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2025年10月17日

理化学研究所

三者間量子もつれの根本的な限界を解明

-自然界における有限温度の量子もつれの長年の謎に決着-

理化学研究所(理研)量子コンピュータ研究センター量子複雑性解析理研白眉研究チームの桑原知剛理研白眉研究チームリーダー(開拓研究所桑原量子複雑性解析理研白眉研究チーム理研白眉研究チームリーダー)は、熱平衡状態(有限温度)[1]における量子もつれ[2]の性質について、長年未解決であった「三者間の量子もつれ[3]が長距離で存在できるのか」という根本的な問いに取り組み、量子系における「条件付き相互情報量(CMI)[4]」と呼ばれる指標がどんな場合でも短距離でしか存在できないという有名な予想が正しいことを数学的に証明しました。これにより、有限温度において巨視的量子性がどの程度残り得るかという問いに対し、「典型的な多者間の量子もつれは長距離では維持できない」という普遍的な答えを与えました。

本研究成果は、量子アルゴリズム[5]やシミュレーションの効率化につながると期待され、量子コンピューティングの応用範囲を大きく広げる可能性があります。また、量子もつれの存在形態を解明することは、自然界の法則を理解する上でも重要な意義を持ちます。

本研究成果は、科学雑誌『Physical Review X』(10月16日付)に掲載されました。

量子系における三者間の量子もつれの距離依存的な減衰の概念図の画像

量子系における三者間の量子もつれの距離依存的な減衰の概念図

背景

量子もつれとは、二つ以上の粒子が互いに深く結びつき、一方を観測するともう一方の状態が瞬時に決まるという、私たちの常識を超えた量子特有の現象です。この奇妙な性質は1935年にアインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンの思考実験で広く知られるようになり、2022年のノーベル物理学賞でも関連研究が選ばれるなど、現代物理学を象徴するテーマです。

では自然界において、この量子もつれはどの程度存在しているのでしょうか。一般的に量子現象は絶対零度[6]付近以外では現れにくいと考えられてきましたが、絶対零度付近という極低温領域でも普遍的な法則があるのかどうかは長年の未解決問題でした。これを明らかにすることは、量子が自然界をどのように支配しているのかを理解し、人間が量子の世界を制御する上で重要な意味を持ちます。

これまでに、有限温度における二者間の量子もつれは、特に極低温においても長距離では必ず消えてしまうことが知られています注)。そこで、「では三者間の量子もつれなら長距離に存在できるのではないか」という問いが自然に浮かびました。この問いに対して回答するのは一筋縄ではいかず、状況によってイエスにもノーにもなります。実際、全系をA・B・Cに3分割した場合(図1(a))の三領域ABCの間では、これまで多くの数値シミュレーションや解析の結果、三者間の量子もつれは長距離では存在できないと予想されていました。一方で、A・B・C・Dに4分割したときに、ABCの三領域だけに注目すると(図1(b))、「量子トポロジカル秩序[7]」と呼ばれる長距離の量子もつれが存在することが知られています。

三者間の量子もつれの概念図の画像

図1 三者間の量子もつれの概念図

(a)のように全系をA・B・Cに3分割した場合と、(b)のように全系をA・B・C・Dに4分割した上でABCを取り出した場合とでは、異なる三者間の量子もつれ構造が現れる。それは、Dを仲介した量子もつれエネルギー(エンタングルメントハミルトニアン、後述)がA・B・Cのつながりに加わるためである。

全系をA・B・Cに3分割した設定下(図1(a))での三者間量子もつれに関する予想は、有限温度において量子もつれがどのように生き残り、あるいは消えてしまうのかを理解する上で重要な示唆を与えます。これは量子コンピューティングをはじめとする量子テクノロジーで、量子もつれをどのように保護するかという根本課題に直結しており、基礎物理学と応用技術の両方に大きな意義を持ちます。

研究手法と成果

本研究で焦点を当てたのは「条件付き相互情報量(CMI)」と呼ばれる量で、これは三者間の量子相関を測る"ものさし"の役割を果たします。この量が、全ての温度・あらゆる量子系で距離と共に指数的に減衰することを証明することが目標でした。

この問いの背景には、1972年にハマースレーとクリフォードが古典系(量子力学的効果が現れない系)で証明した定理(ハマースレー=クリフォードの定理[8])があります。そこでは、条件付き相互情報量は有限距離でしか存在できないことが示されていました。しかし量子系では、量子もつれの効果によって、この三者間の相関が長距離に及ぶ可能性があると考えられてきました。

証明の鍵となったのは「量子もつれエネルギー(エンタングルメントハミルトニアン)[9]」と呼ばれる概念です(図2)。これは量子もつれをエネルギーとして記述するもので、その性質が局所的に閉じ込められるのか、非局所的に広がるのかが問題でした。今回の研究では、この「量子もつれエネルギーの局所性」と「三者間の量子もつれの構造」が本質的に等価であることに着目しました。

量子もつれエネルギーの概要図の画像

図2 量子もつれエネルギーの概要図

左領域と右領域が量子もつれを持つ場合、その間には量子もつれ由来のエネルギーが生じる。このエネルギーが領域の境界に局在しているのか、あるいは広がるのかが研究の焦点となる。

この方法を適用する上での大きな課題は、「量子もつれエネルギー」を理論的に扱う方法が確立されていなかったことです。今回、その空間的な広がりを、時間方向での量子もつれの広がりに対応付けるという新しい理論を構築しました。

時間的な量子もつれの広がりには「リープ=ロビンソン限界[10]」と呼ばれる量子版の速度制限があり、量子もつれは光速のように有限のスピードでしか伝わらないことが知られています。この考え方を利用することで、空間的にも量子もつれエネルギーが遠くまで広がることはなく、必ず局所に閉じ込められることを示しました。さらに図1(a)で示したように、A・B・Cの三領域に現れる三者間の量子もつれは、Cを介して初めてAとBに伝わります。そのCを介した量子もつれエネルギーが局所的に閉じ込められている場合、AとBは量子的には互いに独立に振る舞います。この結果として、三者間の量子もつれも遠くまで広がらず、近くに限られることを数学的に証明することができました。

今後の期待

本研究の大きな意義は、量子もつれエネルギーの構造を理解するための理論的な基盤を与えたことにあります。今回導入した理論は、今後も量子もつれエネルギーに関連するさまざまな予想や問題に取り組むための強力な道具となると期待されます。また、これは今後さらに量子の世界に踏み込む際の重要な羅針盤となるものです。

具体的には、今回の有限温度に限らず、より広いクラスである定常状態[11]における量子もつれの普遍理論を築くことが、量子の世界に踏み込むための次の目標です。この分野は国際的にも活発な研究が展開されており、理論物理学の最前線に位置しています。

また、絶対零度における量子もつれの解析も大きな挑戦として残されています。絶対零度での局所性は「リー=ハルデン予想[12]」と呼ばれる未解決問題に直結しており、本研究で開発した理論を拡張することによって、その解決にもつながると期待されます。

これらの研究が進展すれば、量子もつれを自在に制御する道が開かれ、量子コンピュータや量子通信といった次世代技術の基盤を支えることにつながります。量子が持つ不思議な性質を「どこまで理解し、制御できるのか」を解き明かすことは、私たちが量子社会へ進む上での基盤を築くことにつながります。

補足説明

  • 1.熱平衡状態(有限温度)
    温度が一定で、系全体の性質が時間的に変わらない状態。現実の多くの物質は有限温度の熱平衡として扱える。ここでいう有限温度とは、絶対零度([6]参照)より高い温度を意味し、私たちが普段扱う全ての環境がこれに当たる。
  • 2.量子もつれ
    離れた粒子同士の状態が強く結びつき、一方を測ると他方の状態も直ちに定まる量子的相関。古典的な相関とは質的に異なる。
  • 3.三者間の量子もつれ
    三つの領域(例:A・B・C)にまたがる量子的相関の総称。二者間のもつれでは説明できない多体的なつながりを含む。
  • 4.条件付き相互情報量(CMI)
    三つの領域A・B・Cの「三者間のつながりの強さ」を測る情報量。Cを"知っている"という条件の下で、AとBがどれだけ情報を共有しているかを定量化する。CMIはconditional mutual informationの略。
  • 5.量子アルゴリズム
    量子ビットの重ね合わせや量子もつれを利用して、特定の計算を効率よく行う手順。古典計算より有利になる場合があり、探索、最適化、量子シミュレーションなどに用いられる。
  • 6.絶対零度
    温度の下限(0ケルビン:セ氏零下273.15度)。熱揺らぎが極限まで小さくなり、量子効果が顕著に現れる基準点である。
  • 7.量子トポロジカル秩序
    局所的な観測では区別しにくいが、系全体のトポロジーに由来する長距離の量子的秩序。三者間のもつれが大域的に現れる典型例として論じられる。
  • 8.ハマースレー=クリフォードの定理
    古典的な確率の世界で、「真ん中の領域の情報を知れば、離れた二つはほぼ独立になる(マルコフ性)」ことと、「性質が近くの相互作用だけで決まる」ことが同じ意味だと示した定理。量子でも同様の対応が成り立つかということが長年の謎であった。
  • 9.量子もつれエネルギー(エンタングルメントハミルトニアン)
    ある部分だけを見たとき、その部分の量子もつれの影響をエネルギーとして表したもの。その影響が境界の近くに集中するか、遠くまで伸びるかを調べると、三者間の量子もつれがどこまで広がるかが分かる。
  • 10.リープ=ロビンソン限界
    量子力学においても、影響が無限に速く広がることはなく、ある最大速度でしか伝わらないという「速度の制限」を示す原理。いわば量子版の光速のような役割を持つ。
  • 11.定常状態
    全体として時間に依存しないが、必ずしも熱平衡とは限らない広いクラスの状態。外部駆動や流れを伴っても一定に保たれる。
  • 12.リー=ハルデン予想
    絶対零度の基底状態で系を二分すると、その切り口(境界)に沿って定義される量子もつれエネルギーの振る舞いが、実際に物理的な端をつくったときの低エネルギー励起と対応するという予想。本研究の文脈では、絶対零度で量子もつれエネルギーが境界近くに局在するかどうかの問題に当たる。

研究支援

本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業さきがけ「量子多体理論を用いた量子計算機の高速アルゴリズムの開発(研究代表者:桑原知剛、JPMJPR2116)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(S)「中規模量子コンピュータによるセキュアな分散型量子計算の基盤創出(研究代表者:フランソワ・ルガル、JP24H00071)」による助成を受けて行われました。

原論文情報

  • Tomotaka Kuwahara, "Clustering of conditional mutual information and quantum Markov structure at arbitrary temperatures", Physical Review X, 10.1103/9hx7-pzxw

発表者

理化学研究所
量子コンピュータ研究センター 量子複雑性解析理研白眉研究チーム
理研白眉研究チームリーダー 桑原 知剛(クワハラ・トモタカ)
開拓研究所 桑原量子複雑性解析理研白眉研究チーム 理研白眉研究チームリーダー)

桑原 知剛 理研白眉研究チームリーダーの写真 桑原 知剛

発表者のコメント

構想から7年の歳月を経て、ようやく成果をまとめることができました。量子の世界は知れば知るほど奥深く、今後も新しい挑戦が続いていきます。(桑原 知剛)

報道担当

理化学研究所 広報部 報道担当
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