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私の科学道 2021年11月8日

ハンチントン病を治したい、その思いに導かれて

桜田 一洋プロジェクトリーダーの写真

桜田 一洋(さくらだ かずひろ)

情報統合本部
先端データサイエンスプロジェクト
プロジェクトリーダー
1962年岡山県生まれ。大阪大学大学院理学研究科修士課程修了。理学博士。協和発酵工業株式会社、ドイツ・シエーリング社、バイエル・シエーリング・ファーマ社、iZumi Bio社を経て、2008年ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー就任。2016年より理研科技ハブ産連本部医科学イノベーションハブ推進プログラム副プログラムディレクター、2021年より現職。

詩集から始まった科学者への道

忘れられない映画がある。小学3年生のときに学校で見た『父ちゃんのポーが聞える』だ。主人公の少女は、12歳でハンチントン病という脳の難病を発症し、21歳で亡くなってしまう。「自分も病気で若くして死んでしまうかもしれないと、怖くて仕方がありませんでした」

中学生のとき、古本屋で偶然、映画の原作となった松本則子の詩集『父ちゃんのポーが聞える─則子・その愛と死』を見つけた。「映画の印象とは大きく違い、松本則子さんの詩からは病気の苦しみを克服しようとする強い心の力を感じました。そして、ハンチントン病の患者さんを苦しみから救うために何かをしたいと思ったのです。読む人の心が強くなるような小説を書くのはどうか。でも、文学者としてやっていける自信がありませんでした。医師になるというのも一つの道です。しかし彼女の詩には、医学の無力さがつづられていました。ハンチントン病を治すには、医学的な技術より基礎的な研究で病気を理解することがまず必要だと考え、医師ではなく生命科学の研究者になると決めたのです」

機械論的な因果律に抱いた違和感

高校時代に読み、大きな影響を受けた本が2冊ある。1冊目は、小林秀雄の『人生について』。「1970~80年代の男子校では哲学書を読むのが一つのステータスで、サルトルやニーチェ、キルケゴールなどを友達と競うように読んでいました。中でも小林秀雄の『因果律は真理であろう、併し真如ではない、truthであろうが、realityではない』という言葉が心にずっしりと響きました。研究の道に進んでからも、その言葉についてずっと考えてきました」。因果律とは、原因と結果の間には一定の関係が存在するという法則のことである。

2冊目は、渡辺格の『人間の終焉─分子生物学者のことあげ』。「レンブラントの『テュルプ博士の解剖学講義』を配した表紙に惹かれて手に取り、分子生物学という分野があることを知りました。生命は遺伝情報によって決定されていて、機械のように部品に分け、さらに因果律を用いることで全てを理解できるという。しかし、あらゆる生命現象が機械論的な因果律で説明できるという考え方には違和感を持ちました」

一方で、こうも考えた。「病気の原因も遺伝情報にあるのならば、それを見つけて修復すれば、壊れた機械の部品を取り換えるようにハンチントン病を治せるかもしれない。大きな可能性を感じ、大学では分子生物学を学ぼうと決めました」。日本の分子生物学が始まった場所で学びたいと、大阪大学理学部生物学科へ。渡辺格に並んで日本における分子生物学の開拓者の一人・富澤純一から続く研究室に入った。

祖父を通して受け継いでいた理研精神

大学院生のとき、宮田親平の『科学者たちの自由な楽園─栄光の理化学研究所』を読んだ。「1986年に祖父が亡くなり、葬儀のときに祖父のお弟子さんたちから薦められたのがきっかけです」。祖父・一郎は理研の研究員としてドイツに留学、後に京都大学教授となった化学者で、その研究グループが日本初の合成繊維であるビニロンを開発した。

「大学院生だった私は、社会の問題を解決するために徹底的に基礎研究を行っていこうと考えていました。この科学者精神は、祖父から学んだものです。そして『科学者たちの自由な楽園』を読み、祖父の科学者精神の根本は、社会の問題を基礎科学によって解決するという大河内正敏第3代所長の"理研精神"にあったことを知りました。祖父と理研の話をした記憶はありません。私も理研で研究することになるのだったら、いろいろな話を聞いておきたかったです」

チューリングとウィーナーとの出会い

大阪大学大学院修士課程を修了後、協和発酵工業株式会社へ。診断薬の生産技術の開発などを行いながら、大阪大学で博士号を取得。そして、ハンチントン病など神経変性疾患の治療を目指し、幹細胞を用いた再生医療の研究を始めた。

「再生医療は、まさに機械の部品を換えるように病気を治そうとするものです。期待を抱いて再生医療の研究を進めながらも、機械と生命は違うのではないか、機械の部品を交換するように病気を治せるものだろうかという疑念は消えませんでした。また小林秀雄の言葉が頭をよぎり、truthとrealityを一致させるためには、因果律とは異なる生命現象を理解する方法が必要だと考え始めました」

そんなとき、ハワード・ラインゴールドの『Tools for Thought』(邦題『思考のための道具─異端の天才たちはコンピュータに何を求めたか?』)に出会った。「情報科学の歴史を一通り学ぶことができました。特にコンピュータやAI(人工知能)の基礎となったアラン・チューリングとノーバート・ウィーナーの考え方は新鮮で、でも違和感はありませんでした。そして、情報科学は生命現象を理解する新しい方法になり得るのではないか、と考え始めたのです」

『Tools for Thought』の初版を1995年に読んだ後、2004年に改訂版、2008年に改訂版の日本語訳『新・思考のための道具 知性を拡張するためのテクノロジー─その歴史と未来』を読んでいる。「振り返ってみると、それらを読んだ時期は、留学や転職など大きな転機に当たっています。この本を読むことで、本当にやりたいこと、やるべきことを確かめ、自分を勇気づけてきたのかもしれません」

2008年は、特に大きな変化があった。「ハンチントン病を治すことを目指して頑張ってきましたが、再生医療による治療は非常に難しく、私の力では近い将来に実現するのは無理だと考えるに至り、それまでの研究に終止符を打つ決断をしました。そして製薬会社を離れ、株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所で情報科学を用いた生命科学の研究を始めたのです」

新しい生命科学で生命のリアリティーに迫る

2016年、理研に。現在はビッグデータを解析し、一人一人に合った病気の予防や治療を行う個別化医療の実現を目指した研究を進めている。「チューリングとウィーナーの考え方を取り入れて、体の状態を多次元空間の点で表現し、点と点を結んで推移を記述し、さらに未来を予測しようとしています。これは、さまざまな病気の予防や早期発見に役立ちます。もちろんハンチントン病にも有効です。『Tools for Thought』を初めて読んでから、もう25年。ようやく情報科学を用いた新しい生命科学が実現します」

中学生のとき文学者になることを諦め、科学者の道を歩んできた。「実は、文学者にもちょっと未練があった」と笑う。曽祖父・文吾は新聞記者であり、祖父・一郎は多くの科学随筆を残している。「14年前から少しずつ科学エッセイを書いてきました。日の目を見ることはないだろうと思っていたのですが、2020年9月に『亜種の起源─苦しみは波のように』として出版することができました。生物の特徴は多様性です。いろいろな亜種や個性を持つ人が共に生きる世界になってほしい。そういう思いを書名に込めました。多様性や個性は機械論的な因果律では正しく説明できません。多様性や個性を捉えるのにも情報科学を用いた新しい生命科学が不可欠であり、それによってこそ生命のリアリティーに迫ることができると考えています」

(取材・執筆:鈴木志乃/フォトンクリエイト、撮影:STUDIO CAC)

『RIKEN NEWS』2021年1月号「私の『科学道100冊』」より転載

  • プロフィールの所属および職名は2021年11月現在

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