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研究最前線 2023年11月21日

ヒトの脳の理解に近づく「脳の地図づくり」

計画を練り、社会生活を営む…ヒトは複雑な行動をする生き物です。脳の知覚、認知、記憶といったさまざまな高次機能に伴って脳の大脳皮質前頭前野が活発に働いていますが、それを意識することはありません。渡我部 昭哉 研究員は、マーモセットの「脳の地図」をつくる中で、この脳領域にカラム(柱)構造を発見しました。この研究成果は、今後の脳研究をどう変えていくのでしょうか。

渡我部 昭哉の写真

渡我部 昭哉(ワタカベ・アキヤ)

脳神経科学研究センター 触知覚生理学研究チーム 研究員

革新脳プロジェクトの大きな成果

長寿、高齢化によって、誰もがその生涯のうちに認知症や精神疾患を患うリスクが増えている。こうした疾患は脳がうまく働かないことによって発症すると考えられることから、現在、世界中で大規模な脳研究プロジェクトが立ち上がっている。日本でも2014年に理研を中核とした「革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクト(革新脳プロジェクト)」が発足し、小型霊長類のコモンマーモセット(マーモセット)の脳をモデルとした研究が進んでいる。

「最もよく研究されているのは、げっ歯類のマウスです。しかし、マウスとヒトとでは脳の構造がかなり違います。マーモセットは、ヒトと同じ霊長類で脳の構造も似ていますから、マウスの知見をヒトの脳につなぐためにも必要なモデル動物なのです」と話すのは、渡我部 研究員だ。

2023年5月に革新脳プロジェクトの主要な成果として発表した「マーモセットの脳の地図」が高く評価され、研究成果を表現したイラストが米国科学誌『ニューロン』の表紙を飾った(図1)。探検家が冒険するのは、マーモセットの脳の大脳皮質前頭前野の中だ。林立するカラムは、神経細胞の細胞体から伸びる軸索が束になったもので、この構造の詳細な解析が論文のテーマである。

米国科学誌『ニューロン』の表紙を飾ったカラム構造の図

図1 米国科学誌『ニューロン』の表紙を飾ったカラム構造

「脳の地図」を手に、小型霊長類であるマーモセットの前頭前野の中を進む探検家が描かれている。(Neuron, Vol.111, Issue14, 2023)

「地図づくり」が「カラム構造の再発見」に

「脳の地図」とは、脳のある部分が、他の脳領域とどのようにつながっているかを示した詳細なマッピングを意味する。「ヒトの脳は、約1,000億個の神経細胞による巨大なネットワークでつながっています。神経細胞は、樹状突起で他の神経細胞から情報を受け取ります(図2)。その情報は電気信号となって軸索を通り神経終末まで送られ、そこでシナプスを介して次の神経細胞へと渡されます。つまり脳は、無数の神経細胞が互いに結合した回路から成る"計算機"です。神経細胞のつながりが脳の働きを決めているなら、まず神経細胞の結合の地図をつくる必要があると私たちは考えたのです」

神経細胞間の情報の流れの図

図2 神経細胞間の情報の流れ

渡我部 研究員のターゲットは前頭前野だ。脳の外側を取り囲む大脳新皮質と呼ばれる進化的に新しい脳領域にあって、計画的・社会的行動などをつかさどっており、この部分の不調が精神疾患を引き起こすともいわれる。

神経細胞同士のつながりを観察するために、マーモセットの前頭前野の神経細胞にトレーサー(目印として添加する物質)を注入して蛍光発光させ、その脳をアガロースで固めて切片に削りながら2光子顕微鏡で観察した(図3)。それらの数百枚に及ぶ画像データをコンピュータで3次元的に再構成した結果、軸索がカラム構造を形成して密に情報のやりとりをしていることが分かった。

マーモセットの脳に見られたカラム構造の図

図3 マーモセットの脳に見られたカラム構造

マーモセットの前頭前野の赤矢印の位置にトレーサーを注入すると、写真のように神経細胞全体が蛍光標識された。軸索の太さは1マイクロメートル(μm、1μmは0.001mm)程度だが、長さは1cmほどに及ぶものもあった。また、脳全体につながっているのではなく、濃淡があることが分かる。濃い部分にカラム構造が形成されている。

「中型の霊長類であるマカクザルでは半世紀ほど前にカラム構造の報告があり、今回は"再発見"ということになります。ただ、マーモセットで、しかもこれほど大規模かつ詳細に3次元データとして捉えたのは初めて。脳全体を見渡すと軸索が密で『カラム型結合』を形成している場所とそうでない場所とがはっきり分かります(図3)。系統的にデータをとったので、カラム構造について定量的に議論できるようになった点でもこれまでの成果とは違います」

脳の地図から前頭前野の役割を知る

研究の目的は、脳の神経細胞間の結合に関するデータベースをつくることだった。データは、日本のみならず世界中の脳研究でも活用できるように公開されているが、渡我部 研究員自身がこのデータからすでに発見があったと言う。

「一つの脳には1カ所からしかトレーサーを注入しませんが、その周辺にある多くの神経細胞が蛍光物質で光るので、得られるデータは複雑です。そのため、全てのカラム構造を見ていては何の知見も得られそうにありませんでした(図4中)。そこでカラム構造のプロットデータの重心に注目しました(図4右)。そうすると前頭前野のどの辺りが、ほかの脳領域のどの辺りとつながっているか、傾向が分かりました」

特に、前頭前野での位置関係が、帯状皮質や側頭皮質に現れるカラム構造の位置関係に投影されることは注目すべき点だ。ちなみに、前頭前野と多くカラム型結合を形成していた帯状皮質、頭頂皮質、側頭皮質は、いずれも連合野と呼ばれる領域で、脳に入ってきたさまざまな情報を統合している。このことは、前頭前野が高度な機能を担っていることに関係していると考えられる。

カラムの位置を示すマップの図

図4 カラムの位置を示すマップ

立体的な脳を展開して平たくしたフラットマップ上にカラムをプロットした。トレーサーを注入した位置(左)とカラムが現れる位置(中)は色で対応している。図は、いくつもの脳のデータを重ね合わせている。脳には個体差があるため、プロットにも誤差が生じてしまうが、色ごとのカラム構造の重心に注目することで(右)、前頭前野とほかの脳領域とがどのように結合しているか、その傾向が分かる。

脳研究の躍進に期待

渡我部 研究員らの研究チームは脳全体の神経細胞の結合を明らかにしようと、現在も、装置を動かしデータを取得している。今後の研究については、「カラム構造があることは確かめられましたが、どのような機能を果たしているのかは分かっていません。これだけ特徴的な構造なのですから、何か意味があるはずです。それを解明したいのです。また、マウスには見られないこの構造がどうして霊長類で形成されるようになったのかという疑問にも迫りたいと考えています。おそらく神経細胞が増える際に、それらが連携して働くための巧みな仕組みができたのではないでしょうか」と語った。研究基盤が整った今、今後の研究成果が楽しみだ。疾患の解明や治療につながる発見も期待される。

(取材・構成:池田 亜希子/撮影:相澤 正。/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)

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