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2025年12月12日

理化学研究所
東京科学大学

がん細胞内の「現地」で光るポリマーを化学合成

-がんの診断を改革する生体内合成化学技術-

理化学研究所(理研)開拓研究所 田中生体機能合成化学研究室の田中 克典 主任研究員(東京科学大学 物質理工学院応用化学系 教授)、アンバラ・プラディプタ 客員研究員(東京科学大学 物質理工学院応用化学系 助教)、川口 慎司 研修生(東京科学大学 物質理工学院 応用化学系 博士後期課程2年)らの共同研究グループは、がん細胞で過剰に産生される代謝物「アクロレイン[1]」を利用し、がん細胞内でのみポリマー[2]を自発的に合成できる革新的なポリマー化技術の開発に成功しました。

本研究成果は、乳がん患者から摘出された臨床サンプルにも適用できたことから、生体内のがん特異的代謝環境を生かした初の細胞内ポリマー化法であり、生体内合成化学治療への第一歩として、診断・手術支援などへの応用が期待されます。

この手法では、設計された原料モノマー[2]meta-フェニレン-ビス(2-アミノエタノール))が触媒や外部刺激を一切必要とせずに、がん細胞内部に存在するアクロレインと選択的に二量化カスケード反応[3]を起こして8員環(1,5-ジアザシクロオクタン環)を構築しながら高分子鎖を形成します。さらに、このモノマーに凝集誘起発光(AIE)[4]特性を有するテトラフェニルエチレン(TPE)蛍光基を組み込むことで、ポリマーが形成されると同時に蛍光がオンになる現象が起こり、がん細胞だけを選択的かつリアルタイムに可視化することが可能となりました。

本研究成果は、科学雑誌『Angewandte Chemie International Edition』の上位5%の重要論文(Very Important Paper:VIP)に選出され、12月4日付でオンライン掲載されました。

アクロレイン代謝物を利用した細胞内ポリマー化技術の概念図の画像

アクロレイン代謝物を利用した細胞内ポリマー化技術の概念図

背景

生体関連化学分野において、高分子材料は薬物送達やバイオイメージング、生体組織工学などに広く応用されています。しかし、それらの高分子材料は「フラスコで合成してから細胞内に導入する」必要があり、膜透過性の低さや細胞内での安定性に課題がありました。田中主任研究員らは、原料をあらかじめ細胞内に届けて、「細胞内現地でポリマーを合成し、その場で機能を発揮させる」ことを提案し、今回初めて実現させることができました。

田中主任研究員らはこれまでに、一級アルキルアミン(アンモニアの1個の水素原子をアルキル基で置換した化合物)類やアミノエタノール類とアクロレインが反応すると、二量化カスケード反応によって8員環(1,5-ジアザシクロオクタン環)を有する化合物を温和な条件で得られることを報告しています注1)。さらに、さまざまながん細胞でアクロレイン分子(図1赤色で示した化合物)が大量に産生されていることを見いだしました注2)。アクロレインは脂質過酸化やポリアミン代謝過程で生じ、がん細胞内でのアクロレイン生産量は通常の細胞内での生産量の10~100倍に達することが報告されています。

共同研究グループは、がん細胞内に豊富に存在するアクロレインの高分子構造に取り込まれるユニークな性質を利用して、アクロレインを用いたがん細胞の識別手法の開発を試みました。

二量化カスケード反応による8員環ポリマー合成の図

図1 二量化カスケード反応による8員環ポリマー合成

がん細胞だけに豊富に存在するアクロレインが、エタノールと反応して8員環を温和かつ迅速に形成することができる。本研究ではこの知見を応用し、がん細胞内のアクロレインを"起爆剤"として8員環ポリマーの合成に挑んだ。

研究手法と成果

本研究では、アミノエタノール類の構造を改良して、がん細胞で異常に多く産生される内在性代謝物「アクロレイン」を"起爆剤"として、がん細胞内でのみ8員環ポリマーが自発的に合成される革新的なポリマー化反応(図1下)を開発しました。この反応で得られる8員環ポリマーは、アクロレインが高分子の構造に取り込まれるユニークな高分子であり、アクロレインが少ない正常細胞ではこの反応は起こりません。さらに、この反応をフラスコからがん細胞、がん臨床レベルまで適用させて、がん患者の新しい診断技術を実現しました。具体的な研究手法は次の通りです。

共同研究グループはまず、アクロレインと選択的に反応する二つのアミノエタノール構造を持つ原料モノマー(meta-フェニレン-ビス(2-アミノエタノール))を5工程の化学変換を経て合成しました。この原料モノマーを水中・室温下で試薬のアクロレインと反応させると、瞬時に8員環構造が連なったポリマーが得られました(図2a)。実際に熱重量分析[5]および固体NMR分析[6]の結果から、原料モノマーとアクロレインが二量化カスケード反応によって、8員環構造に連なっていることを確認しました(図2b)。この反応において、触媒や外部刺激は一切必要ありません。さらに、生体内に存在するグルタチオンやアスコルビン酸の存在下や、細胞培養液中でも重合が確認されたことから、重合は生体内でも進行する可能性を示しました(図2c)。

フラスコ内での8員環ポリマー合成の図

図2 フラスコ内での8員環ポリマー合成

  • (a)meta-フェニレン-ビス(2-アミノエタノール)を水中でアクロレインと反応させると、瞬時に黄色のポリマー沈殿が生じる。
  • (b)熱重量分析や固体NMR分析の結果から、アミノエタノールとアクロレインが重合して8員環ポリマーを形成していることが実証された。
  • (c)水中だけでなく、生体内に普遍的に存在する①グルタチオンや②アスコルビン酸存在下、さらに③細胞培養液中でも黄色~白色の沈殿を形成したことから、生理的条件下でも重合が進行し、8員環ポリマーを形成できることを示した。

さらに共同研究グループは、テトラフェニルエチレン(TPE)蛍光基を組み込んだ原料モノマー「TPE-AE」を合成しました。TPE蛍光基は凝集誘起発光と呼ばれる性質を持ち、TPE分子同士が密集すると強い青色蛍光を発します。TPE-AE原料モノマーをがん細胞に投与すると、ポリマー化によってTPE蛍光基が密集し、がん細胞だけが蛍光を発する「光る高分子反応」が実現します。実際にヒト子宮頸(けい)がん細胞(HeLa S3)やヒト前立腺がん細胞(PC3)、ヒト乳がん細胞(MCF-7・T-47D)といった複数のがん細胞では、アクロレインが過剰に生産されているため、がん細胞内での8員環ポリマー形成が起こったことで強い蛍光が観察されましたが、アクロレインが少ない正常乳腺細胞(TIG-3)では8員環ポリマーは形成されないためほとんど発光せず、蛍光の有無だけでがん細胞を識別できました(図3)。

蛍光型原料モノマー(TPE-AE)を用いたがん細胞内8員環ポリマー形成の図

図3 蛍光型原料モノマー(TPE-AE)を用いたがん細胞内8員環ポリマー形成

TPE-AEモノマーを4種のがん細胞および正常細胞に投与した結果、がん細胞に存在するアクロレインと原料モノマーが重合し、TPE蛍光基が密集したことで強い青色蛍光を観測できたのに対し、正常細胞では非常に弱い蛍光しか観測されなかった。

最後に、実際の乳がん患者から手術中に取り出されたがんおよび正常組織サンプルを用いてインプリントサイトロジー[7]実験を行いました。その結果、TPE-AE原料モノマーの溶液にそのサンプルを1分間浸すだけで、アクロレインが過剰に生産されているがん細胞では、8員環ポリマーの形成によって青色の蛍光を観察できました。一方で、アクロレインが少ない正常乳腺(TIG-3)組織では8員環ポリマーは形成されないためほとんど発光しませんでした(図4)。細胞レベルでの実験と同様に、蛍光の有無だけで、がん組織を迅速に識別できることを実証しました。

乳がん患者組織での迅速診断の実証の図

図4 乳がん患者組織での迅速診断の実証

摘出直後の乳がん(浸潤性乳管がん)組織をTPE-AE原料モノマー溶液に1分間浸し、スライドガラスに捺印(なついん)して観察すると、がん組織由来の捺印細胞が明るく発光した。一方、正常乳腺組織は発光しなかった。蛍光強度の差でがんと正常細胞を判別できる可能性が示された。

今後の期待

今回の研究では、がん細胞内の代謝物として発生するアクロレインを有効利用して、試薬を入れるだけでがん選択的に光るポリマーを化学合成することに成功しました。特に、外部からの刺激や触媒を必要とせず、アクロレイン自体がポリマー構造に組み込まれることで選択性が生じる点が特徴です。この仕組みを活用して、がん患者の新しい診断技術を実現することができました。

今後は、合成した8員環ポリマーに治療機能を持たせることで、診断と治療を融合した次世代のがん治療材料としての応用が期待されます。これにより、田中主任研究員らが掲げる、がんの「生体内合成化学治療」の発展がさらに加速すると考えられます。

補足説明

  • 1.アクロレイン
    生体内で生成される反応性の高いアルデヒド化合物。田中生体機能合成化学研究室が、がん細胞内では普遍的に、外部から導入した試薬と有意に化学反応を起こすことができる高濃度(マイクロモーラー~ミリモーラー程度(1マイクロモーラーは100万分の1モーラー、モーラーは1リットル当たりのモル数))でアクロレインが生成されることを発見した。
  • 2.ポリマー、モノマー
    モノマー(単量体)は「1個の分子単位」を意味する。今回の研究では、アミノエタノール類が該当し、アクロレインと反応して自ら連結する原料として働く。モノマーが鎖のように多数つながるとポリマー(高分子化合物)になる。プラスチックやタンパク質もポリマーの一種。今回の反応では、8員環構造が連なったポリマーを生成する。
  • 3.二量化カスケード反応
    一級アルキルアミン類やアミノエタノール類がアクロレインと反応して生成されるイミン中間体が連鎖的な環化反応を経て8員環(1,5-ジアザシクロオクタン)骨格を形成する反応。開始剤や触媒なしに、水中・室温・短時間で反応が完結し、8員環化合物を定量的に得られる。2016年田中生体機能合成化学研究室が独自に開発した注1)
  • 4.凝集誘起発光(AIE)
    蛍光分子や蛍光基が分散した状態では無蛍光だが、それらが物理的に凝集すると、その発光強度が強まる現象。テトラフェニルエチレンやその誘導体がAIE特性を持つことで知られている。AIE はAggregation Induced Emissionの略。
  • 5.熱重量分析
    試料を加熱しながら重さの変化を測定することで、熱分解や揮発のしやすさを調べる手法。物質の熱的安定性を評価できる。
  • 6.固体NMR分析
    固体試料中の原子の周囲環境を磁気的に観察し、構造や結合状態を調べる分析法。一般的な溶液NMRでは解析の難しい、難溶性の物質でも構造を解析できる。NMRはNuclear Magnetic Resonanceの略。
  • 7.インプリントサイトロジー
    手術直後の組織をスライドガラスに押し付け、短時間で細胞診を行う手法。特別な技術を必要とせず、迅速かつ簡単に行えるため、非常に有効な手段の一つである。

共同研究グループ

理化学研究所
開拓研究所 田中生体機能合成化学研究室
主任研究員 田中 克典(タナカ・カツノリ)
(東京科学大学 物質理工学院 応用化学系 教授)
客員研究員 アンバラ・プラディプタ(Ambara Pradipta)
(東京科学大学 物質理工学院 応用化学系 助教)
専任研究員 石渡 明弘(イシワタ・アキヒロ)
基礎科学特別研究員 吉岡 広大(ヨシオカ・ヒロマサ)
研修生 川口 慎司(カワグチ・シンジ)
(東京科学大学 物質理工学院 応用化学系 博士後期課程2年)

東京科学大学 物質理工学院 応用化学系
教授 佐藤 浩太郎(サトウ・コウタロウ)
助教 久保 智弘(クボ・トモヒロ)
修士 関口 拓真(セキグチ・タクマ)

大阪大学 医学部附属病院 乳腺・内分泌外科
教授 島津 研三(シマヅ・ケンゾウ)
准教授 多根井 智紀(タネイ・トモノリ)
大学院生 波多野 高明(ハタノ・タカアキ)

大阪国際大学 人間科学部 人間健康科学科
教授 盛本 浩二(モリモト・コウジ)

原論文情報

  • Shinji Kawaguchi, Ambara R. Pradipta, Tomohiro Kubo, Akihiro Ishiwata, Takuma Sekiguchi, Hiromasa Yoshioka, Takaaki Hatano, Koji Morimoto, Tomonori Tanei, Kenzo Shimazu, Kotaro Satoh and Katsunori Tanaka, "Cancer-Selective Intracellular Polymerization via Acrolein-Driven Cyclodimerization Cascade", Angewandte Chemie International Edition, 10.1002/anie.202518290

発表者

理化学研究所
開拓研究所 田中生体機能合成化学研究室
主任研究員 田中 克典(タナカ・カツノリ)
(東京科学大学 物質理工学院 応用化学系 教授)
客員研究員 アンバラ・プラディプタ(Ambara Pradipta)
(東京科学大学 物質理工学院 応用化学系 助教)
研修生 川口 慎司(カワグチ・シンジ)
(東京科学大学 物質理工学院 応用化学系 博士後期課程2年)

アンバラ・プラディプタ 客員研究員、川口 慎司 研修生、田中 克典 主任研究員の写真 左からアンバラ・プラディプタ 客員研究員、川口 慎司 研修生、田中 克典 主任研究員

報道担当

理化学研究所 広報部 報道担当
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東京科学大学 総務企画部 広報課
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