何かを選ぶ場面で「どちらにしようかな」と考えるとき、または「他の人はどちらを選ぶだろう」と予想するとき、脳内ではどのように情報処理が行われているでしょうか。中原 裕之 チームリーダーは、人が意思決定をするときの脳の働きを実験と理論の両方向から解明しようとしています。
他者の選択が、自分の選択にどう影響するか
人はいくつかある選択肢の中からどれかを選び、行動を決めるとき、自分以外の他者に影響を受けている。例えば、自分の選択によって、目の前の他者が望んだ結果になったり、ならなかったりするときには、自分の利益だけを重視する人もいるが、相手の利益につながることを選ぶ人もいる。
また、「あの人はそっちを選ぶだろうから、自分はこっちにしようかな」というように、他者の選択を考慮して、自分の選択が変わることもある。こうした意思決定のプロセスを、その脳の働きにフォーカスして、中原 チームリーダーは研究を行っている。
「私が関心を持っているのは、意思決定のプロセスの中でも、特に他者と関わりながら考えて行動する、社会的動物としての人間ならではの思考や判断(社会知性)です。思考や知性、そして心の働きも、突き詰めれば脳の計算によるもの。脳内の情報処理の仕組みが分かれば、社会知性を持つAIエージェントの発展につながると考えています」
意思決定実験中の脳をfMRIで観察
中原 チームリーダーらの研究は、fMRI(機能的磁気共鳴画像測定)を利用した実験的アプローチと、脳計算モデルによる解析という理論的アプローチの両方向から取り組んでいることが特徴だ。実験では20~28歳の男女48人が被験者となり、fMRIスキャナーの中に横たわりながら図形と数字を使った課題に取り組んでもらった。fMRIは、脳の神経活動によって変化する血流や酸素代謝を観察する装置で、被験者の脳活動を可視化できる。
被験者に与えられたのは、二つの選択肢から「自分にとっての報酬(数字)が大きくなるほうを選択する」「他者がどちらを選ぶか予測する(予測が当たれば報酬がもらえる)」「他者がどちらを選ぶかを予測した上で、自分の報酬につながるほうを選ぶ」という三つの課題。三つ目の課題では、他者の選択によって報酬が変わるという前提があり、二択のうち片方の報酬量が明らかに多い場合と、二択の両方ともさほど報酬量が変わらない場合を用意した。となると、前者のほうが予測は簡単で、後者のほうが難しくなる。
被験者は、他者の予測が簡単なときは、その予測に基づいて、自分の報酬を最大化する決定をする傾向にあった。一方で、予測が難しいときは、他者の選択肢の両方それぞれに応じた選択をする傾向にあることが確認された。
「この実験は、他者の選択をシミュレーションすることよって、自己の選択がどのように切り替わるかを理解するためのものです。しかし、実験による行動データとfMRIによる脳活動観測を対照するだけでは、意思決定の脳の情報処理を理解することにはなりません。私たちは、意思決定に関する脳計算モデルに基づいて解析を行い、その脳計算モデルの主要な変数の変化と実際の脳活動の変化の対応を調べることで、他者の選択を考慮する意思決定の脳回路を調べました(図1)」

図1 脳計算モデルの解析手法
①脳計算モデル(仮説)を被験者の「行動」と比較検証して、その行動の脳情報処理の主要変数を見つけ出す。②その変数をfMRIで観察した脳活動データの解析に適用して、その情報処理がどのような脳活動として表れているかを検証する。これにより行動、脳活動、脳計算の三つが連動した解析となる。
他者選択の予測に基づく意思決定の脳回路を発見
行動データと脳活動データから脳回路を調べた結果、他者選択の予測が簡単なときと、他者選択の予測が難しいときでは、自己選択の際にそれぞれ別の脳部位が働いていることが明らかになった。
他者の選択を予測するときは左半球の扁桃体に脳活動が見られた。「他者の行動選択の予測確率に対応する脳活動が、扁桃体を含むいくつかの脳部位に起きることは、以前の研究でも分かっていました。本研究でも『他者がどちらを選ぶか予測する』ときを調べると、それらの脳部位で活動が見られました。面白いのは、それらの活動のうち、扁桃体だけが、三つ目の課題『他者を予測して、自分自身の選択をする』で、他者の行動選択の予測に対応する明確な脳活動があったことです。これは他者の予測を自分の選択に生かすという場面では、とりわけ扁桃体の他者予測の活動が重要になることを示しています」
さらに、他者選択の予測が難しい時には、他者の「ありそう」と思える選択に基づいて自分の選択を判断するのは後帯状皮質、「なさそう」という選択に基づいて判断するのは右背外側前頭前野と、それぞれ別の部位で脳活動が見つかった。その上で、最終的な意思決定を行っていたのが内側前頭前野だ(図2)。「他者のありそうな選択となさそうな選択、それぞれの予測に応じて別々の脳部位で自己の選択を計算する脳活動部位が見えたことに今回の研究の意義があります」

図2 他者の選択肢を予測して自らの意思決定を行う脳回路
他者の選択が「ありそう」か「なさそう」かで、脳活動の部位が異なる。左半球の脳内における各部位の情報処理のネットワークを推定する分析でも、「ありそう」「なさそう」で二つの経路(矢印)に分岐することが分かった。最終的な意思決定は内側前頭前野で行われる。
社会知性を持つAIの実現に貢献
これまでにも脳活動データと脳計算モデルを統合した研究が行われ、その成果がニューラルネットワーク(脳内の神経ネットワークを模した数理モデル)の発展につながっている。中原 チームリーダーは、そこに他者の意思決定の予測を組み込み、"社会的意思決定"を数理的に解析しようとしている。
「1981年にノーベル生理学・医学賞を受賞したトルステン・ウィーセルとデイヴィッド・ヒューベルは、子ネコの片目を一時的に覆った実験により初期視覚野の神経細胞活動を解明しました。その発見は視覚の脳計算の基礎となるもので、現在の顔認証システムなどにつながっています。今私たちが取り組んでいる脳計算モデルも、社会知性を人工的に実現するようなAIの発展につながるものとして、期待しています」
そのような未来を見据えた上で、「行動データ・脳活動データ・脳計算モデルという三位一体を読み解く、実験と理論の融合研究が重要」だと強調する。脳を学ぶことで人間や社会への理解を深め、より良い社会づくりに貢献していく。
(取材・構成:牛島 美笛/撮影:古末 拓也/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)
関連リンク
- 2024年8月24日プレスリリース「他人の選択を考慮する意思決定の脳回路」
この記事の評価を5段階でご回答ください