 村瀬 洋介(ムラセ・ヨウスケ)
マックスプランク進化生物学研究所(ドイツ)
グループリーダー クリスチャン・ヒルべ(Christian Hilbe)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(C)「社会的ジレンマにおける負けないことが保証された直接互恵戦略の研究(研究代表者:村瀬洋介、21K03362)」、同国際共同研究加速基金(国際共同研究強化(A))「情報共有が限定された社会的ジレンマにおける間接互恵性の計算科学的研究(研究代表者:村瀬洋介、21KK0247)」、基盤研究(B)「サイバーフィジカル融合のもとでのグローバル・ガバナンス:持続可能な平和を目指して(研究代表者:阪本拓人、23K22087)」による助成を受けて行われました。
原論文情報
- Yohsuke Murase, Christian Hilbe, "Computational evolution of social norms in well-mixed and group-structured populations", Proceedings of the National Academy of Sciences(PNAS), 10.1073/pnas.2406885121
発表者
理化学研究所
計算科学研究センター 離散事象シミュレーション研究チーム
研究員 村瀬 洋介(ムラセ・ヨウスケ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
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