1. Home
  2. 広報活動
  3. クローズアップ科学道
  4. クローズアップ科学道 2022

研究最前線 2022年6月14日

遅れてきた主役「糖と脂質」にスポットライトを

理研には独創的研究提案制度といって研究者自らが複数分野または異分野連携による先導的な研究を提案する仕組みがあります。採択される課題は、理研にとって新たな研究領域、さらには日本の科学の発展にも発展すると期待されるもの。1年に1~2件しか採択されないという狭き門を突破し、2019年度に「糖と脂質の構成原理を読み解く先端研究」を立ち上げた鈴木匡主任研究員に、糖と脂質の研究の重要性と、この課題にかける熱い思いを聞きました。

鈴木匡の写真

鈴木匡(スズキ・タダシ)

開拓研究本部
鈴木糖鎖代謝生化学研究室
主任研究員

糖と脂質はどこでどのように働いているのか?

私たちの体を構成する四大成分は、糖、脂質、タンパク質、核酸(DNAやRNA)である。これらのうち、糖と脂質はエネルギー源というイメージが強く、メタボリックシンドロームの原因になるとして悪者扱いされることさえある。しかし、実際は私たちの生命を支える重要な働きをしている。

細胞を囲む細胞膜は脂質でできている(図1)。脂質なしには細胞は存在できず、私たちも存在できない。そして、一部の脂質からは糖が連なる糖鎖が細胞膜の外側へと伸びている。細胞膜中に存在するタンパク質からも糖鎖が伸びている。「細胞の表面は糖鎖で覆われているといっても過言ではありません。その糖鎖が、細胞と外界、あるいは、細胞同士の相互作用を仲介し、細胞の活動を調節しているのです。血液型を決めているのも糖鎖ですし、毒素やウイルスには糖鎖に結合するものもあります」と鈴木主任研究員は説明する。

細胞膜と糖鎖の模式図の画像

図1 細胞膜と糖鎖の模式図

細胞膜は脂質の一種であるリン脂質の分子が二層に集まったもの(脂質二重層)。リン脂質の間には、別の脂質であるコレステロールも存在する。細胞膜にはさまざまなタンパク質が存在する。糖鎖は、単糖(グルコース、マンノースなど。六角形で示す)がつながったもの。糖鎖が結合したタンパク質を糖タンパク質、脂質を糖脂質と呼ぶ。

「しかし、タンパク質や核酸に比べ、糖と脂質の働きはまだよく理解されていません」と鈴木主任研究員は続ける。その理由は少々複雑だ。

生体内では、DNAの遺伝情報からRNAを経てタンパク質がつくられるというルール(これを「セントラルドグマ」と呼ぶ)がある。そのうえ、核酸やタンパク質の構造や機能を調べる技術には革新がいくつもあった。このため、核酸とタンパク質が関わる生命現象の研究は行いやすく、大きな進歩を遂げている。一方、糖や脂質は遺伝情報をもとにつくられるわけではない。遺伝情報をもとにタンパク質の一種である酵素がつくられ、その酵素の働きで糖や脂質がつくられる。しかも、糖や脂質はその分子の性質上、構造や機能を調べる技術の開発が難しく、まだ十分とはいえない。このため、どこでどのような糖や脂質がつくられ、どう働いているかを研究するのは容易ではなく、研究者の数も少ない。

「糖も脂質もあらゆる生命現象に関わっているのに、調べるのが難しいから『見なかったことにする』という傾向があります。僕はそこを変えたかった。四大構成成分の働きを全部解明しなければ、『生命現象を本当に理解した』とは言えませんからね」と、このプロジェクトを立ち上げた動機を語る。

トップ研究者が野心的な研究テーマのもとに集結

さらに、鈴木主任研究員は、これまで別々に行われてきた糖と脂質の研究を統合的に行うことで、研究を新たなステージに引き上げたいと考えた。脂質の研究者を誘って企画した課題は独創的研究提案制度の理念に合致し、見事に採択された。そして2019年、三つのサブプロジェクトが始動した(図2)。「各分野で世界のトップにいる理研の7名の研究主宰者が集まりました」と鈴木主任研究員は胸を張る。

サブプロジェクト1「インシリコプラットフォーム」では、糖と脂質の情報をそれぞれ集めた既存データベースの統合を目指す。さらに、実験で確認された糖や脂質の働きをシミュレーションで予測・検証する。サブプロジェクト2「イノベーティブなツールの開発」では、糖と脂質の存在場所や反応を可視化する技術と、多様な糖と脂質の種類を明らかにする分析技術を開発する。サブプロジェクト3「糖と脂質の生物学」では、サブプロジェクト1と2の力を借りて、糖と脂質が関わる具体的な生命現象の解明に挑む。

独創的研究提案制度課題「糖と脂質の構成原理を読み解く先端研究」の構成の図

図2 独創的研究提案制度課題「糖と脂質の構成原理を読み解く先端研究」の構成

糖と脂質は、非常に種類が多く(構造的多様性)、それぞれの存在量は時間と場所によって大きく変わり(空間的多様性)、一つ一つが複数の機能を持つ(機能的多型)という特徴がある。これらの特徴が生命現象においてどのような意味を持つのかを、学際的なコラボレーションの力を通じて明らかにすることを目標としている。

鈴木主任研究員は、プロジェクト全体のリーダーを務めるとともにサブプロジェクト3を担当している。特に注目しているのは、糖タンパク質(図1)の糖鎖を切る酵素。学生時代から研究し、遺伝子を発見するとともに、機能を明らかにしてきた。細胞内で糖タンパク質がつくられるときに不良品のタンパク質ができると、この酵素が糖鎖をタンパク質から切り離し、タンパク質は分解される。この酵素をつくる遺伝子に変異が生じた人は、この酵素が正しく働かなくなるために、重い病気になる。

このような病気が起こる詳しい仕組みや治療法を研究するため、本プロジェクトでは、この酵素をつくる遺伝子が肝臓でだけ働かないマウスを作製した。「このマウスに糖や脂肪の多い食事を取らせると、なんと顕著な脂肪肝を引き起こしました。これは予想外の結果でした」。糖の代謝酵素がないために脂質の代謝が変化するという意外な現象が起こったのだ。現在、鈴木主任研究員は、この現象のメカニズム解明に取り組んでいる。

糖と脂質の研究を広げたい

サブプロジェクト1、2からも、さまざまな成果が上がっている。例えば、杉田有治主任研究員らは、スーパーコンピュータ「富岳」を用いたシミュレーションで、新型コロナウイルスの感染に糖鎖が重要な役割を果たしていることを明らかにした。有田誠チームリーダーらは、質量分析で得られたデータから脂質の構造を推定するための画期的なプログラムを開発した。

「しかし、糖と脂質の研究者間のシナジーは、残念ながらまだ生まれていません。新型コロナウイルスのパンデミックのせいで、みんなで集まって徹底的に議論する合宿ができないのが痛いですね」。とはいえ、オンラインでのミーティングを重ねることで、共同研究のタネができ始めているという。

パンデミックがなかったとしても、「糖と脂質を統合的に理解する」という壮大な目標は少人数の研究者が数年間のプロジェクトで達成できるようなものではない。「あと2年、今のプロジェクトに全力で取り組み、後継プロジェクトへとつなげたい。そして、まず理研の中で、他の分野の研究者が糖と脂質の研究の相談に来るようなハブとなりたいのです。やがてそれが日本のハブ、世界のハブへと発展すれば素晴らしいと思います」。鈴木主任研究員の言葉には、強い思いがにじんでいた。

(取材・構成:青山聖子/撮影:相澤正。/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)

関連リンク

この記事の評価を5段階でご回答ください

回答ありがとうございました。

Top