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2025年6月19日

理化学研究所

量子-スパコン連携による量子化学計算に成功

-古典的厳密計算可能領域を超える挑戦-

理化学研究所(理研)計算科学研究センター 量子系物質科学研究チームの白川 知功 上級研究員(量子計算シミュレーション技術開発ユニット 上級研究員、開拓研究所 柚木計算物性物理研究室 上級研究員、数理創造研究センター 量子数理科学チーム 上級研究員、量子コンピュータ研究センター 量子計算科学研究チーム 上級研究員)、柚木 清司 チームプリンシパル(開拓研究所 柚木計算物性物理研究室 主任研究員、創発物性科学研究センター 計算量子物性研究チーム チームディレクター、量子コンピュータ研究センター 量子計算科学研究チーム チームディレクター、最先端研究プラットフォーム連携(TRIP)事業本部統合データ・計算科学プログラム プロジェクトディレクター)らの国際共同研究グループは、IBMの量子コンピュータと理研のスーパーコンピュータ「富岳」を組み合わせた計算を通じて、従来の古典計算機では解析が困難だった量子化学の問題に対し、量子計算の実用化に向けた有効性を実証しました。

本研究では、量子コンピュータの実機から得られた出力をスーパーコンピュータで処理することで、50量子ビットを超える大規模な量子化学系において、初めて科学的に意味のある結果を得ることに成功しました。これにより、量子化学分野においても、古典計算の限界を超える規模の問題に対して量子計算が有効であることが示され、量子コンピューティングの実用化に向けた大きな前進となりました。

本研究は、科学雑誌『Science Advances』オンライン版(6月18日付:日本時間6月19日)に掲載されました。

量子コンピュータとスーパーコンピュータを連携させて利用する本研究手法の図

量子コンピュータとスーパーコンピュータを連携させて利用する本研究手法

背景

物質の性質や化学反応の仕組みを分子レベルで理解するためには、電子の動きを精密に捉える「量子化学計算」が不可欠です。これにより、新しい薬や電池材料、触媒などの開発を理論的に支援することができます。しかし、量子化学計算では、多数の電子が相互に影響し合う様子(電子相関)を扱う必要があり、計算量が電子数や分子軌道数に応じて爆発的に増加するという根本的な課題があります。このため、現在最も精度が高いとされる「完全配置間相互作用法(FCI)[1]」と呼ばれる方法でも、古典計算機では分子軌道数が20個程度までしか扱えないのが現状です。

こうした限界を打破する方法として、量子力学に基づいた情報処理を行う「量子コンピュータ」が期待されています。量子コンピュータは、電子が示す量子力学的な振る舞い、例えば「重ね合わせ」や「もつれ」といった現象を自らも同じように再現できるため、従来のスーパーコンピュータでは計算量が爆発的に増えてしまうような大規模な物質の振る舞いも、より効率的にシミュレーションできると期待されています。しかし、現在の量子コンピュータはまだノイズによるエラー(誤り)を正しい値に戻す機能である「誤り訂正」を備えていない段階であり、回路が深くなる(演算回数が増える)とノイズの影響で正しい結果を得るのが難しくなるという課題もあります。

このような背景の下、今回、国際共同研究グループは、量子コンピュータとスーパーコンピュータを連携させることで、量子コンピュータの出力が持つ本質的な「量子らしさ」(「重ね合わせ」や「もつれ」)を最大限に活用しながら、その弱点を古典的な情報処理で補うというアプローチに挑戦しました。

研究手法と成果

本研究では、IBM製の133量子ビットの量子プロセッサ「Heron」のうち、性能の安定した77量子ビットを選んで使用し、スーパーコンピュータ「富岳」の6,400ノード[2]と連携させることで、従来の古典計算機では解析が困難だった大規模な量子化学問題に挑みました。

国際共同研究グループが解析の対象としたのは、窒素分子(N2)の三重結合の切断過程や、鉄硫黄クラスター[3]([2Fe-2S]および[4Fe-4S])といった、電子相関の影響が強く現れる典型的な難問題です。特に[4Fe-4S]クラスターの計算では、77量子ビットを使用した量子回路の出力を基に、1億(1×10の8乗)個規模の配置状態を用いた対角化(diagonalization)[4]計算を行い、その処理を「富岳」上で並列実行(最大6,400ノード)することにより、量子コンピュータだけを用いた従来の量子計算では取り扱えなかった、はるかに大きな分子の電子状態エネルギーを得ることに成功しました。

量子コンピュータ側では、電子配置(electron configuration)[5](ビット列)を出力する量子回路を実行し、多数のサンプルを測定します。しかしノイズの影響により、得られるデータには不正確な状態が含まれます。そこで国際共同研究グループは、「配置回復(configuration recovery)[6]」と呼ばれる補正手法を繰り返し適用し、有効な量子状態を自動的に抽出・再構成するアルゴリズムを導入しました。さらに、それらの配置状態を用いて量子化学のハミルトニアン[7]を射影・対角化する処理を施すことで、物理的に妥当な波動関数とエネルギーを求めています。

このアプローチの特徴は、量子コンピュータによる「試行的なサンプリング」を基に、古典計算機側で電子配置の選別とエネルギーの評価を行う点にあります。量子化学における「選択的配置間相互作用法(selected CI)[8]」の概念を、量子サンプルから直接導くような設計になっており、従来手法では手が届かなかった空間の探索を可能にしました。

このようにして得られた58量子ビットを利用したN2および45量子ビットを利用した[2Fe-2S]クラスターに対する計算結果は、よく使われているいくつかの量子化学計算手法と比較しても定量的に良好な一致を示し、量子コンピュータ実機を用いた解析としては世界初の大規模量子化学シミュレーションとなりました。

本研究手法のワークフローの図

図1 本研究手法のワークフロー

与えられた分子の数理モデルを基に、モデルにあった量子回路を古典計算機上で生成し、これを量子コンピュータ上で実行してビット列のサンプルを取る。その後、ノイズのあるビット列を修復するための配置回復を行い、ビット列から定義される有効的な空間の対角化を行う。

今後の期待

今回の成果は、量子コンピュータとスーパーコンピュータを連携させることで、スーパーコンピュータでも正確な解が得られないような難しい量子化学問題にも現実的に取り組めることを示した画期的な実証例です。これにより、量子計算が実用科学に貢献する明確な道筋が示されました。

今後、量子コンピュータの性能や量子誤り訂正技術の進展により、多くの量子ビットを用いたより深い回路の計算も可能となれば、さらに複雑な化学系や反応経路の予測にも応用が広がると期待されます。加えて、材料設計、創薬、エネルギー分野など、量子化学シミュレーションの社会的インパクトは大きく、今後5~10年以内の産業応用に向けた基盤技術として注目されています。

国際共同研究グループは今後、より大規模な問題設定や他の量子アルゴリズムとの統合、さらにはリアルタイムの量子-古典ハイブリッド計算の実現を視野に入れて、開発と実証を進めていきます。

補足説明

  • 1.完全配置間相互作用法(FCI)
    全ての電子配置を考慮した量子化学計算手法。軌道数に応じて計算コストが指数関数的に増大するため、扱える分子が限られる。FCIはfull configuration interactionの略。
  • 2.ノード
    独立してオペレーティングシステムが動作し、計算処理を行うスーパーコンピュータにおける基本単位。「富岳」の場合は、一つのCPU(中央演算装置)と32ギビバイト(GiB、1GiBは2の30乗バイト)のメモリから構成される。
  • 3.鉄硫黄クラスター
    鉄原子(Fe)と硫黄原子(S)から構成される小さな分子集合体で、生体内では酵素や電子伝達系に多く見られる。複数の酸化状態やスピン状態を取るため、電子状態が複雑であり、精密な理論計算が必要とされる代表的な分子系。
  • 4.対角化(diagonalization)
    量子化学ハミルトニアン([7]参照)に対する固有値計算のこと。分子のエネルギー準位などを求める。
  • 5.電子配置(electron configuration)
    分子の中で電子がどの軌道を占めているかという情報を「電子配置」と呼ぶ。この配置は、コンピュータ上では「どの分子軌道に電子がいるか」を0と1で表した一覧、つまりビット列として表現される。例えば、「1010」と書かれていれば、1番目と3番目の軌道に電子がいることを意味する。
  • 6.配置回復(configuration recovery)
    ノイズにより乱れた量子測定結果から、物理的に妥当な電子配置のみを回復する処理。
  • 7.ハミルトニアン
    量子系の振る舞いに対し重要な役割を果たす行列(演算子)。ハミルトニアンの固有値スペクトルから系のエネルギーを求めることができる。また、平衡状態にある量子系の挙動はハミルトニアンの固有値スペクトルから理解できる。
  • 8.選択的配置間相互作用法(selected CI)
    重要な電子配置のみを選び計算を効率化する量子化学計算手法。

国際共同研究グループ

理化学研究所 計算科学研究センター 量子系物質科学研究チーム
上級研究員 白川 知功(シラカワ・トモノリ)
(量子計算シミュレーション技術開発ユニット 上級研究員、開拓研究所 柚木計算物性物理研究室 上級研究員、数理創造研究センター 量子数理科学チーム 上級研究員、量子コンピュータ研究センター 量子計算科学研究チーム 上級研究員)
研究員(研究当時)スン・ロンヤン(Rong-Yang Sun)
チームプリンシパル 柚木 清司(ユノキ・セイジ)
(開拓研究所 柚木計算物性物理研究室 主任研究員、創発物性科学研究センター 計算量子物性研究チーム チームディレクター、量子コンピュータ研究センター 量子計算科学研究チーム チームディレクター、最先端研究プラットフォーム連携(TRIP)事業本部 統合データ・計算科学プログラム プロジェクトディレクター)

IBM Quantum、IBM T. J. ワトソン リサーチセンター
研究員 ハビエル・ロブレドーモレノ(Javier Robledo-Moreno)
シニア研究員 マリオ・モッタ(Mario Motta)
プリンシパル研究員 アントニオ・メッツァカポ(Antonio Mezzacapo)
研究員 ホルガー・ハース(Holger Haas)
プリンシパル研究員 アリ・ジャヴァディ=アバリ(Ali Javadi-Abhari)
スタッフ研究員 ペター・ユルツェヴィッチ(Petar Jurcevic)
スタッフ研究員 クナル・シャルマ(Kunal Sharma)
ソフトウェア技術者 イスカンダル・シトディコフ(Iskandar Sitdikov)
量子ソフトウェア開発者 ケヴィン・J・ソン(Kevin J. Sung)
プリンシパル研究員 マイカ・タキタ(Maika Takita)

IBM Quantum、IBM リサーチ ケンブリッジ
研究員 ウィリアム・カービー(William Kirby)
研究員 ミン・C・トラン(Minh C. Tran)

IBM Quantum、IBM フランス ラボ
研究員 サイモン・マルティエル(Simon Martiel)

コロラド大学(米国)ボルダー校 化学科
プリンシパル・インベスティゲーター
サンディープ・シャルマ(Sandeep Sharma)

研究支援

本研究は、TRIPイニシアティブ(RIKEN Quantum)および「計算可能領域の開拓のための量子・スパコン連携プラットフォームの研究開発(研究代表者:佐藤三久)」により実施されました。
なお、本研究の成果の一部は、国立研究開発法人新・エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の「ポスト5G情報通信システム基盤強化研究開発事業(JPNP20017)」の委託事業の結果得られたものです。

原論文情報

  • Javier Robledo-Moreno, Mario Motta, Holger Haas, Ali Javadi-Abhari, Petar Jurcevic, William Kirby, Simon Martiel, Kunal Sharma, Sandeep Sharma, Tomonori Shirakawa, Iskandar Sitdikov, Rong-Yang Sun, Kevin J. Sung, Maika Takita, Minh C. Tran, Seiji Yunoki, and Antonio Mezzacapo, "Chemistry Beyond the Scale of Exact Diagonalization on a Quantum-Centric Supercomputer", Science Advances, 10.1126/sciadv.adu9991

発表者

理化学研究所
計算科学研究センター 量子系物質科学研究チーム
上級研究員 白川 知功(シラカワ・トモノリ)
(量子計算シミュレーション技術開発ユニット 上級研究員、開拓研究所 柚木計算物性物理研究室 上級研究員、数理創造研究センター 量子数理科学チーム 上級研究員、量子コンピュータ研究センター 量子計算科学研究チーム 上級研究員)
チームプリンシパル 柚木 清司(ユノキ・セイジ)
(開拓研究所 柚木計算物性物理研究室 主任研究員、創発物性科学研究センター 計算量子物性研究チーム チームディレクター、量子コンピュータ研究センター 量子計算科学研究チーム チームディレクター、最先端研究プラットフォーム連携(TRIP)事業本部 統合データ・計算科学プログラム プロジェクトディレクター)

報道担当

理化学研究所 広報部 報道担当
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