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研究最前線 2023年10月30日

光量子コンピュータのための重要なピース完成

光量子コンピュータをつくるためにどうしても必要なのに、理論のアイデア発表から20年以上、誰も成し得なかった「掛け算」。「私たち実験屋は理論屋の提案を見て、こんなのどうやったらできるんだ?と頭を悩ますのです」と、どこか嬉しそうに語る阪口 淳史 特別研究員が、この「掛け算」を可能にする光の量子状態の測定を成功させました。これで、必要な技術の準備が整い、いよいよ実際のマシンの製作が始まろうとしています。

阪口 淳史の写真

阪口 淳史(サカグチ・アツシ)

量子コンピュータ研究センター 光量子計算研究チーム 特別研究員

「光」に秘められた可能性

量子コンピュータの計算能力はどのくらいすごいのだろうか。「問題の規模にもよりますし、誰も確かめた人はいませんが」と前置きしてから、「『富岳』のようなスーパーコンピュータで、宇宙が終わるまでの時間をかけてもできないほどの膨大な計算問題も、現実的な時間で計算できます」と阪口 特別研究員。

超伝導、光、イオントラップ、シリコン…。量子コンピュータにはさまざまな方式がある。2023年3月にクラウド公開した理研の国産初号機が「超伝導」方式であるのに対し、阪口 特別研究員らが取り組むのは「光」だ。超伝導方式の量子コンピュータでは、計算を担う素子「量子ビット」に超伝導状態の物質を使うが、光量子コンピュータは光を使う。

実機が次々に開発されている超伝導方式に比べ、光量子コンピュータの実機はほとんど開発例がない。しかし、超伝導方式よりもさらに計算速度が速くなる可能性があると、理論的に予測されている。また、現在の超伝導方式は−273℃近くまで冷却しなければならないが、光方式は常温での稼働が可能なため、必要なエネルギーを大幅に削減できる。

「光通信との親和性が高いので、将来的には光量子コンピュータを光通信でネットワーク化して複数の光量子コンピュータに計算を分散させることが可能になるかもしれないと考えています。光通信が5G、6Gと広帯域化を目指しているのも、光量子コンピュータの計算性能には追い風になります」

「非線形測定」という高い壁

光量子コンピュータによる計算(光量子計算)は、光の量子状態の測定に基づいており、そこでは「足し算」や「引き算」のみならず、"光電場同士の「掛け算」"ができなければならない。そのために必要な非線形測定の理論は2001年に発表されたが、それを実現する方法はなかなか見つからなかった。

非線形測定を可能にする結晶があれば話は早いのだが、「そのような物質は見つかっていません」。しかし、物質に頼らない方法を見いだしたところに成功の鍵があった。光と電気の回路を組み合わせれば非線形測定ができるはずだというアイデア(図1)を研究チームの古澤 明 チームリーダー(当時 東京大学)が発表したのは2016年。それから6年の歳月が過ぎた2023年7月、ついに非線形測定が成功した。

非線形測定の模式図の画像

図1 非線形測定の模式図

赤線が光信号、黒線が電気信号の経路。これまでの光量子コンピュータで実現していた測定法(ホモダイン測定)では、電場の足し算と引き算、定数倍の計算しかできなかった。そこに「非線形計算」を加えることで非線形測定が実現し、掛け算が可能になる。「補助量子光」は非線形測定の精度を向上させるために取り入れた。

実現の秘訣は事前の計算

光信号は、図1の赤線で示した経路を光速で進む。一方で、電気信号(黒線)は、非線形計算に必要な時間の分だけ遅れて進む。ホモダイン測定2では、光信号と電気信号を比較して測定するため、同時に信号を受け取る必要がある。そこで、光学遅延路を設けて光が進む距離を長くし、非線形計算の結果が電気信号としてホモダイン測定2に送られてくるまでの時間を稼ぐことにした。計算結果が100万分の1秒遅れるだけでも300メートルの光学遅延路が必要になる。ところが、光の経路があまり長くなると光の量子性は失われてしまう。これを解決するには、非線形計算をいかに速くするかがポイントだった。

そこで、非線形測定で必要となる計算の答えを予め一覧表(ルックアップテーブル)にまとめておき、一覧表の答えを読み出す方式を用いた。計算の種類は限られているため、この方式で対応可能だ。一覧表を書き換えれば、高速処理が必要となるさまざまな実験に使えるという柔軟性もこの方式の特長だ。

ルックアップテーブルの読み出しを含む、図1の非線形計算を行うための電子基板(図1吹き出し内)にも工夫が詰まっている。緑色のボードに乗せる素子の配置次第で信号処理の時間は変わってくる。一つ一つの素子をどのように配置するかにも最大限の注意を払った。

この方式で非線形測定をしたところ、計算の前後で行う信号処理も含めて、26.8ナノ秒(1ナノ秒は10億分の1秒)、光学遅延路を8メートルにまで抑えることができた。これは、ルックアップテーブルを用いない場合の100分の1程度だ。

そして、実験の測定値は理論値の特徴をよく捉えていた。「これで、理論的に光量子コンピュータで計算できると考えられている計算全てを実現するために必要なピースが揃いました。光量子コンピュータ実現のための重要なピース、『掛け算』に成功したのです」

非線形測定の精度を向上するための工夫にも取り組んだ。図1に記載されている補助量子光を用いると、測定精度が向上し理想的な非線形測定に近づいた(図2)。「補助量子光を生成するところも難しく、多くの工夫を盛り込みました。補助量子光の質を高めると、量子コンピュータにとって最大の課題である誤り訂正操作に応用できます。その克服も視野に入ってきました」

補助量子光の効果の図

図2 補助量子光の効果

理想的な非線形測定と実験結果とがどれほど近いかを表す測定時のノイズの量の指標「分散」を比較。実験結果が理想に近いほど分散は0に近づく。

光量子コンピュータの実機製作へ

実機の製作に着手した阪口 特別研究員は「もっと多くの仲間と一緒に研究したいです。超伝導に比べると光量子の研究者の人数はまだ少ないのです。ただ、その分、思いついたアイデアが世界初というフロントランナーの楽しさを経験できます」と語る。

プログラミングに目覚め、パソコンの性能に感動していた中学生の頃、「もっとすごい計算力を持つ量子コンピュータというものがある」と聞いて、いつか量子コンピュータの研究がしたいと思っていたという。自らの手で光量子コンピュータを世界で初めてクラウド公開しようと、日々奮闘している。

(取材・構成:大石 かおり/撮影:相澤 正。/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)

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