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2020年6月26日

理化学研究所

生物個体中成分の組成・物性・位置を非破壊計測

-食品の部位ごとの食感・呈味評価への応用が期待-

理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター環境代謝分析研究チームの菊地淳チームリーダーらの研究チームは、生物個体中成分の組成・物性・位置を非破壊計測する3次元核磁気共鳴(NMR)[1]パルスシーケンス[2]可視化プロセッサー[3]を開発しました。

本研究成果は、生物のみならず食品・飼料、化学プロセスなどにおける物性・位置情報の取得と物質組成評価にも応用されると期待できます。

今回、研究チームは、磁気共鳴画像(MRI)法[4]により得られる生体個体中の肉質部や臓器などの深度方向の位置情報と、NMR法により得られる緩和時間[5]拡散係数[6]などの物性情報、組成情報を非破壊計測できる新手法を開発しました。この手法を通称「川エビ」として唐揚げなどで親しまれるスジエビに適用し、頭部から尾部に至る体軸方向に対し、脂質・タンパク質・糖・アミノ酸などの組成分布と「硬さ・柔らかさ」に関する物性プロファイリング[7]を行いました。すると、スジエビ頭部には脂質が多く含まれ、脂質はほとんど拡散していないこと、尾部では脂質は少ないものの、脂質がアミノ酸やアミン類とともに比較的速く拡散していること、そして頭部は硬く尾部は柔らかいことが分かりました。将来的に本手法は、例えばNMR管内で加温・冷却して食材を固めた際の状態変化、さらに部位ごとの食感・呈味評価などに応用展開できると考えられます。

本研究は、オンライン科学雑誌『Communications Chemistry』(6月26日付)に掲載されます。

生物個体中成分の組成・物性・位置(深度)を高分解能で非破壊計測するの図

生物個体中成分の組成・物性・位置(深度)を高分解能で非破壊計測する

背景

現在、多くの食品分析は「粉砕・抽出」した溶液試料を対象としており、食品の物性や組成、食味をそのままの状態で解析することは困難です。これに対して核磁気共鳴(NMR)法は、試料調製が容易であり、またカラム分離を要しないことから、生物系試料の代謝物を低コストで解析でき、しかも多くのデータを得ることができます。菊地淳チームリーダーらは、これまでNMR法の特性や機械学習、量子化学計算を生かした予測および分類法、細胞全体の固体解析手法、カラム分離を必要としない二次代謝物の構造解析法を報告してきました注1-4)

NMR法による混合物解析は、数百~数千検体調べても機器の劣化が起こりにくく、また機器ごとの個性が反映されにくいため、NMR装置間の互換性が高いという特徴があります。さらに、試料を高速で回転させるマジック角回転法(MAS法)[8]を用いれば、不均一な試料をそのまま計測でき、どのような成分が含まれているのかをプロファイル化できます。

一方、磁場が地球上全ての物質を透過できるという物理的特性を生かした非侵襲計測法として、医療で使われる磁気共鳴画像(MRI)法があります。MRI法では、磁場勾配パルス[4]を用いて位置ごとの運動性情報を得ることができます。NMR法では、化合物の分子構造や成分組成を主な分析対象とするのに対し、MRI法では、生体に含まれる水や脂肪の分布を断層画像として観察します。しかし、「磁気共鳴」という物理現象を活用するNMR法とMRI法の基本原理は同じです。どちらも一連のパルスを与える時間と順番を記した「パルスシーケンス」によって得られる情報が決まることから、このパルスシーケンスを自在に編集することで、新しくオリジナルな計測手法を創出できます。

そこで、研究チームは、食品および材料開発で用いられるNMR緩和時間、拡散係数といった物性情報と、生体混合物の成分組成情報とを非破壊計測できるパルスシーケンスの開発を試みました。

研究手法と成果

NMR法を用いて試料成分の空間分布を評価する手法として、化学シフトイメージング法[9]が、また試料成分の拡散現象や緩和現象を評価する手法として、DOSY法[10]ROSY法[11]があります。研究チームは、これらの手法を組み合わせ、生体混合物中の成分の位置(深度)分布と各成分の物性評価を可能とする新しいNMRパルスシーケンスを開発しました。これは、空間的な物性情報の取得が得意なMRI法と空間的な成分組成情報の取得が得意なNMR法を組み合わせた方法といえます。この新しいNMRパルスシーケンスは、空間における分子動態を分光学的に評価することから、「Spatial MOlecular-dynamically Ordered SpectroscopY;SMOOSY」と名付けました(図1)。今回、空間的に不均一な生体混合物を対象としたため、NMRシグナルの幅広化が問題となりましたが、MAS法を取り入れることで、高分解能なスペクトルを得ることに成功しました。

新しいNMRパルスシーケンス「SMOOSY」の図

図1 新しいNMRパルスシーケンス「SMOOSY」

基盤となる化学シフトイメージングは、生体混合物の組成情報(化学シフト)と深度情報(z位置)を非破壊的に計測できる(上段)。また、事前飽和パルスにより、残留磁化と生体混合物中に含まれる水由来のシグナルを消去できる。化学シフトイメージングのパルスシーケンスに、①拡散実験および②緩和実験のパルスシーケンス(下段)を加えることで、生体混合物の深度における各成分の物性の計測が可能となった。

次に、この手法を通称「川エビ」として唐揚げなどで親しまれるスジエビに適用しました。神奈川県横浜市の鶴見川で採取した体長約12mmのスジエビを、長さ約18mm、外径約4mmのMASローターに挿入し、SMOOSYの計測を行いました(図2)。ところが、この計測により得られるNMRスペクトルは、組成・物性・深度の情報を持った3次元スペクトルのため、各成分の深度における物性を直感的に解釈することが困難でした。そこで、この3次元スペクトルを疑似2次元スペクトル画像に変換するスペクトル処理プログラム(SMOOSYプロセッサーと命名)を開発した結果、頭部から尾部に至る体軸方向に対し、脂質・タンパク質・糖・アミノ酸などの組成分布と「硬さ・柔らかさ」に関する物性プロファイリングを容易に行うことが可能になりました。

スジエビの疑似2次元SMOOSYスペクトル画像から、ドコサヘキサエン酸(DHA)やエイコサペンタエン酸(EPA)といった脂質は深度全体に沿って存在していますが、拡散係数は尾部から頭部に向かって低くなっていました。エビの殻を構成する、キチンといった硬い性質を持つ高分子との交互作用や分子群が密な状態で存在し、分子運動がし辛い場合、拡散係数が低くなるため、頭部の方が尾部よりも硬い物性であることが分かりました。また、タウリンやベタインなども深度全体に沿って存在していますが、拡散係数には空間的な変化が見られないことから、他成分とほとんど相互作用せず、遊離状態で存在していることが分かりましたと。つまり、スジエビの頭部には脂質が多く含まれ、脂質はほとんど拡散しておらず、尾部では脂質は少ないものの、脂質はアミノ酸やアミン類の低分子代謝物とともに比較的速く拡散している様子が捉えられました(図2)。これは、頭部は硬く、尾部は柔らかいことを示しています。

スジエビの疑似2次元SMOOSYスペクトル画像の図

図2 スジエビの疑似2次元SMOOSYスペクトル画像

  • 左:長さ約18mm、幅が約4mmのMASローターに挿入した試料のスジエビ。
  • 右:SMOOSYの計測により得られた3次元NMRスペクトルを疑似2次元NMRスペクトルに変換した画像。脂質のDHAとEPAは全体に分布しているが、拡散係数は尾部から頭部にかけて低くなっている。一方、タウリンとベタインも全体に分布しているが、拡散係数は空間的に変化が見られない。

さらに、スジエビの疑似2次元SMOOSYスペクトル画像の主成分分析[12]を行い、深度における各成分の拡散現象の違いと類似性を調べました。その結果、データ内で最大の分散(ばらつき)を示す第1主成分軸の得点は、深度における最も大きな特徴が反映され、頭部と尾部の間で大きな違いを示しました(図3左)。また、この深度の特徴に寄与する要因を示す第1主成分負荷量から、頭部と尾部の差は特にDHAやEPAなど脂質の拡散係数の影響を受け、拡散係数は尾部で大きくなっていることが分かりました。空間的に拡散係数の差がほとんどない成分は、データ内の2番目に大きい分散を示す第2主成分軸の得点と主成分負荷量から特徴付けられました(図3)。SMOOSYスペクトル画像の主成分分析を行うことで、空間的な化合物の物性の違いと類似性をよりはっきりと評価することが可能になりました。

以上のことから、SMOOSYスペクトル画像の解析により、従来法では得られなかった深度における成分物性を非破壊的かつ高分解能に評価することが可能になりました。

スジエビの深度における成分物性の特徴の図

図3 スジエビの深度における成分物性の特徴

  • 左:スジエビの深度における特徴を示す主成分得点の散布図。第1主成分軸の得点は、頭部と尾部の間で大きな違いを示した。第1主成分軸はデータ内で最大の分散(ばらつき)を示す座標軸、第2主成分軸はデータ内の2番目に大きい分散を示す座標軸である。
  • 右:深度の特徴(主成分得点)に寄与する要因を示す主成分負荷量の棒グラフ。第1主成分(青棒)は主成分得点の第1主成分軸の分散に寄与する成分、第2主成分(赤棒)は主成分得点の第2主成分軸の分散に寄与する成分を示している。

今後の期待

日本は世界第6位の海洋面積を持ち、しかもその近海は世界随一のホットスポットであることから、「海を耕す」未来社会の創造が期待されています。水産物には、多様な食肉タンパク質源を少ない環境負荷で生産できることや、スジアラ注5)をはじめとする優れた生物資源が埋もれているといった魅力もあります。

養殖技術を高度化することで豊かな日本の「海を耕し」、世界へ輸出するためには、MSC(Marine Stewardship Council:海洋管理協議会)やASC(Aquaculture Stewardship Council:水産養殖管理協議会)といった国際的な海洋保全活動の際認証をクリアできる環境低負荷型水産が望まれています。このためには、生態系評価の分析注6,7)、デジタル化技術、海外輸入の魚粉に頼らない飼料開発が必要です。最近では、小型で安価な永久磁石や電磁石製のNMR装置を用いた簡易分析システムが盛んに研究されていることから、農林水産物のようなキロ単価の安い生物材料に対しても、生産現場で評価ができる時代が近づいています注8)

将来、簡易分析装置によるビッグデータ蓄積と、その分析データの機械学習による農産物や水産物の品質管理が普及すれば、重要因子を成分および物性マーカーとした「旬」や「産地」に応じたおいしい食品開発や、廃棄物を飼料、肥料や土壌改良材などに再利用する1次産業の価値向上が期待できます注9,10)

NMRはパルスシーケンスを自在に操ることで、MRIのような位置情報や、食品および材料開発で用いられる緩和時間や拡散係数といった物性情報を得ることもできます。また、磁場が地球上の全ての物質を透過できるという物理学的特性を生かした、非破壊in situ計測で温度、光、酸素、水分といった物理化学的因子を変化させたり、微生物発酵させたりするなど、環境要因を変化させながら連続計測することも可能です注11,12)(図4)。つまり、多様性のある水産資源を多彩な貯蔵・調理プロセスで味わう和食文化の世界に、分子レベルで探求していくことにもつながります。将来的には、例えばNMR管内で加温・冷却して食材を固めたりした際の状態変化、さらに部位ごとの食感・呈味評価などに応用展開されることが期待できます。

環境要因による水産食品の食感・呈味変化の分子動態解析の図

図4 環境要因による水産食品の食感・呈味変化の分子動態解析

多くの食品分析は「粉砕・抽出」した溶液試料を対象としているが、SMOOSY法なら試料そのまま、物理要因(例:加熱による蛋白変性)、化学要因(加水後の呈味物質溶出および拡散)、微生物要因(発酵過程における微生物代謝)といった、環境要因による食感・呈味変化を解析できる。

補足説明

  • 1.核磁気共鳴(NMR)
    静磁場に置かれた原子核の共鳴を観測し、分子の構造や運動状態などの性質を調べる分光方法。試料を何らかの方法でイオン化する必要がある質量分析法と比べて、食品や生体試料を最小限の前処理でそのまま計測できる。フーリエ変換(FT)-NMR法では、試料にラジオ波域のパルスを与えて核スピンを同時に操作し、FTによってNMRスペクトルを得る。3次元NMRなど多次元NMR法では、間接的に信号を検出してから核スピン間での磁化移動を行い、その後、信号を直接観測する。NMRはNuclear Magnetic Resonanceの略。
  • 2.パルスシーケンス
    試料に与えた複数のラジオ波域のパルスを、特定の時系列タイミングで組み合わせたシーケンスのこと。NMR法では、特定の核スピン間において磁化が移動するように設計されたパルスシーケンスが多数報告されている。例えば、タンパク質の解析には、アミノ酸を構成する水素、炭素、窒素の核スピン間で磁化が移動するように設計されたパルスシーケンスが使われる。代謝物の解析では、分子を構成する炭素骨格に沿って磁化を移動させることで、分子を構成するほとんどの水素核と炭素核の信号を検出できる。
  • 3.可視化プロセッサー
    本研究では、NMR計測により得られる3次元SMOOSYスペクトルを疑似2次元スペクトル画像に変換処理して、深度方向における成分物性を可視化するプログラムのことを指す。
  • 4.核磁気共鳴画像(MRI)法、磁場勾配パルス
    磁気共鳴画像法とは、NMRの現象を利用して、生体などの空間的な情報を画像として得る方法である。磁場勾配パルスとは、静磁場において空間的に線形な磁場を生成するパルスのこと。これにより、得られる共鳴信号に位置情報を付加できる。MRIはMagnetic Resonance Imagingの略。
  • 5.緩和時間
    磁場によって生じた原子核スピンの歳差運動の位相が一定である状態(コヒーレント状態)が、近傍のスピンの影響を受けて、次第にランダム状態に戻るまでの時間。分子の「回転運動」と関連している。本研究では、エビ個体をそのまま測定することで、組織中における代謝物や高分子の緩和時間を評価した。
  • 6.拡散係数
    1855年フィックが提唱したフィックの第1法則と第2法則から得られる物理量で、「物質の動きやすさ」を表す。拡散方程式に係数として表され、単位時間当たりの移動面積で示される。
  • 7.物性プロファイリング
    NMRスペクトルの解析から、分子の回転運動と関連している緩和時間、分子の移動と関連している拡散係数といった物理的性質を評価できる。これらの情報は、物質の硬さ・柔らかさといった性質と関連する。
  • 8.マジック角回転法(MAS法)
    固体試料では分子運動が制限されるために、静磁場に対する異方性による相互作用が観測され、NMRペクトルは幅広化してしまう。しかし、試料管を静磁場に対して54.7度傾けて高速回転させるマジック角回転法を用いると、静磁場に対する異方性を時間平均することができる。細胞や組織などの不均一な試料をそのまま計測し、高分解能スペクトルを取得できる。MASはMagic Angle Spinningの略。
  • 9.化学シフトイメージング法
    NMRにおける共鳴位置を化学シフトといい、化合物の官能基によって固有の値を持っている。この化学シフトを空間的に取得して、成分分布を空間的にマッピングする方法。
  • 10.DOSY法
    化学シフト(=組成)と拡散係数(=物性)の関係性を持つスペクトルが得られる計測法。DOSYはDiffusion Ordered SpectroscopYの略。
  • 11.ROSY法
    化学シフト(=組成)と緩和時間(=物性)の関係性を持つスペクトルを得る計測法。ROSYはRelaxation Ordered SpectroscopYの略。
  • 12.主成分分析
    多次元のデータからその平均値の周りでの座標軸の回転により、分散(ばらつき)の大きい方向を次々と探す多変量解析の手法。多次元のデータの共分散行列を対角化することで求められる。これにより、データセット内の大きな特徴を示す固有値と特徴に寄与する要因の大きさを示す固有ベクトルが得られる。一般に大きな固有値(分散)を持つ方向だけで元のデータが再現できるので、データの次元を削減する手法として使われる。

研究チーム

理化学研究所 環境資源科学研究センター 環境代謝分析研究チーム
チームリーダー 菊地 淳(きくち じゅん)
特別研究員 伊藤 研悟(いとう けんご)
テクニカルスタッフⅠ 坪井 裕理(つぼい ゆうり)

原論文情報

  • Kengo Ito, Yuuri Tsuboi and Jun Kikuchi, "Spatial molecular-dynamically ordered NMR spectroscopy of intact bodies and heterogeneous systems", Communications Chemistry, 10.1038/s42004-020-0330-1

発表者

理化学研究所
環境資源科学研究センター 環境代謝分析研究チーム
チームリーダー 菊地 淳(きくち じゅん)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
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