二極化を避けるラボ・マネジメント
合田 裕紀子 チームリーダー(Ph.D.)
理化学研究所 脳神経科学研究センター シナプス可塑性・回路制御研究チーム
略歴
1985年 | カナダ・トロント大学 理学部 卒業 |
1991年 | 米国・スタンフォード大学 医学部 生化学科 博士課程修了 |
1991年 | 米国・ソーク研究所 留学 |
1997年 | 米国・カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)理学部 助教授 |
2002年 | 英国MRC細胞生物学ユニット(University College London)シニアグループリーダー |
2011年 | 理化学研究所 脳科学総合研究センター シニアチームーダー |
2015年4月1日-2022年6月30日 | 理化学研究所 脳科学総合研究センター・(2018年4月-)脳神経科学研究センター 副センター長 |
2018年-2023年3月 | 理化学研究所 脳神経科学研究センター チームリーダー |
2022年-現在 | 沖縄科学技術大学院大学(OIST)教授 |
プロジェクト説明
足立:このElsevier Foundation Projectの経緯としては、前理事の原山先生がElsevier Foundationのボードメンバーでいらっしゃって、理研でも女性や若手研究者にも何かサポートできるようなプロジェクトを進めてみないか、というところから始まったものです。経験豊富な女性PIの方のお話を聞いて、今後の若手研究者が研究室を構えるときにどんなことを考えたらいいかとか、そういった研究室のマネジメント、研究者としてのリーダーシップのお話を聞かせていただければと思います。なのでサイエンスの話ではなくて、どちらかというと、ラボ・マネジメントのお話ということです。
大学院生・ポスドク時代
足立:合田先生が1991年にスタンフォード大学でPh.D.を取られたということで、その時に研究者としてどのような将来像を描かれていましたか?
合田:その頃は結構ナイーブで漠然として、まあ研究者は研究していればいいというような、けっこう単純に、面白いことをやりたいと。本当に研究のこと、研究といえば、イコール研究そのものっていう感じが多かったかなと思います。それと同時に、私は私のアドバイザーだった先生の初めてのPh.D. studentで、ラボがスタートする時からいたので、ラボの発展というものも経験はしておりました。
足立:そうすると、研究をやりつつ、何となくこういう風に研究室を動かしていくのだなあ、みたいに経験された。
合田:はい。というか後になって、すごく、重宝だった、役に立つなって。
足立:当時は研究に専念して頑張っていて…
合田:そうですね。ワイワイ楽しく結構周りの、同世代の、同じ時に入った大学院生とか、皆。結構小さいデパートメントだったので、仲良くて。あとポスドクの人も一緒にこう集まって、みんな一緒に研究して、遊んで研究してっていうような繰り返し。
足立:いつ頃、自分の研究室を持ちたいなあとか、そういう思いはありましたか?
合田:ええ。「こういう研究をしたい」ということを思っていて、「研究室を持ちたい」という、漠然としたアイデアはあったけれども、その研究をしたいがために研究室を持つっていう方かな。研究室を持ってこういう研究をするっていうよりかは、こういう研究をしたくて研究室を持つという、流れだと思います。
足立:こういう研究をするために、こんな感じの研究室を持てたらいいだろうなと?
合田:はい。そうですね。研究を進めていくにはって。大学院生の時からすでに研究室を持ちたいと思っている人もいたけれども、私は結構のんきな方で、大学院に行くっていうことも小さい頃から想定していた訳ではなく、まずは、ポスドクで何をやりたいかなとか、そういうことを考えつつ。そして、その次にやっぱり研究室を持つということを考えました。特に若い時は、人によってすごく違うと思うんですけれども、10年先20年先っていうことよりも、私の当時を振り返ってみると3・4年先とかこう細かい区切りで、見ていたかなと思います。
研究者としての「ジャンプ」
足立:だいたい6年間ポスドクをソークの研究所でされて、1997年にUCSDにAssistant Professorとして移られた時はどんな決断というか、そろそろという感じでしたか?
合田:自分の研究室を持ちたいかなと思ったのは、ポスドクの真ん中へんぐらいだと思います。大学院生の時はすごく色々なことを学ばないといけないし、生活も新しい。ポスドクを始めて、色々すでに経験を積んでいて、テクニックとかも、何がしたいってことも、先も見えてくる。自分の研究、自分のグループでやりたいっていう自覚ができたのはポスドクの真ん中へんで。その後もう1-2年修業を積んで、だいたい80%ぐらい、自分で準備ができているかなという時に、アプライし始めた、準備し始めた感じです。
足立:では、結構タイミングのよいときにオファーがもらえたのでしょうか?
合田:そうですね。アプライする時に、論文をこれこれ出していて、成果がこれこれあって、て。いいタイミングかなと、思いました。
足立:いざ独立をしてということで、どのような変化があったと思いますか?
合田:ポスドクからPIになる時のジャンプが一番大きく感じました。大学院からポスドクに行った時は、自分の研究をしていればいいと。大学院生の時は、習ってる要素が非常に大きい、ポスドクでは独立して自分のアイデアを自分なりに進めて行かせていただけたんですけれども。
足立:「ジャンプ」で何かこう難しいなと実感された点はありましたか?
合田:自分のラボを始めた時に、自分だけのことではなくて、やっぱりチームのことを考えないといけないっていうことがあるし、マネジメントスキルとか色々学ばなければいけない。今は講習など揃っていますが、私の時代にはそういうことはあまりなくて。あと、グラントとらないといけないし、とか。自分自身以上にチームのことを考えないといけないって、いうことが、一番大きなジャンプかなと思いました。
研究室の問題に対処する
足立:研究室を構えて何か、結構しんどかったことというか、タフだったことや、こういうことで当時悩んでいた、というような事例はありますか?
合田:一番悩むというか、心掛けていることは、当時と今と特に変わっていないかな。常日頃思うのは、チームの中ですね。気をつけています。あとプロジェクトの進行状況はもちろんだけど、今日は研究のお話ではなくて、っていう面だとそっちらかなと。色んな要素がありますね。デパートメントの中でどのような役割をするかとか。外との繋がりと中との繋がりと、満遍なくしていく。
足立:何かすぐには解決できなかったな、とか、時間がかかったなとかありますか。
合田:何かがうまくいかない時の解決とか、大学院生がちょっと方向転換をしたりとか、悩みごとがある時の相談役とかですね。入ってくるとか。
足立:そういった場合、合田先生としてはどのように対応されていましたか?他のシニアの先生方にご相談とか?
合田:シニアの先生方に相談しました。皆さん経験談を色々教えてくださるんですね。その中から人それぞれで個性とかもあるので、自分に合った方式を積み上げていく過程があったかなと思います。
例えば私が出張していた時に喧嘩が起こったことがあって、ラボ内で、時々。帰ってきたら、その対応で、今後そういう風にならないようにとか、いうことがありました。何回か。
足立:割とすぐに問題は解決できましたか?
合田:助かったのは、初め、チームを始めた時はみんな大学院生でした。理研はちょっと違うかもしれないんですけれども、UCSDは大学だったので、大学院生とか学部生とか、テクニカルスタッフの子も大学卒の子とか、皆平均年齢がすごく若かったです。その時、ポスドクで一人、私より1歳年上、ほぼ同年代の方がいて、シニアな役割をしてくれました。そういう、人がいると助かるなって思いました。そのような時、人生経験が長いっていうようなことが、あるといいかなと。
ラボの中も、マイクロコズモっていうのかな、ある意味の小さい社会なのです。その中でダイナミックに皆さん色々な個性があるので、それを尊重しつつ、うまく回していくというところ。初めて何か起こると「おっ」となるんだけれども、しょっちゅう、色々なことがあって。段々このような仕事を長いことやっているとあるので。人それぞれの対応の仕方があるんだけれども、やっぱり寄り添って状況を、その発端を理解するっていうところが大事かなと思います。結果だけを見ないで。
足立:合田先生としては、お一人お一人に割と時間をかけて対応してこられた?
合田:ええ、はい、そうですね。結構皆と一緒にディスカッションするタイムとか長かったし、今でも週一ラボミーティングがあるんです。それ以外でも毎日コーヒールームでコーヒー飲みながら、色々議論したりしていました。
イギリス、University College London時代
足立:そして次にUniversity College Londonに移られた。国も変えられて、今度はシニアグループリーダーということで、キャリアのステップが上がる形になったのかなと想像しますが、その時にどのような変化がありましたか?
合田:私のいた環境は割とフラットだったので、一応ランクはAssistant Professor、Associate、Professorなどはありました。ジュニアから、シニアでテニュアのあるポジションに移ったんです、Londonの時は。Department Headが結構割とフラットにしてるので、特に対応の仕方とか全く変わらなくて。ラボヘッドはラボヘッドで。ただ、他に、Departmentの中での責任とか仕事とかは増えてくるかなと思うんですけれど、ラボの中は、変わらずですね。研究内容とか時間とか。ただ、時間が段々なくなってくるっていうのはそれなりにあるんですけれども。変化的にはそれほど大きくもなかったでした。あと、フラットと申し上げたのは、たとえばUCSDの時はジュニアでも結構、Departmentのdutyとかがあって。初めの1年間は教えるdutyとかなくて、2年目から授業とか担当とか増えてくるんですけれども、その他にも色々なcommitteeとかに入ることもあって。特に、大きな変化っていうのはないという感じで、じわじわと、っていう感じです。
足立:ラボのサイズもそこまで大きくはせずに?
合田:そうですね。多分元々自分の経験から、すごい習ってきたっていうことで。あと自分のスタイルに何が合っているかっていうこと。また研究内容にも合っていて。10名前後が一番、いいかな。大きいラボを見ているとやっぱりどうしても、ラボを引っ張ってる研究してる人が限られてきちゃうかなと。もちろん、色々だと思うんですけれども、ざっくりと見たら。なので、一人一人私も丁寧に指導できる範囲って言うと、やっぱりそのぐらいがマックスかなと。
私のポスドクの時のアドバイザーだったChuck Stevens先生も、6、7名が良いと言っていました。彼の場合、ラボミーティングはなしでした。本当に珍しいと思います。毎日Chuckが一人一人回って行って、興味があったら長いこと話していた。そういう感じでした。
それが良かったのは、先生自身は何が起こってるか知っている。けれども、ラボの人は他の人が何をやってるかっていうことを、自分達で率先的に話し合いに行かないと分からないっていう面がちょっとネガティブだったかなとは思うんです。ボスとしては非常に良い状態だった。そういうすごい極端な例のところで育ったし、また大学院の時も私が初めてのラボメンバーだったということもあって、割とラボが小さかったりしたので。
今も例えばジャネリアファームとかHHMIとか、こじんまり小さいラボを推奨していますし、コスパの面から見てもそうかなと。まあそれが私に適したスタイルと思っております。
マネジメントのスタイル
足立:合田先生ご自身のスタイルを作り上げるときに、何かこう試しに大きくしてみたりとか、ちょっと変えてみようかなと思ったこととかありますか?
合田:時々、学生さんの人数が急に多くなったことがありました。そうすると、場所の取り合いとか、喧嘩の要素とか、何か皆がイライラしちゃって、使いたい時に何かが使えない、ということになってきちゃうんですね。一番大きかった時は12人ぐらいだったかな。どのぐらいがいいかなと。結局10人前後になっちゃってるかな。人を増やすという面では、特にあまり飛び出た実験をしてません。
構成要素にもよるかなと思うんです。私のラボは結構ポスドクの方も多かった。ポスドクと大学院生の比率では。なので、必然的にその人数になったかなと思います。
足立:先ほどUCSDの時の頼りになる番頭さん的なポスドク、シニアなポスドクがいらっしゃったと伺いましたけれども、そのような片腕になる方はどの時代もいらした感じでしょうか?
合田:そうでもないです。彼は番頭さんでもなくて。彼のすごくいいところは、別にそういう意識をしてなくて、ただ、本当に必要な時はこう手伝ってくれるという感じの方でした。私自身も、一応フラットにラボを経営している。大学院生や大学生でも意見できるように、ヒエラルキーがないように、しています、努めてきております。
非常にラッキーだったと思います。自分は良い人に恵まれてきたと思っています。
足立:メンバーの皆さんとのコミュニケーション、できるだけフラットに、時間をとって、というスタイルで進めてこられた。
合田:はい。
日本、理研へ
足立:そして2011年にイギリスから理研に来られることを決めたきっかけというのはなにかありますか?
合田:それは個人的な要素も多いかなと思って。日本にいないと不便な状況というのが生まれました。ちょっと家族的なことで。
足立:理研に来られる時に、こういう感じの研究室にしたいな、とかありましたか?
合田:いや、今まで通りにしたいなと思ってました(笑)。国を越えちゃうと、その国それぞれのカルチャーというものがあって。アメリカからイギリスへ行く時も、やっぱり、(カルチャーが)違うと言われました。それは色々とあったんです。例えばグラントとか。イギリスに特異的なものだと、ティータイムがあって、1日に2回、11時と3時かな。アメリカもコーヒータイムがあったんですけれども。
それでティータイムで集まってみんな座って、色々喋りました。パブタイムもイギリスはあったんです。
それで結構、皆がすごい議論して議論して。議論してから実験に取りかかるっていうようなところは多かったかなと思います。アメリカの場合は、結構色々なことを始めにずばっと試してみるというような感じが多かった。そのような研究スタイルが多かったかなと思います。
イギリスの場合は、一つ一つのラボの人数が少なくて、その当時はです。今、すごく研究のスタイルとか方向性も変わってきているので、あんまり参考にはならないかもしれないんですけれども。
そういう面もあって、日本に帰ってきて、ちょっとどうかなと。でも、理研だと、日本の中でも国際的で、一応理研は日本語と英語が公用語ということもあって、それが非常に魅力的に感じました。
足立:そうすると理研に来られて、今までの合田先生のラボマネジメントスタイルを実行されて、特に難なくスタートが切れたという感じですか?
合田:ええーっとですね(笑)。Adminの方が。日本の大学のシステムとか。高1の1学期以降ずっと海外で、それ以前も日本にいなかったことが多いっていうことがあって。日本のシステムを知らない私にとって、Adminのウェブサイトが全部日本語であったので、そこがちょっと苦労しました。なので、経営面のほうは。でも研究面の方では、はい、まあ。
足立:研究者の皆さんと研究を進めている分には、特に?
合田:はい、同じように継続させていただいております。
OISTへ
足立:そしてこの7月ですか、OISTに移られるということですが、何かきっかけはありましたか?
合田:お話があって、もう一回どこかに移るとしたら。私ずっと生まれてから動いてばっかりの人生なので。研究人生であともう一回ちょっと何か違うことやりたいなと思って、そうすると今がチャンスかなと思いました。
足立:OISTでも似たような人数ぐらいの研究室をやろうと?
合田:はい。
PIとしての試練
足立:これまでの研究者人生を振り返って、何か節目になった出来事とか、後から振り返ってみるとつらかったけど非常に勉強になって、その後PIとして一段上がれたかもしれない出来事はありますか?
合田:結構試練だらけだったと思います(笑)。ラボを移すっていうのも。私、結構楽観的な人間で、悪い記憶はすぐに忘れちゃうという(笑)、人なので。理研に移ってきた時も、ああ、そういえばサンディエゴからロンドン移った時こういったことがあったんだ、ということをすっかり忘れてた。ああそうだったということも結構あった。なので今回もまたあるのではないかと想定してるんですけれども。今の例はちょっと良くない例です。悪い例だったら、試練であってもあまり身に付いていないというのもあるのかもしれないんですけど、無意識的には身に付いているかと思います。
いくら準備できていても一つ一つのシステムも違うし、同じシステムであっても担当している方が違うと、対応の仕方も違ってくるかなということもあるかと思います。制度を理解するのも凄く時間がかかるなと、つくづく感じております。
ずっと同じ所にいることは本当に、良い面だと思うんですけれども、どっちもどっちかな。ちょっとびっくりするようなことっていうのは、制度的な、予期しなかったという、ことかしら。なんかすごい抽象的になってますけれど。
足立:大学であったり、研究所であったり、するところの制度ということですか?
合田:そうですね。例えば何かするにはこうするコツがあるとか、例えばグラントの制度とか。やっぱりある程度こう理解して、説明してくださるんだけれども、説明していただく言葉そのものとかよく分かっていないと、何を聞いていいか分からないですよね。ふんふんて、なるほどなと分かったとは思っていても。実際には後から考えてみたら分かっていなかったっていうことが、後になって経験を積んだ後で分かるっていうようなことが、結構多々あるかなと思います。あと言語の違いとかが入ってくると、ニュアンスの違いとかってそれを分かるのが難しい。
そういう点では、アメリカだと一番ストレートで、分かるかなと思いました。それぞれ皆良いところ悪いところとあって、やっぱり。色々。
足立:後から振り返ってみて理解が足りていなかったとか、その時点ではけっこう苦労したんでしょうか?
合田:ええ、はい。そうですね。誰に何を聞いていいか分からなかったとか、これをこうしない、こうしなければいけなかったとか、書いていないルールがいっぱいある。こう掴み難いところが(苦笑)。
足立:新しい組織に入ってマニュアルとかいろいろ渡されて説明会とかも受けて、さて、自分でやってみましょうっていう時に…
合田:ええ、そうですね。例えば、グラントのシステムとか。一応説明いただいても、中でこう動いているのか、とか。最近若手の方は、色々ネットとかでも情報を集められると思うんですけれども。でも、ネットでも出てこない情報とかいっぱいあるとは思うんですね。そういうところを、微調整して、無駄なエフォートを費やしたとか、ここはもうちょっとエフォートを費やした方がよかったとか、そのバランスがやっぱり本当に分からないということがあったと思います。
足立:そういうときに例えば、シニアの先生とか、メンター的な先生が、自分はこういう風にやってきたんだよと教えてくれるのは役に立つのでしょうか?
合田:はい、非常に役に立つと思います。
足立:合田先生の場合は気軽に聞けそうな方がいなかったとか、誰に聞いていいかわからなかったとかですか?
合田:そうですね。でもすごく親身になってご相談いただけた先生も、おります。ただ、あまりにもこちらの理解度と、多分、私がもうすでに理解してしまっていると思われているところとの、そこの…なんていうのかな。
ある程度日本語ができるので。だから全く、日本語が分からない方とは違うという意識だけれども、実際に私があまり分かっていなかったというような。
その辺のすり合わせが非常に、どの面でも同じかと思うんですけれども、発端を理解するとか、色々な面で。相手に寄り添って、というところが、それは何でも同じだと思うんですけども、やっぱり難しいなと思います。
足立:新しく入ってきた研究員の方への対応とか、コミュニケーションをする上で気をつけるポイントなど、合田先生のスタイルとしてはこう付け加わっていく感じですか?
合田:余分なアドバイスもしたくない、というところもあって。本人が聞いてくることが、前提かなとも思います。なので、例えば、私のポリシーではいつもドアはオープンでっていうことで、ミーティングとかも質問がある人はいつでも来てくださいっていうスタイルです。
また研究の話に戻っちゃうんだけれども、データがある程度まとまってから相談しに行きたいっていう人もいるので、そういう時はやっぱり敢えてプレッシャーを掛けたくない、という、思いもあるので。なので、困ってる時にどのぐらい何が分からなくて、どのようなことで困っているかっていうことを、話し合うところが一番大事かなと。そのブラックボックスのところですね。そのブラックボックスが課題だと。
ラボ・マネジメントの醍醐味と苦労
足立:ラボを運営していて一番楽しいな、幸せだなと思うのはどのような時ですか?
合田:やっぱり成果が出る時ですね。成果が出て、私が嬉しく、かつ、やった人が嬉しいときですね(笑)。はい、共有できる、っていう時です。
足立:逆に楽しくないなあと思うのはどんな時でしょうか。
合田:想定しないデータが出ても、これはどうやったら良いのかなってやっぱり考える。そして、その過程もけっこう楽しかったりする。すごいストイックなんだけども。じゃないとやっていけないですね、正直言って(笑)。だから楽しいですよ。うん。はい。
足立:研究以外でラボをマネジメントするとか、PIの責任の範囲で、楽しくないことはありますか?
合田:やっぱり、元気がなくなっちゃうと困るなって。どうやったら元気出してくれるかな、と、いうことですね。研究で皆いる、研究するためにここに来ているっていうことなんで。あるいはサポートするため。なので、それに対応していくっていう。でも時々、家族の状況とか個人的な要素も入ってくるし、20代の若い子だとその他の色々な個人事情とかもあるかもしれないし、それはしょうがないんだけれども、でも皆そこは大人なので。
学校ではないし。普通の企業ともちょっと違うっていうのかな。やっぱり教育の、育成の場でもあるので。まあ、企業でも育成ということはあると思うんですけれども、実際、学生さんとかのトレーニングの場なので。なので、元気がなくなっちゃった時は一番ちょっと辛いかな。
足立:今までに、どうしてもどうにもならなかったみたいなケースもありましたか?
合田:ええ、まあ。それは、そうね。やっぱり方向転換して、これは向いていないんじゃないっていうことに結局。研究じゃない道を進んだ方がいいじゃない?っていう、はい、ことはありました。いくつかありました。
足立:その当時合田先生としてはどんな感じでその方と向き合っておられたのですか?
合田:必ず何か(同じようなことが)、どの場所でも(同じように起こる)。UCSDで起こった時も一人、ものすごい優秀な子だったんです。MD/Ph.D.の両方のコースで、一度辞めたいと言って。その時に私がマスターのCommittee memberでした。本人が辞めると言ってきたんだけど、でも本人が考え直して、もう一度だけチャンスにかけてみたいと、私のラボに移ってきたんです。
それで、ぜひ頑張りたいっていうことで、私もサポートしてあげたいっていうことで。こちらも頑張ったんだけど、でも結局やっぱり、ということになって。すごい優秀で将来がぴかぴかなところがあって、惜しいなと思って。んんんって。こちらも考えちゃうけれどでも。でもやっぱり結局、本人の意向に沿ってあげるっていう方向ですよね。
ロンドンの時も。やっぱり学生さんになっちゃいますね、皆さん。同じように(学位審査の)committeeの時に。ロンドンの時は私のラボ直接ではなくて。他のラボの学生さんが他の道に行きたいと言ってきました。大学院生とか、学生さんが辞めちゃう時が一番きついかな。ポスドクの方は、自分のポジション、アカデミアに進んで行きたいっていうのが一番なんだけれども、企業に行くとか。でも、それは大人の、自分自身で下した、けっこうmatureなdecisionなんだけれども。
若い方が、一番悩ましいかなと。こっちも辛いかなと。理研でも、すごいできる学生さんがいたのですが、ちょっと難しい面もあってということもあり、就職したらっていうことになって。でもその過程がけっこうきつかったです(苦笑)。
足立:そのきつい状況の時にどのように乗り越えられようと?
合田:やっぱり話し合いですね。本人との。それで時々、やっぱりラボの周りを巻き込んじゃうっていうところは気をつけないといけないかなと思って。ハッピーな人がいればいるほど、周りもハッピーになるので。contagiousなものなので。逆にやっぱりちょっと、暗くなっちゃうと、なんか、暗くなりがちなので。
足立:合田先生が研究を続けてこられて、一番影響があった人とか、ラボのマネジメントをする時によくご相談された方とかいらっしゃいますか?
合田:私のPh.D.の supervisorの先生と、ポスドクの時アドバイザーだった先生に相談しました。一番相談しやすいというか、私のことをよく知ってるし、ということもあって。他には日本だと同じ分野の先生方とか、相談させていただいております。よく分野を知って、お互いの研究を知っていて、かつ、長いことお付き合いがあるっていうこともあるかと思います。
足立:そういった先生方のマネジメントスタイルに影響を受けて、合田先生なりのスタイルを築き上げてきた?
合田:はい。
多様性あるラボ作り
足立:先生のラボメンバーのウェブサイトを拝見しますと、本当に多様な方々、性別も国籍も本当に多様な方々がいらっしゃいますが、こういったメンバーをマネジメントする際に気をつけていることはありますか。
合田:特に意図していなくて、その方がやりやすいっていうこともあるかと思います。特にたとえば2つに割れちゃったとか、あまり多様性がない方が、結構コントラストが強くなっちゃって、っていうことは難しいかなと。本当に意図してなくて集めちゃって。特にロンドンの場合は色々な人もいるし。ワールドカップの時に、ワールドカップのファイナル8に残った国がほとんどチームの中にいたっていうことが一回あって、すごくワイワイした(笑)。すごい覚えています。なので(多様なメンバーがいることは)非常にいいことだと思います。
足立:採用広告を出して募集すると、いろいろなところから手が挙がってくるっていう感じですか?
合田:はい。打診が来ることもありますし、そのケースもありました。でも応募出しても、最近は昔と比べて、皆さん常にけっこうチェックしているっていうこともあるみたいだし。
足立:ご自分がポスドクとか大学院生の時に所属されていた研究室もやはりそういう感じ?
合田:そうですね、ポスドクの時は、メキシコ人、中国人、アメリカ人。アメリカの時はどちらかというと、アメリカ人の方が多かったかな。ヨーロッパは結構混ざってたかな、一番。ロンドンが一番多様性が高かったかなと思いました。ちょうどEUで、Brexit(イギリスの欧州連合離脱)の前だったので、オープンでした。その時、アメリカの9.11のちょうど後で、よくヨーロッパからアメリカにポスドクに行っていた方が躊躇されて、ヨーロッパに残る傾向が強まって。どちらかというと、アメリカ人の方が珍しいっていう状況でしたその時の、イギリスは。今、ちょっと変わってるかなと思うんですけれども。日本に帰ってきて、特に、そんなに私は意識していないです。
足立:純粋に研究に繋がるような要素で、今までの研究だとか専門分野から採用して、結果として多様なメンバーに?
合田:はい。ただ、大学院生ですね、若くて英語を習わないといけないというような感じだとちょっと、ハンディキャップがあるかなと思って。ここだと外国人の方で日本語がすごく上手なポスドクの方もいるし、そうする方がいらっしゃると助かります。ラボ内のコミュニケーションに関して。
国際化が、すごい言われているんだけれども、ある程度スタッフが助けてくれます。コミュニケーションも、ちょうど今朝ラボミーティングがあったんですけれども、大学院生がプレゼンして、英語を習っているところで。結構、皆で助け合ってっていう感じで、やっています。
足立:ミーティングの運営とか助け合いのところに合田先生も何かお膳立てをしたりするんですか?
合田:はい、けっこう口を挟みますね(笑)。あまり挟み過ぎないようにしてるんですけど。
足立:仕切り役みたいな方は他に立てて?
合田:あ、でも、いいえ。ミーティングは皆に発言してほしいんです、遠慮せずに。
PIとしてのビジョン
足立:研究室のマネジメントに関して一貫して決めているビジョンはありますか?これをこうやり続けるみたいな。
合田:公平性っていうのかな、公平性って言っても難しいけれど。透明性というか。皆に参加してほしいっていうことがあります。ちょっとシャイな方とか、すごいアグレッシブな方とか、個性が色々。アグレッシブって良い意味で、あるので。それをどうやって回していくかと。シャイな方ももれなく参加できるかっていう所がやっぱり、常の課題かなと思います。
足立:公平性・透明性を維持するために苦労したとか、あの時点では公平ではなかったなあとか思うことはありますか?
合田:たとえばレビューとかが回ってきたら、必ずだいたい、ポスドクと一緒に書いて、順繰り皆に回っていくように、とかは心掛けてます。ちゃんと共著で出るようにと。公平性というとオーサーシップとかなってきますけれども、その仕事にどのぐらいの貢献しているかとか、ですね。明らかになるようにと。
足立:皆さんが納得できるように、やっぱりお互い合意、コミュニケーションしながら?
合田:はい、それは、マストです。けっこう、早い時点から、(コミュニケーションを)しています。はい。
足立:PIを続けていらっしゃって一番難しかったことって、なんですか?
合田:バランス良くものを回すこと。バランス良くというのは、色々な責任があって、dutyがあって、それを循環よく、タイムマネジメントしていくところが結構難しいなと思います。何かやっていると夜が遅くなっちゃうとか、夜が来てしまうとかいう感じになっちゃうので。常日頃もうちょっと効率よく仕事ができればいいなといつも思っています。
足立:タイムマネジメントで何か試行錯誤されたことはありますか?
合田:タイムマネジメントでは、たとえば最近ですね、とある方が「私はメールの返事に時間がかかるかもしれません。1日に2回しかメールはチェックしませんから」と書いてきていて、これはいいなと思いました(笑)。ついつい、たとえばメールを見ていると「あ、これはすぐ対応しなければならない」とか思っていたら、今やっている仕事がちょっと後回しになっていくから、段々順繰りに悪くなってきちゃうっていうこともあって。それはちょっと。でも、できる時とできない場合があるので。皆さん同じなんだなと、思ったりしました。はい。そうですね、できるだけ後回しにせずに対応すると。
足立:プライベートな生活の部分と仕事の部分のバランスはどのように区切りを?
合田:ああ、そのへんは非常に悪いロールモデルだと思います(笑)。アンチロールモデルだと思います。なかなか、ずるずると、生活しております。はい。
足立:いままでのご経験の中で、あの時こうしておけばよかったとかはありますか?
合田:それ結構あるんだけれども。でも、それは、あまり、どちらかというとこういうことがあったから次はこうしようと、なんかそれを、教訓としてという風に、あまり引きずらないように、努めてます。これをこうしておけば良かったなと思い始めると、もうキリがないというか。あるかなと思うので。もう割り切って、前進するように努めてます。
足立:初めてPIになった方に、これだけは気をつけたほうがいい、ということはありますか?
合田:そうですね。ラボの、チームを作ることに対して、やっぱり一番大事なのが、もちろん、自分のアイデアとか研究のゴールとか大事なんだけれども、それを可能とするのが人、なんですね。だから、人を非常に大事にするっていうこと。人選が大事だし、自分の環境とか全部もう、人です。お金も大事なんですけれども。研究成果がないと。全部、この間のダイバーシティの時にお話しさせていただいたように、繋がっているので、人がいないと成果がなくて、成果がなくて研究費が稼げなくて、研究費が稼がないと人があまり増えない。なので、3つの要素全部が大事なんですけれども。一番初めにチームを始める時は、結構環境も揃っていて、自分がやりたい所に身を置いて、スタートアップとかある程度、資金の状況は整っていると思うので、まっさらで始める時に、やっぱり人が重要かなと思います。
ラボメンバーの採用について
足立:人を採用するときに、研究以外で例えば性格とか資質とか、ここだけは譲れないなっていうポイントはありますか?
合田:それは、皆さん違うので、色々。性格も違うし。なので、結構、こう推薦状を書く方とお話しすることが大事かな、と思います。
足立:推薦状をいただいた方にここをもう少しインフォーマルに伺うとか?
合田:はい、そうですね。何か、引っ掛かったことがあったらとか。研究成果が一番大事かなと思うんですけれども、その他として。あと、相性っていうのもあるかな、会った時の。でも最近ちょっとコロナでZoom面接とかあって、やっぱりZoomだと雰囲気で掴めないところもあるのが難しいかなと思うんですけれども。でもかえって逆に対面だとこうマスクになっちゃうので。そうしたらお顔が見えないし、両方が良いんだと思うんですけれども。まあ難しいんだけども。あとやっぱり来て、仕事してみないと分からないっていう面もあるし。でもだいたい、mutualだと思うんですね。何かその研究面と違う面としたら、やっぱりハッピーでない時はお互いハッピーでないっていう、相互性ということが一番よくあることだと思うので。でもその点は大丈夫かなと。気をつけていれば。
足立:採用面接のときに、研究以外のことで必ずする質問などありますか?
合田:質問というか、履歴書の書き方でも結構色々スタイルがあって、個性が見えてくるかなと思います。私の場合。趣味とかに何を書くのかとか。自分をどうプレゼンするか。相手に対して。結構、この人は何を求めているのかなっていうことは分かると思いますし、やっぱりその理由ですね。どうして、私のラボに来たいの、どのような理由でっていうことをやっぱり書いてもらう。
足立:理想のPI像みたいなものに、今のご自分に欠けているものはあると思いますか?
合田:ああ、いっぱいありますね。でも、いっぱいあるんだけれども、かつ、自分でない者にはなれないんですよね。なので、やっぱり自分ができる範囲で、そこを、自分でどう納得できるように伸ばせられるかなっていう面だと思います。
足立:お話を伺っていて非常にうまくやっていらっしゃるように思うんですけど、まだまだいっぱいありますとおっしゃったのが意外で。
合田:自分がやりたいことと、ラボの人がやりたいこととを、ちょっとすり合わせが生じたりとかいうところがよくある。あと共同研究とかも結構やっていて、面白いんだけど、自分のチームともう一つ他のチームと仕事をする。他のチームのPIだけじゃなくて、他のチームで実際に仕事をしている人もあっての共同研究なので、その体制でやっぱり皆と話し合って、上手いように、面白い味付けをして面白い展開に飛ばしていくとか。どうやったらいいかとか。一応できてるんだけど、なんか、いつもこうカタツムリみたいに動いているような気がしていて。せっかちなんですかね。もうちょっとこう、スパスパスパといきたいですね(笑)。
ラボメンバーの多様性とマネジメント
松尾:多様な方がやりやすいというのが合田先生ならではと思ったのですが、多様な方がやりやすいという感覚がどこから来ているのか、合田先生の元々の生い立ちにあるのか、もしくは経験、ラボの数も、メンバーもそうですし、そういう経験をされて今に至って、多様な方がやりやすいというところに行き着いていらっしゃるのでしょうか。
合田:私の生い立ちも入っているし、ラボの経験も結構今まで多様だし。なんていうのかな。やっぱり2極化っていうのは嫌だなと思って。今戦争とか起こっているし。例えば、日本にいて、非常に面白いなと。いま国際化とか言われてて、やっぱりこう、日本人、対、外国人っていう言葉遣いっていうのも何か私としては、国際人みたいな感じでずっとうろうろしてきたので、ちょっと失礼な言い方だと思うんですよね。国際化したいんだけど日本人とあなたは外国人でしょっていうことが、2通りに分かれているっていうのは。それが、多様的でないっていうところもあって。やりやすいっていうのは、色々な国の人と。あと、そうだ。男女比っていうのもやっぱり。私が女性であるっていうこともあって、常に、意識してるんですけれども。時々、男性ばかりになったり、時々女性が多くなったりで、色々変化していて。どっちみち変化しているのを、あまり意識しすぎてもしょうがないとは思ってるんですけれども。多様性、女の子が二人だけで他みんな男性だったらやっぱり難しいし。なので、バランス良く。国際的にも日本語を喋る人が半分で、日本語分からない人がその他だったらやっぱり困っちゃうというところもあって。例えば、フランス人だけれども、英語喋れて日本語も喋れてとか。イギリス人だけれども日本語はあまり喋れないけれども、お子さんが保育園行っててとか、奥さんが日本人でとかっていう方もいまして。あと、日本人の方だけども英語をばりばり勉強したいっていう方とか。そういう感じだと、上手くやっていけるという意味で、やっぱり多様性だと思う方が、皆どこが大変かっていうことが分かっている。
多様的な環境を経験していないと、何が大変かっていう相手の気持ちが分からないところがあるかなと思います。あと、日本ではまだあまり話されていないけれども、いま海外だと結構、ダイバーシティ、男女比以外の、ことですね。ここのラボで初めて経験しました。パートナーのビザのこととか、ちょっと大変なことも経験しました。それは国の制度の縛りがあってどうにもできない面もあって。あ、そうだ。一番困ったことってそれかもしれないですね、まだ日本が非常に遅れていたっていうことがあって。
松尾:研究の成果にという意味でも、多様性っていうのも重要であると?
合田:そうですね。というか、ラボ内のコミュニケーションを取ることで、それが直接成果に繋がっていくし、トラブルシューティングする時に皆でディスカッションしないといけない。そうした方が問題を一人で抱え込んでいるよりも、ああこの時はこういう手法があるんだよとか、そういう情報交換の場があると、色々困る面がないっていうんでしょうか。
松尾:PIとして20年やってこられて、変わってないとおっしゃっていましたが、伺っている限り、そうなんだろうなと感じますが、とはいっても20年やってきて深化しているところがあるとしたら何か、逆にできなくなったこと、退化はありますか?
合田:退化、そうですね。ちょっと時間がなくなってきたなという思いがありますが。それはさておき、やっぱり深化してきたなっていうのは自分の経験のデータベースが高くなった、広がりを持ったので、色々なことに即アクセスできて対応できることかなと思います。
研究者人生を振り返って
足立:最後にひとつ、研究者人生を振り返られて、一番ジャンプした、上のステージに上ったのは、PIになられた時ですか?
合田:はい、そう思います。
足立:ポスドクからPIになった時に見えるものも地平も変わった、視界が変わった?
合田:急に責任が増えたというか、マネジメントをしないといけなくなったということと、あと教育と。ポスドクの時もある程度こう教えることはあったんですけれども。やっぱり急に増えたという、ジャンプの時は。そうですね。あとその時は授業の担当とかも結構あったので。
足立:ジャンプをする前の自分に今だからできるアドバイスはありますか。
合田:フレキシブルに順応にっていう心構えをもっていることかなと。あと、相談できる方がいっぱいいるということですね。
足立:ありがとうございました。
インタビュー実施:2022年4月22日
インタビュー場所:脳神経科学研究センター脳神経回路遺伝学研究棟102m室
RIKEN Elsevier Foundation Partnership Project
撮影・編集 西山朋子(脳神経科学研究センター)
撮影支援・編集支援 雀部正毅(国際部)、小野田愛子(脳神経科学研究センター)
インタビュアー・製作支援 松尾寛子(ダイバーシティ推進室)
インタビュアー・製作 足立枝実子(ダイバーシティ推進室)