理化学研究所(理研)生命機能科学研究センター 老化分子生物学研究チーム(研究当時)の村田 梢 研究員(研究当時、臨床橋渡しプログラム[1]・升本研究室研究員(研究当時)、現 京都大学 医学部附属病院 心臓血管外科 特定講師)、升本 英利 上級研究員(研究当時、同 升本研究室研究リーダー(研究当時)、現 京都大学 医学部附属病院 心臓血管外科 特定教授)らの研究チームは、iPS細胞[2]を心臓や血管の細胞に分化させるために必要な生理活性タンパク質(サイトカイン[3])を、植物による一過性の遺伝子発現系を用いて生産する手法の開発に成功しました。
本研究成果は、低コストで安定的にサイトカインを供給する新たな可能性を示し、心血管再生医療の発展・普及に貢献することが期待されます。
サイトカインの一種である血管内皮細胞増殖因子(VEGF)[4]やアクチビンA(Activin A)[5]は、ヒトiPS細胞から血管内皮細胞や心筋細胞への分化を誘導する際に不可欠な、培養液に添加される因子です。しかし、現在製品化されているサイトカインは、タンパク質合成系として大腸菌や哺乳類細胞を用いて生産されるため、免疫原性[6]やウイルス汚染のリスクが伴うという課題があります。
研究チームは、タバコ[7]属植物(ベンサミアナタバコ)の葉にヒトのサイトカインを発現させる手法を開発し、この手法で生産したVEGFおよびActivin Aが従来法による製品と同等の生理活性を持つことを実証しました。これにより、心血管再生医療に用いるVEGFおよびActivin Aの新たな生産手法として、植物の発現システムが有望であることが示唆されました。
本研究成果は、科学雑誌『Stem Cell Research & Therapy』オンライン版(6月25日付:日本時間6月25日)に掲載されました。

植物発現システムを用いたVEGF、Activin Aの生産と、iPS細胞分化・再生医療への応用
背景
心筋梗塞や心不全などの深刻な心血管疾患に対して、iPS細胞などの幹細胞から分化させた心臓組織を移植する再生医療の実現が期待されています。幹細胞を心筋細胞や血管内皮細胞へと効率的に分化させる際には、細胞培養液に添加する生理活性タンパク質(サイトカイン)が不可欠です。特に、VEGFおよびActivin Aは、幹細胞の分化プロセスにおいて中心的な役割を担います。従来このようなサイトカインは、大腸菌や哺乳類細胞にヒトのサイトカイン遺伝子を導入し、タンパク質を発現させることで生産・製品化されてきました。しかしこれらの手法は、免疫原性やウイルス汚染のリスクがあり、安定供給や医療応用には課題が残されていました。
この問題を解決するため、研究チームは植物の持つ安全性の高さ、低コスト、大量生産の容易さに着目しました。本研究では、タバコ属植物を用いた一過性の遺伝子発現系を構築し、VEGFとActivin Aを効率的に生産する方法を開発しました。さらに、得られたサイトカインの生理活性をヒトiPS細胞から心筋細胞および血管内皮細胞を分化誘導する系で検証することで、本手法が実際に再生医療に向けた生産に適応可能か検討しました。
研究手法と成果
本研究では、タバコ属植物ベンサミアナタバコ(Nicotiana benthamiana)の葉の細胞にサイトカイン遺伝子を導入し、サイトカインを生産する手法の開発を行いました(図1)。まず、ヒトVEGF遺伝子およびヒトActivin A遺伝子を、植物でより発現しやすい配列に改変しました。これらの改変遺伝子を、植物への遺伝子導入の際に一般的に用いられるアグロインフィルトレーション法[8]によりタバコ葉で発現誘導し、6日後に葉を収穫しました。抽出・精製したVEGFおよびActivin Aの生理活性を、培養細胞を用いたアッセイ(分析・評価)系で確認したところ、従来の大腸菌および哺乳類細胞で発現させた対象製品と同等であることが確認されました。

図1 本研究で開発した植物発現系の概略図
- ①発現ベクター(運び屋)の設計。ヒトのVEGF遺伝子やpro-Activin A遺伝子が、植物細胞内で効率よく発現するためのプロモーター(遺伝子を発現させる機能を持つ塩基配列)領域や、合成されたタンパク質が細胞内に蓄積されるためのアミノ酸配列であるシグナルペプチド(SP)を付加するなどの改変を施した。このベクターを、植物に感染するバクテリア(アグロバクテリウムAGL1)に遺伝子導入した。
- ②アグロバクテリウムがタバコに感染すると、目的配列を含む特定の配列領域が切り出されて植物細胞の染色体に挿入され、目的のタンパク質が発現する。
- ③感染から6日後に葉を収穫し、目的のタンパク質(VEGFやActivin A)を抽出・精製した。
次に、植物細胞で発現させたVEGFおよびActivin Aが、iPS細胞から心筋細胞および血管内皮細胞への分化を誘導できるかを評価しました。評価法として、升本研究室での心筋細胞および血管内皮細胞を同時に分化誘導する実験手順において、従来品と比較して分化誘導効率に違いがあるかを検討しました。心筋細胞と血管内皮細胞を同時に分化させるにはある程度のVEGFを添加する必要があります。培養液に添加するVEGFの濃度を0.625~200ナノグラム(ng、1ngは10億分の1グラム)/mlの濃度範囲で評価を行い、大腸菌で発現したVEGFと比較しました。
その結果、各濃度での心筋細胞の分化において同等の分化誘導効率を示しました(図2上左)。また、本検討ではVEGFの濃度が高くなるにつれ、心筋細胞よりも血管内皮細胞が優位に分化されてくるという傾向が、発現系の違いにかかわらず現れることが示されました(図2上右)。一方、各濃度間の全細胞数に有意な差はなく、発現系の違いは細胞の生存率に影響を与えないことが示されました(図2下)。分化誘導された心筋細胞を、心筋細胞マーカーである心筋トロポニンT(cTnT)に対する抗体で免疫染色し、その形態を比較したところ、成熟度の指標になる核の多核化や縦横比に顕著な差は認められませんでした(図3)。

図2 植物発現VEGFおよび大腸菌発現VEGFを用いた心筋細胞分化誘導効率の比較
- (上左)各宿主由来VEGFの添加濃度を0ng/ml(コントロール)から200ng/mlまで変化させたときの心筋細胞の分化誘導効率を、心筋細胞マーカータンパク質(cTnT)の陽性率で比較した。
- (上右)同条件における血管内皮細胞の分化誘導効率を血管内皮細胞マーカータンパク質(CD144)の陽性率で比較した。
- (下)同条件における分化誘導後の細胞数を比較した。
いずれの発現系においても、VEGFを添加したときのみ、iPS細胞からの心筋細胞と血管内皮細胞の同時分化が達成された。棒グラフはそれぞれの条件での平均を表し、点はサンプル数(3~6)を示す。同じ濃度条件での心筋細胞分化誘導効率および全細胞数に、発現系の違いによる顕著な差は認められなかった。なお、血管内皮細胞の分化については、高濃度(200ng/ml)において大腸菌発現系の方がやや高い誘導効率を示した。「**」はP<0.01の有意差。nsは「not significant」の略で「有意差なし」を示す。

図3 植物発現VEGFおよび大腸菌発現VEGFで分化誘導した心筋細胞の成熟度の比較
大腸菌発現系と植物発現系それぞれのVEGFを濃度12.5ng/ml添加し、心筋細胞を分化誘導した後、心筋細胞マーカータンパク質(cTnT)に対する抗体で蛍光免疫染色を行った。成熟度の指標になる核の多核化や細胞の縦横比に、発現系の違いによる顕著な差は認められなかった。青色:蛍光色素の一種DAPI(核)、緑色:cTnT。スケールバーは50マイクロメートル(μm、1μmは1000分の1ミリメートル)。
次に、血管内皮細胞を特異的に分化誘導する方法を用いて、植物発現VEGFの効果を検証しました。血管内皮細胞を特異的に分化誘導する実験手順において、添加濃度100~1,600ng/mlの範囲で評価したところ、高濃度域において大腸菌発現VEGFと同等の効率で分化誘導できることが示されました(図4)。

図4 植物発現VEGFおよび大腸菌発現VEGFを用いた内皮細胞分化誘導効率の比較
大腸菌発現系と植物発現系それぞれのVEGFの添加濃度を0ng/ml(コントロール)から1,600ng/mlまで変化させたときの血管内皮細胞の分化誘導効率を、血管内皮細胞マーカータンパク質(CD144)の陽性率で比較した。棒グラフはそれぞれの条件での平均を表し、点はサンプル数(3~6)を示す。分化誘導効率および全細胞数に、発現系の違いによる顕著な差は認められなかった。
さらに、植物発現Activin Aについても、iPS細胞の心筋細胞への分化誘導能を評価しました。Activin A 10~500ng/mlの濃度範囲で、哺乳類細胞で発現させたActivin Aと比較したところ、高濃度域では同等の効率で分化を誘導し、細胞の生存率にも影響を与えないことが確認されました(図5)。

図5 植物発現Activin Aおよび哺乳類細胞発現Activin Aを用いた心筋細胞分化誘導効率の比較
哺乳類細胞発現系と植物発現系それぞれのActivin Aの添加濃度を0ng/ml(コントロール)から500ng/mlまで変化させたときの細胞の心筋細胞分化誘導効率を心筋細胞マーカータンパク質(cTnT)の陽性率で比較した。棒グラフはそれぞれの条件での平均を表し、点はサンプル数(4)を示す。分化誘導効率および全細胞数に、発現系の違いによる顕著な差は認められなかった。
今後の期待
植物に動物由来のタンパク質などを生産させる方法はMolecular Farming(分子農場)と呼ばれ、安価な栽培コストで生産の大規模化が容易であり、安全性の面からもバイオ医薬品への応用が進められています。
本研究は、植物発現系を用いたVEGFおよびActivin Aの生産が、低コストかつ安全な代替手段となる可能性を示しました。従来の大腸菌や哺乳類細胞による生産では、免疫原性、ウイルス汚染、エンドトキシン[9]の混入リスクが課題とされてきましたが、植物で発現させたサイトカインはこれらを回避、または低減できる可能性が高いと考えられます。この技術が実用化されれば、iPS細胞を用いた心筋再生治療に必要な成長因子を安価に大量供給でき、再生医療の普及を加速する可能性があると考えられます。
今後、植物を用いた高効率な生産系の開発や、他の成長因子などへの生産応用が進めば、再生医療の分野においてさらなるブレークスルーが期待されます。
補足説明
- 1.臨床橋渡しプログラム
理研生命機能科学研究センター独自の研究プログラム。臨床医としての知識・経験を有する研究リーダーが、生命機能科学研究センターでの最先端研究と臨床現場でのニーズの融合から、疾病の理解や再生医療への実用化を目指す。 - 2.iPS細胞
人工多能性幹細胞。皮膚や血液などから採取した細胞に少数の遺伝子などを導入して作製された多能性幹細胞。さまざまな組織や臓器の細胞に分化する能力を持つ。iPSはinduced pluripotent stemの略。 - 3.サイトカイン
免疫細胞をはじめとするさまざまな細胞から分泌される小さなタンパク質で、細胞間の情報伝達を担い、免疫応答、炎症、細胞の成長や分化などの生体機能を調節する重要な生理活性物質。 - 4.血管内皮細胞増殖因子(VEGF)
血管新生を促進するサイトカインの一種で、血管内皮細胞の増殖・遊走を強力に誘導し、組織の酸素供給を改善することで再生医療における組織再構築の重要な制御因子として機能する。なお本研究では、ヒトVEGF遺伝子からスプライシングによって生成される多様なmRNAから翻訳されるタンパク質のうち主要なものとされる、165アミノ酸残基のVEGF165タンパク質を用いた。VEGFはvascular endothelial growth factorの略。 - 5.アクチビンA(Activin A)
TGF-βスーパーファミリーに属するサイトカインの一種で、幹細胞の分化制御や組織の発生・再生において重要な役割を果たす細胞間シグナル伝達分子。 - 6.免疫原性
物質や細胞が生体内で免疫応答を引き起こす能力のことで、特に再生医療における移植片や医療材料の設計において、望ましくない免疫反応を避けるために考慮すべき重要な特性の一つ。 - 7.タバコ
トマトやジャガイモと同じナス科に属し、喫煙材料として世界で多量に生産されている園芸作物である一方、植物組織培養や植物遺伝子操作手法が開発された重要な研究材料であり、現在でも多くの基礎研究において使用されている。 - 8.アグロインフィルトレーション法
土壌細菌の一種で植物に感染するアグロバクテリウムを用いて、一時的に植物細胞に目的の遺伝子を導入する手法で、有用タンパク質の一過性発現に広く用いられる実験技術。 - 9.エンドトキシン
グラム陰性細菌の細胞壁外膜に存在するリポポリサッカライド(LPS)を主成分とする毒素で、極めて微量でも発熱や炎症反応を引き起こすため、再生医療製品や医療機器の品質管理において厳密な管理が必要な物質。
研究チーム
理化学研究所 生命機能科学研究センター 老化分子生物学研究チーム(研究当時)
上級研究員(研究当時)升本 英利(マスモト・ヒデトシ)
(臨床橋渡しプログラム・升本研究室 研究リーダー(研究当時)、現 心臓再生研究チーム 客員主管研究員、京都大学医学部附属病院 心臓血管外科 特定教授)
研究員(研究当時)村田 梢(ムラタ・コズエ)
(臨床橋渡しプログラム・升本研究室 研究員(研究当時)、現 心臓再生研究チーム 客員研究員、京都大学医学部附属病院 心臓血管外科 特定講師)
派遣職員(研究当時)高村 佳奈恵(タカムラ・カナエ)
研究支援
本研究は、理化学研究所運営費交付金(生命機能科学研究)などによる支援を受けて行われました。
原論文情報
- Kozue Murata, Kanae Takamura, Risa Watanabe, Akitomo Nagashima, Miho Miyauchi, Yoshiteru Miyauchi, Hidetoshi Masumoto, "Production of bioactive cytokines using plant expression system for cardiovascular cell differentiation from human pluripotent stem cells", Stem Cell Research & Therapy, 10.1186/s13287-025-04424-0
発表者
理化学研究所
生命機能科学研究センター 老化分子生物学研究チーム(研究当時)
上級研究員(研究当時)升本 英利(マスモト・ヒデトシ)
(臨床橋渡しプログラム・升本研究室 研究リーダー(研究当時)、現 京都大学医学部附属病院 心臓血管外科 特定教授)
研究員(研究当時)村田 梢(ムラタ・コズエ)
(臨床橋渡しプログラム・升本研究室 研究員(研究当時)、現 京都大学医学部附属病院 心臓血管外科 特定講師)


発表者のコメント
本研究では、心血管再生医療に不可欠なサイトカインを、植物を用いて安全に生産する新たな手法を確立しました。これまでVEGFやActivin Aといったサイトカインは、哺乳類細胞などで製造されており、製造コストの高さやウイルスなどの汚染リスクが課題となっていました。植物を使った発現系は、これらのリスクを回避しながら、生理活性を損なわずに有用タンパク質を大量に得ることが可能です。再生医療の臨床応用において、コストや安全性は大きな壁ですが、今回の成果はその克服に向けた重要な一歩といえます。今後は、さらに多様なサイトカインへの応用や、実臨床での検証が期待されます。(升本)
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