1. Home
  2. 広報活動
  3. クローズアップ科学道
  4. クローズアップ科学道 2024

研究最前線 2024年3月22日

シリコン量子ビットをフィードバック制御で初期化する

現在の状態を正確に把握し、それを基に望ましい状態にもっていくフィードバック制御は工学の基本的な手法の一つです。しかし、量子ビットのような、日常レベルとは違う法則が支配している極微の量子世界では、正確な測定が非常に困難です。そのような中、小林 嵩 研究員たちは、量子ビットのフィードバック制御を実現し、初期化処理に活用できる可能性を示しました。

シリコン量子ビットの従来の初期化

どんな計算機でも計算を行う前にデータを担う部分を初期化する必要がある。そろばんでいえば、御破算にして、データを担う玉を全てゼロの位置に戻す。シリコン量子コンピュータでは、データを担うシリコン量子ビットのスピンの向きをそろえる。

シリコン量子ビットは、シリコン半導体に数十ナノメートル(nm、1nmは100万分の1mm)幅の細かいゲートを並べ、各々に電圧をかけて、直下のシリコン中に電気的な閉じ込め(量子ドット)をつくり、そこに1個の電子を閉じ込めてつくる。1個1個の電子のスピンの向きにデータを担わせるのだ。

外から静磁場をかけてスピンのエネルギー準位を二つに分け(ゼーマン分離)、低い方のエネルギー準位にあるスピンを「下向き」、高い準位にあるスピンを「上向き」として、下向きスピンに「0」を、上向きスピンに「1」を担わせる。これらシリコン量子ビットは希釈冷凍機に収められ、100ミリケルビン(-273.05℃)以下の低温環境に置かれる(上の写真で小林 研究員の左にある白い容器が希釈冷凍機)。

「従来、シリコン量子ビットの初期化にはリザバーという電子を蓄積したものを使っていました」と小林 研究員は説明する。エネルギー準位の低い電子から順番に蓄積するリザバーの性質を利用して、量子ドットとリザバーとの間で電子のやり取りを行い、量子ドットの中の上向き電子を下向き電子に置き換えていく方法だ。しかしこの方法では、「各量子ドットのすぐ横にリザバーをつくる必要があり、しかもリザバーは量子ドットに比べて大きいため『シリコン量子ビットの集積』を妨げてしまいます」

補助ビットでスピンの向きを量子非破壊測定する

そこで、リザバーを使わない方法として取り入れたのが、フィードバック制御だ。つまり、まずスピンの向きを測定し、その結果に応じてスピンの向きをそろえるような量子ビット操作を行うのである。測定には、理研の他の研究グループが2020年3月に成功した、補助ビットを使った「量子非破壊測定」を適用することにした。

補助ビットも量子ビットと同じ方法でつくるので、大きさに問題はない。補助ビットを量子ビットに近接させてつくると、両者の電子の間に相互作用が生じ、量子の世界特有の「量子もつれ」という現象が起こる。量子もつれが生じた二つの量子の間では、片一方の状態に応じてもう片一方の状態が決まる。つまり、量子ビットのスピンの状態に応じて、補助ビットのスピンの状態が決まる。それゆえ、補助ビットのスピンを測定すれば、量子ビットのスピンが「0」か「1」かが分かるのだ。

「補助ビットを使うのは、量子ビットのスピンの向きを直接測定すると(破壊測定)、量子の世界では、その時は上向きでも測定後には下向きになっている可能性があるからです」と小林 研究員。一方、量子もつれを生じさせた補助ビットのスピンの向きを直接測定しても、量子ビットのスピンの状態は保たれる。

さらに小林 研究員たちは量子ビットのスピンの向きを正確に把握するために、1個の量子ビットに対して11回の非破壊測定を行った。1回だけでは精度は90%弱だったが、11回繰り返した結果約98%の精度を実現できた。

フィードバック制御でスピンを下向きにし、初期化する

補助ビットを使った量子非破壊測定の結果は「FPGA(Field Programmable Gate Array)」というチップに送られる。このチップはソフトウエアのプログラムを集積回路としてハード化したもので、ソフトウエアによるプログラム処理より、高速なデータ処理が行える。データ処理の結果は、「シーケンサー」と呼ばれるチップに伝えられる。シーケンサーにもプログラムが書き込まれており、FPGAからの入力データに従い、「任意波形発生器」が発生する2種の波形を高速に切り替える。一つの波形ではスイッチがオンになり、もう一つの波形ではオフになる。前者のスイッチオンの場合は、外部からマイクロ波がデバイスに入っていき、上向きのスピンを下向きにする。後者の場合は、スイッチオフなのでマイクロ波は入らず、下向きのスピンのままである(図1)。

こうしてフィードバック制御での量子ビットの初期化に成功したが、「まだまだ課題だらけです」と小林 研究員は言う。

フィードバック操作による量子ビットの初期化処理の図

図1 フィードバック操作による量子ビットの初期化処理

次のハードルはフィードバック制御の高速化

「今回の実験では量子ビットを正確に初期化することはできましたが(図2)、時間がかかりすぎています」

初期化処理後の量子ビットの動作の図

図2 初期化処理後の量子ビットの動作

初期化処理後に量子ビットに回転操作を加え、その操作に起因するスピン上向き状態と下向き状態の間の振動の見えやすさで初期化の正確さを評価した。フィードバック操作を行った場合(青色の実線)は明瞭な振動が見えるのに対し、フィードバック操作を行わない場合(黒破線)には振動がほとんど見えなかった。

大規模な量子コンピュータを実現するためには、量子ビットのスピンの向きの測定から下向きにそろえる初期化まで、量子ビットがデータを担っている時間(コヒーレンス時間)内に行わなければならない。小林 研究員たちのデバイスの量子ビットではデータを保てる時間は10マイクロ秒(µs、1µsは100万分の1秒)だが、今回の実験では補助ビットの量子破壊測定に60µsかかっている。「これを1µs未満にしたい」

今は、新たな方向での研究にも着手している。シリコン量子ビットをつくり込んだデバイスは希釈冷凍機に入れられているのに対し、フィードバック制御に用いられるFPGAなどのチップも機器も全て室温に置かれている。そこで、フィードバック機能はもちろんのこと、補助ビットによる測定機能も全てチップ化して冷凍機に入れようとしているのだ。「まだ、どうなるか分かりませんが、フィードバック操作の画期的な高速化が図れることを、秘かに期待しています」

(取材・構成:由利 伸子/撮影:相澤 正。/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)

関連リンク

この記事の評価を5段階でご回答ください

回答ありがとうございました。

Top