現在、最先端の原子時計の周波数精度は18桁にもなります。しかし、未知の物質であるダークマター(暗黒物質)の解明をはじめ、超ミクロ、超高速の現象を実験で扱うためには、さらなる正確さが求められます。そこで注目されているのが「原子核時計」の開発です。理研を中心とする研究グループはその第一歩として2024年、原子核が励起されたトリウム229(トリウム元素の同位体)の寿命の決定に成功しました。

左から
山口 敦史(ヤマグチ・アツシ)
開拓研究本部 香取量子計測研究室 専任研究員
重河 優大(シゲカワ・ユウダイ)
仁科加速器科学研究センター 核化学研究開発室 特別研究員
原子時計のその先を目指す
1967年以来、1秒の長さの定義には15桁の精度を持つ「セシウム原子時計」が使われてきた。今後、数年以内に予定されている1秒の再定義では、香取量子計測研究室の香取 秀俊 主任研究員が開発した18桁の精度を持つ「光格子時計」が新たな基準の最有力候補となっている。そして、理研ではすでにその先を見据えた研究が始まっている。それが「原子核時計」だ。
香取 主任と共に光格子時計の研究に携わってきた山口 敦史 専任研究員はこう語る。「セシウム原子時計は、原子内の"電子"の軌道の遷移を利用して1秒を定義しています。一方、原子核時計は"原子核"そのものの遷移を利用するため、より正確な時計をつくることが可能になります。しかし、そのためには、原子核が励起状態を維持する時間の長さ(寿命)を確かめる必要がありました」(図1)

図1 電子の遷移と原子核の遷移
電子も原子核も、特定の周波数の電磁波のエネルギーを吸収して、より高いエネルギーを持つ状態(励起状態)へと移る(遷移する)。この周波数を「共鳴周波数」という。
2016年の発見により現実味を帯びた「原子核時計」
原子時計では、電子を励起させる特定の周波数の電磁波(マイクロ波やレーザー)を時計の「振り子」として使う。セシウム原子時計の場合、9,192,631,770Hzという大きな周波数(振動数)であるため、極めて短い周期の振り子として使えるのだ。一方、正確な振り子であるためには安定性が必要だ。ところがこの振り子の周波数には、地球の磁場や装置自身が放つ、かすかな赤外線などが微妙に影響してしまう。
これに対して「原子核は電子よりも環境の影響を受けにくいので、原子核の共鳴周波数を使えば、理論上、現在最先端の原子時計よりも、さらに1桁精度を高めることができると期待されています。しかし、これまで原子核時計が開発されてこなかったのは、原子核を励起させるのにエックス線領域のレーザーが必要だからです。そのため、原子核時計は実現困難と見なされてきました」(山口 専任研究員)
ところが、2016年にドイツの研究グループによる大きな発見があった。トリウム229の原子核が、真空紫外波長のレーザーで励起できる極めて低エネルギーの励起状態を持つことが明らかとなったのだ。この発見によりにわかに原子核時計が現実味を帯びてきた。「原子核が励起された状態のうち、その寿命が長い(一般的にはおよそ10億分の1秒以上)ものを『アイソマー状態』といいます。トリウム229に低エネルギーのアイソマー状態があることは1970年代から予測されていましたが、アイソマー状態から基底状態に戻る際に放出される放射線のエネルギーが極めて低かったため、実証実験が非常に難しかったのです」と説明するのは、実験による原子核研究で世界をリードする仁科加速器科学研究センターの重河 優大 特別研究員だ。
それでも、原子核時計の実現に向けては乗り越えるべき大きな壁があった。それがアイソマー状態のトリウム229の原子核の寿命の決定だ。寿命とは、励起状態の原子核が基底状態に戻るまでの時間(半減期)のこと。寿命が長ければ長いほど原子核時計の精度を高めるのに有利になる。そこで、2020年、山口 専任研究員らの研究グループは、その測定実験を開始した。
理研の総力を結集
山口 専任研究員らが目をつけたのが、ウラン233を使う方法だ。「ウラン233はアルファ線(ヘリウム4の原子核)を放出して+3価のトリウム229イオンに変わります。都合の良いことに、このトリウム229イオン中には約2%の割合でアイソマー状態のトリウム229イオンが含まれています。そこで、この現象を利用してアイソマー状態の寿命を測定するため、まずはトリウム229イオンを収集する装置の開発に着手しました」(山口 専任研究員)
その装置とは次のようなものだ(図2左)。まず、直径9cmの金属基板の表面にウラン233の薄膜をつくる。するとその薄膜からトリウム229イオンがおよそ秒速270㎞というものすごい速さで次々と飛び出してくる。これをヘリウムガスと衝突させて減速させた後、「RF(ラジオ波)カーペット」と呼ばれるイオン収集装置を使って収集する。「RFカーペットはもともと理研が加速器で生成した放射性原子核を効率よく取り出すために開発した装置です。ここには、理研の原子核物理実験に関する経験が生かされています」(重河 特別研究員)

図2 今回の実験で開発したイオントラップ装置の概念図
ウラン233からトリウム229イオンを生成して「RFカーペット」で収集。この装置の内部にはトリウム229イオンの速度を抑制するため、ヘリウムガスが入っている。RFカーペットの中央には直径0.3mmの極めて小さな穴を開けており(右写真中心部)、その穴からトリウム229イオンを引き出し、直径5㎜の管を通してイオントラップ・レーザー分光領域に移動させる。レーザー照射でアイソマー状態のトリウム229イオンのみを光らせ、検出したものの寿命を測定する。
次に、収集したトリウム229イオンの中から微量に含まれるアイソマー状態のトリウム229イオンを検出する。ここで、収集してトラップ(捕獲)したトリウム229イオンにレーザーを照射して電子状態を励起し、原子核の状態に応じてイオンを光らせる。基底状態とアイソマー状態では励起する波長が異なるが、重なる部分もある。そこで、基底状態のみで光る波長と、基底状態に加えアイソマー状態でも光る波長の両方を当てその差を取ることで、アイソマー状態のみを検出する。ここには、理研のレーザー分光実験に関する知見が生かされた。そして、アイソマー状態のトリウム229イオンが光らなくなるまでの時間を計測した。この時間こそが、アイソマー状態のトリウム229イオンの寿命である。
この実験は見事に成功し、その寿命は1,400秒であることが分かった。「原子核時計を実現する上では十分な寿命です。原子核時計の開発に向けた大きな一歩となりました」(山口 専任研究員)、「アイソマー状態を観測できたこと自体がすごいこと。トリウム229イオンの収集からレーザーによる寿命の測定に至るまで、まさに理研の総合力を結集した実験であったと感じています」(重河 特別研究員)と二人は振り返る。この成果を基に、原子核時計の実現に向けたさらなる挑戦は続いていく。
(取材・構成:山田 久美/撮影:相澤 正。/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)
関連リンク
- 2024年4月18日プレスリリース「『原子核時計』の実現に前進」
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