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2012年8月28日

独立行政法人理化学研究所
慶應義塾大学 先端生命科学研究所

ヒトの血液から簡単に「体内時刻」を調べる手法を確立

-採取した血液から体内時刻のズレを検出可能に-

ポイント

  • ヒトの血液中で、24時間周期で増減する代謝産物を複数同定
  • 「分子時刻表」を作り、被験者の血液の代謝産物と照合して体内時刻を推定
  • 体内時計が関わる障害の診断や、治療法の評価への応用が期待

要旨

理化学研究所(野依良治理事長)と慶應義塾大学先端生命科学研究所(山形県鶴岡市、冨田勝所長)は、ヒトの生体内で24時間周期を刻む体内時計※1が示す「体内時刻」を、採取した血液から簡単に測定する方法を開発しました。これは、理研発生・再生科学総合研究センター(竹市雅俊センター長)システムバイオロジー研究プロジェクトの上田泰己プロジェクトリーダー、機能ゲノミクスユニットの粕川雄也専門職研究員と、慶應義塾大学の曽我朋義教授、杉本昌弘特任講師、国立精神・神経医療研究センターの三島和夫部長、北海道大学大学院医学研究科の本間研一教授らの共同研究グループによる成果です。

私たちの体の中には、24時間周期を刻む体内時計が存在します。その体内時計が指す時刻(体内時刻)は、健康な人でも約5~6時間の幅で、交代制勤務者(シフトワーカー)では約10~12時間の幅でばらつきがあり、個人差があることが知られています。しかし、ヒトの体内時計が今何時なのかを診断するには、長期間の拘束や連続した組織採取が必要であるなど、容易ではありませんでした。そこで、研究グループは、植物学者カール・フォン・リンネが考案した「リンネの花時計※2」にならい、血中の物質量からヒトの体内時刻を簡単に測定する方法の開発に挑みました。

まず、2時間おきに採取した健康な3人の被験者の血液から、24時間周期で量が変化する代謝産物を液体クロマトグラフィー・質量分析計(LC/MS)※3を用いたメタボローム解析法※4で同定し、「分子時刻表」を作成しました。次に、強制的に体内時刻をずらした6人の被験者の血液を採取して代謝産物量を測定し、この時刻表に照らし合わせて体内時刻を推定したところ、従来法で調べた体内時刻とほぼ同じ時刻を推定できることが確認できました。

この方法を利用すれば、ヒトの体内時計を簡単に診断することができ、例えば時差ぼけや一部の睡眠障害のような体内時計の異常(リズム障害)の簡単な診断だけでなく、リズム障害に関わる治療薬の開発(評価)につながることが期待できます。また、適切な時間に服薬することで最大の治療効果を得るという「時間治療」でも、体内時刻の個人差を調べる診断方法としての利用が期待できます。

本研究成果は、米国の科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Sciences』オンライン版に8月27日の週に掲載されます。

背景

ヒトをはじめとするさまざまな生物は、体内時計と呼ばれる24時間周期を作るメカニズムを持ち生命活動に利用しています。それにより、睡眠や目覚めなどの行動、心や血管の障害といった病気の症状など、さまざまな現象が約1日(概日)周期のリズムで表れます。もし、体内時計がずれていたり、体内時計のリズムに異常があると、社会的に望ましい時間帯に活動することが困難となったり、質のよい睡眠を十分に得られなくなるといった症状につながります。このような症状の原因を見つけるには、体内時計が正常かどうかを調べる必要があります。それには体の中で体内時計が指す時刻(体内時刻)を正確に知る必要があります。

一方、体内時計がさまざまな生命活動に利用され、かつ特定の病気が発症しやすい時間帯があるということは、体内時刻を考慮して特定の時刻に特定の治療を施すと、最適な効果が得られる可能性を示しています。こうした体内時刻の要素を加味した治療を「時間治療」と呼びます。ただ、体内時刻は健康な人でも約5~6時間の幅で、交代制勤務者(シフトワーカー)では約10~12時間もの大きな幅でばらつきがあり、個人差が出ることが知られています。時間治療を効率的に実践するには、個人の体内時刻を知ることが重要になります。

しかし、従来から用いられてきた血中のメラトニンやコルチゾール※5量、深部体温を基にした測定では、体内時刻を測定するために長期間の拘束と連続した組織採取が必要であるなど、大きな負担がかかります。そこで、研究グループでは、植物学者カール・フォン・リンネが考案した「リンネの花時計」にヒントを得て、簡単に体内時刻を診断する「分子時刻表法」を開発しました(Ueda et al., Proc Natl Acad Sci U S A, 2004, 101(31):11227-11232、および、Minami et al., Proc Natl Acad Sci U S A, 2009, 106(24):9890-9895)。

分子時刻表法では、あらかじめ、体内で概日周期で増減する遺伝子や代謝産物(時刻指示物質)が多くなる時刻と少なくなる時刻を調べて、指標となる「分子時刻表」を作成しておきます。そして、ある時刻に採取した組織や血液中の遺伝子発現量や代謝産物量を測定して、分子時刻表と比較することで体内時刻を調べます。この方法を用いることで体内時刻を調べるための長時間の拘束が不要になります。研究グループは、最初にマウスの肝臓で24時間周期を示す遺伝子を用いて概念の検証を行い、次に、臨床への応用に向け、臨床現場で広く用いられる血液を用いることで、体内の代謝産物量から体内時刻を診断する方法を開発してきました。(2009年5月26日プレスリリース)

しかし、この分子時刻表法をそのままヒトに適用するには、いくつかの課題があります。例えば、マウスでは実験的に食餌の内容や光環境をコントロールできるのに対し、ヒトでは食事の内容や摂食時間に個人差があります。このことは、食事サイクルや生活サイクルの影響を受けやすい代謝産物を時刻指示物質に使うと、正確に体内時刻を診断できない可能性があることを示しています。

研究手法と成果

研究グループは、分子時刻表法をヒトに適用するため、ボランティアで募集した健康な被験者にコンスタントルーチンと呼ばれる一定の環境条件下で過ごしてもらい、そこで採取した血液を用いて分子時刻表を作成することにしました。コンスタントルーチンのもとでは、被験者は外部の環境から遮断され、光量や室温などの環境が均一になるように制御された部屋に滞在し、一定時間リクライニングチェアに座って睡眠をとらずに過ごします(図1)。また、食事は1日の必要摂取カロリーを分割して一定時間おきに摂取します。そのため、コンスタントルーチン下で採取した血液には、食事サイクルや生活サイクルの影響を受けやすい代謝産物が含まれず、外的要因による影響の少ない時刻指示物質だけを選択できます。

研究グループは、まず、3人の被験者に実験室で36時間コンスタントルーチン下に滞在してもらいました。食事は2時間おきに摂取し、2時間おきに血液を採取しました。次に、慶應義塾大学先端生命科学研究所で液体クロマトグラフィー・質量分析計(LC/MS)を用いたメタボローム解析を行い、採取した血液中の代謝産物を網羅的に測定しました。最後に、得られた測定結果を基に、理研発生・再生科学総合研究センター機能ゲノミクスユニットで統計科学・情報科学的手法を利用して24時間周期で増減する代謝産物を抽出しました(図2A)。その結果、数十個の時刻指示物質を決定できました(図2B)

次に、これらの時刻指示物質で、1日のうちの任意の時刻に採取した血液から正しく体内時刻が推定できるかを検証するため、時刻指示物質の決定に使用した血液を採取した被験者とは異なる3人の被験者の血液を同様に採取しました。さらに、これら6人の被験者に、強制脱同調法※6と呼ばれる方法で外環境の時間と体内時刻の間でずれを生じさせて、全員の被験者から血液を採取しました。そして、これらの採取した血液を用いて血液中の時刻指示物質量を測定し、分子時刻表法により体内時刻を推定しました。その結果、いずれの時刻に採取した血液からでも、従来法である血中メラトニン量やコルチゾール量の連続計測により求められた体内時刻とほぼ同じ時刻の体内時刻を推定することができました(図3)。分子時刻表法を用いることで、血液の連続計測を行わなくても、一日2点の採血のみでヒトの体内時計を正しく簡単に推定できることを示しました。

今後の期待

研究グループが開発した分子時刻表法を利用すれば、ヒトの体内時刻を簡単に診断することができるようになります。その結果、例えば、時差ぼけや一部の睡眠障害のような体内時計の異常(リズム障害)により発症する症状の簡単な診断が可能になります。また、リズム障害患者を治療する時に、施した治療の効果を評価する際にもこの方法が利用できると期待できます。今回の方法が適切な評価方法として認知されれば、リズム障害のための治療薬や治療法の開発における評価手段として利用できると考えられます。また、1日のうち最も適切な時間に服薬することで最大の治療効果を得る「時間治療」でも、体内時刻の個人差を調べる診断方法としての利用が期待できます。

原論文情報

  • Takeya Kasukawaa, Masahiro Sugimoto, Akiko Hida, Yoichi Minami, Masayo Mori, Sato Honma, Ken-ichi Honma, Kazuo Mishima, Tomoyoshi Soga, and Hiroki R. Ueda: “Human blood metabolite timetable indicates internal body time”. PNAS, 2012,doi/10.1073/pnas.1207768109

発表者

理化学研究所
発生・再生科学総合研究センター システムバイオロジー研究プロジェクト
プロジェクトリーダー 上田 泰己(うえだ ひろき)

お問い合わせ先

神戸研究所 広報国際化室 南波 直樹(なんば なおき)
Tel: 078-306-3092 / Fax: 078-306-3090

慶應義塾大学先端生命科学研究所
渉外担当 土屋 陽子
Tel: 0235-29-0802 / Fax: 0235-29-0809

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.体内時計
    体内に備わっている約24時間(概日)周期でリズムを発振する機構。「概日時計」ともいう。
  • 2.リンネの花時計
    色々な花が固有の時間に咲いたり閉じたりすることを利用した時計で、ある瞬間に花壇を見て、どの花が咲いていてどの花が閉じているのかを観察することで、その時の時刻が分かる。
  • 3.液体クロマトグラフィー・質量分析計(LC/MS)
    質量分析計の前に、物質の電荷、溶解度、疎水性などの性質の違いを利用して分離・精製する分離装置がついた機器の1つで、分離装置に液体クロマトグラフィーを利用したもの。これにより一度に多数の物質を定量的に測定できる。
  • 4.メタボローム解析
    メタボロームとは代謝産物の総体を意味する。メタボローム解析とは、(測定可能な)代謝産物を包括的に測定器で測定すること。
  • 5.メラトニンやコルチゾール
    メラトニンやコルチゾールは、生体内の器官や機能を調整するホルモンの一つ。それぞれの血中濃度は1日のサイクルで変化しており、体内時刻を推定する際に広く用いられている。
  • 6.強制脱同調法
    28時間周期など、24時間周期とは大きくかけ離れた環境下で生活すると、体内時計が環境の時刻に同調することができなくなる。そのため、被験者の体内時計は内在性の体内時刻周期で動くことになり、外環境の時刻と体内時刻の間でずれが発生する。
コンスタントルーチン下の被験者(イメージ図)の画像

図1 コンスタントルーチン下の被験者(イメージ図)

コンスタントルーチン下の被験者は、外部の環境から遮断され、均一環境下の部屋で、図のような体勢で一定時間過ごす。

血中で概日振動する代謝物質の抽出の図

図2 血中で概日振動する代謝物質の抽出

A:実験の流れ
コンスタントルーチン下の被験者から採血し、血漿(けっしょう)を回収、代謝産物を包括的に測定(メタボローム測定)する。得たデータを統計処理し、24時間周期で増減する代謝産物(概日振動物質)を抽出する。

B:血中の概日で増減振動する代謝物質(時刻指示物質)
陽イオンモード(左)と陰イオンモード(右)で測定した結果。陽イオンモード、陰イオンモードのそれぞれについて、タイルの1行が1つの時刻指示物質を示し、紫のタイルはその時刻においてその物質の血中量が多く、緑のタイルはその時刻においてその物質の血中量が少ないことを意味する。3人分、36時間のデータを並べて示した。存在量は24時間周期で変化するため、緑と紫は連続的に数回繰り返している。

ヒト体内時刻推定の結果の図

図3 ヒト体内時刻推定の結果

採血時刻(黒矢印)、既存法で血中コルチゾール量の連続測定により求めた体内時刻(青矢印)、分子時刻表法で推定した体内時刻(赤矢印)とし、6人の被験者それぞれの体内時刻を24時間の時計上で表した。

強制脱同調前:
体内時刻表の作成に用いた血液を提供した3人の被験者(被験者A,B,C)とは別の3人の被験者(被験者D,E,F)の強制脱同調前の体内時刻推定結果。既存法と分子時刻表法とで求めた体内時刻の誤差は2時間以内であった。

強制脱同調後:
体内時刻表の作成に用いた血液を提供した3人の被験者(被験者A,B,C)と上記の3人(被験者D,E,F)を強制脱同調で外環境の時間と体内時刻の間でずれを生じさせた。いずれの被験者でも既存法と分子時刻表法との誤差が最大3時間以内で体内時刻が推定できた。

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