2025年6月6日
理化学研究所
名古屋大学
科学技術振興機構(JST)
昆虫の体内で機能性分子ナノカーボンを合成
-ウンチのなかに新機能性物質-
理化学研究所(理研)開拓研究所 伊丹分子創造研究室の伊丹 健一郎 主任研究員(環境資源科学研究センター チームディレクター、名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)主任研究者)、名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)の宇佐見 享嗣 特任助教(高等研究院YLC教員)、藤本 和宏 特任准教授、柳井 毅 教授、名古屋大学 大学院理学研究科の河野 英也 博士後期課程学生(研究当時)、オースティン・ビック 博士前期課程学生らの共同研究グループは、昆虫が持つ異物代謝の仕組みを利用して、その体内で機能性分子ナノカーボンを合成させることに初めて成功しました。
人工飼料に混ぜた分子ナノカーボンを昆虫に食べさせ、昆虫の排せつ物から蛍光特性などの新しい機能を付与した物質を得ることができ、昆虫内ナノカーボン合成が実現しました。さらに、実験化学・計算科学的手法を駆使することで、反応メカニズムを明らかにしました。
このような昆虫内ナノカーボン合成は、分子合成において新たな選択肢を提供し、非天然分子の発見や開発、応用につながるものと期待されます。本研究は、科学雑誌『Science』オンライン版(6月5日付)に掲載されました。

本研究で開発した昆虫内ナノカーボン合成
背景
これまで天然物や機能性分子は、フラスコを用いた従来の有機化学や酵素を用いた試験管内(in vitro)での合成法によって合成されてきました。しかし、機能性分子の中には合成が難しいものが多く存在します。特に、フラーレンやカーボンナノリング、カーボンナノベルトといった分子ナノカーボン注)は、その特異な構造から選択的な官能基化(特定の場所に分子を結合させ、新たな性質を持たせること)が困難であり、有機合成における原料としての利用は限られていました。一方で、昆虫をはじめとする生物は、多様な酵素を高密度に持ち、複雑な反応を効率的かつ正確に行う能力を持っています。昆虫は、植物の二次代謝産物や農薬などの異物に対して、高度な解毒システムなどの制御機構を発達させてきました。これまでの研究は、主にこれらの生物反応に関与する酵素の組成や反応性の解明に焦点が当てられてきました。
共同研究グループは、昆虫を生きた反応場として活用し、これまで選択的な官能基化が困難だった機能性分子ナノカーボンが昆虫の異物代謝経路を活用することで、わずか1段階で生産できると考え、昆虫内合成、物性測定、反応メカニズムの解明に挑みました。
- 注)"Synthesis of a carbon nanobelt" Guillaume Povie, Yasutomo Segawa, Taishi Nishihara, Yuhei Miyauchi, Kenichiro Itami, Science 2017, 356, 172-175.
研究手法と成果
伊丹主任研究員らは、メチレン架橋[6]シクロパラフェニレン([6]MCPP)という構造対称性の高いベルト状分子ナノカーボンを、異物代謝試験法[1]が確立されている農業害虫として知られるガの一種であるハスモンヨトウの幼虫へ、人工飼料に混ぜて経口投与しました。2日後にこの幼虫の排せつ物から、酸素原子が導入された新規誘導体[6]MCPP-oxyleneを単離・精製し、質量分析やNMR(核磁気共鳴)、X線結晶構造解析[2]により構造を決定しました(図1)。酸素原子の導入により[6]MCPP-oxyleneは、[6]MCPPにはなかった蛍光特性を獲得していました。

図1 ハスモンヨトウ幼虫による昆虫内ナノカーボン合成
インゲン豆と寒天に分子ナノカーボン[6]MCPPを混ぜた人工飼料をハスモンヨトウの幼虫に経口投与した。2日後、幼虫の排せつ物を取り、そこから新規誘導体[6]MCPP-oxyleneを単離・精製し、構造を解析した。
昆虫内ナノカーボン合成に関与する酵素を特定するため、[6]MCPPを摂食した幼虫の腸を用いたRNAシーケンス解析[3]とリアルタイムPCR[4]を実施したところ、シトクロームP450(CYP)[5]という代謝酵素が酸素原子導入に重要な役割を果たしていることが示唆されました。また、RNA干渉法[6]を用いて、CYP変異体群の遺伝子発現を抑制し、[6]MCPP-oxyleneの生産量への影響を確認することで、特に、チョウ目昆虫に特異的な遺伝子CYP6B2の遺伝子多型[7]であるCYP X2とX3が[6]MCPPの昆虫内ナノカーボン合成に関与していることが示唆されました(図2A、B、C、D)さらに、CYP X2やX3を遺伝子導入した大腸菌を用いた異物代謝試験を実施し、これらCYPが[6]MCPPの酸素原子導入に関与することを明らかにしました。

図2 昆虫内ナノカーボン合成に関わる酵素の特定
- (A)リアルタイムPCRによる[6]MCPPの摂食有無による標的CYP変異体の発現比較。摂食有(灰色)、摂食無(白抜き)で表す。摂食があるとCYP X2とX3の発現量が明らかに多くなる。
- (B)ハスモンヨトウ幼虫へのRNA干渉法。siRNA(single interfering RNA)は21~27塩基対の二本鎖RNA。合成したsiRNAを細胞に取り込ませることにより、相補的な配列を持つ遺伝子の発現を抑制できる。
- (C)RNA干渉後の標的CYP変異体の発現比較。コントロールとしてGFP(緑色蛍光タンパク質)を標的にしたRNA干渉後(濃灰色)、標的CYP変異体へのRNA干渉後(薄灰色)で表す。RNA干渉後、CYP X2とX3の発現量が顕著に減っている。
- (D)RNA干渉による[6]MCPP-oxyleneの生産量比較。RNA干渉なし(濃灰色)、標的CYP変異体へのRNA干渉後(薄灰色)で表す。RNA干渉後、[6]MCPP-oxyleneの生産量は減少している。
「*」:有意水準5%での有意差あり。「**」:有意水準1%での有意差あり。「n.s.」:「not significant(有意差なし)」の略号。
昆虫内ナノカーボン合成の基質(酵素の作用を受けて反応を起こす物質)選択性を評価するため、異なる環サイズの[n]CPPを用いた異物代謝試験を実施し、特定の環サイズ([6]CPP)に対してのみ酸素原子導入が進行することを発見しました(図3)。また、蛍光特性を獲得すること、反応に関与する遺伝子がCYP X2であることを特定しました。
![異なる環サイズの[n]CPPを用いた昆虫内ナノカーボン合成の図](/medialibrary/riken/pr/press/2025/20250606_1/20250606_1_fig3.jpg)
図3 異なる環サイズの[n]CPPを用いた昆虫内ナノカーボン合成
昆虫内ナノカーボン合成の基質選択性を評価するため、異なる環サイズを持つ分子([n]CPP)の異物代謝試験を行った。その結果、[6]CPPだけで酸素原子導入の反応が促進された。一方、[5]CPP、[7]-[12]CPPは同様の反応が進行しなかった。
これら昆虫内ナノカーボン合成の反応メカニズムを明らかにするため、まず、分子動力学シミュレーション[8]を実施し、CYP X2やX3は、1分子に加えて2分子の[6]MCPPを同時に安定して包接できることが明らかになりました(図4A、B)。さらに、量子化学計算[9]により、通常想定されるエポキシドなどの中間体を経由せずに酸素原子が炭素-炭素結合に直接挿入されるという全く前例のない反応メカニズムであることを明らかにしました。
![分子動力学シミュレーションによるCYP X3と[6]MCPPとの相互作用様式の図](/medialibrary/riken/pr/press/2025/20250606_1/20250606_1_fig4.jpg)
図4 分子動力学シミュレーションによるCYP X3と[6]MCPPとの相互作用様式
- (A)CYP X3と1分子の[6]MCPPでの相互作用様式。CYP X3は灰色、[6]MCPP(上)とHeme(ヘム)は緑色で示している。水色の破線はHemeから[6]MCPPの重心までの距離、赤色の破線はHemeから[6]MCPPの反応部位までの距離をそれぞれ表している。Heme(ヘム):鉄イオンを中心にポルフィリンという環状の有機化合物が取り囲んだ物質。CYPなどさまざまなタンパク質の補欠分子族(酵素の活性に不可欠な非タンパク質性の物質)として機能している。Å(オングストローム):1Åは100億分の1メートル。鉄イオンから[6]MCCPの反応部位までの距離は10.5Åで遠い。
- (B)CYP X3と2分子の[6]MCPPでの相互作用様式。CYP X3は灰色、[6]MCPP(上、中)とHeme(ヘム)は緑色で示している。水色の破線はHemeから[6]MCPPの重心までの距離、赤色の破線はHemeから[6]MCPPの反応部位までの距離をそれぞれ表している。鉄イオンから[6]MCCPの反応部位までの距離は6.6Åとなり(A)よりもかなり近くなる。
今後の期待
本研究では、生きた昆虫の異物代謝能力を利用した昆虫内ナノカーボン合成という新しい概念を提唱し、選択的に酸素原子を導入する機能性ナノカーボンを合成しました。また、この反応の鍵となる酵素がCYP X2とX3であることを特定し、反応メカニズムを明らかにしました。
この成果は、化学的手法や物理的手法による合成・変換が常識だった材料科学分野に「生体システムを用いた機能性分子創製」という全く新しい方法論を提供するものです。新物質創製の分野に大きく貢献するだけでなく、ゲノム編集技術や指向性進化法[10]を用いることで、より広範な分子への応用が期待されます。
補足説明
- 1.異物代謝試験法
体内に取り込まれる外部物質(異物)がどのように代謝されるかを調べるための方法。 - 2.X線結晶構造解析
単結晶にX線を当て、その回折パターンを解析することで、単結晶中の分子構造やその配列を明らかにする手法。 - 3.RNAシーケンス解析
RNA分子の配列を解析する技術で、遺伝子発現の全体像を把握するために広く使用する方法。 - 4.リアルタイムPCR
ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)の一種で、特定のDNAやRNAの量をリアルタイムで測定し、定量的に解析する技術。 - 5.シトクロームP450(CYP)
細菌から植物、哺乳動物に至るまでのほとんどすべての生物に存在する酸化酵素の総称。異物代謝においては主要な反応酵素である。 - 6.RNA干渉法
細胞内での遺伝子発現を抑制する自然なメカニズムを基にした、特定の遺伝子の発現を抑制する方法。 - 7.遺伝子多型
ある集団に1%以上の頻度で認められる遺伝子変異のこと。 - 8.分子動力学シミュレーション
原子間に働く力を計算し、運動方程式を繰り返し解くことで、分子の動きを追跡する方法。 - 9.量子化学計算
原子や分子の性質を量子力学の原理に基づいた計算から理論的に予測する手法。 - 10.指向性進化法
自然界で起こる進化を模倣し、タンパク質工学技術を基盤に、タンパク質や酵素の機能を人工的に改良するための分子進化技術である。2018年にノーベル化学賞を受賞したフランシス アーノルド博士が開発した。
共同研究グループ
理化学研究所
開拓研究所 伊丹分子創造研究室
環境資源科学研究センター 拡張ケミカルスペース研究チーム
主任研究員・チームディレクター 伊丹 健一郎(イタミ・ケンイチロウ)
(名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)主任研究者)
研究員 天池 一真(アマイケ・カズマ)
名古屋大学
トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)
教授 柳井 毅(ヤナイ・タケシ)
特任准教授 藤本 和宏(フジモト・カズヒロ)
特任准教授 八木 亜樹子(ヤギ・アキコ)
特任助教 宇佐見 享嗣(ウサミ・アツシ)
(高等研究院YLC教員)
学際統合物質科学研究機構
特任助教 山田 早人(ヤマダ・ハヤト)
大学院理学研究科
准教授 フン・クアン・マイン(Phung Quan Manh)
博士後期課程学生(研究当時)周戸 大季(シュウド・ヒロキ)
(現 琉球大学 日本学術振興会(JSPS)特別研究員)
博士後期課程学生(研究当時)河野 英也(コウノ・ヒデヤ)
(現 理化学研究所 開拓研究所 伊丹分子創造研究室 特別研究員、
環境資源科学研究センター 拡張ケミカルスペース研究チーム 特別研究員)
博士後期課程学生 加藤 智紀(カトウ・トモキ)
博士前期課程学生 オースティン・ビック(Austen Vic)
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業特別推進研究「未踏分子ナノカーボンの創製(研究代表者:伊丹健一郎)」、同若手研究「昆虫による分子ナノカーボンの直接官能基化に関わる新規タンパク質の探索と機能解明(研究代表者:宇佐見享嗣)」、同国際共同研究加速基金(国際先導研究)「動的元素効果デザインによる未踏分子機能の探究(研究代表者:山口茂弘、研究分担者:柳井毅、八木亜樹子)」、理研CPRプロジェクト「生体システムを活用した新奇分子ナノカーボンの創製(研究代表者:伊丹健一郎)」、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(ACT-X)「環境とバイオテクノロジー(研究総括:野村暢彦)」領域「機能性ナノカーボン材料の高効率生産を指向した生体触媒の創製(研究代表者:宇佐見享嗣)」、文部科学省共同利用・共同研究システム形成事業「学際領域展開ハブ形成プログラム」「マルチスケール量子-古典生命インターフェース研究コンソーシアム(研究代表者:井上圭一、研究分担者:柳井毅、藤本和宏)」、公益財団法人立松財団一般研究助成「分子ナノカーボンを用いた定量的生物変換反応と生理活性評価(研究代表者:宇佐見享嗣)」、公益財団法人日本科学協会笹川科学研究助成「昆虫による分子ナノカーボンの生体内動態機構の解明(研究代表者:宇佐見享嗣)」、公益財団法人中島記念国際交流財団令和5年度日本人若手研究者研究助成「昆虫によるナノカーボン材料の機能化メカニズムの解明(研究代表者:宇佐見享嗣)」、公益財団法人内藤科学技術振興財団研究助成「ナノ物質材料に対する広食性昆虫ハスモンヨトウの生理的適応戦略に関する研究(研究代表者:宇佐見享嗣)」、公益財団法人岩谷直治記念財団第50回岩谷科学技術研究助成「機能性分子ナノカーボン生産性を飛躍的に高めた生体触媒の作出(研究代表者:宇佐見享嗣)」による助成を受けて行われました。
原論文情報
- Atsushi Usami, Hideya Kono, Vic Austen, Quan Manh Phung, Hiroki Shudo, Tomoki Kato, Hayato Yamada, Akiko Yagi, Kazuma Amaike, Kazuhiro J. Fujimoto, Takeshi Yanai, Kenichiro Itami, "In-insect synthesis of oxygen-doped molecular nanocarbons", Science, 10.1126/science.adp9384
発表者
理化学研究所
開拓研究所 伊丹分子創造研究室
主任研究員 伊丹 健一郎(イタミ・ケンイチロウ)
(環境資源科学研究センター チームディレクター、名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)主任研究者)
名古屋大学
トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)
特任助教 宇佐見 享嗣(ウサミ・アツシ)
(高等研究院YLC教員)
特任准教授 藤本 和宏(フジモト・カズヒロ)
教授 柳井 毅(ヤナイ・タケシ)
大学院理学研究科
博士後期課程学生(研究当時)河野 英也(コウノ・ヒデヤ)
博士前期課程学生 オースティン・ビック(Austen・Vic)
発表者のコメント
昆虫にナノカーボン分子を食べさせ、われわれの代わりに「合成化学」をしてもらい、最後には宝物のような新しい機能性ナノカーボンをウンチのなかから見つけてくるというクレージーかつ遊び心たっぷりのプロジェクトでした。多くの驚きがあり、このプロジェクトに関わってくれ、また応援して下さった全ての方々に感謝します。(伊丹)
有機化学を中心とした研究室で昆虫を飼育するという、圧倒的にクレージーで前例がない試みから始まった昆虫内ナノカーボン合成。その第一歩を、最高の形で世界に発信できることをうれしく思います。共著者をはじめ、ご支援いただいたすべての方々に感謝申し上げます。(宇佐見)
報道担当
理化学研究所 広報部 報道担当
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名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)
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トランスフォーマティブ生命分子研究所(ITbM)
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科学技術振興機構 戦略研究推進部 先進融合研究グループ 原田千夏子
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